第三十五話
その後何年、何百年と月日を経て、ディジーの魂が生まれ変わったのを知った。
まず、カークウッドが反応した。カークウッドを放してみると、目的の場所まで迷わず飛んで行った。
そして、カークウッドが見つけ出したのは、14歳の農夫の娘、デボラだった。
会いに行ったとき、彼女は一人でジャガイモを干していた。
彼は嬉しさのあまり、デボラの前に飛び出した。
当然デボラは面食らった。
デボラは、妖精を見たことがなかった。
初めて見る妖精に、彼女は恐怖に怯え、声を上げることが出来なかった。
足がすくみ、動けないでいる彼女を、トワイゼルは構わず抱きしめた。
抱きしめると暖かいデボラの身体に、トワイゼルは感極まった。ディジーが帰ってきた、と。
逆に抱きしめられたデボラはパニックだった。
妖精に攫われてしまう、と思って。
しばらく呆然と抱きしめられていたデボラだが、落ち着くと、力の限り暴れて振りほどこうとした。
泣いて暴れる彼女を見て、トワイゼルも困惑した。
トワイゼルは彼女のそんな顔を見たくて声をかけたわけではなかった。
ディジーが帰ってきたのが嬉しくて。
だから、彼女を落ち着かせようとして説得を試みた。
ディジー、トワイゼルだ、会いたかった、と言って。
彼女は当然言った。
私の名前はデボラだ、人違いだ!と暴れながら。
裏庭が騒がしいので娘の様子を見に来た彼女の母親が、慌ててトワイゼルを引きはがそうと向かっていった。
それに気が付いて、トワイゼルはつい自分の家に転移してしまった。
ディジーを離したくなくて。
人間であるデボラにとって妖精と一緒に転移するのは体に負担がかかり過ぎた。
気を失ったデボラを寝台に寝かせ、目が覚めるのをひたすら待った。
目を覚ましたデボラはひたすら恐怖に怯え、殺さないでくれ、自分を戻してくれ、と泣いて嘆願した。
彼女の身体を見なくとも、トワイゼルには番の紋様から香る匂いで分かる。彼女の左胸の上、鎖骨の下には、確かに自分が授けた番の紋様があった。
だが、彼女はディジーではなかった。
ディジーの魂を受け継いだ、別の人格をもった一人の人間だった。
当然トワイゼルの事など知りはしない。
だが、トワイゼルは諦められない。なぜなら、彼女は自分の半身だからだ。
どうしても彼女が欲しかった。
一人は、寂しすぎた。
彼は妖精だ。
しかも高位の妖精だ。
彼が本気を出したらこの国など一溜りもない。
だから、脅した。
それくらい、ディジーを手に入れるのなら容易い事だ。
ディジーがいないこの地など、何の価値もない。
彼は、いつだってディジー以外興味がないのだから。
そんな生活がうまく行く訳がない。
ディジーはディジー、
デボラはデボラだ。
だがトワイゼルにとって、デボラはディジーだ。
彼女が何度もディジーではないと言っても、彼はデボラをディジーと呼ぶのを止めなかった。
トワイゼルはディジーにしたように、甲斐甲斐しくデボラの世話をした。
彼女は、強かった。一切絆されなかった。
いきなり両親の元から連れ去られ、違う女の名前を呼ぶようなのに心を許すような女はいない。
トワイゼルが理解しようが、しまいがデボラには関係がなかった。
嫌われて追い出されたら万々歳だ、とばかりに、彼女はずっと自分の考えを滔々とトワイゼルに説明した。
曰く、私はデボラだ、ディジーではない。
曰く、いきなりこんな所に連れてこられて幸せなわけがない、自分には自分の生活があったのだ、と。両親とも別れの挨拶をせず、両親が泣いているのは辛い、せめて自分の無事だけでも知らせたい、等々。
至極当然の事を何度も何度も繰り返し説明した。
その頃になると、デボラなりに、トワイゼルが一切自分に嫌な事をせず、自分の身が安全な事を理解し始めた。そして説明はより饒舌になっていった。
