160 朧月夜
MS関連の保養施設ということだが、現在宿泊客等はいない様子だ。
数人の警備員を除けば、レストランのスタッフが何人かと、管理人のような人がいるだけのようだ。
しかしMSについて色々調査してきて、この施設はどうも妙だ。何かある。
保養施設と言いながら、宿泊はかなり制限されているようだし、人の出入りの記録が保養施設にしてはどうも怪しいのだ。
『作戦本部よりアルファへどうぞ』
「ディスィズ・アルファ。作戦本部どうぞ」
『設置カメラの動作確認を完了。画角、明瞭度いずれも問題なし。どうぞ』
「ラジャー。引き続き潜入調査を続ける」
さて、先程施設内をうろつきながら設置したカメラは問題なく動作しているようだ。仮眠を取って夜の活動に備えるとするか。
☾☽ ☾☽ ☾☽ ☾☽ ☾☽ ☾☽ ☾☽ ☾☽
目覚めると、中野恵美子と木下優子に関する追跡結果の報告が上がっていた。
あの後木下は廃倉庫に連れて行かれ、しばらくお仕置きをされた後、例のMS御用達のメンタルクリニックで施術後、解放されたようだ。
見える場所に怪我や傷はないようだが、それなりの暴行まがいのことは受けた模様。
そして薬物の投与と催眠洗脳がされたが最後まで抵抗していたとのこと。
恐らくそのクリニックで催眠状態を作り出すために使用されていた薬剤は、恭平によって偽薬と入れ替えられているので洗脳が効かないはずだ。
今まであそこで洗脳されていた少女たちは、十一夜が少しずつ洗脳を解きつつ一時的に上書きしているのだが、木下優子に関しては手つかずの状態だ。
そのため最後まで抵抗していたのだろう。
木下に関しては解放後にうちのチームが改めて少女たちと同じく、洗脳を解きつつ情報を引き出すという段取りに移行したようだ。ただ、彼女の安全のためと今後の情報源として催眠の上書きも施す。これは徐々に洗脳を解いていき、最終的には正常の覚醒状態に戻すことになるのだが、一時的な必要としてそうなるということだ。
そんなところで、そろそろ活動を開始するか。
「ディスィズ・アルファ。作戦本部、どうぞ」
『こちら本部。アルファどうぞ』
「これから、予定していた調査に入る。敷地内の人員の状況について確認したし。どうぞ」
『了解。現在、宿直室にて仮眠中の警備員ひとり、警備員が警備室にひとり。それと地下に不明の人員二人を確認。以上』
「人員確認了解」
作戦本部により、この施設内の機械警備システムは掌握されている。
よってわたしは現場で必要に応じてあらゆるセキュリティシステムにアクセスすることが可能な状態になっている。
日中には地下室までは行かなかった。人気がなくなってからの方が動きやすいからだ。
しかし地下に人間がいるとなると、どうやら何かがあると考えてまず間違いなさそうだ。
ずっと天井裏に身を潜めていたが、点検口から再び降りて地下へと向かうことにするが、その前に立ち寄るところがある。
シェフから得た情報によれば、もうすぐ警備――と言っても通常の詰所にいる警備員ではなく、おそらく地下にいる連中だと思われる人員――の交代の時間帯のはずだ。その交代の場所に先回りする。
近くの点検口から天井裏に入り、準備を整えて待機する。
――――来たな。
二人ずつで組んで巡回警備していると見られるが、立ち居振る舞いからすると素人くさい。
「うわ、お前たち酒臭いぞ。飲んでたのか?」
「堅いこと言うなよ。どうせこんなところでこんな時間帯に何も起こったりしないだろ?」
「……まあそれはそうだが……ちゃんと見回りはするんだぞ」
「了解、了解。ま、お前らもゆっくり飲んだらいいよ」
おおよそプロではありえない会話の後、交代して二人が地下へと向かい、ふたりが残った。
去っていったふたりの様子を見届けてから、リュックに収納していたガスマスクを取り出して装着。同時に照明器具の隙間から数滴の薬品を垂らす。
本来なら残ったこの二人は、一定時間ごとに移動しながら見回りをする予定だ。
「ん?」
警備のひとりが何かが落ちてきたのを感じて首のあたりを自分の手で触った。
しかしこの液体は揮発性の睡眠薬だ。
二人はそのまま文字通り気を失うように倒れ込んで深い眠りに入った。
近くの点検口から降りてのんきに睡眠中の二人を近くの部屋に退避させておく。仕事が終わったら彼らを起こして催眠術で記憶を操作する計画だ。その部屋も一通り見回ってみるが、資料倉庫のようで所狭しと並べられたスチール棚に、ファイルやダンボールが整然と並んでいる。
箱やファイルの背に記されている資料名をたどりながら確認していくと、実験と記されているファイルが並んでいる箇所がある。
ひとつ取り出して開いてみると、具体的な内容はよく分からないイニシャルらしきものと、アルファベットの略語を見出しとした数値の羅列だった。明らかに何らかの実験結果のデータ数値であろうことが窺える。
