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鋼の中の雛  作者: 藤村灯
交易都市
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死人の椅子

 商隊の護衛仕事の帰路で、一人の商人と同行することになった。行商帰りらしいが、手違いで商隊に加わることができず、心細い思いをしていたという。護衛というほど大げさなものでもない。報酬は望めそうにないが、商人の振る舞いで、食事が少しばかり豪華になるのがありがたい。


 途中商人は街道を外れ、森に続く小道へと折れた。森を抜ければ半日ばかり早く帰れるのだという。


「家で古女房と二人のガキが待ってるんでね」


 野営の際に、ほろ酔いの商人が、土産の織物や玩具を披露して見せたのを思い出す。反対する理由もない。俺は頷き森へと歩を進めた。


 森の中では日の落ちるのが早い。暗くなり足元が覚束なくなり始めた頃、不安げに辺りを伺いながら先を歩いていた商人は、振り返り申し訳なさそうな顔をして見せた。


「近道どころか、どうやら迷ったらしい。すまない旦那、今夜はここで野宿だ」

『慣れない道を使うからよ……』


 土地の者だけが使うような、下生えが踏み固められただけの細い小道だ。商人が迷うのも仕方ない。幸い木々が疎らな開けた場所を見付け、直ぐに野営の準備に取り掛かった。

 そう深い森でもない。火を絶やさずにいれば、獣の類も寄り付かないだろう。薪を集めていると、商人が声を上げた。


「旦那、あそこに灯りが見えますぜ?」


 商人の指す方を見ると、木々の隙間に確かに灯りが見える。森の中には似つかわしくない、大きな館のようだ。


「どうやら野宿は免れそうですね」



 館は古風だが立派な造りをしていた。貴族か豪商が隠棲のため建てたものかもしれないが、こんな森の奥では不便に過ぎるだろう。


『偏屈な変わりものなんでしょ。金持ちの年寄りなんてだいたいそんなもんよ』


 どこで仕入れたのか、雛神様の世知は片寄りを見せている。『追い返されるのがオチよ』と腐す雛神様の見立てとは外れ、俺達はすんなり邸内に招き入れられた。


 整った顔立ちだが、どこか生気の感じられないメイドに、客間に案内される。部屋が余っているのか、俺と商人、それぞれ別の部屋が用意された。


「ちょうど主人がお食事をなさる時間です。ぜひご一緒して下さい」


 荷物を下ろすとすぐに、食堂に招かれた。テーブルクロスの敷かれた食卓には、焼いた鶏にスープ、パンの盛られた籠やワインが並べられている。およそ旅人に対する持て成しには思えない、過剰なほど豪勢な食事だ。

 きょろきょろと落ち着きなく料理を見回していた商人は、卓の奥の席に目を留め固まった。


『へえ……これは一体どういう趣向かしら?』


 王族が座るような華美な造りの椅子に収まっているのが、この館の主人らしい。両脇に侍る若く美しいメイドが、代わる代わるその口元にスープやパンを運んでは、ナプキンで拭っている。品よく立派な仕立ての服に身を包み、かいがいしく給仕を受ける主人の顔は、どう見ても干乾びた死体のものだった。


「さあ、こちらへ」


 俺達を案内するメイドは、何事もないように席を勧めた。


『毒は入ってないみたいね』


 剣は部屋に置いてきたが、ナイフは身に着けている。眠り薬程度なら、雛神様の力で飲んだ端から解毒される。俺は構わずパンを取り、スープに口を付けた。商人は食事を摂り始めた俺と、傍に控えるメイドの間で視線をさ迷わせていたが、諦めた様に席に着いた。奇妙な晩餐の間中、 口を利く者は誰一人いなかった。


「どうなってるんですかね旦那。やっぱり、逃げたほうが良いんでしょうかね?」

『まともな連中じゃないのは確かね。その方が無難じゃない?』


 雛神様のお座成りな返答に、商人の意志は煮え切らない。迷うのも無理はない。館を出たところで夜の森の中。行くべき道は分からない。奇妙ではあるが、館の住人達の態度からは、差し迫った危険は感じない。

 俺は鎧を解かず、すぐに立てる準備だけはしておくと商人に告げた。


 夜半、剣を抱き壁にもたれて身体を休めていた俺は、廊下から聞こえる微かな軋みで目を開けた。ゆっくり開いた扉の隙間から、髪を下ろしたメイドが顔を覗かせている。灯りは持たず、薄衣しか身に着けていない。


「お休みのところ失礼します。伽にまいりました」

『至れり尽くせりね。主の言い付け?』

「いえ。お客様さえ宜しければ、このまま館に留まり、私共の新しい主になって頂きたいのですが」


 手にした剣を立て否やを示すと、メイドは部屋に入りかけていた足を止め、ゆるゆると扉を閉めた。微かな足音が遠ざかってゆく。


『ずいぶん素直に聞き分けたものね』


 代わりが他にもいるからだろう。俺は剣を抱いたまま、まんじりともせず夜を過ごした。



「旦那、わたしゃここに残ることにしましたよ」


 夜が明けてすぐ、出立の支度を整えていると、部屋を訪れた商人がにやけ面で話しかけてきた。身に着けているのは昨日までの粗末なものではなく、館の主人と同じ豪奢な服だ。


『あんた……気は確か?』

「イカれてるのはここの奴らですよ。それでも調子を合わせときゃあ、上げ膳据え膳。下の世話までして貰えるんだ。悪い話じゃないでしょう?」


 やはりこの男も深夜の訪問を受けたのか。寝不足で浮腫んだ顔に脂が浮いている。情欲に瞳を濁らせ、雛神様の言葉も聞き入れそうにない。俺は早々に諦め、家族に伝えることがあるなら聞いておくと告げるた。


「勘弁してくださいよ。若い妾が三人もできたんだ。今更しなびたかかあに、小汚いガキを抱えて押し掛けられても、困るでしょう?」


 商人だった男は、そう言って鼻で笑った。


 館を去る間際、見送るメイドが俺に声を掛けた。


「残念です。私としましては、貴方のほうが望ましかったのですが」

『館の主に? それとも生贄に?』

「バイアティス様に精を捧げる司祭にです。あの椅子に座る者ただ一人が、吾が主バイアティス様の髭を、絶えずその身に繋ぐ栄に預かることになっております」


 今頃男はメイドにかしずかれ、得意顔で豪華な椅子に腰を下ろす所か。俺の脳裏に、椅子の脚を触腕の群れが這い上る光景が浮かんだ。


「捧げれば捧げただけ、御身を大きくされますゆえ。地下の寝所に収まる姿でいて頂くためには、精を捧げるのは自ら椅子に収まった者だけと決められております」


 踵を返し、館へと足を向けた俺に、雛神様が声を掛けた。


『やめといたら? あの男が、自分で選んだ身分なんだし』

「少しでも長く快くお勤め頂けるよう、私共も心からご奉仕する所存ですので」


 そう言って頭を下げるメイドは、初めて口元を綻ばせ笑みを見せた。

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