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猫の獣人  作者: 川野満美
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獣人の里

 翌朝、お鈴と松は旅立った。半獣の始祖、新太郎の生まれ故郷を目指して、北へ、北へ……。季節はいつしか秋となっていた。木々の紅葉は美しいが、山間部の夜は冷える。峠には無人の小屋があり、旅人が泊まれるようになっていた。そこで火を熾し、一夜を明かす。お鈴は火の中に過去を見ていた。忘れようにも忘れられない過去を。



 そこは、小さな小さな町だった。小さな町であるにもかかわらず、剣術が盛んで道場が二つもあった。月影二刀流の真義館、猫目一刀流の季心館である。双方、流派は違うが友好的な関係を築いており、親善試合を行うなど交流を深めていた。

 真義館では鹿沼家長男の修太郎が既に家督を継いでいる状態。季心館はというと、一番弟子の山上業平が師匠である猫塚源作の元、免許皆伝を目指し、目下修行中である。猫塚家一人娘の鈴音は、本来であれば業平と一緒になり、季心館を守っていかなくてはならない身ではあるが、両親の説得に成功して、予てから恋仲であった鹿沼家次男の修二郎と将来を約束し合うことができていた。

 修二郎は月影二刀流の使い手。その腕は兄の修太郎を凌ぐとも言われている。鈴音は女だてらに刀を握り、剣の修行に明け暮れていた。息抜きにしていたのが三味線と歌で、尺八奏者である業平の弟松宗と趣味が合った。松宗は刀を振るうより尺八を吹いている時の方が余程生き生きとしている。

「あんたは変わっているね。刀より尺八の方が好きだなんて。」

 ある時、鈴音が笑ってそう言うと、松宗は憮然として言い返した。

「変わっているのは俺じゃなくてお前だ。女のくせに剣術に嵌るなんて、どうかしているぜ。修二郎もとんだじゃじゃ馬を好きになっちまったもんだな。」

 三人は幼馴染である。これで修二郎が鼓でも打てば三人揃って演奏ができるというものであるが、彼は剣術一辺倒。一途な性格なのである。眉目秀麗にして胆勇無双。鈴音はそんな修二郎に心底惚れ込んでいた。いつか二人で小さな道場を持つことが夢である。

 月影二刀流は望めば誰もが指南を受けられるため、入門者は多かった。対する猫目一刀流は誰もが師事できるものではなかった。ある能力が備わっていること。それが第一前提であった。その能力は公言してはならず、一切の秘密とされていたので、門下になれるのはほんの一握りであった。その能力とは……。

 鈴音は修二郎と両想いで幸せであった。しかし、幸せを感じれば感じる程、不安になってこう言うのだった。

「修さん。本当にあたしでいいのかい? あたしには獣の血が流れているんだよ。」

 猫目一刀流は獣人剣。人間でも半獣でもなく、獣人でなくてはならない。猫の獣人である父源作と人間の母お清との間に生まれた鈴音は、父方の血を色濃く受け継いでいた。これまで、道場以外で猫に変化したことはない。秘密の能力であるから当然ではあるが、夫婦になる予定の修二郎には見せてもよいと言われていた。それでも未だ見せていないのは、好きな男に幻滅されたくないという女心である。

 修二郎はこんな時、決まって鈴音を優しく抱き、耳元で囁くのだった。

「獣だっていい。俺が惚れたのは獣の血が流れているお前なんだ。」

嬉しくて、広く温かい背に手を回し、逞しい胸の感触を頬で堪能する。

「何も心配することはない。だからその姿を見せておくれ。」

鈴音は修二郎の胸に顔を擦りつけるようにして首を振る。

「駄目だよ……。見せたくない。あたしは一生人間のままでいる。猫になる必要なんてないじゃないか。」

 猫に変化すれば強くなる。感覚も人間とは比較にならないほど向上する。しかし、平和を絵に描いたようなこの町で、敢えて変化する必要もない。剣術修業はただの趣味。いざとなれば修二郎が守ってくれる。鈴音は修二郎の腕の中で安心しきっていた。

