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第十六話

控えめなノックの音に、アメリアが扉に移動する。


「王太子妃様、朝食をお持ち致しました。

それと、王太子様がカークウッド様に朝食を持ってきてこちらにいらっしゃいますが、お通ししてよろしいでしょうか?」


「あ…」


イザベラは顔を上げてカークウッドの存在を思い出す。

カークウッドはイザベラの部屋の居間で昨夜は寝たはずだった。


「いけない、すっかり忘れていたわ…動物を飼ったことがないから、ダメね…」


氷で冷やしたタオルを持ってきてもらったため、目の腫れは少しはましになっているが、まだ一目見て泣いた後の顔だと分かってしまうため、イザベラはルイスに会うのを一瞬躊躇した。

だが、何かを決心したかのように、アメリアに向かって微笑んだ。


「アメリア、ルイス様をこちらに呼んでもらっていいかしら?

ただし、私はまだ寝着だし、とても失礼な状態でお会いすることになるのだけど。

もし、それで大丈夫だとおっしゃるなら。

そして、そうね、私とルイス様の二人だけにしてもらえるかしら?」


アメリアは何かを言いたそうな顔をしてイザベラを見つめたが、やがて分かりました、といって寝室から出て行った。


イザベラはベッドの上で大きく深呼吸をした。


大丈夫。

私は、大丈夫。

私は誇り高きフィッツジェラルド公爵家の娘だ。

そう、そして、王太子妃、イザベラ・メアリー・トワイゼル…


なぜか、いつもの呪文がいつものように効かない気がするのは、多分気のせい。

そうよ、気のせい。

背筋を伸ばして自分に喝を入れる。


ノックの音がして、ルイスが顔を出す。

イザベラの顔色を見て驚いた顔をしてベッド脇に座る。


「おはよう、イザベラ。調子が悪いそうだね、大丈夫かい?

今、アメリアがカークウッドに餌をあげているよ。

元気そうなら、イザベラも餌を上げたら少しは気分転換になるかもしれないよ?」


ルイスが優しく声をかけるのをイザベラは黙って聞いていた。

改めてルイスを見直す。


この声も、このまなざしも、その柔らかい髪も私はとても好きだった。

男の人らしい筋張った、大きな手。その手で抱きしめられるのが、好きだった。

とても幸せだった。

女性として見られなくなったことは、とても悲しかったけど、それでも傍にいられたから、それだけでも嬉しかった。

幸せに、したかった。

笑顔をずっと見ていたかった。


イザベラは黙ってルイスを見た。

もうこうして、愛しいという想いをもってルイスを見ることはないのではないか、と思った。

ルイスは少し戸惑った顔をしてイザベラを見る。


「イザベラ?」


その声に被せる様にしてイザベラは言った。


「ルイス様。

私にバラの紋様が現われたかもしれません」


一気に言い切るとルイスが驚愕に目を見開く。


「イザベラ?イジー?何を言っているんだ?」


ルイスは慌ててベッドの上に乗り上げ、イザベラの両肩を掴む。

懇願するように両肩をゆする。イザベラはルイスのなすがままに体をゆすられる。


「…私も、断言は出来ません…が…」


イザベラはゆっくりとした動作でルイスの胸を軽く押して、二人の間に十分なスペースをつくる。

そして空いた手で寝着をずらした。

イザベラの白い滑らかな肌にある、赤い痣。

室内にルイスが息を呑む音だけがした。


イザベラはゆっくりと寝着を元に戻す。

その瞬間、イザベラはルイスに抱きしめられた。


「…だ…だ…」


耳元でルイスが呟いたくぐもった声に、イザベラは何を言っているのか聞き取れない。


「え?」


「ダメだ、と言ったんだ。イジーは、僕の妻だ…ダメだ、そんなの…」


息が出来なくなるほどきつく抱きしめられて、イザベラは困惑する。

そして、初めて聞くルイスの胸が痛むような切ない声。

ルイスの、いや男の人のこんな切ない声を聴いたのは、初めてだ。

イザベラは胸をかきむしりたくなるくらい切なくなった。


こんな声、聴きたくない。

どうして?

だって、私がいなかったら、キャッサンドラ様と晴れてご一緒することが出来るのではないのか。

どうして?

だって、私がいなかったら、マッケンジー様は母親のキャッサンドラ様がお育てになられるのに。

お飾りの妃なんて、いらないじゃないか。

家族三人、全て丸く収まるではないか、と。


こんな風に抱きしめられたら、あんな口調で言われたら。

まるで、今でもルイス様は私の事を、と期待してしまうではないか。


いや違う、これは、自分のものだった私が人のものになるのが嫌なだけ…

今はもう遊ばなくなった、お気に入りの玩具を誰かに取られたくなくて駄々を捏ねる子供みたいなもの。


イザベラは宥める様に優しく囁く。


「ルイス様…ルイス様も、ご存知でしょう?

98年前、身代わりをたてようとして吹雪が続いたことを。

私は、王太子妃です。国の為、王国民の為にこの身を捧げようと思っていました。

だから、大丈夫です、ルイス様。

私なら、大丈夫ですよ?」


ルイスの背中に手を回し、背中を撫でる。

大丈夫、というように。

安心させたくて。安心したくて。


「そうではなくて…」


ルイスの匂いに包まれてイザベラも感極まってしまう。

だが、ここでみっともない姿を見せることが出来ない。

イザベラは一生懸命、涙を堪える。

ここで、自分がルイスにすがってしまったら、自分はもう決断できない。

それこそ侯爵令嬢の二の舞になってしまう。

それよりも状況が悪くなるかもしれない。

そんなこと、王太子妃として許せるわけがない。

自国を危機にさらす王族など、害以外何物でもないではないか。


「ルイス様にはキャッサンドラ様がいらっしゃいます。

まだお会いしてはおりませんが、マッケンジー様もきっと可愛らしいお子様なのでしょう?

出来れば母親の元で子が育った方が幸せなのではないでしょうか?」


ルイスの身体がキャッサンドラの名前を聞いてびくりと震えた。

それでも抱きしめる手は緩まない。

ふ、とルイスが熱を帯びた目で自分を見ていることに気が付いた。

その、甘い瞳に、イザベラも応えそうになる。


だめだ、ここで、私がルイス様を許したら、私は…

私は、きっと戻れない。


「イジー、僕は」


そこまでルイスが言いかけた時に、バサバサバサっと鳥の羽音がすぐ傍で聞こえた。

ルイスもイザベラも驚いて音の鳴る方を見ると、枕元にカークウッドが飛んできていた。


「…カークウッド…」


二人の声が揃った。

カークウッドは小首を傾げて二人を見る。

器用に羽を使い頭を掻いている。

その姿が、あまりにも可愛らしく、そして自分たちの緊迫した空気と違い過ぎて思わず二人で笑ってしまう。


ルイスはイザベラを抱きしめていた手を緩めた。

イザベラも身をよじり、ルイスから少し距離を取る。


扉は、開いていない。


ノックの音がして焦った声でカークウッドが突然消えたことをアメリアが言う。

イザベラとルイスは顔を見合わす。

この鳥は、どうやってこの部屋に来たのだ、と無言で会話する。

一拍遅れて、ルイスが返事をする。


「心配しなくてよい、カークウッドならここにいる。

イザベラが心配でこちらにきたらしい」


安心させるように快活にルイスは喋る。

ベッドから降り、扉に向かうルイスの後姿を、イザベラは目に焼き付ける様にジッと見つめた。


聞きそびれた言葉は宙に浮き、あの時ルイスが何を言おうとしたのか問う機会はなかった。


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