40 瞳を閉じて
丹代花澄はわたしの女子化に気付いている。
さっきのはやっぱり揺さぶりだったんだ。怖いな〜、引っかからなかったけど。
しかし、こっちには切り札がまだあるからな。
丹代花澄、何が目的だ。それを見極めることがまずは大切だ。
「実はさ、わたしもなんだ。突然、男の子になっちゃった」
なぬ〜〜〜っ!
こっちのカード切られたじゃん!
ジョーカー無くなったぞっ!
……あれ? 自分から白状したな。どういうことだ? わたしを脅そうとかそういう悪巧みじゃないの? 自分の弱み曝してどうするんだよ。
「多分、夏葉君もわたしと一緒だよね。分かってるよ」
分かってるよ?
何を分かっていると言うのだ一体。単に自分もTSしたと言いたいだけか。
それともまさか、TSの理由について知っているとでも言うのか。
「これは罰なんだ……」
「罰?」
まぁ、こんな目に遭ったらそんな風に思うのも無理はないかもしれないな。
「そう罰なの。わたしが裏切ったから……」
「裏切った?」
罰だの裏切りだの、不穏なこと言い出したぞ。
わたしは別に裏切ってもないし、そんな罰を受けなきゃならないようなことを仕出かした覚えもないぞ。
全然一緒じゃないと思うんだけど? ちょっと怖いからやめて。
何だか得体の知れない丹代さんの怖さを久し振りに感じて、体に強張りを覚える。
その時、丹代さんの携帯の着信音がけたたましく鳴ったので、ビクッと肩が跳び上がってしまった。
画面表示を見て急に顔色が悪くなった丹代さんは、慌てて千円札を取り出してテーブルの上に音を立てて置いた。
「ごめんなさい。急用ができたから帰るわ」
そう言うと丹代さんは早卒と立ち上がり、店を出て行ってしまった。
わたしは呆気にとられてただその様子を眺めているだけだったのだけど、一体どうしたのだろうか。
そこまでの一連の流れがあまりに不気味すぎて、何だか嫌な予感に囚われてしまう。何だ何だ? 何ていうか不吉な感じしかしないじゃないか。
テーブルにぽつねんと置かれた千円。
取り敢えず、ここの支払いはわたしが持つか。
この千円は明日にでも丹代さんに返そう。
それから暫くそこで過ごし、帰宅した。
翌日、体育の授業があったのでお金を返そうと思っていたのに、丹代さんは欠席。
何か嫌な予感がしてしょうがなかったが、数日後、丹代さんが突然転校したという話を耳にして、震える思いがした。
あの時かかってきた電話……。
着信音が鳴り続けていたので、あれはメールじゃなくて電話の着信だ。
丹代さんは電話には出ず、画面表示を見て慌てだした。
誰からの電話だったんだろうなぁ……。
引っかかる。物凄く引っかる。
あの日、丹代さんからはわたしに対する悪意を全然感じられなかった。
というより、どちらかと言えば好意的だったように思える。
丹代さん自身が何か他の力の影響下にあった?
裏切ったから罰を受けたと言ってたよな。そういうこと?
裏切った……罰を受けた……。
罰として男性化したってこと? だったよね。
秘密結社うさぎ屋? 分からないな。そこの関係性は十一夜君が調査しているのだろうか。
そうだ、十一夜君は丹代さんを追ってこの学校に来たと言ってたけど、当然この情況には気付いているはずだよな。
あれ、もしかしてまた丹代さんを追ってそっちの学校に転校したり?
あるよね、これは。あるな。
え〜、十一夜君転校しちゃうかな。
彼のことだから、突然いなくなっちゃいそうな……。
折角友だちになれたのに、それは寂しいなぁ。せめて何か一言欲しいよね。
はぁ、何か落ち込む。……っていやいや、そうじゃなくて。
夕食の準備の前、自宅のリビングでソファに腰掛け、答えの出ない疑問についてあれこれと思い巡らせていると、携帯電話にメールの着信を告げる音が響いた。
果たして、送り主は件の十一夜君で、メッセージの内容は、話したいことがあるので明日時間を取れないかというものだった。
今まさに十一夜君のことを考えていたところだったので、盗聴器か隠しカメラでも仕掛けられたのかと、一瞬辺りを見回してキョロキョロしてしまったのだが、どう考えても十一夜君のことについて声に出したりはしていないので、そのようなはずはないと思い直した。
何しろ十一夜君と来たらそれくらいのことはやりかねないくらいの人物だ。
しかし話とは……恐らく丹代さんのことだろうな。それに伴い転校することとか……。
やや寂しく思いつつも、黙って消えるのではなく、ちゃんと自分に話してくれるのだなと、少し嬉しい気持ちになったりもした。
放課後、いつものスタバで会おうと返信し、了承を告げる簡単なメッセージが届きやり取りは終了した。
相変わらず十一夜君らしい無駄の一切ないやり取りだった。
もう少しぐらい無駄があったってこっちは構わないのに。
翌日の放課後、秋菜には用事があることを前もって断って、待ち合わせしていた例のスタバで十一夜君と会った。
十一夜くんは今日はそんなにたくさん注文することなく、スコーンとコーヒーだけ注文したようで、わたしが店に到着したときには既に席に着いて待っていた。
「お待たせ、十一夜君」
「おぉ」
いつも通りの調子でやり取りして、わたしもコーヒーを一口啜る。
「話って?」
「うん、丹代花澄のこと」
「ああ、うん。彼女、転校したらしいね。びっくりしたよ、突然で」
「消息が掴めない。……家族揃って忽然と姿を消したよ」
「え?」
用件を手短に告げ、十一夜くんは小さく首を振りながら背もたれに寄り掛かると、静かにコーヒーを口にした。
脳裏に漠然と、秘密結社うさぎ屋の名と、それには不釣り合いにかわいらしいロゴマークが浮かぶ。
うさぎ屋が何か恐ろしいことを仕出かしたのか?
