第十七話
「そろそろ行かねば、さすがにマズイぞ」
「……いてて、一体誰の所為だと……おおそうだね! よーし仕方ない! ワタシも運ぶの手伝おう! けど着く前には一回離れるからね? ヴァルちゃんと一緒に居るの見られたら怒られそうだし」
一応は自覚があったのか、ラックランスは気の抜けた声で言う。 そして、むしろそのヴァルヴァードの発言は、カノやリーンが言うべき言葉だっただろう。 一体誰の所為だと思っているんだというのが、二人の思うことである。
「無益な時間は体の毒って言うしね。 そう言うのなら出発しよう」
「ええ、そうですね。 わたしも、いつでも大丈夫です」
カノの言葉はその場で考えられた適当な言葉であったが、既に慣れたリーンはカノに続いて言う。 そして二人は、巨大な門に手を当てた。 システムにより閉ざされた門は、現国王のカノによる意思で、開かれる。 最後に開いたのはいつだったのか、開かずの門は、軋む音と多少の埃を撒き散らしながら、やがて完全に開ききる。
「どちらかが私の背中に乗れ。 こっちのラックランスは速度が早い、体重が重い方がラックランスに乗れば調整ができる」
「え、背中に乗せてくれんの? おお、それは思ってもみない幸せだよ。 まさか勝負に勝つ前から神人族を足蹴にできるなんて」
「おい、誰が背中の上に立てと言った。 座れ、ゴミが。 常識知らずか? 貴様は」
その言葉を聞き、カノは笑いながら「冗談冗談」と言い、外へ一歩、踏み出した。 ここから先は、いつ殺されるかが分からない。 システム保護外、そして神人族という種族の動きならば、確実にカノを殺すことができる距離だ。 しかし、カノはそれでも恐怖せず、何喰わぬ顔でヴァルヴァードの下へと歩いて行く。
「……」
「どしたのさ、お嬢さん。 ええと、リーンだっけ? ほらほら、ワタシはあそこのヴァルちゃんよりもよーっぽど優しく可愛く美しい神人だから大丈夫だって」
言うラックランスの顔に、何かを隠している様子はない。 とても変わった神人族は、種族が違うというだけで偏見を持つような者でもなかった。 故に、神人たちからは忌み嫌われている。 実力こそ確かなものということもあり、余計にそれは顕著だった。 もっとも、当の本人はヴァルヴァードにさえ嫌われなければそれで良いと思っている。
「今、行きます。 大丈夫です」
「うーん、ああそうだ、ほい」
ラックランスは言い、リーンに手を差し出した。 一瞬、リーンは何事かと思い、ラックランスの顔を見る。 そして、すぐに気付いた。
神人族であるラックランスは、何の迷いもなく、ヒューマンであるわたしに手を差し伸ばしたのだと。 その神人族の笑顔は、リーンが今まで見てきたヒューマンたちとなんら変わらなかった。
それが一体どれほどのものか、リーンは良く理解している。 そして、誤解をしていたことを心の中で謝罪した。 全ての人間……ヒューマン族が、善人というわけではない。 そして同様に、全ての神人族が悪人というわけでもないのだ。 そんな当たり前をリーンは、ラックランスという神人に出会うことで知らされる。
「ありがとうございます」
「いいよ、別に。 言っておくけどワタシが変わり者なだけで、キミたちが敵ってことには変わりないし、もしも戦争となれば、ワタシは容赦なくこの街を襲うつもりだから。 それだけは、覚えといてね」
その言葉に、リーンは確かな優しさを見出した。 そして、一歩を踏み出す。 生まれて初めての外の世界、そこはただ、一歩のズレというだけなのに、何もかもが変わって見えた。 気温、天候、匂いですら、まるで別世界のそれに見えていた。 恐らく仕様上での関係ではあったものの、リーンという一人のヒューマンには、そう思えたのだ。
「そんじゃ、どーぞ。 あ、首元は掴まないでね。 掴むなら肩、で足は背中の上に乗せちゃって。 翼の根元部分にあるだけなら構わないから」
「え、ええと……こう、ですか?」
おどおどしながらも、リーンはラックランスの背中へ乗る。 そこで、とある事実に気付いた。 ごく自然な動作でラックランスの背中に乗っているが、確か先ほどの説明では体重が重い方がラックランス……ということになっていた気がする。
慌てて、リーンはカノに視線を向ける。 すると、カノはそれを予想しており、リーンが何かを言う前に答えた。
「それは真実だよ、虚偽でも誤解でもなく。 俺は栄養が常に不足してるからね」
カノの言う通り、カノの体付きはとても細い。 病的とまではいかないが、一般な体型と比べれば細い方だろう。 しかしそれでも、リーンの体重が重いというのは。
