第6話 越冬準備
「衣服は売っても大した値はつかなそうだな」
いくども洗われ着古された麻の衣服は、所々ほつれており生地も薄くなっている。
つくろうことができたとしても、糸を買う方が高くつきそうだ。
「他に売れそうなものは、うーん、ランドに剣でも打ち直してもらうか。いや時間がかかりすぎるな、けど他に――」
場所は村の中央広場。先日集めてきたものをエルクは手に取りながら独りごちた。
いまだ陽も上らぬ夜と朝の狭間にある時間の中、服の山に頭をつっこみながら調べていくと後ろから声がかかった。
「おはようございます、エルクは早いですね」
ふぁ、とゆるむ口元に手をあてながら、まだ眠たげな瞳でセリルは言った。
「なに、余とて起きたのは少し前だ。それほど早くもない」
セリルは何かいいたげに、彼方の山を見つめた。
頂に射し込みゆく橙色の輝きはいまだ弱々しく日の出までは少しばかりかかりそうである。
「まあいいです。荷物の点検はあとどれをやりましょうか?」
「うん? いや今しがた終わったところだ。売れるものと使えるもの、今後のために取っておくものとに分けたのだが、売れても大した額にはなりそうもないな」
どうしたものか、とエルクは小さくつぶやいた。
「では私は水でも汲んできますね」
「それはもういい、さきほど川から汲んできた」
「そうですか、なら朝食の準備でも――」
「それも済ませたぞ、もう火にかけてあるからな。皆が起きるころには出来上がるだろうさ」
「……エルクはいったいいつ起きたのですか」
「ついさっきさ」
***
「ではこれからはセリルに任せるとしよう、農業に関してはそなたが最も適任であろうからな」
「ええ。任せて下さい」
村の西側にある柵に囲われた大きな畑の前で七人は集まっていた。
後ろにはこれから作付けする野菜や穀物の種や苗がこれでもか積まれた荷車があった。
「何をするかはそなたに任せるが、できるだけ成長の早いものがよい。豆やカブ、イモなどを頼めるか?」
セリルは自信たっぷりに大きくうなずいた。
「ええ。それではランド、そこのカマを取ってもらえますか?」
「おう」
農具をのせてあった荷車からカマを渡す。
するとセリルは、自らの髪をうなじのあたりでまとめ、一気に髪を断ち切った。
「お、お姉ちゃんっ!?」
「いいんですよ、気にしなくて。エルフの身体には植物の成長を促す力がありますから。これを埋めれば豊作間違いなしですよ」
「よいのかセリル?」
「もう切っちゃいましたし。髪なんて後でいくらでも生えてきますよ、それに――」
その場でくるりとまわり、タンと足を踏み鳴らす。
「――似合っているでしょう?」
首を傾げながら微笑むセリルの顔にはどこか開き直ったような快活さがあった。
腰まで届く美しく長い髪のときはどこか神秘的な触れてはならぬような雰囲気をまとっていたが、その代わりに今までよりもっと人懐っこい可愛さへと変化した。
エルフはその美貌や異能のためどこか浮世離れした存在として認識していたが、こうした表情を見ると人と変わらぬ感情や価値観を持っているということが分かってしまう。
「ああ。美人は得だな。どんな髪型にしてもよく映える」
「うふふ、うれしいです。エルク」
髪の束で作物の成長が早まるなら、その内北にある麦畑にも手を入れたいな。さすがに人手が足りな過ぎて今は無理だが。
その時はセリルにまた髪を分けてもらえればありがたい。
エルフの血にも同等以上の効果があるとは聞いていたが、セリルを傷つけるつもりはなかった。
だから――エルクは布石を打つことにした。
「女性は髪を少し切っただけでも印象がずいぶん変わるのだな。その、今の方が似合うと思うぞ」
「そ、そうですかっ! エルクはショートの方が好きなのですねっ」
喜色満面に顔をほころばすセリル。
「落ち着けば、そなたのいろんなヘアスタイルを見てみたいものだ………………角刈りとか」
