第十話
夜、湯あみの際に赤くなった場所を確認すると、熱は引いたが赤みが強くなった感じがした。
実際、マリアも首をひねりつつ軟膏を刷り込んだ。
「虫刺され、ですかねぇ?
少し赤みが強くなった気がします。お痛みとかありますか?
痒みがあるとか?」
イザベラは首を振る。
実際痛くも痒くもない。歩いていた時に熱を持った感じがしたのは食後だったのと、動いていたからだろう。
「明日も赤みがのこっているようなら、朝の診察時にジャックマン医師に確認しましょう」
ラベンダーの匂いが香るベッドに横たわる。
静かになった寝室に一人の時間を謳歌する。
昨夜寝つきが悪かった分、今夜はすぐに眠れるだろう。
優しいラベンダーの匂いにイザベラは静かに目を閉じて眠りの世界に入っていった。
翌朝、アメリアと一緒に左胸を確認して見ると、やはり赤みは減っていなかった。
むしろ、濃くなっていた。
「マリアからも聞いていましたが、一体何でしょうね?
熱などはなさそうですし」
アメリアも首をひねりながら、痕を見る。
ジャックマン医師の診察時に、聞いてみることにした。
「熱も脈拍も異常がないので、身体的な不調ではないと思います。
ぶつけた記憶もないのですよね、押しても痛みが無いようですし、痒みがあるわけでもない。
軟膏を塗っていたのですよね?それでも赤みが強く出ているのであれば
乾燥で、掻いてしまったのかもしれませんね。
他の場所にはありませんか?
無いのであれば、保湿をしてみてください。何が異常があればすぐに報告してください。
すぐに駆け付けますので」
イザベラは黙って頷いた。
老医師のジャックマンですら分からないと首を捻るのだから、病気とかではないだろう。
寝ている時に無意識に掻いていたのね、きっと。
今日も一日、イザベラは忙しい。
健康であるならば、いちいち赤みなど気にしていられない。
保湿クリームを塗り、用意を整えたら朝食をとるために階下へ降りて行った。
「おはよう、イザベラ。
昨日はよく眠れたかい?」
部屋には、ルイスが座っており、イザベラを待っていた。
一瞬イザベラは部屋を間違えたのかと戸惑う。
「…ルイス様…?
おはようございます…?」
驚きのあまり、思わず疑問形になる。そんなイザベラを見てルイスは苦笑する。
「朝、軽く打ち合わせをしたほうが、確かに良いからね。
昨日は、母上とどれくらい打ち合わせをしたのか、私も確認しておきたいと思ってね」
あぁ、確かに私は昨日フィンレィにそうお願いしたんだ。
そして、その意を組み、すぐにルイスが行動してくれたことに嬉しくなる。
「ありがとうございます。
私も、王妃様のお手伝いで時間が読めない場合もありますので朝食の時間を取っていただけて嬉しいです」
にこやかに笑い、朝食をとりながら昨日の王妃様との打ち合わせ内容を話した。
食後の紅茶を飲み終わり、そろそろ、移動を、と思っていたイザベラを、ルイスが引き留めた。
「イザベラ」
「はい、ルイス様?」
笑顔で返す。
「昨日は、すまなかった。
私は、少し浮かれていたようだ」
突然のルイスの謝罪にイザベラは困惑する。
ルイスはイザベラの瞳を見つめてきたので、イザベラは目をふせた。
「そ、そんな謝るようなことは…」
イザベラが口籠ると、ルイスの口からフウ、と息が漏れた。
「イザベラ、ありがとう。
では、私は登城してくる。今日の予定はルーカス孤児院の慰問だったね。
気を付けて」
イザベラはぽかんとルイスを見上げた。
そんなイザベラを見て、ルイスは微笑むと席を外した。
一瞬、時間が、昔に戻ったような気がしだ。
あの、優しかったルイスが戻ってきた、と。
その一方で冷静に場を判断するイザベラがいる。
一体、ルイス様はどうしたのか?
なぜ?
王妃様に釘をさされたから?
役割を果たそうと思っただけ?
昨日から、私はルイス様の知らない面ばかりを見ている気がする。
訳が分からない。
嬉しいような悲しいような複雑な気分になる。
「…私、行ってらっしゃいませ、をいうのを忘れていたわ…」
アメリアが、慰問の時間に遅れます、というまでイザベラはルイスが出て行ったドアをしばらく見つめていた。