第43話 早すぎた出会い
村を出てから早三日。
エルクたちは二つ目の山の頂上にまで差し掛かっていた。
マオの話ではこの山を越えた先にある深い森に、獣人族の村があるらしい。
雪に埋もれる足を一歩一歩引き抜きながら、三人は歩む。
「この山を越えたら休憩を入れる、それまで頑張れ二人とも」
声は返らなかった。苦し気なハアハアという吐息に混じり、かすかにうなずく気配だけがあった。
空は快晴。
冷たく澄んだ空のもと、降り注ぐ陽光は、雪面に虹色の光を浮かばせる。
連なる山々はいずれも厚い雪化粧を覆う。息を吸うと冷え切った空気が体の熱を奪っていく中、三人はマフラーを口元まで覆うことで熱を逃がさぬようにしていた。
「よし、そろそろ休憩を入れるか」
一つ目の尾根の頂上まで何とかたどりついた三人は近くの岩場の雪を払って、腰を落とした。
「はぁー、つ、つかれたー」
レンツとギルの二人は顔を覆うマフラーを外して大きく息を吐いた。
「けどここまできたら眺めがすげえよな兄貴、登ってきた甲斐があるってもんだ」
頂上まで上れば視界を遮るものが何もなく、向こうの大森林の果てさえも見えてくる。
どこまでも広大な森の中央をはしる大河の緩やかな流れさえも、空気の澄んだこの季節ならではの景色であった。
「森林限界を超えておるからな」
「森林限界ってなんだ?」
「ある標高を境に、樹木が育たなくなる現象のこと。来るときに気づかなかったか? 森が途中でなくなっていただろう。そこから上は気温が低く空気も乾いているから大きな樹木が育たなくなるのだよ」
二人はへー、と頷きながらエルクの言葉に耳を傾ける。
「兄ちゃんはすげえよな、何でも知ってて」
「別に余はすごくはない、偉大なる先人たちがあらゆる場所を探検し、推測や考察を重ねた結果を知識として教わっただけだ。本当にすごいのはそういったことを最初に発見した者たちだからな」
エルクは沸かした湯を二人の手にしたカップに注ぎながら言葉を続けた。
「人はこの大陸のあらゆる場所を調べ続けた。そこで目にした現象、生物、自然環境あらゆることに考察を重ね、知識として、技術として次代の者へと受け継いでいく。人の強さとはそれらを継承していくことにこそある。そなたたちにも伝えるべきことは山とあるからな、しっかりと学べよ」
エルクもまた白湯をゆっくりと飲み込みながら、二人を見る。
「そなたたちはまずは何を学びたい?」
「「武術っ!!」」
二人はそろってそう答えた。
「ほう、理由をきかせよ」
先に答えたのはレンツであった。
「兄ちゃんにも言ったけどさ、俺の村って襲われてなくなったじゃん。森の中に隠れてラナ達を止めることしかできなかった。そんときもずうっとみんなの悲鳴聞こえててさ、それでも怖くて出ていけなかった、隠れていることしかできなかった」
レンツは顔をうつむける。カップを握る手がぶるぶると震えていた。
「俺がもっと強かったら出ていくことができた、みんなを守ることができた。あいつらをやっつけることができたんだっ、だから強くなりてぇっ、もう二度と村を見捨てることなんかしたくねぇ、だから武術を習いてぇ!」
そんなレンツの言葉をエルクは真剣な表情で、ただ黙って聞いていた。
「そうだな。故郷を守りたいという気持ちは余にもわかる、とてもな」
「俺も町にいたとき、何人も仲間を人買いどもにさらわれた、目の前で、そんときは逃げることしかできなかったけど、今度こそ全員守ってやるんだ。フィオーク村にいる奴ら全員な」
そんな二人の言葉にエルクは満足げ何度もうなずいた。
「そうかそうか。故郷と民を守りたい、か。騎士の志そのものではないか。フフフ、いいだろう、そなたらがその気持ちを忘れぬ限り余が鍛えてしんぜよう」
「ホントか兄ちゃんっ」「おっしゃー!」
「まあそなた達が嫌だと言っても無理やり仕込むつもりだったがな。さて武術に限った話ではないがあらゆる学問やランドのような専門的な技術、そういった技能を鍛え、育てるに必要なものが三つある」
エルクは指を三本立てた。
「一つは『才能』、二つ目は『努力』、そして三つめが『環境』だ」
「才能と努力は分かるけど環境って?」
「さっきも言ったが武術も何千、何万もの者たちが試行を重ね、歴史の中で研磨してきた。それらの最適解を教え導くものの存在が不可欠ということだ」
「ふーん、分かるような、そうじゃないような」
「そうだな、例えばこの山だ。この山を越えるルートはマオに教えてもらっただろう。歩きやすい道、雪のあまり積もらないルート、休憩に適した場所。そうでなければ我らはまだまだふもとにいたはずだ。武という山の頂に上るにはそれらの道順を知っている者が必要だということだ」
「ああ! つまり師匠がいるってこったな」
「そっか、そうだな。だったら兄ちゃんがいれば俺たちは『環境』についてはもう手にしてるってわけか」
