第32話 ラグアスの暗躍
そして、一週間がたった。
倉庫に集まった子供たちの数は百六十七人にも及ぶ。
怪我をしたものに手当てをし、体調の悪いものには薬を与えた。
しっかりとした食事をすることで、子らの具合は目に見えて回復していった。
倉庫を見回したエルクは隣にいたラグアスに声をかける。
「では予定通り明日の朝に出立する。準備はできておるな?」
「無論ですとも。新たな種もみ、食糧、衣服、人数分の毛布にその他もろもろ。すべて万端にございます」
「そうか。そなたには世話をかけるな」
「なんの。これ位ではエルード陛下に受けた恩の万分の一も返せてはいませんぞ。どうか今後もこの老骨を使って頂ければ幸いにございます。エルク殿下」
「ああ。今後も頼らせてもらおう。そなたと出会えた幸運、父上に感謝せねばな」
そんな言葉にラグアスは破顔し、恭しく頭を下げる。
「勿体なきお言葉。それでは我が屋敷に帰られますか?」
「いや、今日はよしておこう、今宵は彼らとともにいたいのでな」
「さようでございますか」
「ああ、また明日、よろしく頼む」
「はい。それでは失礼いたします」
*
屋敷へと戻ったラグアスは、出迎えにきたオルガに外套を渡した。
「お帰りなさい父さん。あれ、エルクは?」
「倉庫に残るそうだ。今夜はあの子らと一緒にいてやりたいそうでな」
「そっか」
オルガは納得したように頷きを返す。
「ねえ父さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
*
私室のデスクにランプが灯る。
薄暗い部屋の中で、ラグアスはしばし目を閉じ思索にふける。
(本当に、あの御方のご子息であらせられたか)
疑っていたわけではない。ただあれほどの智と器を持っておられたとは思わなかった。
今後、村の行く末は厳しいものとなるだろう。いまだ働き手として未熟な子供たちを百五十人以上も村へ連れていくのだから。
しかしラグアスには何の不安もなかった。エルクの治める村なのだ。あの一族の末裔が復興をすると決意した土地なのだ。
フィオーク村は飛躍的に発展する。それが確かな未来であることを欠片も疑ってはいなかった。
「いつか世界の要となるやもな」
自分がそれを見ることはできぬだろうが、それでもあの御方ならば次代か、その次位には――――。
「………………ふむ」
ラグアスは顎に手をあて考え込んだ。
次代の王となると、当然世継ぎが必要となるわけだ。世継ぎを作るとなればそれは伴侶をとらねばならぬ。どれほど偉大な王とて一人で子を作れるわけではない。
村へ連れていく子もいまだ幼きものばかり、となると――――。
「父さん、入ってもいい」
ノックの音とともに愛娘の声がかかった。
「ああ。入れ」
部屋へ入ったオルガはラグアスの前に立った。言いづらい頼みなのか、口を開けど言葉は中々出てこない。そんなオルガをラグアスはじっと見据えた。
その眼差しは父が娘を見るものではない。商人が大事な顧客へ手渡す品を見定めているかのように鋭い。
「と、父さん?」
オルガの不審げな声にもラグアスは表情を崩さない。上から下までじっと見つめる。
今までずっと男と算盤を弾いてきた娘。父の欲目かもしれないが見目は良いし、性格はきついが気立てはいい。
エルク殿下も本来であれば婚約の一つもしていてよい年頃だ。
もしも殿下とオルガが結ばれたらば――。
ラグアスの脳裏に褐色の肌を持った愛らしい赤子が思い浮かんだ。
その赤子は無垢な笑みを見せながら両手を前に出し、おぼつかない足取りで懸命に歩み寄り、
「――じ、じぃ、じ♡」
思わずラグアスは机に頭を打ち付ける。
(いかんっ! いかんぞラグアス・シャイルークぅぅぅぅううううううううう!)
「父さんっ!? 父さんっ、どうしたのっ!」
そんなオルガの悲鳴もラグアスの耳には入ってこない。
(この儂如きがかの一族の系譜に名を連ねるなどと、そんな大それたことを考えてはならぬぞおおおおおっ)
ゴガンっ!
