4 仲忠くん、仲良しだった人々のことを偲んで絡む
「わだかまる?」
この青年には似合わない言葉だ、と祐純は思う。
「ええ。ほら、例えば仲頼さん」
「…ああ」
「あの頃『良き仲の三人』と呼ばれた僕等も、今や僕一人になってしまったんですよね。仲頼さんは出家して、仲純さんは―――」
言葉が途切れる。
ふと見ると、仲忠の目にはうっすらと涙が溜まっている。
「…駄目ですね。今でも思い出すと…」
堪えきれず、落ちる涙を袖で拭いながらも、詰まる声は隠せない。
そしてその姿に、つい祐純までも涙を誘われる。
「それは私も同じだよ。君は兄弟の契りを結んでいたが、私は親子の契りを結んでいた」
「ええ、聞いています」
仲忠はうなづく。
「沢山居るきょうだいの中で、祐純さんのことが一番信頼できると良く言ってました」
「本当に?」
祐純もまた、目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。
「本当ですよ。僕にはきょうだいと言えば、梨壺の君しか居ないし、彼女は妹と言っても、母君は女三宮だし…」
ああ、と祐純は納得する。
仲忠は右大将の正妻の子では無い。正妻は先帝の女三宮。祐純の母の妹に当たる女性だ。
右大将は彼女を忘れ、仲忠の母の元で暮らしているという。
仲忠の母はある没落した家に遺された姫だったという。
若い頃の右大将は祭りの夜に琴の音に惹かれて彼女と出逢ったのだと。
ただそれは本当に偶然の様な出逢いだったらしい。次に彼らが再会したのはそれから十年以上経ってからだった。
仲忠はその間、母から山で琴を習っていたらしい。少なくとも世間ではそう言われている。
「だから兄になってくれる、と言われた時には本当に嬉しかったな」
ほんのり微笑む仲忠の顔が灯火のもと、赤らむ。
「僕は田舎者で、都でのお付き合いとかまるで知らなかったから」
「そういうことを仲純は君に教えてくれたんだね」
「ええ、色々、一つ一つ」
失礼、と仲忠は横を向き、懐紙を出すとちーん、と鼻をかむ。
「本当にあのひとは、色々教えてくれたんですよ。歌を上手く詠むこつとかも、女の人にはどう答えればいいのか、とかも」
「おやおや、真面目な奴だと思っていたんだけどな…」
そんな一面もあったのか、と祐純は苦笑する。
そして少し嬉しくなる。がちがちの石頭では無かったのだ、と。
「それに、僕は山に居た時には琴の琴しか弾いたことが無かったから、他の楽器のこつを覚えるのが大変で。でもその辺りも仲純さんは」
再び失礼、という声と共にちーん、という音。
「おやおや、折角の綺麗な顔が台無しだ」
鼻が真っ赤になっていた。
「…僕の顔なんてどうでもいいですよ」
どうやら拗ねているらしい。赤らんだ顔は、酒が多少回っているのかもしれない。
「ともかく、そんな色んなことを思い出すと、何か今、凄く幸せな自分が申しわけ無い様な気までして」
「いやそれは、何も君が思う必要は無いだろう」
「ええ、必要無いです。でも思うことは止められません。ふっと」
手を上げる。指が何かを捕まえようとする。掴む。すり抜ける。
「そんな隙間に、入り込んで来るんです。いいのか? と聞くんです」
それは。祐純は苦い顔になる。
「こんな幸せでいいのか? 彼らのことはいいのか? と」
「いや」
祐純は大きく広げた手を挙げる。
「少なくとも、出家した者に関しては責任を感じることは無いさ」
「そうでしょうか」
「そうさ。仏の道にはいつかは皆、進むことになるだろう。ただそれが、早まったか遅いかだけで」
「ええ」
仲忠は目を伏せ、両手で杯を膝の上に抱える。
「僕も、残念だとは思うけど、庵へ行けばまだ会えると思うと、仲頼さんのことは諦められるんです。でも仲純さんは―――」
仲忠は口を閉じる。
そして少しの間何かを考え込む。
「やっぱり恋の病だったんでしょうか」
「え?」
とくん。
心臓が一つ跳ねるのを祐純は感じた。
「仲純さんが亡くなったの」
「……どうしてそう思うんだい?」
「ほら、あの頃源宰相が、やっぱりいきなり倒れたり、熱を出したり、うわごとで貴宮の名前をつぶやいた、とか言われてたじゃないですか」
「ああ…」
確かにそんなことがあった、と彼は思い出す。源宰相は、貴宮に最も早くから思いを掛けていた男だった。
「彼も可哀想な一人だったなあ」