 

 ある日、鈴音は修二郎の稽古場にやってきて、手合せをしてもらっていた。手合せと言っても、真剣ではない。木刀を使っての打ち合いだ。鈴音の方は割と本気だったが、修二郎にしてみればじゃれあいに毛が生えた程度のもの。見物に来ていた松宗は腹を抱えて囃し立てた。

「こいつは見てられねぇぜ! もうやめといたらどうだい?」

「煩いよ! あんたも尺八ばかり吹いてないで、たまに手合せしてもらいな!」

 鈴音が二つの木刀に翻弄されている時、不意に背筋を冷たい感触が走った。鈴音と修二郎は打ち合うのを止め、松宗は脇に差していた尺八を咄嗟に構えた。禍々しい気配に振り返ってみれば、そこには黒装束に身を纏った五人の忍びが姿勢を低くして今にも飛びかかろうとしているのだった。

「何だお前たちは!?」

 修二郎の怒鳴り声は、彼らの耳を素通りした。

「掟を破る者には死あるのみ。」

 布越しの声は聞き取りづらかったが、確かにそう言った。

「掟?」

 鈴音の問いに彼らは答えない。間合いをじりじりと詰め、そして、跳んだ。匕首が鈴音の手にしていた木刀をあっさりと断ち切る。鈴音は木刀の残りで辛うじて応戦した。修二郎の木刀が首筋に入り、忍びの一人を打ちのめす。気絶したところで刀と匕首を奪い取り、鈴音に襲いかかっている忍びを二刀でもって十字に斬り裂いた。修二郎の強さを思い知った忍びは舌打ちした。

「邪魔立てするな! お前は関係ない!」

「何?」

 生きている忍び三人は修二郎を避けるようにして松宗に駆け寄り、一気に斬りかかる。松宗は鋼鉄の尺八で刀を叩き折り、忍びの頭をかち割った。さらに振りかぶられた刀を頭上で受ける。鈴音は壁際にかけられていた木刀を急いで取り、もう一人の忍びに面を食らわせた。修二郎が透かさずその胸に刀を一突きする。松宗と対峙している最後の一人は、漸く己の置かれた立場を悟り、松宗の尺八を払って逃げようとしたが、払った直後、こめかみを強かに打たれて敢え無く倒れた。修二郎が最初に気絶させた忍びを後ろ手に捩じり上げ、無理矢理起こす。

「お前たち、何者だ? 誰の命令だ。言え!」

 忍びは唯一露出している目をにやりと笑わせたかと思うとすぐに真顔になり、血を噴き出し、手足をだらりと下げた。舌を噛んで自害したのだ。修二郎は忍びの遺体を放り出した。鈴音はその遺体に近寄って、覆面を剥いだ。現れ出たのは、なんと猫の半獣であった。他の忍びも覆面を取ってみた。全員が半獣である。いや、もしかしたら、獣人かもしれない……。

「一体、何だったんだ?」

「掟破りってどういうことだろう。」

「修さんは関係ないって……」

 寄り集まって、三者三様に考えていたが、やがて思考が一つに纏まってゆく。

「何だか、嫌な予感がする。」

「季心館へ行ってみよう。」

 自分たちの刀を脇に差し、三人は表へ出た。


 町は不気味なほど静かであった。人っ子一人歩いていない。それが三人を余計に焦らせる。季心館へ駆けつけると、草履も脱がないで中へ上がり込んだ。そこで見たものは……。

「!!」

 血を流して倒れている門下生たち。皆人間の姿である。半獣に変化する間もなかったのであろう。そのうちの一人、業平に駆け寄って体を起こした。

「業平さん! しっかりして、業平さん!!」

「兄上……!!」

 目を辛うじて開く業平。口から血を吐きながら、必死で訴える。

「あいつら、問答無用で襲いかかって来て……くっ! 早く……先生の……ところへ……!」

 それきり、業平は物を言わなくなった。事切れてしまったのだ。鈴音は業平を横たえ、奥の間へと走った。

 夥しい血が流れ、人も獣も折り重なって死んでいる、そんな中、忍びが十ほど立っていた。向こう側で倒れている鈴音の父、源作は止めを刺される寸前である。

 鈴音の中で、何かが弾けた。

「……よくも……!!」

 全身から毛が噴き出し、爪が伸び、牙を剥く。瞬く間に猫へ変化した鈴音は、片っ端から敵を刀で斬りつけ、爪で抉っていった。松宗も変化して、それに続く。二人の獣人剣が炸裂するのを、修二郎は半ば茫然と見つめていた。

