第38話 郷愁
ランドはピクリと表情をわずかに強張らせる。
「……さすがだな、どうして分かった?」
「なんとなく、と言っただろう。勘でしかないが、強いて言うならその目だな」
「め?」
「セリルもあの子たちも、はじめにその目にあったのは郷愁だった、己の居場所といってもいい。己の帰るべき場所、受け入れてくれる家族、魂の置き所というかな。そんなものに飢えている目であったが、いつしかそんな渇きにも似たほの暗い光が薄らいできた、そなたの目にも同じものがあり、そしてなくなってきたからな」
「そうか」
それだけを言うとランドは黙し、手にした肉串にかぶりつく。
ゆっくりと、迷いと一緒に飲み込みながら、ランドは夜空を見上げながら語りだす。
「長い話になっけどよ、聞いてくれるか」
「ああ、無論だ」
*
「俺のおふくろはよ、宝石商の娘だったらしい、細工師の親父の仕事ぶりに惚れこんで取引をしているうちにいつしか互いに好きになってたんだってよ」
語り始めるランドの言葉にあるのは、懐郷の想いと――そして、苦く悲しい声音があった。
「けど俺のいた国じゃ亜人と人の結婚は認められちゃいなかった。二人は駆け落ち、森の奥深くで暮らしている内に俺が生まれた。両親のほかに出会った奴なんか一人もいなかったが寂しいとは思わなかったな。おふくろも優しかったし、親父は厳しかったけどそれでも俺に鍛冶や大工仕事なんかを教えてくれた尊敬できる人だった」
住んでた小屋は掘っ立て小屋で、冬の寒さが身に染みた。それでもランドにとってはどんなとこより居心地の良い場所であった。
異変が起きたのはランドが十の頃だった。
突如現れた四人の男たちが、父の出かけていたランドの家を襲ったのだ。二人の男がランドを抑え、残った奴らは母を押し倒し、下卑た声をあげながら母の衣服を引き裂いていく。
いつも穏やかに笑っていた、すでに母より背の高くなった異形の子供でも優しく抱きしめてくれた。そんな母の悲鳴にランドはキレた。
気づけば男たちは一人残さず肉塊となっていた。
頭はつぶれ、床には飛び出たいくつかの眼球がコロコロと転がっていた。床と壁は血にまみれ、扉のそばでは腹をつぶされた男がいまだ壁に張り付いていた。
拳に残る感触で、自分がそいつらを殴り殺したのだということが、実感となって湧いてきた。
帰ってきた父は、家の様子を見て一瞬だけ狼狽した様子を見せたが、事情を聞くなりこう告げた。
『――俺が殺したってことにしろ』
男たちは近くの町の脱獄囚たちであった。
森の奥にも衛兵たちが捜索に来ており、翌日にはランドの家にも訪れた。色濃く残る血臭に隠し事はできなかった。
そして――ランドの父は捕らえられていった。後ろ手に縛られ首にも縄をかけられて。
ランドは叫んだ。
どうしてだ、と。悪いのはあいつらだ、あいつらが母さんを襲ったんだ。だから――。
ランドの口を泣きながら母が押さえる。そんな母の姿を見て父は言った。
ランドを頼んだぞ、と。
数日後、ランドの父が帰ってきた、いや返ってきたのだ。
ものいわぬ遺体となって。その首にはどす黒い縄の痕があった。
母はすべてを知っていたのだろう、父が死刑になることを。
そして、父も知っていたのだ。自分がもう二度と生きては帰れないことを。
何も知らなかったのは自分だけだった。
ランドはようやく理解した。
父は自分の身代わりとなったのだ。自分の代わりに死刑となったのだと。
やり場のない悲しみと憤りが全身を駆け巡る、そんなランドを強く、強く抱きしめながら母は言ったのだ。
『この国ではね、どんな理由があろうと亜人が人を殺すことは許されないの、ゆるされないのよぉ……』
膝から崩れ落ち慟哭する母は、その日を境に心を病んだのだろう。次第に床に臥せる時間が多くなり、二年後に父のもとへと旅立った。
