第7話 港町リッツベルト
翌日から七人は売れそうなものを荷車へとのせていく。
「ランドは剣を研いでくれ、少しでも高く売りたい、ラナとロナは針仕事ができたんだったな? あるだけの糸を使ってそこに積んだ服を繕ってくれ。レンツとシドはランドの手伝いだ、言うことをよく聞くんだぞ」
「ねえエルク、私は何をすればいいのですか?」
一人だけ何も言われなかったセリルが不安そうな顔で尋ねてきた。
「その前に一つ聞きたいのだが、エルフ族は森にある植物の位置が分かるというのは本当か?」
「ええ、木や花、まあ大地に根差すものには大抵意思がありますから、エルフ族はその意思を交換することができるのですよ、だから分かるというより聞くことができるといった方がわかりやすいですかね」
「なるほど」
エルクは神妙にうなずいた。
「ならばそなたは余とともに来てもらう。森にある香草やキノコには薬効のあるものもあるだろう、市ではそういったものが高値で売れる。早めに町に行きたいところだが、村でもできる限りの金策はしておきたいから」
他にも探しておきたいものもあるしな、とエルクは小さくつぶやいた。
「分かりました、ふ、二人で森を散策するのですねっ」
なぜか顔を赤くして何度もうなずくセリル。
そんなセリルに向かってラナとロナが拳を握りしめ、小さく「お姉ちゃんファイト」とつぶやいている。
「フフフ、二人ともセリルはエルフ族ぞ。そんなに気合を入れずとも薬草探しなど朝飯前よ、なあセリル?」
「……ハァ」
「お、お姉ちゃんファイトっ!」「女は根性だってお母さんいってたよっ」
そんなエルクの言葉に、双子の少女の激励はさらに熱を帯びていくのだった。
***
――そして、三日後の朝である。
「いや、重畳重畳。これだけあれば思いのほか早く帰れるかもしれんなぁ」
荷車に積まれたものを見て、エルクは満足気に笑みを浮かべる。
研ぎなおした鉄の剣が二十本、繕いなおしたリネンの服が数十着、さらに余った雑貨と袋に入れられた薬草がいくつも重なりあっている。
「兄ちゃん、こんだけあればどんくらいで売れるかなぁ」
「うーむ、町の相場が分からぬからなぁ。それでもこれだけあれば金貨にして十枚くらいはあるんじゃないかぁ」
レンツやシドから聞いた話によれば、この国では金貨一枚あれば大人一人が一月は生活できる。
厳雪期と呼ばれる今年の冬がどのくらいまで続くかは分からないが、七人で四か月分の食料と炭がいる。
節約に節約を重ねるにせよ、金貨二十、いや二十五枚は欲しい。
――まだまだ足りぬな、やはり働かねばならんか。
そんなエルクの気持ちを知ってか知らずか、ロナは嬉しそうにセリルを見上げ、声を上げる。
「そんなにあるんだ! すごいねっお姉ちゃん」
「ええ。けどごめんなさいね、あなた達にとって家族も同然の人たちの遺品を売ることになって」
「いいよ姉ちゃん、気にしなくて。そのかわり兄ちゃん高く売ってきてな、そんで早く戻ってきてくれよな」
「承知した。秋になるころには帰れると思うが、どんなに遅くとも冬の前には必ず帰ろう。約束する」
「んじゃ、話がまとまったところで行くとすっかな」
ランドが声を上げながら、荷車の前へと移動する。
「これ、お弁当作りましたから、お昼に食べてくださいね」
籐で編んだカゴをエルクに渡してセリルはさがり、憂いを含んだ表情を浮かべた。
「ああ、ありがとう。ありがたく頂こう」
「ではな。行ってくるっ! レンツ、シド、後を任せたぞ」
「おうよ兄ちゃんっ!」「任せてよっ」
みなは互いに手を振り、エルクは荷車へと手をかけた。
「さあランド、出発だっ、目指すは――港町リッツベルト!」
***
港町リッツベルト――世界四大大陸の北に位置するトライア大陸。
その南側に位置するこの町は、隣接する大陸の海に面していることもあって、大陸間貿易が盛んな港町である。
大陸のあらゆる地域に商品を送り届ける玄関口とされているこの町は、属する国家を持っていないにも関わらずその性質上各国から厚い支援を受け続け、さらには商人の自治を認められている大陸唯一の大商都であった。
厚い石の外壁の外にあふれ返るほどの人の数を見れば、どれほどの活気を湛えているのかが入らずとも容易に分かった。
大きな扇状にならぶ人の群れが六つ。流れから見ると入るための門と出るための門が別れているようであった。
「いやあ、これほどのでかい街は久しぶりに見るな」
「ああ、これなら仕事も見つかりそうだぜ」
三日間荷車を引き続けてきた二人は疲労の色をその顔に貼り付けながらも、喜色に満ちる。
「入るには時間がかかりそうだが、もう一息だ。行こうかランド」
「おうとも」
衛士の検問を受け、二人が町に入れたのは日が暮れてのことであった。