 忍びを屠った後、鈴音は源作に飛びつくようにして近寄り、肩を持ち上げた。源作も猫に変化していた。

「お父つぁん!」

「ふ、不甲斐ねぇなぁ。いくら油断していたとはいえ、こんな……。」

「喋らないで!!」

 源作は血に濡れて震える手を差し伸べた。鈴音は両手でその手を掴み、泣いた。

「掟を……破ったから……こんなことに」

「掟って、何だい?」

「獣人の……掟……こいつら皆、獣人……じゅ、獣人の……里……は、半獣が……物の怪紛いの……」

「獣人の里?」

 答えは返ってこなかった。鈴音の手から源作の手が、ぼとりと落ちる。

「お父つぁん!!」

 縋りついて泣いている背中に、修二郎が声をかける。

「母上は?」

 鈴音ははっとして、母の部屋へ駆けだした。程なくして戻って来た顔には生気がなく、項垂れて首を振るばかりだ。

「そうか……。」

 道場にいた者は、皆殺しであった。ただの人間である母のお清までもが、容赦なく惨殺されていた。鈴音はその場に泣き崩れ、猫の爪で畳を何度も引っ掻いた。

 それから、何をどうしたものか、よく覚えていない。気がつけば源作とお清の墓前に立って手を合わせていた。鈴音と松宗は二人きりで秘かに語り合う。

「許せない。」

「掟だか何だか知らないが、問答無用で家族も仲間も皆殺しにするなんて……。」

「このままにはしておけない。」

「仇は必ず討って見せる。」

 獣人の里とやらへ行って、半獣と物の怪紛い、そして獣人の謎をも解き明かしてやろうではないか。鈴音と松宗の決意は揺るぎない。

「修二郎の奴はどうするんだ?」

「修さんは……関係ないよ。あたしらのことに巻き込むわけにはいかない。」

「だが、夫婦めおとになるんだろう?」

 鈴音は手向けていた百合の花を一輪手に取り、茎をくるくると回した。百合の花から切ない香りがふわっと漂う。

「あたしと一緒にいたら、修さんにまで危険な思いをさせちまう。あたしなんか……こんな獣人のあたしなんか、端から釣り合うはずがなかったんだよ。結ばれない運命だったのさ。」

「黙って行く気かい?」

「言わなくても、わかってくれるさ。」

 この日、二人は人知れず旅立った。まだ見ぬ敵を探して、あてもなく……。



 小屋を出て、山を下る。朝露に濡れた獣道に滑らないよう、慎重に足を運ぶ。途中何度も物の怪や物の怪紛いと遭遇し、その度に撃退していった。山を下りるだけでも疲れるのに、敵と一戦を交えなけばならないのは、本当に骨が折れる。

「俺らが向かっているのは新太郎の生まれ故郷なんだよな?」

 松が言いたいことは分かる。これではまるで、敵の本拠地へ乗り込もうとしているみたいだ。それも、獣人の里とかいうのではなく、物の怪の巣窟に近づいているような感覚だ。半獣の始祖がこんな環境で生まれるものなのだろうか。甚だ疑問なのである。

「取り敢えず、行ってみないことには何とも言えないよ。」

 お鈴は毛の乱れを舌と猫手で直し、行く先へ目を向けた。鬱蒼と茂る草木のために遠くを望むことはできなかった。

 その後も襲いかかってくる敵を悉く倒し、着実に山を下って行くお鈴と松。弥吉の話では山の奥のその奥ということであったから、山を越えたその向こうということになる。獣道ではあるが、一応道であることに変わりはない。その道に従って歩くばかりだ。


