第二十一話
王宮の客間で、イザベラは手持無沙汰で外を見た。
窓に反射して見える灯りが、ユラユラ揺れて幻のように見える。
夕餉は、王妃様に誘われたがイザベラは断った。
今日だけは、今だけは一人にしてほしい、頭を整理したいと言って。
本来なら不敬な行いだが、王妃様は分かった、と言って微笑んでくれた。
早馬は明日の朝にはフィッツジェラルド侯爵家につくから、早ければ明後日には会えると思うわ、今日は疲れたから、早く寝なさい。
そう言って、イザベラを労わって部屋から出て行った。
王太子宮の食事も凄かったが、王宮の料理人も腕がすごいのが分かる。
一人で食べる食事を寂しいと、ずっと思っていた。
こんな素晴らしい食事を一人で食べるなんて、と。
なのに、こんなにも今は一人でいたいと思う。
自分が番だ、と知っている誰も彼もが、憐れむような目で自分を見る。
何か言いたげな、だけど何も言えない、そんな目。
以前の嘲りの目のほうが、あの憐みの視線よりマシだった…。
イザベラは黙々と口に運ぶ。
今、口に運んでいるものは餌ですらない。
味気ないところか、砂を食べてるみたいだ。
それはそうだ、食欲など、湧くわけがない。
今日一日、ただソファかベッドの上に座って過ごしていたのだ。
いつもなら、王太子妃として多忙で動き回っていた。
宮に戻れば宮の管理で帳簿チェックしたり、挨拶状や御礼状を書いたり。
だから、味気なくとも食べれた。
目の前に残るメインディッシュにため息が零れる。
顔を上げてアメリアを見るとすぐに傍に来た。
「御口にあいませんでしたか?」
私は静かに首を振る。
アメリアは分かっているというように頷くと、優しく背中を撫でてくれた。
「なにか、口触りの良い物でも、召し上がりませんか?果物とか。」
控えていた召使が果物のトレイを持ってきてくれるが、何一つ食指が動かない。
私は無言で首を振り、食事は終了した。
カークウッドに少しの果物、クルミやナッツ類だけ残してもらった。
行儀が良いのかこのこは食事中は傍に寄らない。
だけど、これから自分の番だ、とわかるとテーブルの端に飛んでくる。
「自分の番だって分かるの?カークウッド、あなたって頭がいいのね」
自分の名前が呼ばれたからか、イザベラを見つめる。
イザベラが何も言わないとわかるや、器用にくちばしを使ってクルミを割って食べ始める。
鳥の動作に時間を忘れ見入ってしまう。
この子は、ビショップ様のペットだと言っていたはず。
妖精の国に行っても誰も知らないとはいえ、カークウッドがいてくれたら寂しくないかもしれない。
水を口に含んで上を見上げる姿が可愛らしく、思わず微笑む。
レーズンを掌にのせてカークウッドに差し出すと、すごい勢いでつつかれて、その力強さにイザベラはビックリした。
イザベラが体験した事のないことばかりで、カークウッドといる時間は唯一何も考えないでいられた。
その時間は、今のイザベラには救いの時間だ。
何を考えているか分からないし、あの時もどうやって現れたのか分からないから少し怖い気もするけど…でもやっぱり可愛いわね。
カークウッドが満足したのかイザベラの手にすり寄って甘えてきたとき、
イザベラは食後の紅茶を飲んでいた。
食後の紅茶を飲みながら、ずっと残り少ない日数で何が出来るか考えていた。
そして、自分が王妃だったら、どうするか、も。
「アメリア、あの、翡翠の3点セットはマッケンジー様に差し上げることにします。
綺麗にしておいてもらえるかしら?
もちろん、普段用も、夜会用も、両方とも。
あの翡翠のネックレスをしていたら、様々な目からマッケンジー様を守ってくれるでしょう。
あのネックレスはあなたも知っていた通り、私がよく着用していたものですから、皆様きっとご存知なはず。
あれをつけていたら、暗黙の了解で分かるでしょう?