「……ダイエットしないと」
もちろんそれは、生きて帰れたら。 これから二人が向かう先は、神人族の本国、天空樹ラピュエル。 雲を突き抜けるほどの高さまで成長している樹、ラピュエルを国とし、暮らしているのが神人族だ。 その住処は雲の上にもあると言われており、一般的に『根元』と呼ばれるべき部分は、宙に浮かぶ巨大な島に存在する。 つまり、ラピュエルは巨大な空中島から生えており、地面まで伸びているのはただの根でしかない。 その根があまりにも巨大すぎることもあり、ラピュエルが幹を見せるのは地面からだと勘違いをされているのだ。
「よし、行けるな。 では、飛ぶひゃん! ……おい貴様!! 首元には触れるなと言っただろう!? 死にたいのか!?」
文句を言いつつも、翼をはためかせ、ヴァルヴァードの体は宙に浮かぶ。 横では同様に、ラックランスが宙へと飛び立った。
「ああ、悪い悪い。 てっきりラックランスの注意事項は前フリだと思ってさ。 違ったみたい」
「次にやったら腕を一本落としてやる。 それならばまだ問題はあるまい」
カノはその言い方を聞き、本気で言っていることを察する。 さすがに腕を落としたくはないこともあり、素直にヴァルヴァードの首元から手を離した。
「ラックランス、一応速度は調整しろ。 何分、私は人を乗せて飛ぶのは初めてだ」
「おっけぃ」
二人の会話を聞き、カノは小声でヴァルヴァードに言う。 彼女にだけ、その声が聞こえるように。
「人、ね。 いつから俺たちは家畜じゃなくなったんだ?」
「ふは。 決まっているだろう? 私が貴様らを敵だと認めたからだ。 覚悟しておけ、カノ。 貴様には絶対、何が何でも私の足を舐めさせてやる。 私専属の奴隷犬に調教してやる」
「……なぁ、ラックランス、こっちの神人の性癖おかしくない? なんか怖いんだけど」
カノは笑い、言う。 それを一番の目的としている辺りに恐怖を覚えつつ。 いつから俺はそんな恨みを買ったのだろうと思いつつ。
「だってヴァルちゃんだし。 年齢563歳、身長159センチ、体重47キロ、上から67の58の69で、トリプルA。 好きな言葉は『調教』で、嫌いな言葉は『男尊女卑』だもん」
それを言われ、納得するカノである。 見事なまでの寸胴体型、ヴァルえもんと呼んだら殺されるかな、と思いつつ。 そもそもそれが通じるわけがないのだが、追求されても困るという判断を下し、カノは何も言わないことにした。
「ラックランス、貴様には後で話がある」
そして、矛先は当然、人の個人情報をペラペラと語ったラックランスへ。 そんなやり取りを見て、ついつい笑ったのはリーンだ。 それを聞き、横目で見たヴァルヴァードは再度口を開く。 自身の体型を笑われた、と思ってのことだ。
「……これだから矮小な奴ら、ヒューマンは」
その呟きは、ラックランス、及びリーンの耳元には届かない。 風の音、それに遮られた言葉は、宙に霧散していく。 しかし、その声を聞いたただ一人のヒューマン、カノはヴァルヴァードに向け、ヴァルヴァードだけに聞こえるように、口を開いた。
「あの笑顔の意味が分からない限り、お前たちは絶対俺たちに勝てはしない」
「……どうかな。 ヴァルキューレ様の知力は、容易く貴様を超えてくるぞ」
「えらく信頼してるんだね、あいつのことを」
カノの言葉に、ヴァルヴァードは「当たり前だ」と、そう返す。 その言葉を聞いたカノは再度口を開こうとし、やめた。 言うべきことではないだろうと思い、そして言う必要もないと思ったからだ。
だからカノは思うことにした。 果たしてヴァルヴァードがヴァルキューレを信頼しているとして、その逆はどうなんだろうと。 ヒューマンらしいヒューマン、人間らしい人間はそんな邪推をしてしまう。 今までのこと、それら一つ一つを思い返し、そして今日の出来事でそれは確定事項へとなった。
確率、可能性、希望、予定。 もしかしたら、かもしれない、すれば。 それらの言葉は、カノが信頼し得ない言葉たちだ。 カノは賭けに出ることはない、カノが動くとき、それは確率が百パーセントとなったときでしかない。 つまり今回の戦いで神人族が勝つためには、そのカノの思考を全て潰すことしかあり得ない。 最弱種族であるヒューマン、そして全知全能の加護というカノの知力を上回る力を得られる神人族。 二種族の戦いは、幕を開ける。
神人族に運ばれながら、カノは呟く。 誰にも聞こえない、小さな声だ。
「……一は決まりかな。 後は付くか付かないかか」
そんな言葉と共に、笑みを浮かべた。