第二十二話
イザベラは中々寝付かれず、うとうとしては、目を覚ます状態を繰り返した。
自分が今まで築いたと自負していた全てが崩れ去る恐怖に、どうしても心の中で折り合いがつかないのだ。
折り合いをつかせようと色々考えては目が余計覚めてしまいを繰り返し、ようやく微睡んだのは明け方近くだった。
翌朝の目覚めはあまり良くなかったが、半身を起こしたところで羽音が聞こえ、枕元にカークウッドが飛んできた。
「おはよう、カークウッド。今日もお利巧さんね」
カークウッドは嬉しそうに頷く。
本当に言葉が分かるみたいで、声をかけるのが楽しい。
こんな可愛いのなら、小さなころから動物を飼ってみたかったと、つい思ってしまう。
ノックの音がして王太子妃様、ご起床されましたか?と問いかけるアメリアの声がする。
アメリアに入ってもらうと、彼女の目元は腫れていてイザベラは申し訳なく思ってしまう。
「おはようございます、イザベラ様。今日のご機嫌は如何ですか?
今日は過ごしやすい天候ですよ。
そして王妃様からモーニングティーに誘われていますが、如何いたしますか?」
「おはよう、アメリア。
モーニングティーはもちろんご一緒するわ」
イザベラも笑顔で返す。
アメリアも微笑み、イザベラの支度を始める。
流れるような無駄のない動きをしながら今日の予定を話すアメリアの手際の良さに、改めて惚れ惚れと見直す。
着替え終わり、ドレッサーの前に座る。
何となく気まずい思いを抱えながら、鏡越しのアメリアと視線を合わせる。
「…それで、考えてもらえたのかしら?」
髪の毛をブラッシングしていたアメリアの手が止まる。
「…そうですね、考えました。一晩、考えました。
やっぱり私はイザベラ様以外にお仕えしたいとは思えません」
はっきりとアメリアにそう言われて、イザベラはダメだったか、と思った。
アメリアなら、引き受けるだろうと思って話したのだけど。
自分を過信しすぎていたらしい。
「だけど、イザベラ様からご命令ならば、私は誠心誠意お仕えします」
その次の言葉にイザベラは鏡越しのアメリアを見る。
アメリアは微笑んでイザベラに頷く。
イザベラは咄嗟に言葉が出なかった。
目元を腫らすほど泣いてくれたアメリア。ついてくると言ってくれたアメリア。
私以外に仕える気がないと断言してくれたアメリア。
そんな優しいアメリアだから、だから、私は。
「…ありがとう…」
涙が出そうで、それ以外口に出来なかった。
アメリアはただ微笑んでくれていた。
アメリアの了承はイザベラにとって僥倖だった。
これで、王妃様とのモーニングティーの話し合いが出来る。
何もせず、ただ満月の晩まで泣いてばかりいるのは、どうもイザベラの性に合わない。
イザベラは顔を上げてアメリアを見る。
私は、時間が許す限り、王太子妃として精一杯やり遂げよう。
もし、それで自分が傷つくとしても。
全て、あえて引き受けよう。
このまま泣いて、引き籠っていたところで状況は打開しないのだから。
髪の毛がセットされ、化粧を施されたイザベラの瞳は力強く輝いていた。
ヴィエナとイザベラは一緒にモーニングティーを取っていた。
ローズヒップティーをヴィエナが選び、イザベラはモーニングブレックファーストを選んだ。
付け合わせのキュウリと卵のサンドイッチにはピクルスの酸味がほどよくあり、美味しく感じられた。
フルーツタルトとクリームパフは一口サイズで、紅茶との相性が良かった。
…私はまだ食事を美味しいと思える。
そんなことにイザベラは安堵する。
ある程度食べ終わったところで、人払いをし、侍女はヴィエナにはケリー、イザベラにはアメリアしか残っていない。
先ほどまでの対外的な世間話はお終い、とばかりにヴィエナは養母の顔になる。
「ところで、イザベラ、調子はどうかしら?
気持ちの整理はつかないとは思うけど…」
遠慮がちにヴィエナが切り出した。
ヴィエナが見たところ、今日のイザベラは昨日とは打って変わってさっぱりとした表情をしている。
それが、ヴィエナには余計痛々しく思えていた。
「…そうですね、やはり昨日は私も取り乱してしまいました。
だけど、昨日1日でかなり気持ちの整理がつきました。
最後の日まで、王太子妃としてお手伝い致します」
ヴィエナは思わずイザベラを凝視した。
今、この子は何て言った?
最後の日まで、手伝うといった。
王妃のサポートをするといった。
ヴィエナは返事を躊躇する。
イザベラはヴィエナの動揺を見て、自分の思い至った結論があながち間違えていなかったことを知る。
こんな分かりやすく動揺するヴィエナはもう2度と見れないのではないか、と思うくらいだ。
ヴィエナはイザベラに傷ついてもらいたくないのだろう。
その優しさを素直に嬉しく思った。
だから、彼女が断りの言葉を言う前に、言ったのだ。
「昨日、私は烏滸がましくも、自分がもし王妃様のお立場であるのなら、と考えました。
その結果も踏まえて、それでも王妃様のお手伝いをしようと思いました。
私が言うのも変ですが、多分私にとって辛い事の方が多いでしょう。それでも、です。
第一日数がありませんし、これ以上人手をかけるのも良策ではありません。
どこから漏れるか定かではありませんから」
ヴィエナの顔から穏やかないつもの笑みが消えた。
「…イザベラ、あなたが私だったら、と言いましたね?では、私が、どう動くと思って?
その返答次第では、このまま最後まで手伝ってもらうわ」
ヴィエナは王妃の顔になり、イザベラを見る。イザベラは決意の目で頷く。
ヴィエナは一体イザベラが何と答えるか、聞きたかった。
自分をこれ以上傷つけたくなければ、ビショップが来るまで彼女は客間に籠っていても誰も文句は言わない。
だから、こそ、彼女が推察した答えに興味があった。
「私が、王妃様だったら、私とルイス様の結婚自体を白紙にします。」
その言葉を聞いたほんの一瞬、ヴィエナの王妃としての仮面が剥がれ落ちた。
ヴィエナはため息をつく。
この子が、この覚悟なら。
情報共有者は少なければ少ない程良いのだから。
ヴィエナは目をつむる。
感情に蓋をしても、蓋をしてもあふれる思いは止まらない。
どうして、よりによってこの子が、と。
「分かりました。イザベラ。最後まで付き合いなさい。
どんなに辛くとも投げ出さないよう、私はあなたを教育したつもりです」
「はい、今まで教育していただいた結果を、ご覧になってもらいます」
イザベラが悪戯っぽい笑みを見せた。
ヴィエナも笑う。
穏やかな時間がこのまま続けばよいのに。
そんな叶わぬ願いを胸に、ヴィエナはイザベラに微笑んだ。