父の隣に母を埋めた。もうこの森には自分一人しかいやしない。
このまま自分を最期まで愛してくれた両親の墓守をして、一人さみしく死んでいくのもいいかもしれない。しかし、死の間際で言った母の言葉にランドは従うことにした。
『人も亜人も関係ない、愛したい人を愛して、守りたい人を守れる、そんな国があったら良かったのにね』
『そうしたらあたしもランドも、あの人もずっと幸せに暮らしてゆけたのに』
『ねえランド、あたし達の愛しい息子。あたしが死んだらあなたはここを出ていきなさい。あたしたちがずっと求めてた、人も亜人も関係なく生きられる国を見つけるの』
『それでね、あなたを愛してくれる人を見つけるの。あたし位のいい女じゃなきゃダメよ。そうしてね、その人と孫と一緒に家族で顔を見せに来て』
『それが、あたしの最後のお願い。あなたには辛い思いをさせてきたけど、それでもあなたは幸せになってくれなきゃダメなんだから。そうじゃなきゃあの人に会わせる顔が無いんだもの』
母はかつての陽だまりのような顔でニコリとほほ笑んだ。
それがランドの、最後に見た母の笑顔となったのだ。
*
「何年も大陸を歩き回ったんだが、どうも亜人の血を継ぐ俺は異端でな、市場にいきゃあふっかけられるし、宿に泊まれたことなんざ両手の指で数え切れるくらいだ。仕事を探せば門前払いか、ひどいときにゃ水をぶっかけられたこともあったな」
話すことに疲れたのか、ランドは酒で舌を湿らせた。
「どっかにあるはずだ、おふくろの遺言なんだ、早々に諦めたりなんてできなかった。けどな、どこにもねえんだよ、俺を受け入れてくれる場所はな」
「今にして思えばおめぇと初めて会った時、たぶん俺は死ぬつもりだったんだと思う。自殺はできねえ、親父にもおふくろにも悪いからな、だから――」
――――殺してもらうつもりだった。
「…………」
ランドの言葉をエルクは静かに聞いていた。
相槌をうつこともなく、何かを尋ねることもなく、ただその想いだけに耳を傾けていた。
「もう探すことに疲れたんだ、迫害を受けるのにもな。けどお前に会って考えが変わった」
ランドは悟りを得た賢者のような、そんな笑みを浮かべて言った。
「無いなら作ればいいってな」
「ドワーフらしい考えだ」
「なあ、おめぇの国にも亜人はいたんだろ? どんなだったよ?」
「そうだな、一番多かったのはドワーフ族だな、彼らは酒がなければ生きてはいけぬ種族だったから。わが国の酒はうまいといってよく酒場で騒いでいたな、あとは獣人か、彼らは国の近くの草原や森の中で狩りや牧畜をして国に毛皮や乳製品を卸してた。それで塩や鉄、香辛料を買ってたな。ドワーフ族に作ってもらった弓や移動用の天幕を独自に取引もしてたし、街中に住んでるものも少なくなかったな」
ランドはそんな言葉を目を輝かせて聞いていた。
「亜人との結婚も認めていたぞ。ドワーフ族は国の女性たちの中では人気の種族であった。彼らのほとんどが卓越した技術をもった技師だったからな、高給取りの筆頭よ。安定した職業、実直で誠実な人柄、意外とマメな性格といったところで、下手な人間よりもドワーフと結婚したいという女性もかなりいたな」
エルクはそんな言葉に苦笑しながら続ける。
「ただまあ問題もあったがな」
「問題?」
「髭を剃れだの剃らんだの。人間の女性にとっては髭もじゃはあまり受け付けないらしいが、彼らにとっては長い髭は男らしさの象徴らしくてな」
「ダッハッハッハッハ! 分かるっ、分かるぜそれは! 俺んとこもよくそれで言い争ってたぜっ」
ツルツルになった顎を撫でながらしょんぼりしていたよ、とランドは告げた。