ぼそりとつぶやくエルクのささやきに、セリルの耳がピクンと跳ねた。
「……お前を肥やしにしてやりましょうか、ニンゲン」
すっとロウソクの火が消えるように、表情のなくなったセリルは手にしたカマに力をこめる。
空気を読んだランドが慌てたように声をかける。
「よ、よしっ、さっそく植えてくとすっか! なあみんな」
「「「「う、うんっ」」」」
――ちぃっ、伏線は失敗したか。
***
策が失敗したことに若干気落ちしながらも、エルクは畑を耕していった。
少し掘り返せば、黒々とした土が顔をみせ、湿った土特有の香りが湧きたってくる。
丸々と肥えたミミズが、あたたかな陽光から逃げるように土の中へと身を隠していった。
「良い土だな。中々の畑になりそうだ」
満足げにエルクは頷く。
耕したそばからセリルが作物の苗や種を植えていき、その後ろでは子供たちが土をかぶせていく。
植えつけは玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、豆やカブなど比較的成長の早いものを選んだ。
しばらくは森からの恵みで食いつなぐとして、冬が来る前にある程度の食糧を保存しておく必要があった。
「お姉ちゃん、土はこのくらいかぶせればいいの?」
「うーん、もうちょっとかぶせてください。いいですか、土は野菜にとっては寒さや日差しをふせぐ大切な家でお布団なんです、ロナだって寒いときはお布団いっぱいかぶるでしょう?」
「うん。寒いのいやー」
「それと同じです。朝や夜はまだ寒いですからね、しっかりかけてあげなきゃこの子達も風邪をひいちゃいますから」
「はーい」
「セリル、玉ねぎの深さはこれくらいか?」
「そうですね、もっと深い方がいいですよ…………エルクが埋まるくらいまで。掘ったら私がきっちり土をかぶせますから後のことは心配しないでくださいね?」
「…………」
無言で助けを求めるように、ランドを見やる。
「お前が悪い」
ハァ、と深く息を吐きながら、エルクはセリルに向き直る。
「悪かった、さっき言ったことは撤回する。謝るから忘れてくれ」
「ふん」
「今後のことを考えれば麦畑にも手を入れたかったのだ、そのためにもな」
「だったらそう言えばいいじゃないですか。それに皆のためなら髪じゃなくて血を使ってあげますよ、そっちの方が効果はあるんで――」
「――ダメだっ」
セリルが言い終える前にエルクは強い口調で言い放つ。
「それはできんし誰にもさせん、無論そなた自身にも」
「そなたの身に傷を入れるくらいなら、余がそれ以上に働こう。だからそれだけはやめてくれ」
どこまでも真っすぐにセリルを見つめ、エルクは言う。
自然、みなの手も止まり、成り行きを見守っている。
「そなたは余の命を救ってくれた。そんな恩人の身に刃を入れてまで生きながらえようとは思わんよ。それに、だ」
鼻の頭をかきつつもエルクは照れるように言葉を続ける。
「一人の男としてもそなたの肌に傷がつくのは許せそうにないしな」
「……エルク」
そんな言葉に、セリルは耳を赤くそめながらうつむいた。
そんな二人を見ながらランドとレンツたちはこそこそと囁く。
「うわぁ、なんかいい雰囲気だねぇ」
「お姉ちゃんはもちろんだけどエルク兄ちゃんも結構美形だもんねぇ」
「いやぁ、そもそもエルクが角刈りなんて言わなきゃよかったんじゃね」
「ランド兄ちゃん、そこに気づいちゃいけないよ」
「俺、角刈りこそ許しちゃいけないと思うな」
そんな声が外野から上がったりしたが、二人には聞こえていなかった。
「なあセリル」
「な、なんですか」
「さっきの言葉を撤回するとは言ったが、一つだけ撤回できない部分があった」
「そっちの方が似合っておるよ、そう思ったのは本当だ」
「……っ!」
