第33話 ランドの弁舌
「ワハハハハハっ! 中々話せるじゃねえかラグアスさんよぉ」
「はっはっは。いやいや君こそ中々話が分かる。この味が分かる者と一度話がしたくてねえ」
「しかしいいのかい? オルガを村によこしてよ」
「無論だとも。それにこれはオルガ自身が望んだことなのだから、よろしく頼むよ」
つまみをのせた皿も幾枚か空となり、酒の入った壺も床へと転がりすでに二人は数年来の友人とばかりに意気を投合させていた。
「君には心から感謝しているよランド君。殿下の支えとなってくれたこと、それに家臣となれたのも君が言葉を添えてくれたおかげだ。いくら礼を言っても言い足りん」
「感謝されるこっちゃねえよ、俺はやりたいことをやっただけだし思ったことを言っただけだ。それにあの村を発展させるためにはあんたの協力が必要だ、少なからず打算もあった、わりいけどな」
「なに、儂も商人だ。打算ありきの行動に何を思うことがあろう。君はいい商人になれるだろうよ」
「そりゃ嬉しいね」
ラグアスはグラスをあおり、チラリとランドの様子をうかがった。
すでに顔はほんのり赤く染まり、酔いはいい具合にまわっているようだ。話も転がり機嫌も良い。そろそろ本題に入るとしよう。
「ところでランド君、王にとって最も大事な役目とは何か知っているかね?」
「うん? 民を守るとかそんなことか?」
「うむ。それも大切な仕事の一つではあるがね。最も大切な役目とは、血をつなぐことにこそあるのだよ」
「血をつなぐ、ねぇ」
ランドは持っていたグラスを一口分傾けて、ラグアスを眺める。
「民を守るは騎士の領分、政治は文官がやればいい。ならば王にしかできぬ役目とは何か? それは幾世代にもわたり民の信頼を得ることに外ならぬ。『この御方がおれば国は安泰だ』、『御方の血筋あらばこそ国の平和は守られる』、そういった永世への治世の象徴。それこそが王者たるものの役目なのだよ」
なるほど、とランドは小さくうなずいた。
「村を発展させること。殿下がおらばそれは成る。しかし殿下お一人では決して成しえぬことも――――」
「まだるっこしぃぜ、ラグアスさん」
「……っ」
紡ぐ言葉の中でランドの瞳にはっきりと知性が宿るのをラグアスは感じた。機嫌の良さそうな笑みは酔いとともに消え失せ、ラグアスはその大きな瞳に見据えられた。
思わずゴクリと息をのむ。
「つまりあんたはこう言いたいわけだ。エルクとオルガをくっつけろ、と」
やられた、という気持ちは何とか顔には出さずにはすんだと思う。
「……酔いは演技か? 中々芝居がうまいじゃないか」
「よしてくれ、これでも結構いい気分で飲んでたぜ? 今まで飲んだ中で一番上等な酒だしな」
ランドは口をつけたグラスを一気に煽り、テーブルへと戻す。静かな部屋にタンと小気味の良い音が鳴った。
背筋を伸ばし、ソファーに座り直す。こちらを値踏みするような視線に、すでに酔いはない。
まだまだ酒の量が足りなかったようだ。だが、この程度のことで諦めては商会の当主など務まるはずもない。
「これはしてやられたな。では改めて君に頼みたい。殿下とオルガの仲をとりもってくれないか? 儂にできることなら何でもする。うまくいけば当然報酬も期待してくれていい」
「何のために? エルクのためか、自分のためか? それとも村のためかい?」
「無論、殿下のためにこそ」
ラグアスは迷うことなく即答した。搦め手が通じる相手ではないということが分かったからだ。
なれば心の内を正直に話し、誠意をもって応ずるのみだ。
「村を復興するのは殿下といえど簡単なことではない、時に抗いがたい悲劇もあれば、心折れそうな時もある。そんな時に愛する者がそばにおれば心の支えとなるだろう。オルガは出来た娘だ。親の儂が言うのも何だがね。殿下の伴侶となるに不足はないはず。今後もきっと公私ともに支えてくれるに違いない。君もそうは思わないかい?」
「まあ、そうだな」
ランドは小さく頷き、同意する。そんな様子を見てラグアスは深く頭を下げた。
「どうかこの通りだ。引き受けてはもらえないだろうか?」
ランドの沈黙は思考している証だろう。答えが出るまで頭は下げたままにラグアスは待った。
「……あんたにゃ悪いが、お断りだ」
しっかりとした意志を感じる口調、迷った末に出した結論ではない。思考の末に行きついた確かな答えだと感じた。
(これは、説得するのは無理そうだ)
諦めが悪いのは商人の美徳だが、引き際を見誤るのは商人として失格だ。
ラグアスはランドの説得を早々に諦め、顔を上げた。
「……そうか、残念だが仕方ない。よければ理由を聞かせてもらっても構わないかい?」
「あんたの話にゃ一番大事なものが欠けてんだよ」
「大事なもの?」
「――――オルガの気持ちさ」
「……む」
言葉を返せず、小さくうなる。
「エルクがいい男なのは認めてる、妻を得ることは村のためにもあいつのためにもなるだろう、あいつの親父に恩があるってのもあんたにとっちゃ大きな理由なんだろうさ。けどな――」
「――オルガにゃそんなことは関係ねえだろう?」
利でも算でもなく、この青年はただ心のままに話しているのがラグアスには分かった。
「あんたの前で言うのも何だがオルガは良い女だ、こんな半亜にも普通の奴らと同じように挨拶をした。大抵の奴らは嫌悪や蔑んだ目で見てくるのが普通なのにな、オルガの目にはそんな悪意は欠片もなかった。ただのエルクの友人としか映らなかったみたいでな」
