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152 Un Homme Et Une Femme ――男と女――

 少し暗めの店内には、アーティスト名を特定できないようなイージーリスニングが控えめに流れている。

 ドアに取り付けられた小さなカウベルのようなものが時折音を立てて客入りを知らせる。

 ついぞ入ったことがなかったけど、これが純喫茶なるものか。

 週刊誌を広げている人、おしゃべりするでもなくただコーヒーを(すす)りながらぼんやりしている中年のカップル、普段利用するようなコーヒーショップとは客層からして違うように見える。


 ベルの音に入り口を見やると、朧さんだった。何ていうかすごく新鮮だったのだけど、普通に入店してきた。そして無言で対面の席に腰掛ける。


「……」


 って、いつもの「朧です」ないんかい!

 あれだけいつもルーティンに拘る人なのに、普通か。普通なのか。

 ま、普通でいいんだけどさ別に。


「さて、どうしましょこれ」


 あのおじさんから受け取った招待状をひらひらさせながら朧さんに問いかける。


「拝見しても?」


「ええ、どうぞ」


 封筒を受け取って中身を取り出した朧さんは、しばらく眺めたり嗅いだりしていた。


「ふむ。パソコンで作られたもので、このインクからすると印刷屋で刷ったものではないですね。一部のフォントはBIZ UD明朝体なので、少なくともWindows10の2018年10月以降のバージョンが使われています」


「え、朧さんマニア?」


 そんな見ただけでフォント名やら時期まで分かるもん?


「いえ、現代の(しのび)(たしな)みですから」


 嗜みって(笑)。え、じゃあ十一夜君や聖連ちゃんも嗜んじゃってるわけ? すごっ。忍者すごっ。


「へぇ〜。すごいですね」


「恐縮です」


 うわ。そこは十一夜君とリアクション違うんだ。十一夜君だったらドヤ顔で「まあな」っていうところなのは確実だけど。朧さん謙虚か。

 てか、フォントがどうとかPCがどうとか別にどうでもいいけどな。


「で、この招待どうすればいいんでしょうか」


「そうですね。別に招待に応じていただいても問題はないかと思います。警護はいつものようにお任せいただければ」


「一体何なんでしょうかね」


「まぁ、特異点についての情報を探りたいというところでしょう。その辺りはあれこれ聞かれると想定されます」


「あれこれ聞かれても、困るんですけどねぇ。どうしたらいいのかなぁ」


「そうですねぇ。知らぬ存ぜぬで通せばいいのではないでしょうか。華名咲家のご令嬢と知りながら下手な手出しはできないはずです。そうでなければとっくに何か仕掛けてきたことでしょう」


「ふむ、それもそうか。口を割らないから拷問とかはないですよね?」


「大丈夫でしょう。向こうはMSだと正体を明かしてますし、その気であれば最初から正体を隠して接触してくるはずです」


「あ、そういえば最初拉致されそうになって十一夜君に救出されたときは、相手は身分を徹底的に隠していました」


「そうでしょう。あのときの相手は同じMS絡みでも、今回接触してきた相手とは恐らく派閥が違うと思われます。今回の相手はどちらかというと穏健派なのかも知れませんね」


「穏健派ねぇ……黛君は拉致されてましたけどね」


「確かに。ただ奴らも華名咲さん関しては穏健派ということです。それに黛君の件では別口で派手に邪魔が入りましたし、あれ以来下手な手出しはできなくなったはずです」


「なるほどねぇ」


「ええ、わたしが一緒に潜入しますし、応援も近くに待機させておきますので心配いりません」


 それなら大丈夫か。むしろ逆に十一夜家にとっては情報を探るのにもってこいのチャンスかもしれない。


「分かりました。朧さんがそう言ってくれるなら安心です」


「恐縮です。命に代えてもお守りしますので」


「いやいや。だから命に代えるのダメですって。『きよく、やましく、もど○しく』の続き読めなくなっちゃったら困るでしょ、朧さん」


「恐縮です……」


 少し気まずげにそう言う朧さん。

 こう言ってみたところで、朧さんの覚悟はきっと変わらないんだろうな。

 まったく。十一夜家の人たちの任務に臨む覚悟が本気すぎて怖いわ。


 と朧さんはスマホを取り出してあれこれやってる模様。普通にスマホ使うんだ。なんか新鮮。


「場所はMS所有の施設のようですね。海辺に面していて防砂林を挟んで建物がありますから、この林は部隊を隠しておくのにもってこいでしょう」


 そう言って朧さんはマップアプリの航空写真の画像を見せてきた。彼の頭の中ではすでに警備プランが描かれ始めているのだろう。

 わたしの方はさっぱりピンときてないけれど。


「へ〜、やっぱり地理上の条件とか考えながら戦略とか練るもんなんですか」


「肯定です。地理上の条件はもちろん、気象条件、交通の流れ、人の流れ、考えられるあらゆることを含めて戦略というのは練るもんなんで」


 ふーん。そうなんだな。

 まぁ、その辺りも専門家に任せておけばいいことだけど。わたしがあれこれ考えたってどうせ足手まといにしかならないし。

 くっ、また十一夜君のあの態度を思い出してムカついてきた。

 でも朧さんは謙虚で優しいよな。ちょっと変なところはあるけど。


「信頼してます。朧さん」


「当日までに下調べと計画はしっかり練っておきますのでお任せください」


 心強い言葉をいただき、少し気が楽になるわたしなのだった。



 