すでに大通りの露店は片づけをはじめ、人々は帰路へとつき始めていたが、その喧噪に陰りはみられなかった。
夕食の買い出しに来ている者たち目当ての屋台などは、いまだに火に炭を入れ大声で呼び込みを行っている。
そんな匂いに腹の虫がつられたのか、ランドの腹がいななくような音を出す。
「腹へったなぁ」
前で荷車を引くランドのつぶやきにエルクは「そうだな」と小さく返す。
「今日はさっさと宿をとろう。市に行くのは明日だな」
二人は大通りを抜けながら、宿を探す。
途中で出会った衛士に荷車も停められる宿の場所を聞き、目抜き通りを抜ける頃には日は完全に沈んでいた。
ランドに荷車の見張りを頼み、スイングドアを押し開けてエルクは宿へと入る。
吹き抜けのホールには円テーブルがいくつか置かれてあり、仕事終わりといった風体の者たちが席についている。
二階には同じ扉が等間隔に並んでおり、そこが客室となっていることが分かった。
「あら、いらっしゃい。泊りはこっち、食事ならテーブルへついてくれる?」
「すまんが、二人で部屋を一つ頼みたい」
「ええ、一晩一人銅貨四枚ね」
「うむ、あと、そのもう一人はドワーフなのだが良いだろうか?」
ちなみにこれはランドから聞けと言われたことである。
大陸を旅している中で物を売ってもらえなかったり宿に泊めてもらえなかったり、街にも入れてもらえなかったこともあったと聞いていたからだ。
「何か不都合なことでも?」
「いや、それならよい。あと荷車もあるから倉庫に入れておきたいのだが」
「荷物は倉庫に入れておいていいわよ、夜の間は鍵をかけておくから、朝まで取り出せないから要るものは出しておいてね」
「承知した」
「おーいエルク、泊まれるってことでいいのか?」
しびれを切らしたのかランドが入り、エルクは肯定の声を返す。
それを見た宿の娘の唇の端がわずかに上がった。
「食事はどうする?」
「いやそれはよい」
「あら残念。ここの自慢は食事とお酒なのに」
「な、なら二人分頼むぜ、もちろん酒もな」
「ランドっ、少しでも金を貯めねばならんのに」
「いいじゃねえか、少しくらい。俺のおごりだ」
エルクの叱責にややばつの悪そうな顔を浮かべるものの撤回する様子はみられない。
「……今夜だけだぞ、なら食事とお酒を二人分」
「毎度ありー」
中々のやり手だな、この娘。ランドが顔を出してから酒のことを言うとは。
やはり女は魔物だな、そんなことをエルクは思ったのだった。
*
「やっぱまずは荷物を売っ払うか?」
朝日の射しいる波止場で二人は荷車を引いていく。
空は快晴、まだ早い時間帯ではあったが、水夫が樽や木箱を大型船へと積み込んでいくのを横目に、エルクは振り返る。
「ああ、金にせねば動きづらいからな」
「そうだな」
二人は古着屋や武器屋、薬屋などをまわり、荷を売っていく。
すべてを売り払ったときには、日が完全に真上まで上りきっていた。
「金貨十二枚、銀貨七枚。まあこんなものだろう」
「ま、思いのほか高く売れたんじゃねえか」
「うむ。ただやはり余裕をもって冬を越すにはもう少し稼ぎたいからな、やはり仕事を探すことにしよう」
空になった荷車をランドはひきながら、小さくうなずいた。
「俺はこの身体だからな、どっかで荷運びでも探すとするよ」
「ああ。それじゃ一度ここで別れようか。荷車を宿に戻しておいてくれ。それと――」
エルクは金貨の詰まった袋から幾枚かのお金を取り出し、ランドに渡した。
「少しはもっておけ。い・い・かっ! 無駄遣いはするなよ。特に酒とか酒とかお酒とか」
「わかってんよ、しつけえな」
「夕べ五杯もおかわりしおって。余は一杯だけだったのに」
「飲んだ以上お前も共犯だろうがよ」
「ぅ……。余だって久しぶりには、な」
「酒は百薬、命の水だ。こっから頑張るんだから。ちったああいつらも許してくれるだろうよ」
「まあそういうことにしておこう、土産でも買って許してもらうとするか」
「そうそう、じゃあな。また宿で会おうぜ」
手を上げながらランドは空の荷車を引きエルクから離れていった。
***
「さて、どこで働くかな」
ランドと別れ、エルクは波止場を軽く見て回る。
船着き場となっているため、海に面した通りにはいくつもの大きな商会が立ち並んでいた。
おそらくここは波止場の一等地。この商都であれば、ここに並ぶ商会はおそらく町でも屈指の財力を持った商人たちがひしめいているのだろう。
大陸間貿易をする商会ならば、自分にも働き口があるはずだ。
そんな風に考えながら、歩いていると――
「たすけてくださいっ!」
裏路地から飛び出してきた赤い髪の少女がエルクに駆け寄ってくる。
服はすりきれ、顔の所々に泥や垢がこびりつき、お世辞にも綺麗とはいえない。
この町の浮浪児かなにかだろう。
「ど、どうした」