エルクの陽だまりのようなやわらかな微笑を受け、セリルの顔はさらに赤くなっていく。
「そ、そうですか、分かりました、分かりましたよ。しょうがないからさっきのことは許してあげます」
「助かる。ただものは相談なのだが、もしムダ毛の処理をする時は――――グハっ」
セリルのアッパーが顎を痛烈にとらえ、吹っ飛んだエルクの背中を耕したばかりの畑が優しく受け止めてくれた。
烈火のごとく怒ったセリルへの会話はランドたちを経由しなければ困難となり、ラナたちのジト目に耐えながらエルクは傷む顎をさすりながら畑を耕していくのであった。
***
畑を耕してから一週間ほど経過した。
鮮やかな陽を浴びたいくつもの畝は黒々とした力強い輝きを放ち、その上にはエルフの祝福のおかげか気の早い作物たちがすでに芽を出し始めていた。
このペースなら夏の終わりには収穫が可能だろうとエルクは目算をたてる。
近くの土地には森から取ってきた桃やリンゴといった果樹の若木を植えていく。
こちらの収穫は当分先だが、それでもレンツたちが大きくなるころにはみなで甘い果実を食すことができるだろう。
「ふぅ、だいたいこんなもんかねぇ」
立てたクワに手と顎をのせながらランドは息をつき、生き返った畑をレンツたちも嬉しそうにながめている。
「あたしたちだけでもちゃんとできるんだねぇ」
「うん、頑張ったもん」
「なあ、エルクよ。もう少し耕したほうがいいんじゃねえか?」
「そうだぜ兄ちゃん。俺たちもっと働けるよ」
そんな言葉にエルクは首を振って答えた。
「いや。これ以上広げても五人では手が回らんだろうからな」
「え、ご、五人って?」
何気ないエルクの言葉に、シドは戸惑うように声を出す。
「近いうちに余とランドは村を出るからな」
「ちょ、何いってんだよ兄ちゃんっ、この村復興させるって――」
信じられないものを見るかのように詰め寄るレンツをランドは抱きかかえた。
「落ち着け落ち着け。エルク、お前の言い方がわりいよ、ちゃんと説明しな」
「無論だ、まあ飯でも食ってから話すとしようか」
***
「さて、エルク。説明してください」
場所はレンツの家の中。
昼食を終えたみながテーブルにつきながら、エルクの表情をうかがう。
その顔には親に見捨てられるような不安が宿っていた。
「ああ。すまん、誤解させてしまったな。村を出るといっても一時的なものだ、出稼ぎをしようと思ってな」
「……やっぱり足りないんだね」
うつむくシドのつぶやきにエルクは深く首肯する。
「そうだ。はっきり言って冬を超えるには食糧も燃料も何もかもが足りていない。このままでは森の恵みがなくなる冬には我らの先には餓死か凍死しか待っておらぬだろう」
エルクの容赦のない言葉に、みなは表情をくもらせる。
越冬するための備えはすべて奪われていたのだから。
「レンツ、この村での冬はどうであった?」
「冬は狩りに行っても何もとれないし、冬の間ずっと雪積もってるからさ。あまり外にも行けなかった。みんな家の中で仕事してたよ。それにさ夜はずっと吹雪くんだ、天気のいい日は外にも出れたけどあんまなかったなぁ」
レンツの言葉をシドが引き継ぐ。
「あとさ、今年は厳雪期になるって父さんが言ってたよ」
この地では十年に一度だけ陽が何週間も出ることなく、猛吹雪になる時期があるとシドは語った。
溶けることのない雪が扉の高さを超えるほどに積もり、家から出ることさえできぬ日が続くのだ。
家の中に炭や食料を十分に備蓄していなければ、命に関わることもあるという。
春が来たとき、誰も出てこない家の中を見ると、一家そろって凍死していたこともあったらしい。
「父ちゃんたちさ、冬が来る前はいつも町に炭や食料を買い出しにいってたよ」
「だがそれを買う金がすでにない以上何とかして稼がねばならん」
「だから俺とエルクで近くの町まで出稼ぎに行くってわけだ、納得してくれたか?」
