143 中華料理
夏休みも終わり9月に入っている。
夏休みの間、桐島瞳子さんの死をきっかけに暫くは部屋に引きこもっていたので、折角帰省中の母と妹には申し訳ないことをした。引きこもっていた間もその気持はあったが甘えてしまったのだ。
その母と妹もいよいよ明日、父が独り首を長くして待っているであろうパナマへと再び旅立とうとしている。
そういうわけで今宵は旅立つ前夜の最後の晩餐をということになった。
祖父母も含めて一家総出で向かった先は、老舗の中華料理店だ。久し振りの中華に一番テンションが上っている様子なのが祐太だった。コスプレ界隈を賑わしているタユユとのギャップな。
「祐太、食べ過ぎないようにね」
と釘を差しておく。
しかし当の祐太は「何で?」とでも言いたそうな間抜け顔をしている。
全くこいつは……。
ちょいちょいと祐太の腕を引っ張って店の入口から離れて小声で注意する。
「あのさぁ。あんたはタユユなんだからちょっとは自覚を持ちなさいよぉ? 下っ腹ポッコリのタユユとか誰も見たくないでしょうが? 言いたいこと分かるよね?」
家族に隠れてこっそり始めた美少女キャラのコスプレがネット界隈ですっかりバズって、その筋では今やすっかり時の人となっている割に、こいつときたらまるで自覚が足りないのだ。ほんとにのほほんとした男だよ全く。危機感も薄けりゃ自覚も薄い。
お陰でなぜかこっちの方がいろいろと気を揉むことが多いのだが勘弁してくれ。
「う、うん。もちろん分かってるって」
「ホントかなぁ。全く怪しいもんだよ」
「大丈夫だってば」
一応釘を差しておかないとね。こいつは平気で運動部の男子並みの勢いで食べかねないから。
女の子の格好するのなら言っておかなきゃ。
「ユータ、カヨー。ナニシテマスカー。オミセハイルアルネ」
「はいはい、分かった」
最近おかしな中国人みたいな口調になってると思ったら、どうやらディディエはアニメに出てくるチャイナドレスを着た宇宙人の女の子キャラの影響を受けているらしい。
最近は暇さえあれば専らアマプラでひたすらそのシリーズアニメを見ている。折角のイケメンだが残念な限りだ。日本語の勉強だとか言ってるけど、中国人訛りで覚えてどうする。
二胡の奏でる優雅で情緒あるメロディが邪魔にならない音量で流れている店内に入ると、個室の円卓に通され一同が席に着く。
時々みんなで揃う場面は無くもないが、こうして中華テーブルを囲むと壮観だなぁ。改めて見れば我が家族ながら揃いも揃って美形だしそれぞれのキャラも濃い。
「伯母さん、夏葉ちゃんどう? すっかり女の子になったでしょ」
秋名が母にわたしの話を振ってくる。改めてその話題ってのも恥ずかしい。
「ねぇ〜。ホントびっくりしたわ。秋名ちゃんのお陰ね」
「ウンウン、そうでしょ、そうでしょ。そりゃもぉ、イロハのイから徹底的に仕込んだからね」
否定はできないし、確かにその通りなんだけど何か腹立つのはこのドヤ顔のせいだろうか。
「うん。夏葉お姉ちゃんは完璧にお姉ちゃんだもん」
隣の席から梨々花が屈託なくそう言ってこちらを見上げて嬉しそうにしている。
この子にとってはそんなに嬉しいことなんだ。改めて兄だった自分の存在って何だったんだと思うんだが、素直に喜んでいいところだろうか、ここ?
「あ、ところでさぁ。大人っていろいろな柵があると思うんだけど、そういう柵みたいなものってどんな風に対応してるの? やっぱそれはそれとして諦めるもん?」
随分ストレートかと思うけど、折角頼りになる大人たちが集まっているので質問してみた。
「何、どうしたの?」
秋菜が不思議そうな顔で訊いてくるが、私が考えているのは秋菜も大いに関係しているモデル業のことだ。祐太もいる手前、祐太のせいでモデルの仕事を断りにくくなってるとかは言いたくないのでそこはぼかす。
「ん、いやね。ちょっとあって」
「うーん、みんなそれぞれあるよね」
叔父さんだ。きっと私なんかより色々あるであろうことは想像できる。
「僕も昔、父さんに同じこと質問したことあったね」
「え、叔父さんがお祖父ちゃんに?」
「うん。ねぇ、父さん」
叔父さんがお祖父ちゃんにそう問いかけると、「覚えとらん」と一蹴された。
でも苦笑いしながら叔父さんは、その時のことを話してくれた。
「アハハハ。あの時父さんはこう言ったんですよ。しがらみって漢字で書くと柵っていう字なんだって」
「へぇー」
「言葉の響きから、絡まって解けない面倒なものっていう印象を持っちゃうけど、元の意味からすると川なんかで危険な物を堰き止めるための柵が語源なんだってさ」
「ふぅん」
「だとしたら?」
って叔父さんが訊いてきたけどどうなわけ? こっちがそこを聞きたいんだけど。
「じゃぁ、これは宿題だね。自分でじっくり考えて答えを見つけてごらん」
「えぇーー。それだけぇ? 意味分かる?」
母や叔母さんや秋菜をそれぞれ見てみたが、誰も答えを持っていないようだ。
うぅむ……。宿題かぁ。
ま、叔父さんがそう言うならきっと大事なことなんだ。
さぁさ。食べましょ、食べましょ。
運ばれてきた中華のコース料理がどんどんテーブルに置かれていく。
「あなた、そんなので足りるの?」
と母が驚いているが、祐太に釘を差したように、女子になるといろいろ気にしなくちゃいけなくなって、男子だったときみたいには食べられなくなったのだ。なので、取皿に少しずつ取って少しずつ食べるのがいつの間にか習慣になっている。これだけ料理の種類が多いとほんの味見程度の量でもすぐに満腹になってしまう。
「足りるよ、十分すぎるくらい。流石に男だったときみたいにドカ食いはできないって」
何とも切ない話だが、日々体重を気にして生活している内に胃袋が弱体化してしまったようだ。ふと、男だった頃にもみんなでこの店に来たことを思い出してしまった。あの頃は祐太みたいに好きなだけ食べまくっていたのに、思えばあの頃の自分は遥か遠くだよ。
しかもこんなに女の子の暮らし振りに馴染んでしまうなんて、女子化した当初には想像もできなかった。この先、再び男に戻る日が来るんだろうか……。
何か来なければ来ないでそれなりに楽しくやっていけるなって気もしているこの頃だったりするんだけど。
ただ、私を巡るきな臭い状況。これだけはどうにかしないと。そしてわたしの謎の女子化現象とどうしたって関係しているであろうことは確実だ。
視線を感じて母を見やれば、慈しむような顔で私を見ていた。
何でか知らないけど、こんな風になっちゃってごめん。詮無きことと分かっているが、こんな受け入れがたい状況でさえ愛情いっぱいに受け止めてくれる母を見ているとそんな気持ちになる。
いつか恩返しできたらいいな。
Subtitle from Masayoshi Yamazaki - 中華料理(1996)
Written by Masayoshi Yamazaki




