第三十話
翌朝の、王太子の困惑と狼狽は気の毒に思うほどだった。
そして、キャッサンドラはある秘密を知った。
知っているのはルイスが一番信頼している側近のブルースと護衛のエリック、王宮医、ルイスの父である王くらいであろう。
そう、完全なる極秘情報だった事実。
彼が、ここ何年かほど男性としての機能が働いていなかった、ということを。
子作りのプレッシャーなのか、理由は良く分からないらしい。
最初は疲れているのかと思って、楽観視していたこと。
試そうとすれば試そうとするほど、ダメになっていったこと。
イザベラは何も言ってこないが、イザベラの顔を見ると、イザベラが自分を責めているのではないかと思うようになったこと。
そのうち、申し訳なくてイザベラの顔を見れなくなってきたこと、
自分の男としてのプライドが崩れてきて、どうしようもなくなってしまったこと。
そして失望されたくなくて真実をあかす事が出来ず、閨を共にしていない事。
王宮医や側近、護衛が協力し、王太子であることを隠しプロと言われる女性に協力してもらったこともあるが、状況は改善しなかったこと。
まさか自分が再び機能するとは思っていなかったこと。
多分、とキャッサンドラは思う。
この一夜の過ちは、本人も強く意識しなかったからこそ成功した営みだったのだろう。
そしてこの3歳年下の王太子の告白に、キャッサンドラの母性本能は刺激された。
女であるキャッサンドラに、機能する、しないの問題がどれ位デリケートなのかは正確には判断できないが、とても悩んでいるのだけは理解できた。
男として自信をつけさせてあげたい、と思ったのだ。
そして、現実問題、一旦お手付きになってしまった令嬢をそのまま領地には置いておけない。
俗物である父を喜ばすのは癪だったが、そうも言ってられなかった。
独身女性だったらすぐに移動することは難しかったが、彼女は運よく寡婦であった。
そのまま王太子宮の西棟に連れていかれ、住むようになった。
その後も何度か試したが毎回成功するわけでもなかった。
それを責めるわけでもなく、優しく見守った。
精神的に楽になったのだろうか、それとも甘えられることに味を占めたのか、王太子はよく自分がいる西棟に来るようになった。
男としての自信喪失は、かなりルイスの精神を疲労させたようだ。
そして、ある日、キャッサンドラの妊娠が発覚した。
王太子の喜びは、相当なものだった。
そりゃそうだろう、機能しなかったものが、毎回ではないが、ようやく機能し始め
かつ妊娠させる力があることを証明できたのだから。
あぁ、これで本当に自信がついたのではないか、私はお役御免だわ、とキャッサンドラは思った。
少し、寂しい気持ちもある。
だが、それは親離れする子供が旅立つ寂しさと似ていた。
キャッサンドラはルイスに好意を抱いていても、どことなく母が子を、もしくは小さな弟を見守るような気持ちが強かった。
それはもしかしたら、継母として2歳下の少年を義息子として接していた為なのかもしれない。
キャッサンドラは、キャッサンドラで、彼の男としてのプライドを元に戻させることに注視していたため、イザベラの気持ちを思いやる余裕がなかった。
加えて初めての妊娠。
悪阻がひどく、食事がとれない日が続き、キャッサンドラは日増しに衰弱していった。
安定期に入っても、ひどい悪阻は続き、ほぼ寝たきりだった。
その為、王太子であるルイスは更に西棟に入り浸りになった。
そのまま不安定な状態のまま臨月を迎え、ようやく無事に出産し終えたキャッサンドラとルイスは喜んだ。
ルイスはルイスで、自分の子供がきちんと生まれられるのか不安だったのだ。
その翌日、キャッサンドラは言ったのだ。もう十分自信はついたのではないか、と。
無事に健康な女児が生まれたのがその証拠だ、と。