 山を下り、今度は谷底を歩く。澄んだ川は空を映して茜色に染まっている。もう夕暮れなのだ。お鈴と松は川辺で野宿をすることにした。川を泳いでいる魚に狙いを定め刀で突き刺し、獲る。その魚を枝に刺し、焚火で焼いて食べた。この匂いで物の怪や物の怪紛いが寄ってくるかもしれないが、焼いた方が衛生的だし何より美味いのだ。

 食べ終わると、お鈴と松はごろりと横になって眠りに就いた。どちらかが見張りをする必要はなかった。猫の勘で何かあればすぐに起きることができる。いつものようにお互い背を向けて横になっていると、松が寝言のようにくぐもった声で聞いてきた。

「お鈴。お前、この旅が終わったらどうするつもりだ?」

 お鈴は耳をぴくりと動かし、瞑っていた目を開いた。

「どうするって……さあね。考えたこともないよ。」

 もともと、生きて帰れるとは思っていなかった。父の源作を殺すような連中である。果たして自分の腕で仇討がかなうかどうか。良くて相討ちくらいにしか考えていない。

「あんたはどうするのさ?」

 質問をし返して、濁す。

「俺は、道場を建て直す。猫目一刀流を絶やすわけにはいかない。師匠のためにも、兄上のためにも。」

 それは、本来お鈴が言うべきことなのではないだろうか。思考からすっかり抜け落ちていたことに恥じ入ってしまう。何せ、猫目一刀流は父の源作が死んだ時点で潰えたものと勝手に思い込んでいたのである。その遺志をついでくれるものがこんな身近にいたとは。

「それで、その……できれば、お前も一緒に……。」

 お鈴ははっとして、松の方を振り返った。松は背を向けたままだ。この場にしばしの沈黙が降りる。

「いや。何でもない。忘れてくれ。」

 会話はここで断ち切られた。お鈴は元の体勢に戻って、困惑の表情を浮かべた。確かに、そういう選択肢もあるのかもしれない。松の女房になって、猫目一刀流の再建を支えるのだ。それが自然な流れであるようにも思えた。しかし……。翠玉色の眼に浮かぶはただ一人。修二郎だけだった。一緒にはなれないと思いつつも、あの温かい抱擁を忘れることができない。彼と結ばれないのであれば、誰とも所帯を持つ気になどなれなかった。

 今は、目先のことだけを考えよう。これからまみえるであろう敵を倒す。そのことだけで、頭の中を一杯にするのだ。愛しさも切なさもかなぐり捨てて……。

 

 目を覚ました二人は、寡黙に沢をひたすら歩いた。紅葉を楽しむ余裕はない。目的地が近づくにつれ、気を引き締めていく。やがて、梢の上を立ち上る煙が見えてくる。人里が近い。お鈴と松は周囲に神経を張り巡らせながら煙の見える方向へと足を進めた。

 視界が開けて、集落へと辿り着く。田畑に囲まれ、道端では鶏を追う子どもたちの姿がある。大人たちは農作業をしているようだ。そのうちの一人、ほっかむりをした爺さんを捕まえて話しかけた。

「ちょいと済まないけど、話をしていいかい?」

「ああ、何だべ?」

 爺さんはほっかむりを取って握りしめ、落ち窪んだ眼を一生懸命見開いてお鈴と松を見た。半獣が珍しいというような眼差しである。

「ここはその……あたしらみたいな半獣はいないかい? 新太郎という犬の半獣の生家を探しているんだけど。」

「半獣はいねぇなぁ。昔、確かにいたらしいが、出て行ったきりで……。住んでいた所も今じゃ分からねぇだ。」

「そうかい? 邪魔したね。」

「いんや。あ、おめぇさんたち、旅の人だべ? 名主様のところへいくといいだ。名主様ならもっとよく知ってるべ。」

「ありがとよ。」

 教えてもらった道を行く。道と言う程のものではなかった。名主の家は小高い丘の上にあって、既に見えていた。この長閑で辺鄙な村にしては立派な佇まいである。まるで武家屋敷だ。