エルク達が村を出ていくわけではない、それを知ってわずかな安堵が沸き上がるが、それ以上にこの村の現実は厳しいものであることを知った子供たちの表情はまだ暗い。
「それなら私の、エルフの力は売り物になりませんか?」
「むっ、ようやく角刈りになる決心が――」
「…………」
セリルは無言で立ち上がる。
「お、落ち着けセリルっ! 気持ちは分かるが椅子を降ろせっ、今そんな場合じゃねえんだ、真面目な話してんだぞぉっ」
「離してくださいランドっ! いい加減このお馬鹿に女にとって髪がどれほどのものかってことを知らしめてやらなきゃなんないんですー! そこになおれニンゲンンンンンンっ!」
「か、髪などまた生えてくるではないかっ!? 髪がイヤなら胸毛やすね毛でも一向に――」
「いいからおめえは黙ってろぉっ」
「bgdfじゃおひふぁおいhふぁお;うぇjふぉあさすぇdrftgg」
「お、お姉ちゃん落ち着いてー!」
「刃物は、刃物はダメだよセリル姉ちゃんっ」
言葉を話せなくなるほど激昂したセリルは、長年迫害され続けていたエルフ族の憎悪が噴出したかのようであったと、後にランドは語る。
「はあ、はあ……はあ」
ランドが抑えているうちに何とかラナたちがなだめ、セリルはようやく落ち着きを取り戻した。
怒りは欠片も治まっていないようだが、今はそんなことをしている場合ではないということを理解したのだろう。
「エルク、後でちょっと話がありますからね」
「う、うむ。承知した。ところでさっき言ってたのはどういうことだ? エルフの力は売れるものなのか? そなたを傷つけるようなものは考慮にも値せんぞ」
角刈りも考慮に値しませんけどねー、とわずかばかりに皮肉を返す。
「けど、多少なら傷ついてもすぐに治りますし。人間の間ではエルフの血を布にしみ込ませそれを高値で売っているときいたことがありますが」
「却下だ」
エルクは間をおかず即答した。
「それは直接エルフから血を取る所を見せることができてはじめて成り立つ商売だからな。いきなり『エルフの血の付いた布だ、買い取ってくれ』と言ったところで誰も信じてはくれぬよ。そなたを町に連れていくことはできんし、存在を公にするつもりもない。例え売れたとしてもそれをすれば、余とランドはその日の晩にでも欲に目がくらんだ者たちにさらわれ拷問され、数日後にはそなた目当ての悪党どもが村へ押し寄せるであろうな、そんなことは許されん」
「う、そうですか」
「お兄ちゃんたち、帰ってくるんだよね?」
「当たり前だ。まだ長居というほどいたわけではないがな、このフィオークは余にとって新たな故郷だからな。そなたらを残してどこかに行ったりは決してせぬよ」
今まで黙っていたロナが不安げに訊ねてくる。
「いつ行くの?」
「まあもろもろの準備もあるからな、三日後といったところか」
「うん、わかったぜ兄ちゃん。兄ちゃんたちが戻ってくるまで俺がみんな守っててやるよ」
「ふふ、心強いなレンツ。いない間は任せたぞ」
「セリルも皆のことを頼むぞ」
「分かりました」
「他に何か聞きたいことはあるか?」
エルクはレンツ達の顔を見回した。
過去のことを忘れたわけではないだろう、それでも懸命に前を向いて生きようとする子供たちの顔は――ただ強い。
この子達のためにも頑張らねばなぁ、そんなことを思い、エルクは場をしめる。
「よし。話は終わりだ」
「そうですね、ではエルク、ちょっと表に出ましょうか」
「ほ、他に何か議題はないかっ!? 何でも良いぞっ、ほらランドも――」
立ち上がるセリルはゆっくりとエルクの背後へとまわり、その肩へと手をかけた。
ビクリと震えるエルクに有無を言わさぬ威圧をもって一言だけ告げた。
「――来なさい」
「……はい」
襟首をつかまれ、外まで連れ出されていくエルクの表情は、市場へと売られていく子牛のようであったという。