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1 祐純くん、東宮に死んだ弟の件で相談を受ける

 壮絶な死だったという。


「な、何をなさいます、仲純さまーっ!」

 その時何よりもまず、甲高い女房の声が響き渡った。

 引き続いて咳き込む音。

 ぜいぜいと喉が音を立て。

 息が出来ぬ苦しさに、ひきかぶっていた衾を握りしめ。

 だが既に弱った体にはその力も無く指からすり抜けて行き。

 不意に。

 少しでも楽に、と一生懸命背をさする女房の方を振り向いた。

 目には大粒の涙が溜まっていた。

 口が「あ」の形を取り。

 そして、何を、何をおっしゃりたいのです、と手を取る女房に笑い掛け。

 そのまま、ゆっくりと崩れ落ちた。


 それが弟の臨終の現場だったという。


   *


 内裏の昭陽殿、通称梨壺の南舎から使いが来たのは、初秋の夕暮れだった。

 まだ残暑も厳しく、ひどく蒸す日だった。


「この暑いのに大変だこと」


 出仕の準備をする妻も女房達も、生絹の表着で居たのが記憶に新しい。

 女は気楽だな、と彼はふと思った。


「宰相中将源祐純、急のお召しと伺い参上致しました」

「うむ」


 扇をはたはたと揺らせながら、主はやや伏せ目がちに、重々しい口調でうなづく。


「少々そなたに頼みたいことがあってな」


 は、と祐純はやや緊張する。

 汗が額から流れるのは、暑さのせいだけではないだろう。

 彼の主がこの様に深刻な口調で問いかけるなど稀なことである。


「そなたの弟のことだ」

「弟、と申しますと…」


 首を傾げる。


「私には、沢山居りますが」


 はて誰のことだろう。彼はふと頭を巡らす。

 祐純の兄弟は、同母異母合わせて総勢十三人。彼自身は三男に当たるので、「弟」というだけでも十人は存在する。


「一体どの弟のことでしょう」


 幾度か扇をぱちん、ぱちんと主は鳴らす。


「そなたの、亡くなった弟のことだ」

「―――!」


 祐純は思わず腰を浮かせる。


「な、仲純が一体… あ、あの、まさか… この暑さに迷って…」

「ああ心配するな」


 扇を閉じ、主はぽんぽんと脇息を叩く。


「迷ったとか、祟るとかそういうことではない」

「…そうですか…」


 祐純はあからさまにほっとする。

 その一方で冷たい奴だ、と自身を笑う。

 仲の良い弟だった。

 たった三歳しか違わないのに、来世では親子として巡り会おう、と契りを結んだ程の仲だった。

 だが実際に弟が亡くなった今、悲しみよりもまず、祟りや物の怪といったものが先に考えに立つ。

 許してくれ、と内心彼はつぶやく。

 そしてまた一方でこうも思う。

 そなたのお仕えしていた方のためでもあるのだよ、と。

 そう、この主は。


「東宮さま、それでは」


 うむ、と再び重々しく東宮――― 皇太子はうなづく。扇をばさ、と開く。


「今更だとは思うのだが」


 そこまで言うと、東宮は幾度か扇をふわふわとさせる。


「…無礼を承知で申し上げます。何か私に遠慮なさっては…」

「そんなことはせん」


 一言のもと、切り捨てる。


「…しかし、わざわざ今更、だ―――気は確かに進まん」

「はあ」


 気の抜けた返事をする。再び東宮は扇を閉じる。

 脇息を激しく、幾度も叩く。


「進まん。本当に気が進まないのだ!」

「では何も、今更仲純のことなど…」

「わしは進まん。だがそうでは無い者が居るのだ!」


 そう言うと東宮は、ふん、と頬杖をつく。


「―――藤壺が ―――そなたの妹がな」

「藤壺の… 御方が、いかがされました?」

「ここの所、ひどく気が塞いでおってな」

「何と」


 祐純は目を見開く。

 その様な知らせは何処からも入っていないではないか。それは困る。困るのだ。


「ああそなたは気にするな。これは何処でもある様な夫婦のことだ」


 ひらひらと手を振る。

 いやそう考えるのは無理です、と祐純は内心突っ込む。


「あれはわしを憎んでいるのではないかと思う時がある」

「…そんなことは!」


 ある筈が無い。あってはならない、と兄として、右大臣家の三男として思う。


「あれは仲純の死んだ時に退出させてやらなかったことを未だに根に持って居る」 

「その様な」


 東宮は首を横に振る。閉じた扇を唇に当てる。


「いや、あれはあの時もひどく辛そうであった」

「まあ確かに、兄弟の多い我が家の中でも、仲の良い方でしたから」


 少なくとも当時既に妻子を持っていた自分とよりは。


