第三十四話
幸せだ、と思った時間は長くなかった。
土地が豊かになると自然に人が集まる。
集落が村に、村が町へと変わり、トワイゼルの事を知らない人も増えていく。
人間のみが生活する場所に混ざる妖精に、知らない人間は畏怖を持った目で見る。
彼らはなぜ、この地が住みやすいかなどの理由など気にしていなかった。
人間は人間で生きるために精一杯だったのだから。
彼らにとって、ようやく見つけた、安住の地なのだ。
徐々に、徐々に感じる違和感は、周囲の温度差になって表れていく。
少しずつ年をとり、顔付や体つきが変わっていく友人達。
自分が助けた友人たちが一人一人と亡くなっていくのと同じように離れていく人間との距離。
そして、年齢を重ね年相応な容姿になったディジー。
「どうして、どうしてなの?あなたは出会った時のままなのに。
私はすっかり年を取ったと言うのに!」
ディジーは少女から、女性へ、そして今は中年から初老に足がかかろうとしていた。
妖精は長寿だ。そして彼らは子供から大人へ成長したが最後、彼らの見た目が変化することはない。
見た目が変わるのは、その力が保持できない低位の妖精だけだ。
幸か不幸かトワイゼルは、高位の妖精だった。
彼はディジーが出会った時のまま何一つ、変わっていなかった。
ディジーは、いつの頃からか容姿の件で泣いてトワイゼルを責めたり、または自分はこんな醜くなっていくのに、と自分を責めたり、と、どんどん癇癪を起すようになっていった。
トワイゼルの顔を見ると、ある日は罵倒し、ある日は泣いてすがり、ある日は一言も喋らずといった生活を繰り返すようになった。
ディジーは静かに、そして緩やかに狂っていった。
あんなに可愛がっていたカークウッドの事すら忘れて。
トワイゼルにとってディジーの見た目は何一つ問題がなかった。
彼女を愛していたから。
ディジーがディジーであるならば、年をとって容姿が変わろうが気にもしなかった。
ディジーが幸せそうに微笑んでくれていたら、それだけで良かった。
ディジーが傍で生きて一緒にいること。
それだけで幸せだったから。
トワイゼルは理解できなかった。
何が一体ディジーを苦しめているのか。
自分が彼女に捧げる愛は出会った時から変わっていないのに。
ディジーは、自分の番の紋様を捧げた、たった一人の大切な自分の半身なのに。
ディジーが狂ったのと同じころ、町の中では新参者を中心に、見ろ、やっぱりおかしくなっちまった、やっぱり妖精なんかと結婚するから生気を食われちまったんだ、といった陰口が囁かれるようになった。
最初は否定した者もいた。
そこには当然あの時、あの場にいて助けられた者や、ディジーの家族がいた。
彼らが必死になって否定すればするほど、反発も大きくなる。
実際に狂ってしまったディジーが証拠だと言われたら、何も言えなかったのだ。
彼らは諦めてしまった、理解を求めることに。
もう町は、あの当時の集落とは変わり果ててしまったのだから。
そして親切だった街のみんなも、そのうち自分達を遠巻きに見る様になった。
自分の力のお陰だ、と感謝してくれたのに。
自分がいなければ、生きてなかった、と感謝してくれたのに。
人間は、勝手だ。
自分がこの力を弱めたら、この地はあっという間に雪に覆われるというのに。
農産物だって育つことが難しくなるような貧弱な土壌だというのに。
トワイゼルが人間に絶望したくても、絶望できなかったのは、ディジーが人間だったからだ。
ディジーはこの地を愛していた。
トワイゼルが作った土地だから、と言って。
あの愛らしい笑顔で言ったではないか。
狂ったディジーは、今やニコニコ笑うだけの人形のようだ。
トワイゼルは毎日ディジーの世話をする。大変だと思ったことはなかった。
ディジーは何かを喋っていたが、それは既に言葉ですらなかった。
会話が出来なくても言い争いがない分、トワイゼルは幸せだった。
トワイゼルは知らなかった。
人間が短命だという事は知っていたが、ここまで短命だとは知らなかったのだ。
人間の一生はトワイゼル達妖精にとって蜻蛉のようなものだという事を。
ディジーが息を引き取る何日か前に、彼女は正気に戻った。
いや、それすらも錯乱の中の発言なのかもしれない。
だが、今までの意味のない発言ではなかった。
「私は、こんなにおばあちゃんなのに、あなたは変わらないのね。
…ごめんなさい、迷惑をかけて。
あなたが一生懸命私にしてくれるのに。
私は何も返せなくて。
愛してるわ、トワイゼル。
本当に、本当に愛してる」
トワイゼルの両手をしわがれた手でしっかりと握りしめ、涙を流して言ったのだ。
その後、ディジーはニコリと笑うと涙を流しながらスースーと寝息を立てて寝た。
それから2日後、彼女は静かに旅立った。
トワイゼルはもぬけの殻になった。
ディジーがいない世界は世界ではなかった。
世界から全ての色が消えた。
彼の世界は無になった。
ディジーがいないこの地に未練はなかった。
が、雪女の呪いが邪魔をした。
彼はこの地から動けなかった。
ディジーとの思い出の地を失くすのはトワイゼルには出来なかった。
この地を愛しているといったディジーの面影がちらついて。
トワイゼルはこの町からひっそりと去っていった。
人間が誰も入ってこれない更に最果ての地へ移動した。
ディジーとの思い出を胸に抱いて。
長い長い年月を、一人で生きていかなければならない絶望を抱えて。




