前段
今回、孫子、老子の兵法を記述するに至った経緯の解説
孫子と老子は個別に語ることが出来ない。それは老子の思想的方向性に起因している。
その思想的方向性とは温故知新である。老子は、一度作られら思想体系を死守するのではなく。
元あった思想を現状に合わせてマイナーチェンジしながら累積していくことを是としている。
よって、老子はその実効性が担保されている時期は常にマイナーチェンジを繰り返し変化を続けてきた。
その改変初期において、非常に孫子の影響を受け、孫子の戦略を内包している。
孫子は元々老子の思想定期影響下に形成されたものであり、この両者は時の経過とともに融合し、等質化している。現在日本において語られる孫子は、この老子的要素を排除したものであり、このために、
本来の孫子における最も重要なファクターを欠落させている。よって、現代日本で語られている孫子は、実質的に戦略として使用できる代物ではなくなっている。
本来、日本の武士は孫子と老子を融合させたものを使っており、代々それを秘伝として継承してきた。
播磨地方においても兵法としての孫子、老子の継承は続いており、赤松円心が自称した「円心」黒田如水の自称した「如水」も元々は孫子、老子の文脈の中にあるものである。
筆者は明石松平藩士の子孫であり、代々この孫子、老子を融合した兵法を継承してきた一人である。
以前よりブログなどで再三にわたって記述してきた播磨武士の家伝「円心如水」という文言も現代では多くが喪失し、伝える家も少なく、僅かに武道の道場にその断片が残っているに過ぎない状況である。
私の家でも、いずれこれらの兵法が喪失する可能性が大きく、これら過去の士族が継承してきた財産が
このまま喪失してしまうことは忍びない。よって、個々にその断片を記述しておくこととする。
第二次世界大戦という大きな災難を経て、喪失した部分も多いので、断片的な内容しか残っていないのと、
すでに私の父親も老齢で失念している部分も多いため、私自身の憶測や解釈を交えて、その欠落した部分を生めながら、解釈していくこととする。
今回は経緯のみ記述する。