「お願いです。一緒に来てくださいっ、友達が、友達が急に苦しみだして、誰も助けてくれなくて」
「わかった。案内せよ」
路地裏を駆けゆく少女についていく。少女は走っている最中、何度も振り返りついてきているかを確認しているようだった。
角をいくども曲がり、どんどん人気のない場所へと入り込んでいく。
――まずいな。
何かに気付き、少女の意図に気付きかけたとき、少女の足はぴたりと止まった。
そこは裏路地の突き当りであった。
通り抜けた狭い路地以外の三方は建物に囲まれ、声を上げても大通りまでは届きそうにない。
日の射さぬ薄暗い空き地の中央で、少女は振り返った。
「ねえおにいちゃん、黙ってお金渡してくんないかな」
いつの間にか背後の路地から何人もの浮浪児たちが逃げ道をふさぐように、囲んでいた。
手には棒切れを持ち、こちらを睨み付けている。
「悪いがこれは大事な金でな。これを渡せば――」
「――うるせぇっ! こっちだって金がなきゃ飢えて死ぬっきゃねえんだっ」
エルクは声のした方へと向き直る。少年たちの中から体格の一番大きな少年が、前に出る。
十を少し過ぎた位か。身長はエルクの胸元程しかない少年。その頬には大きな向こう傷がある。
吹けば飛ぶような痩せこけた身体だが、瞳だけはギラギラと獣のような鋭さを湛えていた。
「サリア、下がってろ」
「……フ、フフ」
「な、何笑ってんだよてめえっ!」
突然、含むように笑い声をあげるエルクに何か得体のしれないものを感じたのか、少年の恫喝にわずかな恐怖が混じった。
「いや。良いことを思いついてな、とてもとても良いことだ、余にもそなたにも利のあることなのだが……今は言っても意味はないな。悪いが金は渡せぬよ、どうしてもというなら力づくで来るのだな」
「わけわかんねえこと言いやがってっ! やっちまえっ」
向かい来る少年たちに向かって構えをとろうとした瞬間――後頭部へ強い衝撃が襲った。
***
「もうよせっ!」
男が完全に意識を失ったことを確認してギルは告げた。
仲間にはサリアの一撃以外頭は狙うなと何度も言い聞かせている。こんなことをしているとはいえ人殺しなんてまっぴらごめんだ。
気を失った男はこれだけは奪われまいとしっかりと胸元に金の入った袋を抱え込んでいた。
「ごめんな、兄ちゃん」
辛そうな表情を浮かべながらも、ギルはその袋を奪い取る。中を見れば幾枚もの金貨が入っている。しかし、ギルの表情は喜びではなくむしろさらに辛いものへと変化していった。
この地方では見ない珍しい褐色の肌。身なりは綺麗にしてはいるがよくよくみれば貧相なものだ。それほど裕福なわけではない小さな農村の一人といったところだろうか。
きっと越冬のための買い出しをするために来たのだろう。このお金を奪えば村の者たちが死ぬかもしれない。
人殺しなんてまっぴらごめんと言いながら、それは幾人もの人を殺すことと同じではないのか。
そんな思いが顔に出ていたのか、いつの間にか隣に来ていたサリアが心配げにうかがっていた。
「ギル、だいじょうぶ」
「ああ。こんだけあればひとまずは安心だな、しばらくは大丈夫さ」
「……そうじゃないよ」
サリアの問いかけにわざと誤解した答えを返し、ギルはみなに告げた。
「おいっ! さっさとずらかるぞ」
***
「ったく。ニンゲンってホントめんどくせぇなー」
毒づきながらランドは、五件目の商会から出てきた。
募集のかけられたところに顔を出し、荷運びでも修理でもなんでもできるから雇ってくれと言っても半亜人であることを理由に断られ続けていたのだ。
エルクにはあんなことを言ったが、ドワーフの半亜人であるランドが仕事に就くのはかなり厳しい。
この町は比較的亜人種も多いため、物を売ったり宿泊は許されるが、さすがに就職となるとみなが一様に顔を渋ってくる。
かといってドワーフのみの集まる工房などは身内意識が高いため、飛び入り、しかも短期で入ることはさらに難しくなってくる。
「まあとりあえず募集のあるとこ全部まわってみっかな」
そんなランドでもあの村の子供たちは決して差別せず、兄ちゃんと慕ってくれた。
まあ世間知らずの子供だからこそ、そういった知識が無かっただけなのだろうが。
それでも共に暮らし、同じ釜の飯を食った仲なのだ。こんなことぐらいでめげている暇はない。
そんなことを思っているランドに、水夫の一人が慌てて駆け寄ってきた。
「おいっ、そこのでかい兄ちゃん、あんたの連れが大変なことになってんぞ!」
「――はぁっ!?」
男とともに駆け付けた場所には、先が見通せないほどの人だかりができていた。
「ちょ、ちょっと通してくれっ! どけっ、どいてくれっ!」
人ごみをかきわけ出た先に見たものは、ところどころ破れた服から血がにじみ、道に倒れ伏しているエルクの姿であった。