第36話 宴のあとに……
「国を興すに五要あり。そんな言葉がある」
宴の終わりか中頃か、酔いの回った頭では思い出せないが、そんなことをエルクは言った。
「五要とはすなわち『王』、『農』、『工』、『商』、『衆』のこと。数は少なくとも質は一級のものがこの村にようやくそろったわけだ」
エルクはジョッキを一気にあおると、不敵な笑みを浮かべた。
「一年だっ、一年でこの村の生活基盤を完璧に整える! そなたらの働きには大いに期待している。頼んだぞ」
「「「応っ!」」」
三人はそんなエルクに負けじとばかりに気迫に満ちた言葉を返したのだった。
セリルは決意する。
自分のエルフの力を使って、村の子供たちにお腹いっぱいに食べさせてあげるのだと。
かつて自分がいた里のように、いつも穏やかで、平和で、笑顔の絶えないそんな故郷をもう一度みなとともに作り出すのだと。
みながいればきっと大丈夫だ。エルクもランドもオルガも、そして新たに村に来た子供たちと力を合わせればどんな困難だって乗り越えていける、いや、乗り越えて見せると。
しかし、翌朝。そんな決意をあざ笑うかのように、頭の中では銅鑼の音が鳴り響いていた。
「……ぅ、ぉううぁああ……」
窓から差し込む陽は、すでに明るく、影の角度からすでに昼近くをまわっていることが分かった。
セリルは絶賛二日酔い中であった。
*
「だいじょうぶセリル?」
しばらく頭を抱えうめいていると、オルガが入ってきた。
「うぅ、頭が割れそうで、す」
息も絶え絶えといった声音で何とか言葉をひねり出す。
オルガは話すこともきつそうだと判断したのか、ベッドの近くの椅子に腰かける。
コプコプと水音とともに、セリルの前にコップが差し出された。
「無理に話さなくていいわよ、とりあえず水でも飲んで今日は休みなさいね」
受け取ったコップを一気に飲み干す。汲みたての水だったのだろう、のどが痛いほどに冷たい。そのおかげか少しだけ頭がすっきりする。
「な、なんで」
「どうしたの?」
「なんでオルガは平気なので、すかぁ?」
若干恨めし気な眼差しとともにオルガを見やる。少なくとも昨日は自分などよりよほど飲み明かしていたというのに。
「んー、何でだろ? わたしあんま酔ったことってないのよね、生まれつきなのかしら」
「うぅ、ずるいです」
「まあそんなこと言わないで、同年代の女のコと飲んだことってほとんどないから昨夜は楽しかったわ、また飲みましょ、今度は二人で飲むのも楽しそうね」
「むぅ」
セリルは不満そうにむくれるが、嫌な気持ちはしなかった。
セリル自身同年代の女の子と一緒におしゃべりをするのは楽しかったし、男どもを交えず、女二人で夜通し語り合うのもきっと楽しそうだ。
「ほ、ほどほどに、なら、いい、ですよ」
「ふふ。楽しみにしてるわ、そのためにもまずは村をもっと発展させなくっちゃね」
オルガとしばらく話していると、少しだけ気分が良くなってきた。昨日はじめて会った人間ではあるが、その親し気な微笑みからは少しの悪意も感じない。
こちらを気遣い、思いやる優し気な言葉や表情にセリルの気持ちは和らいでいく。
「……ふ、ふぁ」
ゆるやかに上る眠気に小さなあくびを一つ。
それを見たオルガは、クスリと笑うと立ち上がる。
「本当にゆっくり休んでねセリル、また来るわ」
*
パタン、と扉の音がして、セリルは目を覚ます。
「ん、んぅ」
目を開け部屋を見回しても誰もいない、代わりに先ほどまでオルガが座っていた椅子に、パンとスープが置かれてあった。
先ほどに比べると随分と頭が軽くなっていた。身を起こそうとするとまだめまいがあるが、やはり今日は一日休んでおいたほうが良さそうだ。
誰かは知らないが、そのスープを作ってくれた人に感謝をしながら、一口すする。
「うん、おいし」
すでに冷めていたスープは薄味だが、いくつもの野菜や香草が煮込まれたそれはお腹に優しい味がした。
そんなスープに舌鼓を打っていると、次に来たのはランドであった。
「ワッハッハッハっ、いやあ愉快ツーカイ! セリル、二日酔いの別名を何ていうか知ってっか? 酒神バッカス様の洗礼だ。酒飲みには避けることのできねぇ登竜門よ。そこをくぐったっとあっちゃぁ、いっぱしの酒飲みだと認めざるを得ねぇなぁ!」
少しだけよくなった頭の銅鑼がぶり返す。
「……く、ぅ、ラ、ランド。ちょっと声を落としてください、頭にひびく、ぅ」
「思い出すぜ。俺がガキの頃にはじめて酒を飲んだ時のことだった。親父どもが散々旨そうに飲んでっからよ、どんなものかと飲んでみたんだが、そのあまりの旨さに一壺飲み明かしちまってよ。次の日二日酔いと親父の拳骨とで頭が外からも中からも叩き割られそうだった、今思えば、良い思い出だよ」
うんうんと、深い頷きを何度も繰り返すランド。そんなランドをどうやって部屋から追い出すかをセリルは必死に考える。
「しっかしオルガは全然平気そうだったな、俺の見る限りおめえの倍は飲んでたはずなんだが」
生真面目な性格が災いし、セリルは先ほどの会話をそのまま語る。
「マジかっ!? となるとオルガは酒神バッカス様の寵愛を受けてんな。羨ましいこった。
知ってっか? この寵愛を受けてる奴は隠れた銘酒をよく見つけ、いい飲み友達に恵まれるって話だ。ってことはだ、俺たちはその寵愛に認められた飲み仲間ってわけか」
「……ぅぁうお、く、おぅ」
頭の中で、戦が始まる。
戦太鼓がガンガンと打ち鳴らされ、銅鑼の大音声が体の芯まで震わせる。さあ戦争だ、といわんばかりに剣戟、咆哮、悲鳴に絶叫。あまりの騒々しさに耳をふさぐが意味はない。
これはセリルの脳内で鳴り響いているのだから。
「アハハハハハっ! すげぇっ! すげぇぞセリルっ! 酒神に認められたんだぞ俺たちっ、ドワーフにとっちゃ最高の名誉だ! いいかセリル、おめえは知らねえだろうから教えてやるよ。酒神バッカス様とは俺たちドワーフだけじゃねえ、世界中の酒飲みにとってだな――」
(うるせええええええぇぇぇぇっ!)