丘を登っていくと門が設えてあり、それだけでも異様な感じがするのに、入り口には門番が二人立っていて、一種物々しい雰囲気が漂っていた。門番は半獣の二人を見ると、少し待つようにいい、一人が屋敷へと客の訪れを告げに行った。お鈴と松は名主への目通りを許され、門を潜った。屋敷まで美しい庭が続いている。手入れの行き届いた庭だ。ここだけ村の中で異質な空間であることを物語っていた。座敷へ通され、畳の上に正座する。奥に座るのは五十代くらいの男。灰色の銀杏髷。きりりと切れ上がった目。端が僅かに上がっている厚みのある唇。がっしりとした体格が着物の上からでも見て取れる。

「いや、よく来たね。私がこの村の名主、田村清太郎だ。」

 二人は眉根をぴくりとさせた。

「田村……?」

「そう。田村新太郎は私の曽祖父。私には獣の血が流れている。お前さんたちと同じようにな。」

 お鈴と松は口をぱくぱくさせた。清太郎は人の姿をしている。ということは……。

「私も、獣人なのだ。変化した方がいいかね?」

「……。」

 返す言葉が見つからない。新太郎は半獣であったはず。半獣は半獣同士でしか子を成せない。それも生まれるのは半獣の子どもだ。半獣の子孫が獣人になるとは、どういうことか。そもそも、どうして自分たちが獣人であることを見破ったのであろうか。清太郎は不敵に微笑んで、徐に口を開いた。

「さて、何から話せば良いものか……。まず、獣人がどのようにして生まれるか、知りたいのではないかね? 獣人の始まりを。」

 お鈴と松はこくりと頷いた。

「難しいことではない。半獣と人間が契りを交わすのだ。それで獣人が生まれる。私の祖父はそのようにして生まれた。」

「え……でも、半獣と人間では子を成せないのでは?」

 清太郎の切れ上がった目が細められる。

「確率は低いが、つくることはできる。百に一つ……いや、千に一つの確率ではあるがな。」

 ただでさえ少ない半獣の、さらに低い確率。それは奇跡と言っていいのかもしれない。

「獣人と人間ならば、人間同士と同じように子を作ることができる。そうして数を増やしていき、できたのがこの村だ。」

「この村って……まさか!?」

「そう。この村に住む殆ど全員が獣人だ。ここは獣人の里と呼ばれている。」

 獣人の里……!! お鈴と松は飛び退って身構えた。清太郎は座ったまま余裕で笑っている。

「獣人の里は、忍びの里。私は村の名主であると共に忍びの頭でもある。」

「ね、猫塚源作の一家を殺したのはあんただね!」

 お鈴は三味線から刀を抜いた。清太郎は動じることなくお鈴の目を真っ直ぐに見つめている。

「お前さんの父上や母上、それに門下生を殺したのは、私ではなく、掟だ。猫塚鈴音殿。」

 名前まで知っている。お鈴は目を見開いて、すぐに尖らせた。

「掟ってなんだい!」

 清太郎は鼻で笑う。

「里を抜け出すことはいかなる場合も許されない。死を持って償うべし。単純にして明快な掟だ。」

「おっかさんのお清はどうなんだい? ただの人間だったじゃないか!」

「里以外で獣人の子を産み落とすことは禁じられているのだ。我らの存在は秘密。半獣と人間の夫婦が懐妊したとあらば、女子おなごの方をすぐさま里へ連れて来る。そうして秘密を守ってきた。」

