第35話 かんぱーいっ!
強烈な挨拶もそこそこに終えたエルクたちは、子供たちに食事を与え空き家へと案内する。
街で過ごしていたグループごとに家を分け、一人一人に毛布を与え今日はもう休むように告げる。
思えば五日間の間歩き詰めであった、子らはすぐに毛布を抱え自分の寝床を確保して眠りについていく。
みなが寝静まったのを見てからエルクはランド、セリル、オルガの三人に声をかけた。
「さあ、これからは大人の時間だ」
*
「リッツベルトの子供たちの移住と、オルガの歓迎を祝して――かんぱいっ」
『かんぱーいっ!』
空き家の一つに明りを灯して、四人はテーブルに手をつきながらジョッキを力一杯に打ち付け合った。
「エルクもランドも本当にお疲れさまでした、そしてオルガもようこそフィオークへ。同じ年頃の女の子が来てくれて本当に嬉しいです」
ジョッキに小さな唇をあてながら、セリルはほほ笑んだ。
「ウフフ、ありがとセリル。けどまさかエルフ族がいるなんて思わなかったから驚いちゃったわ」
「まあ道中で言ってもよかったのだがな。実際に見てもらったほうが早いし、セリルの存在は村の外では絶対に秘匿しておく必要があったからな」
「ええ。分かってるわ。絶対に村の外では言わないわ、父さんにもね」
「ああ、助かる」
「ところでエルクよぉ」
一杯目をすでに空けたランドは、オルガの酌を受けながらたずねた。
「しばらくは村でゆっくりできんだよな?」
「……そうだな、今のところは外に出る予定はない。町に買い出しに行くことはあるかもしれんが、そのくらいだな」
そんな言葉にセリルは胸を撫でおろす。
「今後はあの子たちの適性を見ながら仕事を与えていこう、畑仕事に家の補修、食事、洗濯、子守に狩猟とやるべきことは山とあるからな」
それに、とエルクは続ける。
「今までセリル達には苦労をかけた。なんだかんだで余とランドはあまり村にいなかったからなぁ」
村に来てからはすぐに街へと出稼ぎに行った。冬が来たときは一緒にいたが家にこもりきりで、それを越えればまた街へ。
思えば村の中での活動といったものは、セリルやレンツ達に任せきりであった。
「エルク。できりゃシド、カーク、モイラ、サーム、ロイドを俺に預けちゃくんねえか? まずは家の補修をしなきゃなんねえからな」
「中々良い人選だ、あの五人は手先が器用だからな、しかしキゼフとリーズの二人はいいのか」
「こちらとしちゃ助かるが、あの二人は面倒見がいいからな、子守なり畑仕事なり人数の多いとこにいたほうがよくねぇか?」
「確かに。しかし今後技師の増員を見込むなら少しでも早いうちにそなたの仕事を見せて――」
「そりゃそうだが、まずここに慣れることが先決だぜ。なら一月ほど二人はそっちに――」
*
二人の間で唐突にはじまった子供たちの人員会議にオルガは目を瞬かせた。
エルクもランドも子供たちの名や得意そうなことを挙げて、どんな仕事を振るのが良いのか話し合っていく。
中にはオルガも全く覚えていない子の名前をエルクは挙げるが、ランドは特に悩む素振りもなく、その子に適した仕事を告げていく。
(エルクはともかく、ランドまでたった数日で全員の名前と顔を覚えたっていうの!?)