ルイスは、道に迷って困っている子供のような目ではなく、自信を取り戻した男の顔になっていた。
二人は、ある意味一緒に戦った同士、だった。
二人を巡る噂は最初は静かに、そして大きくなっていった。
そう、周囲は話を面白おかしくするために事実を思わせぶりな言い方で、少しずつ歪曲していった。
事実は必ずしも全てが事実でなくても良いのだ。
辺境伯のキャッサンドラが3歳年上の為、婚約者に選べなかったが、寡婦になり、ようやくルイスの元にきたのだという純愛物語風に。
確かに、仮にも辺境伯令嬢であるキャッサンドラは、ルイスの事もイザベラの事も知っていた。
王宮舞踊会であったこともあるし、王妃主催のお茶会でもあったこともある。
個人的に親しいわけではなかったが、会えば挨拶はするし、話しかけられれば会話もする。
だが、それだけだった。
幼少の頃から知っていた、これは事実だ。
だが、幼少の頃からお互い意識していた事はない。
だからまさか、そんな噂が広まっているのを知らなかった。
特に、キャッサンドラは西棟に入居してからは隠居のごとく屋敷外に出なかったから。
そして、そんな噂が王太子妃であるイザベラの耳に入ってるなど思いもしなかった。
その噂を教えてくれたのは、自分が婚約者になるという話を聞いたときに一緒にいた侍女の一人だった。
おめでとうございます、キャッサンドラ様。これで人目を忍ばず愛する王太子様とご一緒になれますね、と涙を流し、キャッサンドラを祝福してくれたのだ。
キャッサンドラは話を飲み込むことが出来なかった。
彼女が、侍女を何人が捕まえてその噂がどれくらい広がっているのかを理解した時は、顔面から血の気が引いた。
自分が屋敷に籠っていたことも、噂をあおる原因になってしまったかもしれない、だが、既に知ったところで手遅れだった。
完全な悪循環に劣っていたことに、渦中の二人は全く気が付かなかったのだから。
その後は知っての通りだ。
イザベラが番に選ばれ、ルイスの元を去ったのだ。
今、彼女は王城の客間にいる。
妖精の番として、妖精の国に嫁ぐために。
ようやく、ルイスがイザベラに向き合おうとするタイミングで。
イザベラは、ルイスが愛しているのは自分だと誤解している。
いや、確かにルイスだって自分に好意は持っているだろう。
だが、それは愛とは違う。
彼が愛しく思っているのはイザベラだけだったのだから。
それは、キャッサンドラが一番理解していた。
相手に失望されたくなくて言えなかったのが、重ね重ね残念に思う。
打ち明けて、支えあうことも出来たのに。
そんなもしもの世界を思ってしまう。
きっと、あの時、あの状況で無ければ私たちの道は交わらなかったのに…
自分の甘い判断を、今更悔やんでも仕方ないのに。
今後、自分は王太子妃教育が施される。
これは、命令だ。自分が泣いて嫌がっても覆せないのだ。
あの淑女のお手本のようなイザベラの立ち居振る舞いを求められるのだ。
一挙手一投足観察される生活に。
全てがイザベラと比較される生活に。
王家はこのまま、あの噂を逆手に取って真実の愛を貫いた王太子と王太子妃としてルイスとキャッサンドラを紹介していくだろう。
生後間もないマッケンジーですら、利用されて。
イザベラは妖精に見つけられ、愛され幸せに暮らすというのと併せて。
嘘と真実を混ぜ合わせて話が作られていく。
王家の安寧の為に。永続の為に。
今後も平和に暮らせるように。
その事実に薄ら寒さすら感じる。
そして、それは、自分とルイスに対する罰なのだ。
ルイスは、ずっと傍にいると思っていたイザベラを永遠に失う。
キャッサンドラは、王太子妃という重圧と、後悔の日々を送ることになる。
自分こそが、お飾りの妃になるのだ。
キャッサンドラの涙はとまらない。
もう自分でも誰の為に泣いているのかさえ分からなかった。




