第十五話
「リラ」
「……」
カノはリーンが居る部屋の扉を開け放ち、中で座るリーンへと声をかけた。 が、リーンは微動だにせず、ただそこに座り、目を瞑っていた。 扉を開ける音も、リーンにかけた声の大きさも、決して小さくはない音だったが、リーンの集中度はそれすら聞こえないほどまで高められている。
「……真面目な奴だなぁ、本当に」
その言葉、そのセリフは、リーンのことを馬鹿にしているわけではない。 むしろその逆、カノはそのとき、リーンに尊敬の念すら抱いていた。 とてつもない集中力、それは勝負事にはもっとも必要なものであるからである。 人の脳は、一点の物事に集中すれば集中するほど、その物しか見えなくなるように出来ている。 人が心の底から、脳の奥底から一点に集中したときに発揮できる力は、通常時の数倍にも及ぶのだ。 そして、リーンの今の状況は果てしなくそれに近い状態へとなっている。 それを見て理解したカノは、部屋の扉をゆっくりと閉め、その場に座り込んだ。
「まだ一時間ほどは余裕があるし、まぁいっか」
微笑むようにカノは笑い、目を瞑る。 カノにとって、今現在の仲間であるリーンと共通の意思を持つべくの行動だった。 数秒、数分、数十分。 リーンがカノの存在に気付いたのは、それから三十分後のことであった。
「……ひゃぁあああ!!」
「なんだよいきなり、ビックリするじゃん」
大声を挙げ、勢い良く部屋の隅までリーンは移動する。 部屋の中に存在した泡は全てが割れ、幻想的な光景は一瞬で現実的なものへと戻る。 そして胸を抑え、心臓が飛び出るのを抑えるように、リーンは数秒開けたあと、口を開いた。
「こ、こっちのセリフですっ! 勝手に入らないでくださいっ! 勝手に居座らないでくださいっ!」
「ごめんごめん、そんなことよりリラ、行くよ」
リーンの文句に適当に謝罪をしたあと、カノは立ち上がる。 リーンはその意味が分からず、首をかしげてカノの言葉を待っていた。
「やけに長いと思ったんだよ、一週間って期限が。 ヒューマン相手に姑息なことをするものだね」
「え……それって、まさか」
「そのまさかさ」
カノは体の向きを変え、扉に手をかける。 その背中を見て、カノの言葉を聞いて、リーンもようやく、今何が起きているのかを察した。
きっと、リーンは言うであろう。 何も準備が起きていないと。 慌て、どうしようと言うであろう。 だが、それはカノと出会う前までの話だ。
「上等です。 行きましょう、カノ」
「良い返事だね。 それじゃあ行くとしよう、神人族狩りの時間だ」
手を広げ、相も変わらず笑顔を見せ、カノは言う。 リーンはその笑顔を見て、同様に笑うのだった。
――数時間前、神人族本国、天空樹ラピュエル――
「四日か」
白き美しい羽を持つ少女は、例の如く天空樹の頂上で景色を見渡していた。 そこから見える景色は、この世界でも指折りの絶景で、壮観であり、神人族だけが拝める景色である。 神が生み出す唯一の種族、神人族は由緒正しき神の子だ。 外見、戦闘能力、知能、スキル、全てに置いて圧倒的な数値を持つ彼女らは、その神秘性とは裏腹に、敵と認めた相手には容赦をしない。 それは無論、仲間と認めていない同種に対してもだ。
今現在生き残っている彼女たちは皆、全員が一度、死の瀬戸際に立たされている。 というのも、神人族は習性として、生まれた直後に仲間殺しを行うのだ。 一度の『奇跡』で生まれる彼女たちの数は百、そして生まれた直後、その百人での殺し合いが行われる。 生き残ったただ一人のみが『戦乙女』として、晴れて神人族に迎えられる……という仕組みだ。 もっとも、その『奇跡』も習性も、設定された仕様であることは言うまでもあるまい。
だが、驚異的なことに、彼女たちの知性は超越していた。 その程度は恐らく、この世界を創り出した者たちですら想像し得なかった領域にまで達していたのだ。
簡潔明瞭に言ってしまえば、彼女らは仕様を仕様であると認識していた。 自動学習システムが取り入れられているこの世界のNPCたちは、生きているのとなんら変わらない。 それはリーンやロッド、他の生物を見ても同様だ。 しかしそこで異端性を発揮したのが、神人族である。
通常、この世界の生物は仕様を仕様ではなく、現象だと認識している。 例えば、物は重力によって下に落ちる、人を殴れば痛みが発生する、空腹を感じれば食物を摂る、そんな現象は数多く存在するだろう。 が、彼女たちはそれが『仕様』であるということに気付いたのだ。
何者かが設定をし、何者かが我々を生み出し、何者かが世界を創り上げた。 そしてその何者かこそ、我々にとっては神だ。 故に、神人族はその神が設定したであろう仕様を事細かに調べ上げた。
『ヴァルヴァード、聞こえますか?』
「ええ、問題なく」
その結果、ヴァルキューレは一つの真実に辿り着いた。 そしてそれこそがカノの狙いだということに、確信がいった。