ランドはその時を思い出したかのように、小さく笑い自分の右手を見つめた。
「その時握手までしてくれたよ、人間から握手を求められたことなんざ片手で数えて釣りがくる」
ランドは視線をラグアスへと戻した。
「あんないい子の未来を、周りの都合で決めちゃあなんねえよ」
ラグアスはため息をつき、頭をボリボリとかいた。
「……何年ぶりだろうな、これほど完璧に言い負かされるのは」
「商会当主を論戦で打ち負かせたかい? 俺の舌も中々のもんみてぇだな、気分がいいや」
二人は互いに笑い合い、ラグアスは再び頭を下げた。
「つまらぬ真似をした。どうか許してほしい」
「許すも何も怒っちゃいねえよ、気にすんな。あんたのことはあんたが思ってる以上に信用してんだぜ?」
「そうなのかい? 信用されてないから酔った振りまでして儂の油断を誘ったのではないのかい?」
「んにゃ。単にあれぐらいじゃ俺を酔わすにゃ足んねえよ、ただかなり高そうな酒だったからな、もっとよこせとは言い辛かった。あんたの顔を立てるため酔ったふりしてただけなんだが、かえって悪ぃことしちまったな」
気まずげに語るランドに、目を丸くして驚いた。
「なんと。全部儂の早合点であったか」
「ついでに教えとくよ。あんたに借りがあるって言ったとき何のことか気づいてねぇみてえだったからな」
ラグアスは首を傾げた。
「ああ、儂は君に何かしたのかね、覚えがまったくないんだが」
「手の平さ」
「手の平?」
出してみな、そんな言葉に己の手を差し出し、手を開く。
「その傷だよ」
手のひらにあったのは四つのつめ跡。ラグアスの手にはよほど強く握りこんだのか三日月形の傷跡が残っていた。
エルクが倉庫で暴行を受けているときにできた傷であった。
エルクとの約束があればこそ抑えることができた。耐えることができた。しかし胸の内に猛る思いだけは抑えきれなかった。傷つきゆくエルクの姿を前に、何もできない己が不甲斐なくて仕方なかったのだ。
いつしか閉じられた拳は、血が零れ落ちるほどに強く、強く握りしめられていたのだった。
ランドは何も言わず、自身の手のひらを差し出した。
「そ、それは……」
そこにあったのは自身と同じ、三日月形の爪の跡。己の激情を必死に耐え続けた者だけが刻むことのできる証。
「あんたの手から滴り落ちる血を見たからこそ俺も何とか耐えられた。そうでなきゃきっと俺はギルを殴ってでも止めてただろうよ。踏みとどまれたのはあんたのおかげだ。礼をいう」
ランドは頭をぺこりと下げた。
「同じ男に、同じ思いを、同じくらい感じたんだ。これを信用しなくていったい何を信じるよ」
「……そうか、我らは同志だったというわけか」
それに気づかなかったのは自分だけであったらしい。
きっとこの青年は自分よりももっと近しい場所でエルクの力となっていたのだろう。そんな人物を酒で懐柔できようとはランドにも、彼を友と呼んだエルクに対しても不敬極まりない行為であった。
「本当に申し訳ない真似をした、儂の非礼どうか許してほしい」
ラグアスは先ほどよりも深く頭を下げた。
「ああ、詫びは確かに受け取った。まあ気にすんな、俺もあいつにゃ借りがある。あんたと似たような立場さ、信用しろとまでは言わねぇが、仲間として認めてくれりゃ嬉しい」
手をヒラヒラと振りながら何でもないふうに言うランドに、ラグアスは頭を上げた。
「そうか、そうだな。感謝する、ランド君」
「まあそういわけだ。んじゃ、そろそろ帰るわ、明日はよろしくな」
ランドは立ち上がり、扉へと向かう。
「ああ。今度は腹芸無しで飲もうじゃないか。君が飲みきれなくなるほどの酒を用意しておこう」
「楽しみにしてんぜ、どうせならあいつも一緒にな。中々うまい酒だったぜ、ごちそーさん」
快活にニカリと笑う顔は、どこまでも真っすぐで無邪気な少年のようなものであった。
扉が閉まりランドの足音が遠ざかってゆくのを聞きながら、ラグアスは背中をソファーへとうずめた。
ラグアスはそのままランドという青年のことを考える。
半亜であればきっとどうしようもない境遇にあってきたのだろう、この国ではいまだに亜人の蔑視が続いているのだから。
人の社会で散々辛い目にあってきたことは先ほどの言葉からもうかがえた。
けれど。
彼はどこまでも誠実だった。人間という種に恨みをもつわけでもなく、自分と向き合った者を種ではなく個として見ようとしてくれている。
どんな目にあってもその公正なる気性は歪むことはなかったのだ。
それはエルクが過酷な奴隷生活の中で慈悲を見失わなかったことと同じくらいに難しく、そして何より気高いことである。
「殿下が友と呼ばれる気持ちもよく分かる。本当に気持ちの良い若者だ」
彼は今後もエルクのもとで、村を復興させる一翼を担う人材となるだろう。
「うらやましいよ、ランド君」
自分もフィオークへと向かってしまおうか、と半ば本気で考える。
殿下とランドという青年の隣で、滅びた村を復興させる。
なんともなんとも面白そうな話じゃないか。
それでもやはりと、ラグアスは首を振る。
「あと三十も若ければ、な。まったく年はとりたくないものだ」
深いため息とともに、そんな言葉をつぶやいたのだった。