怒鳴り散らそうかと思い、顔を上げるが途端に頭痛とめまいに視界がくらむ。
「ぐ、うぅ、くそぅ……」
傾国の美を持つ少女とは思えぬ罵声を頭の中で浮かべるが、吐き出すまでは至らない。興奮冷め止まぬランドはそのまま聞きもしない邪神バッカスのクソ野郎のうんちくを語り続けたのだった。
*
頭痛がぶり返したセリルがウンウンと唸り続けていると、扉からコンコンとノックが聞こえた。
『セリル、夕飯を持ってきた。入ってもよいか?』
エルクの声だ。なんて心の落ち着く声なのだろう、ランドと同じ男とはとても思えない。
「ど、どうぞ」
扉をくぐったエルクはセリルを見やり、一瞬まゆをひそめる。
「んん? オルガにはだいぶ良くなっていたと聞いたのだが、むしろ昼より悪くなってないか?」
「全部ランドのせいです」
一瞬のためらいも見せずに、エルクへとチクる。
エルクはそんな言葉に、「ああ」と納得したような声を出す。たったそれだけで大体のことを把握したようだ。
「まあそう言ってやるな、ヤツも悪気があったわけじゃないんだ。それだけ昨夜の宴が嬉しかったんだろうよ」
困ったように、それでもそこはかとなく嬉しそうな微笑を浮かべるエルクを見るとそれ以上は何も言えなくなってしまう。
「余も同じだ、あれほど楽しい宴は幾年ぶりだろうな。いや……初めてかもしれぬ。ともに同じ志を持つ仲間とともに語り合うのは。そなたもそうだろう?」
「そ、それは、そうですが……」
「人もエルフもドワーフも、何も変わらない、どこも違わない。故郷を愛し、友を想い、同じ未来を酌み交わす。そなたたちとはいつまでもそんな間柄でいたいものだな」
「……そう、ですね」
エルクは野菜とチーズを挟んだパンをベッド近くのデスクへのせる。
起き上がろうとするセリルを押しとどめ、「そのままでいい」と小さく告げた。
「ごめんなさいエルク、私一人だけ休んじゃって」
「謝ることなど何もない、どのみち今日はあの子たちに村の案内や班の組み分けといったことしかできなかったからな、そなたに働いてもらうのは明日からだ」
それに、と小さく前置きをつぶやく。
「そうなったのは余のせいだからな」
宴の中でしんみりとした空気を変えるために、自分が無理して酒をあおったのことを言っているのだろう。
「すまぬなセリル、気を遣わせてしまった」
「私が勝手にやったことですから謝ることはないですよ。それにこういう時は謝るのではなく――――」
「ああ、おかげでこれ以上なく楽しく飲めた。礼を言おう」
そんな言葉で自分の取った行動は間違いではなかったと分かったのが嬉しかった。
エルクやランド、オルガを楽しませてあげたのが誇らしかった。
そんな気持ちとともに、セリルは「はい」とニコリと微笑みを浮かべた。
エルクはそっと寝そべるセリルの額に手を置いた。
自分の小さな額を包み込めそうなほど意外と大きなエルクの手のひらは、ほんのりと温かく、心地よい。
「……そなたは本当に良い女だよ。エルフであるとか関係なくな」
「……っ! え、えっと、あの、それはどういう意味で――」
『おいエルクっ、晩飯できたってよー』
扉の外から響くランドの声がセリルの問いを遮った。
「ああ! 今行くっ」
凛とした声でエルクは返すと、セリルのおでこから手を放す。
「……ぁ」
名残惜し気なつぶやきは虚空へ消える。
「病、というわけでもないが、ベッドに伏せる者の部屋に長居しても悪いな、まあ明日には良くなるだろう、ゆっくり休め」
「は、はい」とか細い声で返すと赤くなった頬を隠すように、毛布を顔まで持ち上げた。
そんなセリルの様子を見やるとエルクは家から出ていった。
二日酔いの頭痛は嘘のように消え去っていた、代わりに胸だけが早鐘を打っていた。
セリルはゆっくり起き上がると、置いてあったサンドイッチを一口ほおばる。
「……うん、おいし」
――――そして、翌日から村の本格的な復興が始まったのだった。