そんなひと際大きい音と痛みでもってラグアスは我へとかえった。
「だ、だいじょうぶ父さん? 頭でも打った、のは分かるんだけど。お医者さん呼ぶ? あ、頭の方の……」
「……いや大丈夫だ。それで願いとはなんだ?」
「あ、あのね、あたしもフィオーク村についていっていいかな?」
「……ほう」
「エルク達だけじゃやっぱり子供の面倒も見るのは大変だと思うしさ、それに父さんが受けた恩ならその娘のあたしが返すのも当然だと思うの。だからさ」
「もちろんかまわぬ、本来なら儂自ら殿下のもとへはせ参じたかったが、いやマジで。あの村は若者たちの未来ある村、こんな老いぼれがいったところで大した役にはたてぬだろうからな」
思わず零れ落ちそうな笑みを必死に抑え、神妙な顔つきでオルガに向き合う。
「父として、商会の当主としてお前に頼もう。フィオーク村へと行き、どうか殿下の助けとなってくれ」
「ほんと!? ありがとう父さん!」
(うむ。まあ儂が何を考えようと栓無き事だ、ただあの方の大望に力を尽くせばそれでよい。その結果オルガが選ばれたらば、それはめでたきことなのだから。後は若者に任せればよい。老人が手を出してもろくなことにはならぬのだから)
*
「――――んで、話があるって聞いたんだけどよ、何か用かい? ラグアスさん」
倉庫に使いをやってランドを応接室に招いたラグアスは、柔らかなソファーへとその背をゆだねる。
二人のはさむテーブルの上に銀製のグラスを二つ置く。
「なに。村のことを聞きたくてね、殿下はお忙しいようだしお呼び立てするのも気がひけてね、ランド君の目から見た村のことを教えてほしいのだよ」
「うーん、あらかたエルクから聞いてんだろ。特別俺が知ってるってこともねえぜ」
「それならそれでいいさ。君ともゆっくり話がしたいと思った。それに儂もいささか酒にはうるさくてね」
そう言うとラグアスは陶器でできた先がすぼまった壺のようなものから栓を抜いた。
途端に広がる酒精の香りに、ランドは思わず喉を鳴らした。
「な、何のつもりだ、あんた?」
「ん? いやドワーフ族は種族そろって酒の目利きだと聞いている。儂の秘蔵の一本の評価を聞いてみたいと思ったのでね」
グラスにトポトポと酒を注ぐ。ランドの目はそこに釘付けだ。
ラグアスは心の中でニヤリと笑うが、もちろん表には出しはしない。
海千山千の商人の顔がそこにはあった。
「ヒズル国という東の島国の一本。『ダイギンジョウ』という名の酒だ。麦や果実ではなく米という穀物からのものだが、どうだい? 感想をきかせてほしい」
「……何考えてやがる?」
ランドの瞳に警戒心が宿る。
「別に毒など入れておらんよ、心配なら儂が先に飲んでみようか」
そういってラグアスは己の杯を傾ける。
「くーーーーっ! いややはり良い。エールやワインも悪くはないが、この味わい深さはあの国ならではだな。どうだ、素面ではできぬ話もあるだろう。ささ、一杯やってくれ」
「ま、まあ一杯くらいなら」
そんなラグアスの誘いに、半分とはいえドワーフ族たるランドが抑えきれるはずもなかった。
グイッと一息にあおり、「ク~~っ!」と喜びにうなるランド。
「おお、やはりいける口だな。さ、遠慮は無用だ、もっとやってくれ、ランド君」
徳利を傾けながら空いたグラスへ酒を注ぐ。
「いや、なんかわりぃなラグアスさん」
「気にすることはない、君には借りがあるからねぇ」
「俺もあんたにゃ借りがあんだが、まあドワーフ族として酒の誘いは断れねえな」
借りというのが何のことだかわからなかったが、ここは話を合わせておこう。
ランドの無邪気な笑みを見ながら、ラグアスはほくそ笑む。
――――さて、それでは商談に入ろうか。