「ああ。それだけじゃない。余の目から見ても二人は武才に恵まれている。つまり二つのものをすでに持っているわけだ。残りの一つは『努力』のみ。それを手にするか否かはそなたら自身が決めることだがな」
二人はそんな言葉に嬉しそうに頷いていく。
「三つの内の一つがあれば二流になれる、二つそろえば一流になれる。余には武才はなかったからな、よくて一流止まりだろう」
「じゃ、じゃあ三つすべてがそろったら……?」
「一流を超えた先、人が達する極みの域に至った者――――そういった者たちを『達人』と呼ぶのだよ」
二人は同時にその身をブルリと震わせた。瞳は期待と歓びに光を放ち飛び上がらんばかりにうずうずしていた。
「フッ、中々の武者震いではないか。期待しているぞ二人とも」
「「おうっ!」」
「さて休憩は終わりだ、そろそろ行くとするかな」
*
尾根は険しく、いまだ下山のルートは見えてこない。
マオの話ではあと半日ほど行けば緩やかな尾根が見えてくるはずであった。
先ほどの話で気分が昂ったのか、二人はエルクの前を元気よく歩いていく。気温が低いためか雪道は凍り付き、新雪よりも歩きやすかったこともあるのだろう。
「早く行こうぜ兄ちゃん」
「はしゃぐのはいいがばてるなよ、この尾根を上った先から長い下りになるからな」
尾根から横を見渡せば、切り立った崖が見下ろせる。滑落すれば命の保証はできない。
しばらく歩くと、二つ目の尾根の頂上が見えてきた。ここを超えれば下山まではあと少し。
先に頂上へとたどり着いた二人の姿が、見えなくなった。
そろそろもう一度休みを入れるか、エルクがそう考えた時だった。
「うにゃああああああああああああぁぁっ」
レンツの悲鳴が聞こえた。
「どうしたっ!」
慌ててエルクは駆け出した。
頂上へついたエルクが見たのは、血と獣の毛にまみれたレンツの姿であった。
「うえぇ、なんだよこれ、石を飛び越えたらこんなものがあってさ、思い切り踏みつけてこけちゃったよぅ」
そこにあったのは、大きな鹿と思われる死体。バラバラに解体され貪られたであろう肉塊が雪の中に半ばまで埋められていたのだった。
エルクは瞳を細めてつぶやく。
「……まずいな」
「どうしたんだ兄貴?」
「これは土饅頭と呼ばれるものだ。主に熊などが大きな獲物をしとめた時にその食い残しを土に埋める、また食べるためにな」
「じゃあここにそいつが来るってことか?」
エルクはレンツの上着に着いた白い毛をつまむ。
「間違いない、あの時の熊のものだ」
鈍い銀色の光を放ち、独特の感触を持つ異形の体毛。
毛を見ながら静かに考え込むエルクを見て、二人は少し先にある大岩の陰へと近寄った。
用を足そうとズボンに手をかける二人を見て、ピク、とエルクの片眉がわずかにはねる。
顔を向けたのは二人の前にある雪をかぶった大岩であった。
「……二人とも、今すぐにこっちにこい」
二人にだけ聞こえるような声で言うエルクの顔は緊張に強張っていた。
レンツとギルは戸惑いながらも、エルクの元へと歩み寄っていく。
「決して後ろは振り向くなよ」
そこまで言われて何がいるのかを二人は悟る。足元に伸び行く岩の陰が自然と目に入る。
影がその身を大きく震わした。
「――――っ!?」
レンツたちの背に、振り払われた雪がかかった。
伸びをするかのようにどんどん大きくなる影。
陽の角度が変わったわけではない。大岩自体が動いているのだ。いや、自分たちがそう思っていたのは、大岩などではなかった。
いつしか自分とエルクまで大きな影に包まれる。
見るまいとしてもどうしても目に入る。
陰にはいつしか二つの頭が生まれ、二本の腕と、長く大きな爪が幾本も生まれていた。
――グウウゥゥオオオオオオオオオオオオオっ!
目覚めの咆哮。
起き抜けの欠伸のようなものだったのだろう、それでも二人の心を恐怖に砕くには十分すぎる代物だった。
「「ウワアアアアアアアアアアアアっ」
思わず悲鳴を上げながら駆け出しながら、エルクの背後へ回り込む。
二人の悲鳴に顔を向け、ようやくこちらに気づいた三つの視線が、エルクの姿を絡めとる。
「……思いのほか早く会えたな」
かつて見た時より、その身は巨大に膨れ上がっていた。いったいどれほどの者を食らってきたのか、エルクには想像もつかない。
ただ一つだけ分かったのはソレは自分のことを忘れてはいないということだけだった。
かつて自身の目を抉り取ったエルクのことを、だ。
餌場を荒らしたレンツではなく、エルクだけをその紅き瞳は射貫いていたのだから。
自分たちの行く道をふさぐように。
決して逃がさぬとでも言うかのように。
――ブオオオオオオオオオオオオオゥゥゥゥゥゥゥォォォォッッ!
天さえ裂けんばかりの大音声を張り上げる。
ソレは、巨体を立ち上がらせながら両腕を高く振り上げ、エルク達を威嚇していたのだった。
次回は今週中には出せます。
ブクマがじわりじわりと増えていく快感が病みつきになりそうです。
読んでいただいた方たちに心からの感謝を。