これは解析チームに回すべきだな。そう判断してスマホのスキャナアプリですべて読み取っていく。
一通りスキャンするのにしばらく時間を使い、目ぼしい資料が大方網羅できたら解析班にデータを送る。ここは引き上げて、目をつけていた金庫のある部屋がある地下を目指すことにする。
昼間下見した際に、地下へ向かう階段付近には監視カメラが設置されていることを確認している。
ラップトップPCを取り出してセキュリティシステムのネットワークに入り込む。設置された施設内のすべてのカメラを確認していき、階段から地下の各カメラ映像のループを作成して差し込む。
これで当面監視カメラは死んだも同然だ。
段取りを終えて、いよいよ地下の金庫が設置された部屋へ向かう。
途中、人の話し声が漏れ聞こえてきた。先程交代した警備の人間だろう。性懲りもなく彼らも酒盛りを始めたようだ。
眠らせることも考えたが、この様子なら放っておいて構わないだろう。
彼らのことは構わず目的の場所へ歩みを進めた。
目的の部屋には鍵がかかっているが、カード式の結構ちゃんとしたセキュリティの施錠だ。もっとも一般レベルではという話で、我々からすれば対処できないようなものではない。
再びラップトップPCと、専用端末に繋がった解錠用の特殊なカードキーを取り出した。
PCと接続して専用のソフトを起ち上げて、画面上でカードキーのタイプを選択し、カードキーを差し込む。
あとはソフトウェアが自動的に解析してくれるのを待つだけだ。
数分かかるが、ピッという音と共にサムターンの動くガチャリという音が鳴り、解錠を知らせる。
ドアノブを回すとひんやりした空気がまとわりついてきて、長時間出入りがなかったことを主張するかのようだ。
簡素なテーブルと椅子が中央に、そして件の金庫は隅っこの台の上にぽつねんと置かれていた。
それほど大きなものではないが、チェーンで壁に繋げられて盗難対策が取られている。小型ではあるが、決して簡素なものではない。
聴診器を当てながらダイヤルを回す。神経を研ぎ澄ませてかすかな音と感触を頼りに解錠を試みる。
もっともあらゆるタイプの金庫の解錠も訓練しているので問題はない。ものの数分で解錠は済み、金庫を開けるとUSBメモリーが二本置かれていた。
これは何か大きな情報だという確信めいたひらめきのようなものを感じる。
PCに接続し、中のファイルをコピーするのではなく、ストレージをまるごとコピーする形でデータを解析チームへ転送する。その方が速度が早いし、あらゆる情報がまるまると手に入る。
おそらく今晩の潜入調査の目玉はこのデータであろう。
解析自体はそうすぐに済むものではないが、じきにチームからの連絡があるあろう。
USBメモリーを元に戻して金庫も再びロックしておく。侵入の痕跡は一切残さない。
地下を出て帰り支度を始めることにする。めぼしい情報を得られたなら長居は無用だ。あの金庫の中にあったドライブの情報が役立つかどうかについては、ほぼ間違いなく有用なものだという確信がある。
それで再びPCから監視カメラにアクセスし、痕跡を消しておく。手早く作業をして、今度は眠らせている警備の人間に気付け薬を嗅がせて起こす。
だが特殊な睡眠薬の影響がまだ消えたわけではなく、意識が覚醒しきらない状態で催眠術を掛ける。それによって記憶や意識を操作するのだ。
わたしが去った後、わたしに関する記憶は一切思い出すことはないし、寝ていた記憶も警備を行った記憶と差し替えられている。
すべてを完了し、わたしはセキュリティシステムをかいくぐって悠々と施設を出る。
林に隠しておいたバイクにまたがると、解析チームからの連絡が入った。
『解析チームよりアルファ、どうぞ』
「ディスィズ・アルファ、どうぞ」
『受け取ったデータの受信を確認。及びデータ内容を確認。人体実験に関する詳細なデータだった。以後データの解析を進める。任務ご苦労。引き続き気を付けて帰られたし』
「ラジャー」
映画やドラマの世界とは違う。
我々の仕事の大半は、入念な準備と万全な対策の元、誰にも気づかれることなく密やかに果たされる。
もちろん、多少の無理を押してでもやらねばならない場合は荒事もあるわけだが、割合としては極めて少ない。そうでなければ我々の仕事は失敗を意味する。
エンジンに火を入れて帰途につく。
今宵は朧月夜。
夜闇に乗じて仕事をするわたしにはお誂え向きの夜だ。
夜風を纏いながらわたしは闇へと消えた。
Subtitle from 中島美嘉 - 朧月夜〜祈り(2004)
Written by Teiichi Okano / Taro Hakase