 翌日は受診日だったので、また恥を忍んで恭平さんに診てもらう。


「うん、もうだいぶ良くなったね。ホルモン治療が功を奏してるようで良かった。今後は少しずつ薬の量を減らしていって様子を見る感じかな」


「いつか薬飲まなくて良くなるんですかね」


「う〜ん、前例がないので正直こればっかりはなんとも言えないかな。そうなればと思って経過を見てるんだけど」


「なるほど」


 これが男子に戻るって話ならまた別だけど、女子のままであそこがでかくなるのは非常になんというか不都合だ。

 でもそのためにホルモン剤を飲み続けるっていうのもなんだかなぁ。

 本当は男なのに女になって、だけど性器に異常が生じてホルモン治療してる。おかしな話だわ。


 帰り道もいつものように恭平さんに送っていただく。

 助手席で車に揺られ帰る途中のこと。


「あ、そうだ。夏葉ちゃん、この後少し時間ある?」


 思い出したように恭平さんが訊いてくる。


「え、はい。大丈夫ですけど、何ですか?」


「うん。週末MSの連中から呼び出し食らってるんだって? その打ち合わせ」


「あぁ、なるほど」


「大丈夫?」


「はい、もちろん」


「よし、決まり」


 そう言ってしばらく車を走らせたところで脇に寄せて止まる。はて。


「よし、じゃあ夏葉ちゃんは降りてそこのスタ◯で待っててくれる?」


「分かりました」


 車を駐車場に入れてくるんだろうな。

 わたしは目の前のス◯バに向かう。

 取り敢えず、ROASTERY TOKYOというアーモンドとほうじ茶のラテを注文する。

 席を探そうとあたりを見渡すと、こっちこっちと声がかかる。

 あれ、恭平さんもう先に来てた? そんなはずあるかなとか一瞬思ったけど、声の方へ向き直ると果たしてそこにいたのはなんと十一夜君だった。


「へ?」


 呆気(あっけ)にとられていると、恭平さんからのショートメールが届いた。

 一言『圭君と仲直りするんだよ』と書かれてある。

 なにそれ。もぉ〜。恭平さん、なんで十一夜君と今ちょっと気まずい感じなの知ってるんだろう。ていうか他人の世話焼いてないで涼音さんとのことちゃんとしてほしいわ。


 呼ばれて十一夜君と同席するが、なんとなくここのところの流れで気まずい。十一夜君は平気なんだろうか。

 どうせわたしのことなんて気にも留めてないか。


「恭平さん、十一夜君が待ってるなんて言ってなかった」


「そうか」


「相変わらず気のない返事」


「まぁな」


「まぁなじゃないよ、まったく」


「なんか怒ってるのか?」


 ぬぅ〜っ。怒ってるのか? じゃないよもぉっ。

 その態度だよ、その態度! 腹立つわぁ、まったくぅ。


 こっちの気も知らないで、当の十一夜君はどこ吹く風とばかりにコーヒーを啜ってはむしゃむしゃなんか食べてる。

 ほんっとイライラしてるのがバカバカしくなるわ。

 なんつーか、元女子らしさのかけらもないよね、この唐変木っぷりが。


「怒るのもアホらしいわ」


 彼は困った顔をしてじっとわたしを見ている。

 見るな、減るから。


「はぁ〜、そう言うなよ」


 言いながら手が伸びてきて、そのゴツゴツした大きな手で、いつもみたいに優しく髪の毛を梳くように撫でる。

 んもぉ〜。どうせそうしとけば機嫌取れるとか思ってるんだろうなぁ、悔しい。

 でもいざとなったら敵をあっけなく倒してしまうほどのその強い手でこうされると、すごく大切に扱ってくれているのが伝わってくるんだよなぁ。そこが分かるからまた悔しい。

 だって、こうやって大切に扱ってくれてるのに、どうしていつもそんな風に扱ってくれないの? いつもそんな風に大事に扱ってほしいよ。


「ねぇ、十一夜君にとってわたしはただの駒?」


「そんなことないよ」


「……じゃあ何?」


 それ訊いてどうすんの、って自分でも思ったけどなんだか勝手に口を突いて出てきてしまった。

 どうしよう。ひどいこと言われたらちょっと立ち直れないかも。

 親友だと思ってるのはわたしだけかもしれない。


「何って言われても……分かってるでしょ、いちいち言わなくても」


「はぁ? 何それ。言わないと分かんないよ。ちゃんと言って」


 食器が軽く打ち合うカチャカチャした音と遠い会話の声、そして古めのソフトロックが軽やかに流れる店内。

 ただ十一夜君とわたしを挟むテーブルの間の空気だけが、人知れずちょっと張り詰めるのだった。

Subtitle from Pierre Barouh - Un Homme Et Une Femme(1966)

Written by Francis Lai

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