しみじみと祐純はつぶやいた。
その時だった。
どん。
仲忠が床を拳で叩いていた。
かたん。
祐純は空の杯が手から落ちるのを感じた。
「違いますよ」
「え」
「実忠の宰相、あのひとは可哀想じゃない」
「違うのかい?」
「違いますよ」
「でも貴宮に求婚した中で、駄目になってしまった方だろう? 今じゃ山の方で遁世しているというし」
「彼の場合は、貴宮に勝手に夢を抱きすぎて、自滅したって言うんですよ」
ふん、と鼻息荒く仲忠は吐き出す。
「でもそれを言うなら仲頼だって」
「違います、って」
どんどんどん、と仲忠は首を大きく左右に振りながら叩き続ける。
御簾の陰から、何があったかと恐る恐る女房達が覗き込む。何でもない、と祐純は手で彼女達を制する。
「僕は以前、貴宮の女房の中に友達が居たから知ってますけどね」
ああ酔ってるな。祐純は確信する。
「あのひとは、貴宮を別に何処かでちらっと見たとかそういう訳でもなく、ただもう、左大将の殿が一番大事にしている姫だから、って、裳着が済んですぐ、従兄ってことをいいことに、この三条殿に勝手に自分の局を作って、住み着いちゃって、何かと女房達に頼み込んでいたんですよ。貴宮も、頼み込まれていた兵衛の君も、ずいぶんと困っていたということです」
「…え、ちょっと待って」
「何ですか」
目が座っている。これはまともに聞き出せるだろうか、と祐純は不安になる。
が、何となく。
糸口が。
「何ですかって」
ぐい、と迫ってくる。思わず祐純は後ずさる。手で制する。
「い、いや、じゃあ仲頼は…」
「仲頼さんはちゃぁんと好かれるために、きちんと現実的なことやってましたよー」
「ど、どんな…」
「ほら、僕等と一緒に吹上へ出掛けた時には貴宮じゃなくて、大殿さまの方にお土産持ってきたし、大后さまの六十の御賀の時には、宮あこ君に舞だって教えたじゃないですか! 本人よりまず大殿さまの方にってあたりが現実的でしょう!」
そう確かに。
宮あこ君は彼らの一番下の弟である。
御賀のために、今までには無い特別な舞を、と考えた大殿―――左大将はこの時一計を講じた。
普段、舞が得意なことを隠していた仲頼に「是非宮あこに」と頼み込んだのだ。
それだけではない。その時の左大将の言葉にはやや脅しも入っていた。
もし言うことを聞いてくれれば、今後も酔いお付き合いを致しましょう。だけど断れば…
そして仲頼はその望みにきちんと応えた。宮あこ君の舞は見事だった。
貴宮本人に対しては、格別つきまとう訳でもなく、他の人々同様にきちんと歌を贈っただけだと聞く。
そして、完全にこの恋が終わったと感じた時に出家したのだった。
「しかもですよ、祐純さん」
はい、と思わず気圧される。
「仲頼さんは、ちゃんと貴宮を垣間見てから恋してるんですよ。噂だけで勝手に妄想広げてる訳じゃなかったんですからね」
「も、妄想」
「そうじゃないですか」
ふん、と仲忠は胸を張る。
「源宰相は全然貴宮を見たことない、って女房は教えてくれましたよ。なのにどうしてそこまで、って呆れ果ててましたもん」
げに恐ろしきは女かな。祐純は思わず大きくため息をつく。
「あのね、祐純さん、一宮は僕をずっと見てたんですって。僕が時々ぼーっとしているところが面白いと思ったんですって」
「え、そうなのかい?」
仲忠は満面に笑みをたたえ、大きく何度も首を縦に振る。
「それに彼女、僕の琴の琴を聴いたこと無いんですよ。聴きたい言っても来ない。それが僕にはどれだけ嬉しかったか!」
そこまで言うと、仲忠はふう、と大きく息を吐いた。
ぶるん、と一度大きく首を回す。
「…酔ったみたいです。ああ、水をくれないか」
少し離れて控えていた女房が、はいと返事をする。
冷たいそれを口にし、再び仲忠はふう、と息をつく。
「すみません。興奮してしまって」
「…いやいいよ。仲忠がそんなところを見せるなんて、滅多に無いことだし。酔った時のことは、皆忘却の彼方へやってしまおう」
「そう言って下さると嬉しいです」
ひょい、と仲忠は頭を下げる。
「でも祐純さん、口にしてしまったことは本当ですよ。あの頃のことは、貴宮の周りの女房達が一番良く知っていますから」
「女房か…」
そうかもしれない、と彼も思う。
女房達は、彼ら貴族にとって、空気だ。
ただその空気には、耳も口もあるのだ。