しかもその子の性格や適性まで把握した上でだ。
商会に勤める人間として、人の顔と名前を覚えることには自信がある。そんなオルガでさえこの数日では半分ほど覚えるのがやっとだった。性格や得意なことまで記憶する余裕などない。
驚愕を隠しつつも、オルガは旅立つ前に父から受けた言葉を思い出す。
『オルガ。一つ忠告をしておこう。ランド君に何か頼むときは下手な小細工をしてはいけないよ、痛いしっぺ返しを食うからね』
どういうこと? と尋ねるオルガにラグアスは困ったような笑顔を見せた。
『あの者は儂やお前が思うよりもはるかに頭が切れる御仁だよ。誠ある対応を心がければ決して無下にされることはないだろうからね。まったく殿下も面白い人材を手に入れたことだ』
『見た目に騙されてはいけないよ、あの青年は天才だ――――千人に一人の才を持つ傑物たる男だよ』
*
「ん? どうしたよオルガ、そんな顔してよ。もう酔っ払ったのか?」
「まさか。私はザルだからね、お酒で酔ったってことあんまりないのよ、それよりランドジョッキが空いてるわ」
わりぃな、と嬉しそうに器をよこす姿は、ただの酔いどれにしか見えないのだが。
「その、ランドはあの子たちのこと全員覚えたの?」
「まあ何日も一緒に過ごしたからな、普通覚えられるだろ? エルクもそうだしよ」
エルクを基準にすんなし。
「いや普通の人は無理だから、うぅ、父さんの言う通りだったわ。エルク以上の見た目詐欺だわよ」
ちょっと落ち込みつつオルガはつぶやいた。
「オルガのお父さんはなんて言ってたんですか?」
三人の視線が集まる中でオルガは言った。
「ランドは天才だって……千人に一人の才を持つ傑物って言ってたわ」
そんな言葉に場は沈黙。数秒後、二人の笑い声が沸き起こった。
『――アッハッハッハっ!』
エルクとランドは可笑しそうに大笑を上げた。
「おいおい? ラグアスのオッサンも見る目がねぇな。この俺がそんなタマに見えっかよっ。人でもドワーフでもないただの半端者だぜ? ったく、商会の当主なんだからちったぁ人を見る目を養いな」
エルクもランドの言葉に追従する。
「ああ、ランドの言うとおりだ。ラグアスの観察力も大したことはないな、これ程までに見る目がないとは。商会の行く末が不安になってくるではないか」
「な、なによぉ。人のお父さんのことをそこまで言わなくていいじゃない。ランドはともかくエルクはランドのことを認めてるんじゃないのっ」
「認めているからこそだ。まったく随分と安く見てくれたものよ」
「「「……え?」」」
「ランドは千万に一つの才持つ男だ。天才だの傑物だのとずいぶんと生ぬるい言葉を使ってくれる。
この者は英雄に足る器持つ者よ」
*
「お、おいおい……」
「別に世辞でも追従でもないぞ。少なくともそなたは二回余を言い負かしておるからな」
酔いが醒めたかのように静まる中で、エルクは指を一本立てて言葉を紡ぐ。
「一回目は子らに襲われ金を奪われた時。金を取り返そうとするそなたの言葉に余は何一つ言い返すことができなかった、最後はそなたの慈悲と情に縋りつくこと以外にできなかったからな」
二本目を立てる。
「次はラグアスを臣にした時だ。あの時も完全にぐうの音もでなかったな。余は交渉や弁舌においても幼少の頃より学ばされておった。そんな余を言い負かせる相手などこの大陸に十とおらぬよ。ただの愚者や技師にできる芸当ではない」
そしてエルクはランドを睨むように目を向けた。
「あと、前々から思っておったがそなたのその卑屈な物言いはどうにかならんか? 少なくとも余はそなたのことを半端な男だと思ったことはただの一度もない。そなたの仁義に厚い性格はどんなものより信頼できるし、敬意も抱いておる。セリルもそうだろうよ」
なあ? とセリルに顔を向けて同意を求めると、セリルも深く頷きを返す。
「ええ。ランドはエルクと同じくらいに信用してますし頼りにもさせてもらってます。もちろんあの子たちもですよ? そんなランドが半端者だとか、俺なんかとか言ってたら私たちにも失礼極まりないと思いませんか?」
二人の言葉にランドは天井を仰ぎ、片手で顔を覆った。
「勘弁してくれ、あんま褒められることに慣れてねぇんだ、酔いが醒めちまう」
そんな姿にパンパンとオルガは手を叩いて立ち上がる。
「はいはい。これ以上言ったらランドが泣いちゃうでしょ。気を取り直してもっかい乾杯しなおしましょう。ほら、みんなジョッキを空けて」