最初は理解を示そうとしなかったトワイゼルも徐々にきちんと話を聞くようになっていった。
そしてトワイゼルは最後にはデボラに謝り、その後一切ディジーと呼ばなくなった。
その後は、なんでも話し合える関係性に変わっていき、トワイゼルと一緒に過ごす時間の中で、徐々にデボラは状況を判断し、丸くなっていった。
デボラはトワイゼルの苦しみや寂しさを自分なりに考えたうえで、一緒に住む覚悟をしたのだ。
デボラの身体の負担を考えると家族に会うことは難しいが、手紙で良ければトワイゼルかカークウッドが届けることが出来る。
トワイゼルはトワイゼルなりに、デボラの要望になるべく沿う形で実現させようとした。
そしてデボラはデボラで、自分のような人物が二度と出ないようにどうすればよいか考え、トワイゼルに説明した。
その頃、あの当時小さかった町は今では小さいものの王国になっていた。
彼女はそれを利用することにした。
まず、王にトワイゼルの力を見せ、もし、この番の紋様が現われたらこの女性を探す事、そして、家族と別れの時間などを与えてからこちらに連れてくること。
絶対に人間を傷つけない事。
そしてもう一つ。女性、特に子供に夢を売ること、だ。
年に一度の豊穣祭のシーズンに、村に旅の語り部がやってきて女性にはロマンチックな話を、男性には英雄の話を、子供にはおとぎ話や不思議な話、冒険の話を聞かせてくれる。デボラは毎年それが楽しみで仕方がなかった。
だから、それに、この妖精の話を恋物語風にして聞かせるのだ、選ばれるのは幸せな事、という風に。
そうすれば、自分のような不幸な出来事は起きない、そう思ったのだ。
トワイゼルに取って幸いだったのは、デボラが最初のディジーの魂の生まれ変わりだったことだろう。
結果、その後何人か番が現われても、彼女が考えた下地のお陰で上手く回るようになった。
デボラは最後まで、トワイゼルを愛さなかった。彼女とトワイゼルに、体の関係は一度もなかった。
彼女は自分のことをトワイゼルの友人、トワイゼルの良き理解者としか思っていなかった。
トワイゼルはディジーを愛しているのであって、自分を愛しているわけではない事を、彼女は知っていたから。
デボラのたった一つの考え違いは、その甘い物語を夢見て、トワイゼルを愛してしまう人間がいたことだ。
彼女たちは、容姿の衰えについて嘆き、悲しみ、静かに静かに狂気の淵を彷徨い始める。
デボラのように、容姿が衰えようが気にしなかった女性は皆無だったのだ。
そして、トワイゼルも又、デボラと過ごす時間の中で一つ気が付いてしまったのだ。
デボラが死につく前に、初めて彼女はトワイゼルの名前を呼んだ。
彼女は一度もトワイゼルの名前を呼んだことはなかった。彼が何度かお願いしても、彼女は拒否し、ねぇ、とか、ちょっと、貴方、としか呼ばなかった。
トワイゼルは、自分が聞きたかった、あの甘い声のディジーはもう思い出の中でしか存在しないのだ、ということを思い知った。
デボラはディジーではない。声だって違う。
デボラは、デボラの声で、トワイゼル、と呼んだのだ。
トワイゼルが、デボラがディジーではないという事を、初めて心の底から理解した瞬間だったかもしれない。
デボラがディジーではないように。
なら自分も。
もう2度とあの声で自分の名前が呼ばれないのなら。
既に、トワイゼルとディジーの物語は終わってしまったのだから。
デボラとトワイゼルの物語は始まる前に終わってしまったのだから。
せめて、次は。
もし、次があるのなら。
その番本人を愛そう、と。
トワイゼルという名を、捨ててしまおう、と。
それが、ディジーではなかった、デボラへの遅すぎた愛と、せめてもの贖罪だった。