私も認めている、正式な王太子の子として、ね」
アメリアは顔を上げ、私を凝視する。
彼女の視線の意味は自分でも痛いほど分かる。
あれほどお気に入りだったものを、私の、宝物だったではないか、と。
「…アメリア、私がビショップ様のところへ行くとして。
ルイス様の瞳の色の宝石類を持っていくのは、流石に憚られるのではないかしら?」
私が言い含める様に言うと、アメリアは一瞬辛そうに眉を顰め、恭しく礼をした。
「分かりました。その通りに致します」
アメリアの背中を見つめながらため息をついた。
まるで、形見分けをしているみたい。
でも、まさにそうなのだ。
今の自分の心境をあらわすとしたら、それ以外の言葉が見当たらない。
「まって、アメリア。…あなたにしかお願い出来ない事があるの」
背中を向けたアメリアが、イザベラを振り返る。
その目には、涙が浮かんでいた。
イザベラは、その涙を見て言い淀む。
だが、言わねばならない。アメリアから、目をそらさずに言った。
「アメリア、あなたにはキャッサンドラ様付きの侍女になってもらいたいの。
もし、もしもよ、彼女が王太子妃として妃教育を受けることになったら、の話だけど。
あなたがお願いを了承してくれたら、それとなくその話を王妃様にするわ。
でも。
もし、あなたが嫌だったら受けてくれなくても構わない。
これは、私のわがままだから」
アメリアは絶句した。
我慢していた涙がほろりとアメリアの頬を伝う。
「私の気持ちでしたら、以前伝えたはずです。
イザベラ様についていきます、と。
それが不可能でしたら、私は侍女を辞めます。イザベラ様以外にここで仕えたいと思う人はいません。領地に戻り、何かしらの職を得るつもりです」
アメリアは俯いて涙を拭く。
イザベラは黙って聞いていた。アメリアの気持ちは嬉しい。
でも、彼女の能力が惜しい。そして、彼女以外にお願いしたい人は皆無だ。
だから、イザベラは再度問う。
「そうね、でも。
アメリア、私はあなたの能力をすごく買っているの。
あなたは物覚えが良く、私、よく助けられたわ。侍女としても有能で、知識も深い。
キャッサンドラ様は嫁いでからはほぼ社交界に出てこなかったし、こちらに来てからも然り。
後ろ盾がルイス様と実家の辺境伯だけでは心もとないわ。
あなたが傍にいてフォローしてあげたら、どうにかなると思うの。
あなたが侍女としているなら、フィッツジェラルド侯爵家も後ろ盾だと思われる。
そして、あなたは私の仕事をよく見ていた。スチュワードのルークと、執事のフィンレィとどう動いていたかも。
彼らもサポートはしてくれるでしょう。だけど、それだけでは、足りない。
アメリア、あなたは、私の一番信頼のおける侍女だから。
あなた以外にこんな事頼む人はいない。
もう一度、考えてもらってもよいかしら?その上で侍女を辞めるというのなら、私が紹介状を書いて、違う仕事をお父様にお願いするわ」
アメリアは黙っていた。ここが引き際だな、とイザベラは思った。
今夜、彼女は考えるだろう。そして。
私が言ったことを最後の命令だと思ってこの話を受けるだろう。
卑怯な言い方だ、お願いと言いながら、これはほぼ命令なのだから。
こんなお願いをして、彼女が拒否するわけがない、そう思ってした話だ。
ある程度地盤を固めておかないと、大変なことになる、それだけは避けたい。
自分が抜けることによって、王太子宮がグチャグチャになるのは、どうしても避けたい。
そして。
自分が王妃だったら、と考えるとどうしてもその考えに至る。
結婚自体を白紙にするだろう、と。
イザベラとルイスの5年間をなかったことにするだろう。
そう思いいたった時に、イザベラは猛烈な虚脱感に襲われる。
気持ちを落ち着かせるために、いつものセリフを心の中で言おうとして気が付く。
私は、王太子妃、イザベラ…。あぁ。
王太子妃でなくなる自分は、一体何になるのだろう?と。
足元にぽっかりと穴が開いて、暗闇の中に落ちていくような気分がする。
なすすべもなく、イザベラはただうなだれるしかなかった。