「どうして女子だけを? 引き離すなんてあんまりじゃないか!」

「半獣はいらない。半獣の女子も子を産んだら処分する。そういう決まりだ。」

 あまりのことに言葉を失う。

「半獣がいらないだって?」

「やれやれ。半獣と物の怪紛いの生まれた理由も教えなければならないようだな。」

 物の怪紛いの対処をするために半獣は現れたと言われている。それが違うと言うのか。お鈴と松は息を飲んで続きを待った。

「半獣は人間の女子に獣の子種を植え付け、呪術でもって繋ぎ合わせ、孕ませたもの。いわば、呪いだ。呪われた存在なのだ。人を越える力を欲した人間たちによって編み出された、暗殺と殺戮を目的とした兵器。それが半獣だ。」

「なっ……?」

 半獣は人間の味方。半獣が悪さを働いたなどという話は聞いたことがない。ましてや、暗殺と殺戮を目的とした兵器だなんて、誰が信用するものか。清太郎はなおも言う。

「半獣は少ないとはいえ、徐々に数を増やしつつある。人間にとっては脅威だ。今のところ、人間に仕える忠実な僕を装っているが、いつ暴動を起こすか分かったものではない。反乱を起こす前に対処する必要がある。そこで、対半獣のために作られたのが、物の怪紛いだ。物の怪の力と人間の知恵を掛け合わせることで、半獣を追いやるのが目的だった。ところが、物の怪紛いは人間に制御できるものではなかった。繁殖力も異様に高い。みるみるうちに数を増やしていき、人間の生活を脅かすようになってしまった。失敗だったのだ。増えてしまった物の怪紛いと半獣の両方を始末するために組織されたのが、我々獣人だ。獣人は人間の影として存在し、任務を遂行した後、子を作らず自然消滅する運命。従って里を抜けることも里の外で子を成すことも許されない。獣人の掟とはそういうことだ。」

 清太郎の言っていることが理解できず、構えることも忘れ呆然とするお鈴と松。清太郎は小さく笑ってなおも言う。

「つまり、物の怪紛いにも半獣にもこの世から消えてもらうのだ。もとあった状態に戻すといえば分かりやすいか?」

「分かるもんかい! あんたらの理屈なんて! 自分らの都合で生み出したり殺したり。そんなことが許されると思っているのかい? 神様仏様じゃあるまいし。」

 お鈴は再び臨戦態勢を取り、つかをしっかりと握りしめた。

「そんな話じゃ殺された兄上も師匠もおかみさんも、それに門下生たちも、皆浮かばれやしないぜ。」

 尺八の表面を扱いて、その固く冷たい感触を確かめる。清太郎の目がぎらりと光る。

「それで、どうしようというのかね?」

「決まってる。あんたを殺して仇討するんだ。」

 清太郎は哄笑する。楽しくて仕方がないという風に。

「やめておいた方がいい。村人全員を敵に回すことになる。運よく私を殺せたとしても、この村から生きて帰ることはできない。……いや。もう帰すことはできないがね。」

「どういう意味だい?」

「お前さんたちはこれから、この村で暮らすのだ。物の怪紛いと半獣を屠るために働いてもらう。獣人として生まれた宿命だ。」

「何勝手なことを抜かしてやがる!」

 飛びかかりそうな勢いで松が吠えるのを、お鈴が制する。そういうお鈴もこめかみをぴくぴくさせて怒りを堪えているようだった。

「あんたらのために働く気なんかないね。冗談も休み休み言うもんだよ。人の親兄弟を殺しておいて、よくもいけしゃあしゃあと……。」

 語気は押さえられていたが、怒りのために震えている。そんなお鈴に清太郎は嘲りを滲ませた笑みを投げかける。

「どうしても嫌かね? ならば仕方あるまい。佐之助!」

 襖がすらりと開けられる。その名を聞いて目を丸くしたお鈴と松だったが、彼が連れて来た人物を見て、さらに驚愕せざるをえなかった。

「修さん……!!」

「修二郎!!」

 修二郎は縄を何重にも掛けれられて、佐之助に掴まれていた。疲労と苦悶がみてとれる美しい顔を悔しそうに歪ませる。

「くっ……すまない。」

 佐之助は何かに憑かれたように虚ろな表情で、二人を見ても眉ひとつ動かさなかった。いつもであれば皮肉な笑みを浮かべて厭味の一つも言いそうな場面であるが、その口が開く気配もない。清太郎は残念そうな表情をしてみせるが、目は隠しようもなく笑っていた。