   *


 仲純はその頃まだ未婚だった。

 決まった相手はいなかった。召人さえいなかったはずだ。両親が心配する程、浮いた噂一つなかったのだ。

 そんな彼は妹に楽器を教えるのが好きだった。

 元々名手と謳われる兄に学んだためだろうか、妹自身の腕も比類無く素晴らしいとされている。

 宴の際に軽く掻き鳴らした箏の琴の音に、宮中でも名高い奏者達が感動していた位である。

 東宮は彼女のそれらの噂や、当時ずいぶんと盛んになっていた求婚騒動を耳にしたのだろう、やがて入内を勧めてきた。

 断る理由は無かった。

 祐純達の父――― 当時は左大将であった源正頼は、先帝の女一宮である母と相談に次ぐ相談の末、入内を決めた。

 そこには東宮の執心や、母の更に母である先帝の大后の思惑も働いていたことも明らかだった。

 それでも当人の気持ちを慮った、と当時の父は祐純に言ったものである。

 実際、妹は次々に来る文に対し、殆ど返事をしなかったという。

 上手な歌、切々と思いを訴える文面。

 様々な意匠、細工、贅を凝らした贈り物にも格別心を動かされた様子も無かった。

 何故そんな冷たい言葉しか返さないのか、と周囲から不思議に思われたり、時には責められる程だったらしい。

 そしてある時から唐突に、東宮の文以外見向きもしなくなったという。

 女房から伝えられるそれに、両親も心を決めた様だった。

 無論両親に野心が全く無い訳ではなかった。

 源正頼は一世の源氏であり、後ろ盾はと言えば皇女を降嫁させてくれた 先の帝ぐらいのものだった。

 もう一人の妻を用意した当時の太政大臣には数名の息子が居り、いくら婿とは言え、なかなか頼りにはしにくい状況だった。

 彼は一人、自分自身の場所をこの都に作らなくてはならなかった。

 それ故、正頼は二人の妻との間に沢山の子を作った。

 十三男十四女。子沢山なことが多いこの時代の貴族の中でも、その数はやや異常である。

 そのうち、現在の帝に大姫を女御として入内させている。

 息子達にかける期待も何だが、それ以上に、娘達への婿がねへのそれが大きかった。

 今現在の宮家、大臣家は全て彼の娘と縁付いていると言っても良いだろう。

 その内の七男が亡くなった仲純であり、東宮の女御として入内しているのが、九の君である。

 現在は藤壺の女御と称する彼女は、親元に居る頃、こう呼ばれていた。

 皇女腹の高貴なる姫―――貴宮あてみや、と。


   *


「何せまだ入内したばかりだったからなあ」


 東宮はふう、とため息をつく。


「当時の沢山の求婚者を敵に回してやっと手に入れたばかりの姫だ。退出などさせたらいつ戻って来るか判らない。それがわしにはたまらなく怖かった」

「それは確かに…」

 祐純は思う。


   *


 当時、妹に求婚する者の数は半端ではなかった。

 そしてその人々の肩書きも。

 色好みで知られている右大将に兵部卿宮、一世平氏の中納言。

 琴の達人として知られている右大将の息子の中将。

 最近、先の帝に実子と認められた、紀伊国の一世の源氏の君。祖父の莫大な財で大層な贈り物をしたという噂もある。

 噂と言えば、左大将によって、やっと出世の足がかりを掴んだばかりの学生、彼女の姿を垣間見てしまった左大将の幼なじみの阿闍梨も懸想人の一人だったらしい。

 彼らのうち、幾人かは貴宮の妹や姪と結婚し、正頼の婿として遇されている。丸く治まった例と言えよう。


 しかし悲劇もあった。 

 当時の左大臣の息子の宰相。この恋に妻子を顧みなくなった彼は、息子を亡くしたことすら後で知る様で、今では山の別荘に一人籠もりきりだという。

 帝のお気に入りの少将。楽に舞に堪能な彼も、妻子を忘れて恋に陥り、相手が入内してしまった時に潔く出家してしまった。


 喜劇もあった。

 上野国の太守の宮は老いた身で貴宮を所望し、絡め手で彼女を盗んでしまおうと画策したが、事前に情報が洩れたため、偽物を掴まされた。ただ当人はそれを本物と信じているため、幸せと言えば幸せだろう。

 吝嗇家の元大臣は、それまで貯めた富をこれでもかと注ぎ込んで彼女を妻にすることを夢見ていたのに、全く相手にされなかった。彼は家と財に火をかけて山へ入ってしまったという。

 そして一方的に結婚を決めていた元太宰の帥は、入内後に引き取りに来て、事実を知ると、内裏に殴り込みに行った。無論帝の怒りに触れ、一族郎党丸ごと流罪となった。


 この様に悲喜こもごもの騒動が、彼女に関しては繰り広げられたのである。

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