第二十九話
主となる王太子妃がいなくなった王太子宮は、灯りが消えたようだった。
改めてイザベラの存在感を実感する。
「…ルイス様。
本当の事、言わなくてよかったのでしょうか?」
キャッサンドラは遠慮気味にルイスに問う。
「いいんだ。
このまま知らないままでいた方が、イザベラにとっては幸せだよ。
だったら、このまま君に夢中でイザベラを御座なりにした愚かな男で良いんだよ。
その方が、きっと…ね。
幸せになってほしいんだよ、イザベラには」
淡々と話すルイスを見る。
彼の瞳は、今、何も映していない。
切なくて胸が痛む。
ルイスはイザベラの残像を探すように宮を見ている。
「…私が、幸せにできなかった分、ね」
自嘲気味に笑うルイス様を見ていられなくて私は俯く。
本当の事を言えば、と言ったけど、言ったところで彼女がここにいることは出来ない。
妖精の番として妖精の国に行くことが決まっているからだ。
だから、キャッサンドラは唇を噛みしめるしかなかった。
「…?キャシー、泣いてるの?」
知らずに涙が溢れていたらしい。
だが、涙は止まることを知らないかのようにどんどんと湧き出る。
ルイス様の事をお願いします、王太子宮をお願いします。
あなた以外頼む方はいないの。
キャッサンドラ様、マッケンジー様と一緒に、ルイス様とどうかお幸せに。
私が幸せにして差し上げられなかった分、どうかよろしくお願いします。
そう言ってキャッサンドラに微笑み、頭を下げたイザベラの姿を思い出す。
ルイス様は私の肩を静かに抱いた。
私はそのまま涙を流し続けた。
******************
キャッサンドラは、北の山脈傍に領地を構える辺境伯の第5女だ。
辺境伯は騎士というには俗物すぎる人物だった。
女好きで、下世話で見栄っ張りな男、それがキャッサンドラが評する父の姿だった。
なので、彼女は父親譲りの栗色の髪に、ハシバミ色の瞳があまり好きではない。
だから、爵位が下で、相手の年齢が19も離れている事も、前妻の長男がキャッサンドラと年齢が2つしか離れていないという事も気にもしないで、実業家で裕福なミルトン男爵の後妻として嫁ぐ事を、実に良い縁組だとホクホクしながら推し進めた。
実母は反対したが、無駄な事だった。
娘の幸せよりも、実利をとる男、それが父だった。
女性は家の為に婚姻する、それは事実だ。だから、ある意味本当に家の事しか考えていない父は揺るぎない貴族なのだろう。
だが、想像以上に幸せな結婚生活だった。
年齢が上の為、年下の妻を甘やかす夫。優しい義息子。
少しずつだが確実に家族としての絆が出来、穏やかな毎日を過ごしていた。
ミルトン男爵がキツネ狩りの最中に落馬して落命、結婚生活はあっけなく幕を閉じた。
子がいなかったのと、前妻の長男が家督を継いだのもあり、キャッサンドラは実家に戻るしかなかった。
彼はそのまま家にいてくれても良い、と言ってくれたが、あまりにもキャッサンドラとの年齢が近すぎた。
下世話な目で穿ってみる人も多いだろう。
だから、前妻の長男の結婚式を終えてすぐにキャッサンドラは実家の辺境伯の地に戻った。
実家に戻れば、きっとまた違う年の離れた人の後妻になるのが目に見えていたが、仕方なかった。
男性に頼って生きていかなければ貴族女性であるキャッサンドラに他に生きる術がないのだから。
キャッサンドラがちょうど家に帰ってきて1年が過ぎた頃、視察でルイス王太子が領地にきた。
父は寡婦になったキャッサンドラに、王太子の世話役を命じた。
あわよくば、娘が王太子に見初められたら、と思ったに違いない。
キャッサンドラはそんな父を見て浅ましいと思いつつ、従った。
どっちみち、そんなことは起こらないだろう、なにせ王太子と王太子妃は鴛鴦夫婦と呼ばれ、相思相愛、全貴族令嬢の憧れだ。
そんな風にキャッサンドラも鼻をくくっていた。
だが、事件が起きた。
郊外を視察中に、馬が野犬に驚き王太子が落馬し、木の洞にいた毒蜘蛛に刺されたのだ。
この時期、毒蜘蛛は冬眠している。だが、落ちた場所にあった木の洞で冬眠していたのだ。
冬眠から起こされ、怒った毒蜘蛛はルイスを刺した。
滅多に起きない事が、起きたのだ。
命に別状はないとはいえ、足は腫れ、4日間高熱が出てうなされる王太子を、キャッサンドラは必死に看病した。
落馬で落命した在りし日の自分の夫を思い出したからかもしれない。
その看病のかいあって、王太子が目覚めた時は心底ホッとした。
そして、高熱は引いたものの、毒消しの副作用でうなされて意識が朦朧としていただろう王太子とキャッサンドラは一線を越えた。
キャッサンドラは生娘でもなかったし、また年の離れた人に嫁いで寡婦になるくらいなら、という打算が確かにあった。
そこに愛があったか、と言われたら、なかった。
そして、王太子も、また同じだった。
なぜなら、彼は、キャッサンドラとイザベラを間違えて、抱いたのだから。
「イジー」
と王太子妃の愛称を言いながら。
次の更新は来週になります。