オルガは席を立ってから、みなのジョッキに酒を注いでいく。
「……あんがとな」
ランドのそばで酒を注ぐときに、こっそりと囁かれるかすかな声にオルガは肩をポンポンと叩き、返事としたのであった。
*
二度目の乾杯を終え、再び宴席に活気が戻った。
「けどエルクもよくあんなに子供たちを集められましたね」
「ふっふっふ。なに、村長に就任しての初仕事だからな。気合を入れて臨んだだけのこと。いやぁ最初は不安だったが何とかうまくいった。よかったよかった」
「なに言ってやがる。不安だったのはどっちだと思ってやがる、なあオルガ」
一息に半分ほど飲み干す二人の言葉に、オルガは一口だけつけたジョッキを下した。
「本当よ、あんまり心配かけさせないでよね、あんな怪我までして」
そんな言葉にセリルが呆れたような嘆息を一つ。
「はぁ、またエルクは無茶したんですか」
「またとは人聞きが悪いな、余はできることをしているだけで無茶や無理はしていないぞ」
「どの口が言うかな」
「で、エルクはどんな無茶をしでかしたんですか?」
セリルの言葉にランドとオルガの二人は気まずげな表情を浮かべた。
「まあその辺りのことはおいおいな。今は飲もうぜ、せっかくの席なんだからよ」
「そ、そうそう。ほらセリルにはこっちの果実酒なんかいいんじゃないかしら? 私もお気に入りなのよ」
そんなことを言うのは二人の気遣いなのだろう。セリルもそんな空気を察したように少し面持ちを沈めた。
そんなセリルの沈鬱な顔にエルクは慰めるように声をかけた。
「……いや、余から話そう。少なくともこの場にいる四人の間で隠し事はしたくないしな」
そう言ってエルクは酒を一口だけ含み、嚥下してから語りだす。
倉庫の中で何があったかを、ギルに暴行を受け、己が身をさらけ出したことを、包み隠さずセリルに語った。
「……っ、ぅ……エ、エルクは、何でいつも、そんな――」
すべてを聞き終えたセリルは、目じりに涙を浮かべ嗚咽を漏らす。
「泣くなセリル。あそこは何をしてでもギルたちの信頼を得るべき時だと思ったのだ」
ランドもオルガもかける言葉は見つからず、沈痛な面持ちで二人を見やる。
「け、けど――」
「結果を見ろ。そのおかげであの子たちが村へとやってきた、百六十人以上の子供たちがな、この傷がなければここまでの成果はなかったろう、そう考えれば、フフ、奴隷となってよかったかもな」
死んだ方がマシ、そう断言できるほどの傷を受けたことを良かったなんて言える者など、この世に一人もいるわけがない。
小さく笑いながら、そう言ってくるエルクを涙に濡れた瞳で見つめる。
「…………ばか」
「もう済んだことだし、結果は最上。ならばそれで良いではないか」
こちらをいたわるような言葉を告げてくる。いたわるべきはこっちの方だというのに。
「……そう、ですね」
――パンっ!
セリルは、気合を入れるように己の頬を両手で叩く。
「わかりましたっ! だったら今夜はエルクを労ってやりますよっ、思う存分飲んでください! エルクっ、あなたはよくやりましたっ、さすがは私たちの村長さんです!」
セリルはそんな言葉とともに、酒の入った壺をドンとテーブルの上においた。
「さあエルクっ、まだジョッキが空いていませんよ。今夜はジャンジャカ飲んでください、ランドもオルガもせっかくの祝いの席になに辛気臭い顔をしてるんですかっ、私も飲みますから二人ものんでくださいっ!」
そんなことを言いながら、セリルは率先して立ち上がるとジョッキを一気に傾けた。
ゴクリゴクリと、細いのどが音を鳴らして波打っていく。
「お、おいセリル……?」
ラグアスからもらったこの『ダイギンジョウ』という酒は、相当に度数が強く水で薄めてから飲むものである、決して酒に慣れていない者が一気に煽っていいものではない。
それでも――。
プハァっ、と口元から滴り落ちる酒精を袖で強引に拭って、セリルは叫ぶ。
「さあもう一度乾杯しなおしましょう、今度の音頭は私がとりますよ、ほら、何をしてるんですかっ、みんなさっさとジョッキを空けなさい」
「お、おう」「は、はいっ」
セリルの迫力に押されたように二人は、ジョッキを傾けていく。
そんな姿を見て、エルクは可笑しそうに笑う。
「さあみんなお酒は行きわたりましたねっ、それではっ、エルク村長の初仕事成功と新生フィオーク村の未来を祝して――――かんぱいっ!」
ジョッキを高々とかかげるセリルの言葉と想いに、応えるように三人は高らかに叫ぶ。
『かんぱーいっ!』