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144 その点滴がはずれたら

 今頃母と梨々花は機上の人かな。

 板書を写しながらふとそんなことを考えてしまう。

 昨日十分に別れを惜しんでお喋りもしたが、やっぱりいなくなると寂しくなるもんだ。きっと今日帰宅して、誰もいない部屋に寂寥感を覚えるのだろうなぁ。

 そんな様子を想像して、少し家に帰るのが憂鬱だったりする。


 そう言えば、この木下(きのした)先生に暗い影が見えるみたいなことを、ディディエが言ってたっけなぁ。

 教科書片手に板書している先生の背中を眺めながらディディエの不吉な言葉を思い出していた。もちろんわたしにはそんな影などまるで見えない。ディディエの独特の能力みたいだ。

 わたしには極々普通の女教師にしか見えない。先生の身に悪いことが起こらなければいいけどなぁ。

 まぁ、常に危険と隣合わせみたいな私が言えた義理じゃないか。


 この日、音楽の授業のため教室を移動する途中、廊下の片隅で件の木下先生から何やらお叱りを受けている風に見える進藤君を見かけた。何してんだ? ま、私としては彼とはあんまり関わり合いになりたくないのでそのままスルーして音楽室へと向かった。


 そして放課後は病院に行く予定となっていたので、今日は秋菜とは別々に帰宅する。

 涼音さんと恭平さんが待っているであろう病院へ行くため、バス停へと独り向かって歩いていると、四十代くらいだろうか、一人の女性がいきなり道端で(うずくま)った。

 周りにいた数人の人がびっくりして足を止めてその人を見ているが、様子を窺っているだけで誰も動こうとしない。私が一番近くにいたので、駆け寄って声をかけた。


「大丈夫ですか?」


 大丈夫じゃないから蹲っているのだろうことは分かっているが、こういう時に他に何と声をかけたらいいのかさっぱり分からず、こうなってしまった。


「うぅっ……」


 話す余裕もない様子。これはまずい。

 えっと、救急車! 救急車呼ばなきゃっ。スマホ、スマホどこだっけ。

 ポケットやら鞄やらを(まさぐ)っていたら、丁度いいところに恭平さんの車が通りかかったようで、止まって声をかけてくれた。


「おいおい、どした? え、人がいる?」


 慌てて恭平さんは車から降りてきて蹲っている彼女を診てくれた。


「す、すみません……朝から体調が悪くて……病院へ向かうところだったんですが……もう歩けなくて……」


 女性がやっと振り絞るようにしてそう言う。

 その間にも恭平さんは女性の様子を伺いながら手首を持って脈を測ったりしている。


「安心してください。私医師なので病院に乗せていきますからもう大丈夫。さ、掴まって」


 その場でいくらか問診をしてから、動かして大丈夫と判断したのだろう。恭平さんがそう言って女性を支えながら車の方へ向かった。

 因みに恭平さんはいつものように完璧な女装だ。

 私は恭平さんの車へと先回りして、ドアを開けて女性が乗り込むのを手伝った。


「よし、じゃあ夏葉ちゃんも乗って。もう大丈夫ですからねぇ」


 病院につくと、取り敢えず華名咲家御用達の部屋へと向かう。

 私の診察予約日なので、部屋に着くと涼音さんが当然待っていた。

 恭平さんが状況を説明すると、涼音さんも協力して女性の診察と治療に取り掛かった。

 緊急事態なので私のことは後回しにしてもらった。

 私の例の下半身の半陰陽状態は、ホルモン治療を続けているお陰で随分と落ち着いてきている。一時はどうなることかと心配だったのだが、今ではちゃんと大人しくいい子にしている。