『今からダリラへ向かい、彼らを連れて来てください。 戦争を始めましょう』
「は……今、ですか? ヴァルキューレ様、まだ期日までは時間が……」
『……あなたは本当に、戦うことしか頭にありませんね。 そろそろ呆れて来ますよ、ヴァルヴァード。 彼らの狙いは、わたくしたちを欺くことです』
……そういえば、とヴァルヴァードは思考する。 いつだったか、調べ上げた仕様、その『宣戦布告』の仕様には、いくつかの落とし穴があったような気もする。 相手が受けなければ始まらない、種族の指輪を取らなければ終結しない、そして。
「布告をしてから一週間受諾されなかった場合、その布告は無効となり、優先権が発生する」
そう、ヴァルヴァードはその仕様を知っていた。 となれば当然、ヴァルキューレもその仕様を理解しているということになる。
『それでも本当に神人族ですか、ヴァルヴァード』
「……申し訳ありません」
ヴァルヴァードとしては、そもそも宣戦布告のこと自体、曖昧にしか理解はしていない。 その興味の大半が自身の性癖と戦いにしかなく、本来忠誠を尽くした者のためだけに戦う彼女には、少々酷な物言いであった。 神人族としての誇りが人一倍ある彼女にとって、それほど悔しい言葉もない。
『一週間という提案を最初に飲んでおけば、彼らはわたくしたちが仕様を知らないと認識するでしょう。 まだそれは隠しておきたい部分ですので、あくまでも意表を突いたとして貫いてください』
「承知しました」
そこでヴァルキューレからの声は途絶えた。 ヴァルヴァードは立ち上がり、その白き羽を広げる。 しかし、どうにも腑に落ちない。 何か、裏があるように感じるのだ。 ヴァルヴァードの逸脱した直感が、それを告げている。
「余計な模索は止めるか。 私よりも余程、ヴァルキューレ様の方が知力がある」
言い聞かせ、ヴァルヴァードは天空樹の頂上から飛び立つ。 しかしこれは、本来のヴァルヴァードとしては本望ではない行動だ。 神人族である自分たちが、そのような姑息なことをするというのは、そもそも不本意ではない方がおかしい。 しかしそれについて文句を言う資格など、ヴァルヴァードにあるわけがなかった。
「託されるということは、信頼されているということだ。 それこそ、私の本望だ」
横に流れていく景色の中、ヴァルヴァードは呟く。 彼女にとって何より大切なのは、忠義、忠誠をする相手からの信頼で、それこそ一人の戦乙女として、大変有難いものであった。 まだ若き少女はそんな信頼を得るために、もっと強いものとするために、ヒューマン族本国、ダリラへと向かう。 自分に言い聞かせるように、呟きながら。
「ラックランス、ヴァルヴァードの後を付けて置きなさい」
ヴァルキューレは一人の神人族に向け、言う。 金髪を腰辺りまで伸ばし、眠そうに欠伸をするのは、神人族三番目の戦乙女、ラックランスだ。 彼女は神人族の中でも大変変わり者で、神人族が見下している他種族との交流を多く持っていた。 故に、その服装は大変ラフなもの。 下はショートデニム、上は袴というなんとも珍妙な格好をしている神人族は、種族内でも屈指の飛行速度、移動速度を持っている。 そんな彼女はヴァルキュリーに返答する。
「りょーかい。 ヴァルキュっちヴァルちゃん信用してないの?」
「していますよ。 聞くまでもないことをわざわざ尋ねないでください」
ラックランスの言葉に、ヴァルキューレは即答する。 が、ラックランスから見たそれは、自分と同じように見えていた。 要するに「適当」というものである。 しかしラックランスにとってもっとも大事なのは、楽しいことが起きるか起きないか、というもの。 そこまで突っ込んで聞くことでもないと思い、ラックランスは翼を広げる。
「もしも」
「んー?」
今にも飛び立とうとしたラックランスを見て、ヴァルキューレは口を開く。
「もしもヴァルヴァードが背信行為を見せた場合、即座に首を刎ねてください」
「そりゃ良いけど。 ヴァルちゃんはそんなタイプじゃないっしょ」
「故に「もしも」です。 分かったのなら行ってください」
それって信用してないってことじゃん、と言おうとして、止める。 言ったとしても無駄なことだし、何よりラックランスは自身に影響がないことには興味がない。 そんな彼女は『ヴァルヴァードの首を刎ねる』というのは興味がないことだと切り捨て、命令を遂行する気の一切をなくしていた。 彼女にとって、ヴァルキューレがヴァルヴァードを信頼しているかどうかはどうでも良いとしても、ヴァルヴァードが死ぬということは、自身に影響があることなのだ。
ヴァルヴァードが飛び立ってから十分後、ラックランスは飛び立った。 宙に舞うように飛び、かなり上空まで上がったところからの急加速。 初速で既に音速を超える彼女は、その軌跡を空へと作り出し、ダリラへと向かった。