「こんな手は使いたくないのだがね。どうしても言うことを聞けないと言うのなら……。」

 佐之助が懐から匕首を抜き取り、修二郎の首筋に当てた。面白くもなさそうに口をへの字に曲げている。今、この場で本当に斬ってしまいそうな雰囲気を醸し出していた。

「佐之助!! あんたっていう奴は……!!」

 悪く思わないでくれよ、これも仕事なんだ、とでも言ってくれればまだ救われるが、佐之助は依然として無表情に黙したままだ。清太郎は佐之助の代わりににやりと笑った。

「おっと。彼を責めないでやってくれ。彼は私の忠実なるしもべ。ずっと私の影としてお前さんたちを追ってきた。お前さんたちに追わせていたと言った方が正しいかもしれないがね。そしてこの村まで連れて来させたのだ。道中、助けてもやっただろう? 感謝こそすれ、恨まれる筋合いはないと思うがね。」

 佐之助を睨みつけるが、目が合うことはなかった。彼はどこも見ていない。あらぬ方角へ瞳を固定させるばかりで揺らぎもしなかった。

「あたしらをどうする気だい?」

 お鈴の質問に気を良くした清太郎は、目を細め、口元を満足そうに引き上げた。

「聞きわけがいいな。先程も言ったように、物の怪紛いと半獣を始末するのだ。まずは物の怪紛いからだ。お前さんたちも気付いていよう。この村の程近くに、物の怪紛いの巣窟がある。そこを村人たちと協力して叩いて欲しい。」

「それをやったら、修さんは解放してくれるんだろうね?」

「もちろんだ。彼は普通の人間。殺す理由がない。この村に住まわすことはできないがね。」

 お鈴は、ぎり、と歯を噛みしめた。嘘だ。物の怪紛いの次は半獣。その処分が完了するまで修二郎を解放するわけがない。何としても修二郎を助けなくては。黙っていることを了承と捉えた清太郎は、声を立てずに笑った。

「決行は夜だ。それまでゆっくりするがいい。」

 清太郎に顎で指示された佐之助は、ここで漸く目線を二人に合わせ、目で「廊下へ出ろ」と合図した。二人が立ち上がるのを見ると、今度は「武器をしまえ」と瞳を動かす。二人は歯噛みしながらもそれに従った。

 佐之助は二人を廊下に出して先に歩かせ、修二郎の首に匕首を添えたまま、その後ろを歩いた。二人は何度も後ろを振り返りそうになったが、修二郎の身を案じて踏み止まった。佐之助はいつでも斬れるという気迫みたいなものを漂わせていた。修二郎を本気で殺しかねないのだ。そこに熱はなく、ただ冷徹な空気が流れている。

 途中、待ち受けていた忍びたちの手に修二郎は引き渡された。

「修さん……!」

お鈴は堪らず手を差し伸べた。松が後ろから引き止める。

「鈴音! 俺のことはいい。死んだって構わないんだ。こいつらの言いなりになんかなるな!」

佐之助が無言で指示して、修二郎は別の場所へ連れて行かれた。お鈴はかっとして佐之助に怒鳴りつける。

「佐之助! あんた口が聞けなくなったのかい? 何とかお言いよ!」

 佐之助は無表情に鈴を見て、口を開いた。

「全ては大義のためだ。獣人として生まれた宿命なのさ。」

 お鈴は一瞬絶句して、目を瞠った。

「あんたも、獣人……?」

 佐之助は答えない。無言で肯定して見せる。

「自由になりたいって言った、あれは嘘だったのかい?」

 短く笑う。ここに来て初めての笑みは、儚く弱々しい。

「俺の言うことを真に受けちゃいけないと分かっていて、それでも信じるのかい? 覚えておきな。この世は修羅なんだってことを。」

 言い終えると、お鈴と松の間をすり抜け、歩き出す。二人はその後をついて行くしかなかった。


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