 いや、あのままもし男に戻るのならそれはそれで望んだことでもあるのだが、染色体の状態からするとどうもそうではなかったから、これでいい。


 薄い水色のカーテンの向こうでは先ほどの女性の診察が行われている。

 その間、やることもなくぼけーっとしているよりない私は、事情で診察が遅れて遅くなるという連絡を叔母さんに入れておいた。

 さて、いよいよやることもなくなったなぁ。なんて思っていたら、先程の女性の診察が終わったようだ。


「はい、黛さん、それじゃあ暫くこちらで休んでいてくださいねぇ」


 黛さんと呼ばれるあの女性が、涼音さんに支えられて、カーテンで仕切られているベッドに移動した。

 てか黛さん? うちのクラスの特異点の黛君とは関係ないよね? まぁ、彼は異世界からやってきてこっちに本当の親族はいないはずだからそれはないか。

 そんなによくある名字じゃないけど、こういうこともあるか。


「大分安定してるみたいだね。ホルモン剤の投薬、ちょっと減らして暫く様子を見てみよう」


 恭平さんの診断によるとそういうことらしい。よりによって十一夜君の親戚の男性にあらぬ姿を晒さなければならないのは毎度顔からヘルファイアが発射されそうなくらい恥ずかしい。


「黛さ〜ん、お具合いかがですか〜。少し体調落ち着いたようなら、内科の方に移動しますね」


 涼音さんが声をかける。

 ここは本来経営陣である華名咲ファミリー専用の診察室らしいので、黛さんに関しては一般外来の内科に申し送りしてお任せするらしい。


「歩くのはちょっとまだ辛そうかな〜。車椅子で押していきますね〜」


 涼音さんが車椅子を用意して黛さんを座らせる。

 普段なら看護師さんがいるのだろうが、何分私のことは華名咲家の機密事項扱いなので、人払いされているのか涼音さんと恭平さんしかいない。

 というか、この診察室は華名咲の人間が来る時しか人がいないのだろう。


「じゃ、僕らも帰ろうか。夏葉ちゃん送っていくよ」


「ありがとう、恭平さん」


「あの、お二方。どうもありがとうざいました。お陰様で助かりました」


「いいえ。医者ですから当然です」


 ま、恭平さんの場合闇医者的なこともしてるヤバい人だけどな。でもお陰で人助けできた。


「よかったです。あの、つかぬことをお伺いしますが、私桜桃学園の生徒のものなんですが、黛さんってご親族で桜桃の生徒の方がいらっしゃったりしませんか?」


 ないだろうけど、何となく気になって思い切って訊いてみた。今後お会いする機会も多分ないだろうし。


「いや〜……いないと思いますけどねぇ。亡くなった父にも親戚はいないと聞いておりますが」


「あ、そうでしたか。ごめんなさい、変なこと訊いて。偶然クラスメイトに黛君っているもんですから、珍しい名字だしもしかしたらと思って」


「そうでしたか。残念ながら違うと思います。でも本当に助かったわ。ありがとうございました」


 改めて丁寧にお礼を言われた。

 そっか。そうだよね。もしかしてとか思って念の為訊いてみたけど、ハズレだった。

 そもそも黛君にはこっちの世界に親戚いるわけないし。

 でも、平行世界から来たなら、もしかしてそっちと同じ人物がこっちにいてもおかしくないよねと、チラッと思ったりもしたんだよね。

 黛さんや涼音さんとはそこで別れて、私は恭平さんの車に便乗して自宅まで送ってもらった。


「黛君っていうのは、例のMSに狙われていた子のことだよね」


 帰路の道中に恭平さんが訊いてきた。


「はい、そうですよ。恭平さんにもやっぱりそういう情報ちゃんと共有されてるんだ」


「もちろん。僕もこの件に関しては結構本気出してるからね」


 十一夜君が、恭平さんはそっちの世界でもかなり優秀だと以前に言っていた。

 その恭平さんの本気か……。きっと凄いんだろうな。


「何となく気になるな。さっきの黛さん、一応念のためだけど洗っておくことにするか」


 何もなさそうだけど、恭平さんが調べてくれるなら安心だ。

 関係ないならないで別に問題ない。

 いつものように自宅まで無事に送り届けてもらい、恭平さんと別れたのだった。

Subtitle from Rino Ozaki - その点滴がはずれたら(2020)

Written by Rino Ozaki

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