「あればかりは参ったな、文化の違い、なんだろうが、異種族間の問題ならば国として介入できるが、夫婦間の問題なれば民事不介入という原則もあったからな。いまだに判別つかずでみんな頭を抱えておったものだ」
「……フ、ククっ、どこも一緒なんだな」
「ああ、どこも一緒だ、何も変わりない。それを受け入れられるかどうかだけの違いでしかない」
エルクが言うと本当にささいなことにしか聞こえない。
しかし、そんなささいなことで自分の両親は殺された。
「なあ、またお前の故郷みてぇな国をここに作っちゃくんねぇか?」
ランドはエルクの目をまっすぐに見つめて告げる。
エルクはその眼差しから視線を逸らすことはできなかった、できるはすがない。
「亜人だろうが人間だろうが、どんな奴であろうと愛したい奴を愛し、守りたい奴を守る、そして幸せにしたい奴を幸せにできるっ、そんな国を作ってほしいっ、そのためなら俺はどんなことでもする、おめえの家臣であろうと奴隷であろうとなってやる――――」
「だから……おめぇの手でおふくろの夢見た国を、亜人が安心して住める国を作ってくれ。頼む」
「――馬鹿者」
エルクの言葉はにべもない。
「作ってくれだと? 余を神だとでも思っておるのか。余の祖国でドワーフ族や他の亜人が受け入れられたのは彼らが自身の価値を示したからに他ならん。こちらの言葉に耳を傾け、誠実に応じてくれたからこそ彼らは共に歩むものとして我らの隣におったのよ」
「そなた自身で示すがいい、この村にとってなくてはならぬ人物だという事を、な」
エルクはジョッキを持ち上げ、ランドの前に差し出した。
「ああ、そうだな」
ランドもまたジョッキを片手に持ち上げる。
子らの喧騒の中に、カチンと小さな音が響いた。
「喋ってたら腹が減ったな、俺はもう少し食べてくるぜ」
*
「おう、オルガー、まだ肉は残ってっかぁ?」
「ああランド、丁度よかった。もうみんなお腹いっぱいみたいでさ。まだ大皿にこんなに残ってるのに」
「そりゃよかった、後は任せとけぃ」
オルガと一緒に食べていた子供たちはみな一様に、小さなお腹をポンポンにふくらませ、仰向けに寝転がっていた。
「……ぅう、もう食えないぃ」「うあぁ、まだ食べたいのにぃ」「もっとぉ、もっと食べなきゃぁ」
「もうっ! これ以上食べたらお腹壊すでしょーが、またしてあげるから我慢なさいっ」
そんな可愛らしい怨嗟の声に、オルガは一喝した。
「ほらランド、どんどん焼くから食べちゃって、お皿がなくならないとこの子たち無理して食べるから」
鉄網の上に次々とおかれていく肉串は、炭の上に脂を落とし、ジュウジュウと香りと音を醸し出す。
程よく焦げ目のついたそれにかぶりついていると、オルガがじっとこちらを見つめてきていた。
「あん? どうかしたか」
「ランド、ちょっと髭が伸びてるわよ。みっともないから剃りなさいよね」
『ちょっとあなた、髭は伸びる前に剃りなさいって言ってるでしょ、みっともないじゃない』
「…………ぁ」
かつてあった幸せの憧憬の一幕。それに似た言葉に、ランドは椅子に腰かけながら夜空を仰いだ。
「え? ちょっ! な、なんで泣いてるのよ!? え、そんなに剃るの嫌だった!」
「あー! オルガ姉ちゃんがランド兄ちゃん泣かしてるー」
「ち、違うわよ、あ、ほらランドお肉焼けたわよー、美味しいわよー、あと髭もかっこいいから、剃らなくていいから。だから泣くのをやめてー」
からかいを飛ばす子供たちに慌てるオルガの様子は、少しだけ、ほんの少しだけ母に似ているような気がした。
まわるは酔いか、思い出か。
己の顔を覆う手から一筋の涙がこぼれるゆくのを感じて、ランドは目元を拭った。
「なあ母さん、母さんの夢は俺が絶対叶えてみせるよ、だからもう少し待っててくれな」
そんな言葉は誰にも届くことはなく、星空のもとへと溶けていったのだった。