物騒な想像が思い浮かんでしまう。
人を階段で突き落としたり、鉢植えを見舞ってくるような相手だとしたら、丹代さんが家族共々何か危険な目に遭っていることも十分に考えられる。
あの日のことを、十一夜くんに伝えるべきだろうか。
……伝えるべきだな。
「十一夜君……」
「ん?」
カップを持った手を止めて、こちらに視線を移しながら、十一夜君はわたしの言葉を待っている様子だ。
「あのね……丹代さんが学校に来なくなった前の日に、ちょっと不審なできごとがあったんだ……」
「え? 怪我や危険は無かったの?」
十一夜君が真っ先にわたしのことを心配してくれたのは嬉しいが、寧ろその心配があるのは丹代さんの方だろう。
「あ、わたしは全然、何とも無いよ。……実はね、あの日わたしが学校の帰り道に美容室に立ち寄ったんだけど、美容室から出た後丹代さんから声を掛けられて少し話したのよ」
「丹代さんから? そうか。……それで何かあった?」
「うん……丹代さんから、自分が男性化してしまったことを打ち明けられたんだ」
「……そうなのか」
十一夜君は少し驚いた様子で一瞬目を見開いたが、意外に淡々とした様子でコーヒーを啜っている。
「その直後に、丹代さんの携帯に着信があったんだよ。丹代さんは電話には出なかったんだけど、携帯の画面を見て、急に様子がおかしくなって慌てて店を出て行ったの。……丹代さんを見たのはあれが最後だった」
険しい表情で黙りこくったまま、ただコーヒーを口にする十一夜君。
暫しの間、重苦しい沈黙が二人の間を支配する。
「そんなことが……」
眉間に皺を寄せたまま、一言だけ十一夜君が呟くが、重苦しい沈黙はその後も続いた。
「ねえ、十一夜君。彼女の失踪って、彼女がわたしに話したことと、何か関係あるのかな……」
「……丹代さんは何か他に言ってたことはなかった?」
「あ、そう言えば……自分は裏切ったから、罰を受けたって……そう言ってたんだよ、彼女」
「罰……裏切り……」
十一夜君は、反芻するようにその言葉をゆっくりと、静かに呟いてまた沈黙した。
そのままカップを空にするまで沈黙は続いた。
沈黙を破ったのは十一夜君の言葉だった。
「恐らく……丹代花澄は組織と何らかの関係があったんだろうね……そして彼女の男子化現象に、組織が何らかの形で関わっている……」
「組織って……十一夜君が追っているっていう組織のこと……だよね?」
多分教えてもらえないような気がするが、恐る恐る訊ねてみる。
十一夜君はまた暫くの間瞑目していたのだが、目を開いたかと思うと、続けて口を開いた。
「ああ、そうだよ。僕の体の男子化も、その組織が関わっているんじゃないかって思っていたんだけど、これでいよいよ確信を強めた」
凄い話だな。そんなことができる組織って一体どんな組織だよ。
てことはだよ。わたしが女子化したのにも、その組織ってのが関わってるってこと?
でもうちとその組織に何か関わりがあるわけ? そんな危なげな組織とやらに関わりがあるとは思えないけどな。特に自分自身に関しては考えられない。
秘密結社うさぎ屋のことだろうか。
あ、そう言えば、Facebookで丹代さんと繋がってるあの連中は、ただの偶然だったのか?
もう余計に謎が深まっただけな気がする……。十一夜君にとっては確信が強まるような状況らしいけど。
「それでさ……。十一夜君はこれからどうするの?」
「特には変わらないけど。……引き続き調査を続けるよ」
「転校したり、しない?」
「転校? 別に予定は無いけど……」
「そっか。……いや、丹代さんについて調べて一緒の学校に来たって前に聞いたからさ。丹代さんがいなくなったから、どうするのかなって……」
「あぁ……彼女の消息については、引き続き調査を続けるけど、今のところ何処に行ったのか見当もつかないしね。別に転校なんてしないよ」
「そうなんだね。分かった。丹代さん、無事だといいけど……」
「うん……ほんとにね……」
そういう十一夜君の目は、何処か遠くを見つめるような不思議な目をしていた。
Subtitle from 荒井由実 - 瞳を閉じて (1974)
Written by Yumi Atai




