第三話
「イザベラ様は優しすぎるのですよ」
日課になったケープが、ようやく終わりそうになった時、糸切バサミを渡されながらアメリアから言われた。
私は困惑した顔でアメリアを見た。そして周囲をチラリと見渡す。
ここは狭いコンサバートリではなく、私の私室。
今いる侍女はアメリアと、マリア。
アメリアは言わずもがな、マリアも、私の信頼のおける侍女だ。護衛はドアの前で佇んでいるが、こちらの会話は聞こえないだろう。
そうでなければ、アメリアもこんな口調で話しかけてこないだろうが、確認は必要だ。
「私は…イザベラ様が沈んでいるお顔を見るのが辛いのです」
確かにあの夢を見てから、ため息の回数が増えた。
気が付かないときに、浮かない顔をしているのだろうか?
貼り付けたような笑顔を作る。
「そんな笑顔で私が騙されるとお思いですか?
私はイザベラ様が10歳の頃からお傍に仕えてるのですよ?
それに、今、このお部屋には私とマリアしかおりません。
もう少し楽にして下さっても平気です」
見るとマリアも頷いている。
知らない間に侍女達に心配をかけていたらしい。
失敗した。
確かにあの夢の番という言葉で、ふとこの国の番の歴史まで調べてしまったわけだけど。
「明後日は、孤児院の慰問の日でしたわね。
今回は、毛布を差し入れるだけの予定でしたが、
子供達になにかお菓子でも差し入れしたいわ、料理長にお願いしておいてくださるかしら?」
「イザベラ様…
分かりました。
確かに子供達はきっとお菓子を喜びますね、早速手配しましょう。
マリア、外に控えている侍女に伝えておいて」
何かを言いたそうにアメリアは私を見たけど、私はそれを許さなかった。
あえて会話を切ることで、その話を終わらせたのだ。
マリアが頷き、そばを離れ、戻ってきた。
「イザベラ様、王妃様とのお茶の時間になりますので、王妃の間へ向かいましょう」
王妃との面会に備えて、一度着替え、髪を再度セットする。
鏡の前の自分は、能面のような無表情で私を見つめる。
足元に香水を吹きかけるが、お茶の前なのであまりきつくない優しい匂いの香水だ。
今日は一月に一度の王妃様とのお茶会。
ほとんど執務連絡のようなものだけど、昔は違った。
ルイス様もいらして、楽しい時間を過ごしたのだ。
クッキーをつい食べ過ぎて、ダンスレッスンをする際に二人でお腹いっぱいすぎて気分が悪くなったり。
あぁ、また。
イザベラは軽く頭を振る。
あの夢を見て以来、昔、私だけを見てくれていたルイス様を思い出してしまう。思い出すたびに苦しくなるというのに。
グッと鏡の前の自分を見つめる。
私は王太子妃、イザベラ・メアリー・トワイゼル。
呪文のように心で唱える。
そうすると、不思議に落ち着くのだ。いや、それとも王太子妃としての私がスタートするのか。
教育の賜物、ね。
自嘲気味に笑うと、鏡の中の私も嘲るような笑みを返した。
王太子の離宮から、城に向かおうとして、中庭の吹き抜けを通り抜けようとしたときに、可愛らしい声が聞こえた。
「あぁ、重い、重い。
歩くのも大変ですわ」
「キャシー、段差があるから気を付けるんだよ」
「ルイス様、ありがとうございます。」
「何を言ってるんだ、大切な体なんだから、大事にしないとな」
「助産婦に歩くようにと言われましたが、この痛みはまだ全然続きませんの。
この痛みが定期的に訪れるようにするには、歩くしかないのですって。
はぁ、早く、私達の赤ちゃんに会いたいですわ。」
「あぁ、私も楽しみだ。
だから、キャシー、もう少し歩こうか」
バラの茂みに隠れ、二人の姿は見えない。
その会話が聞こえた時に、私はついうっかり足を止めてしまった。
普段ならルイス様と西の方の声なんて、聞きたくなくて足早に通り過ぎるのに。
西の方は、西棟から出てこないから、すっかり油断していた。
まさか離宮の中庭を二人が歩いているなんて思わなかった。
確かに段差など少ない事を考えると、妊婦が歩くには最適かもしれないが。
でも一応、ここは王太子宮であり、私が管理する宮だ。
大っぴらに彼女が歩くことなどなかったのだ。
そして、この時間は本来であれば王太子であるルイス様は城の執務室にいる時間なのだ。
彼女のために、時間を取られ、こちらに戻ってきたのか、それとも彼女の身体を気遣い、今日は執務をしていないのか。
どちらにせよ、二人して表立ってこんな動きをしたことはなかったのだ。
王太子妃である私が、管理する宮で。
「王太子妃様、お時間に遅れます」
感情のこもらない声でアメリアが先を促す。
それに気が付き私も感情を殺して足を前に進める。
何も、考えられない。
何も、考えたくない。
二人が何を話しているのか、もう聞こえない。
彼女が大きなお腹を愛おしそうに撫でていた姿を思い出してしまった。
本当は、私がルイス様の初めての御子を身籠りたかった。
あの優しい声で労わって欲しかった。
私以外、誰も見てほしくなかった。
本当なら、私が。
唇を噛みしめる。
涙は、出なかった。
なぜなら、今の私は王太子妃イザベラだから。
誰が見ても、妃として完璧に過ごさないといけないのだ。
例え、一番認められたい人に認められなくても。
私は王太子妃、イザベラ・メアリー・トワイゼル。
再度心の中で呟いてから、堂々と胸を張って外にでた。