第31話 カレットの考察②
カレットは思い出していた。
冬が来る前にギルがサリアを使い、獲物を誘い出してから金品を奪うという方法で大金を手にいれたという話を。
その獲物は褐色の肌を持つ珍しい青年であったということを。
目の前のエルクと名乗る青年は、きっとその時の人物だ。ならば、なぜ――。
(不意をつかれたから、ギルたちにやられたのか?)
そう尋ねようと決心した。
これから自分たちはどことも知れぬ場所へ連れていかれることとなる。エルクという人物をしっかりと見定めねば自分たちの身が危うい。
そう判断してのことであった。
「ねえ、お兄さん」
そう呼びかけると、エルクは立ち止まり振り返る。
ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、と口を開きかけた瞬間。
曲がり角の陰から、一振りのナイフがエルクへと襲い掛かった。
「――っ!?」
悲鳴を上げる間もない刹那の間に、エルクはその剣先を指先ではさんで受け止めた。
しかしエルクは全く動じた様子もなく、カレットへ視線をやる。
「どうしたカレット? 何か聞きたいことがあったのではないのか?」
腕と手にしたナイフしか見えぬ襲撃者。この瞬間、自身の命を狙われたことにも関わらず、エルクの顔は恐怖の欠片どころか、動揺さえも浮かんではいない。
カレットの疑惑が確信に変わる。
「あ、兄貴っ! そんなこと言ってる場合じゃっ、そいつは――」
「うん? ああ、この者のことか」
エルクはそこでようやく首を巡らせる。
「ふむ、ガイゼル商会で見た顔だな。先ほどビル殿が言っていた輩だろう。大事ない。そんなことより――」
エルクは一瞬で興味を失ったのか、カレットへと目を向ける。
心から嬉しそうに口角を吊り上げ、エルクは笑う。
「どうしたカレット? まるで怪物でも見るかのような目ではないか」
「……っ!」
「そのような目で見られるのは随分と久しぶりだ。余は嬉しくてたまらない。そなたが何に気づき、何を思ってその目に至ったか、知りたくてたまらぬのだ。
何か聞きたいことがあったのでは――」
「くそっ! 無視してんじゃねえぞクソ野郎がああああああぁぁっ!」
自身の言葉を途中で遮られたエルクは、小さな舌打ちを一つ。
「五月蠅いな」
そのままナイフを持った手を思い切り引くと、つんのめるような形で男が角から姿を見せた。
大柄の体躯をもったいかにも荒事に慣れてそうな男であったが、体勢を立て直そうとした瞬間、エルクは両手で頭と背中をそっと抑え、その喉元に鋭い膝蹴りを打ち込んだ。
グブェっ、と口から血を吐きながら、倒れ伏す男はそのままうめき声すらあげずに沈黙する。
男が手にしていたナイフが、小さな音をたててカレットの足元へ転がった。
子供たちはおろか、ギルでさえも唖然とする中でカレットだけはエルクを睨み据えていた。
「さてカレット、何か聞きたいことがあるのではないか? 構わぬ、答えてやろう。だからそなたも語って見せよ。今そなたの目に余がどう映っているのかをな」
両手を広げ、満面の笑みを浮かべるエルクの態度は、カレットの心に恐怖を浮かび上がらせる。
エルクの心の有り様があまりに自分たちとはかけ離れ、理解できなかったからだ。
「……聞きたいことってのはさ、まずギルがお兄さんを襲ったときのこと。倉庫でのことじゃない。冬が来る前にあんたからお金を奪ったことあったでしょ? あれはわざと襲われたのかってことだったんだけど、今のを見て確信した。あんたはわざとギルたちにお金を奪われた、いや奪わせたんだ」
「ほう」
「もう一つ聞きたい。あたしらが冬を過ごした廃倉庫。今炊き出しをしてるって言ってたけど、あそこを借りてるのはあんたかい?」
「うむ、相違ない。そなたはなぜ余がそんなことをすると思う?」
「あたしたちを、生かすため」
「……」
「今考えりゃあの廃倉庫もおかしかった。鍵もかけられてなかったし、誰も見回りにも来なかった。中にあった木箱は穴の開いた毛皮とか売りもんになりそうもない服とかいっぱい入ってた。まるであたしらが冬を越せるよう準備してるみたいにさ」
カレットは息をつきながら、チラリと地面に転がっていたナイフを見やった。
「全部あんたが用意してくれてたんだろ。あたしらをどっかに連れてくために」
街中で何度か見かけたことはあった。エルクの褐色の肌は目立つからだ。ギルたちの話を聞いてその時感じたのは、ただの間抜けなカモというだけであった。
しかしその印象はあの日の夜までであった。
あの夜エルクの戦いぶりを見て、カレットの印象は少しだけ変化する。信じられないくらい強いくせに意外と間抜けなカモであるという風に。
一度、ギルにそのことを忠告しようと思った。いつかあの刃が自分たちに復讐を告げるのではないかと。
伝えたところでもうどうにもならない、いや、伝えたところで信じてはくれないだろう。どうすればいいのか。
そんな悩みも杞憂に終わる。
カレットが思い悩んでいる内に、エルクはさっさと街を出ていったからだ。
安堵するのも一瞬だった。
街で噂がたった。
今年の冬は銀獄期がくる――と。
火事にあった家の軒下では到底過ごせないほどの寒波がくる、そんな噂でカレットの頭からはエルクのことはきれいさっぱり忘れ去ってしまっていた。
どうしようかと考えていると、ギルから提案があった。鍵の開いてる空き倉庫があったからそこに来い、と。
他にあてもないため、ついていくとそこには冬を越せそうなほどの防寒具が山と置かれてあった。
何とか冬をやり過ごし、ギルに礼を言って古巣へと戻ったがあまり嬉しくはなかった。
またこれから命をかけて盗み続ける日が始まるのだから。
露店で食い物をかっぱらい、人ごみにまぎれ金をすり取る。そんな日々に嫌気はとっくにさしていたのだが、それ以外に飯を食う種がなかった。
もう少し大きくなれば娼館にでも入って、この子たちに安全な住処を与えてやれるのに。
そんな風に思っていると、カークが現れギルが来た。あのエルク・ランクロットを兄貴と呼んで。
正直わけがわからなかった。
わからぬ内に先ほど財布をスッた男が飛び込み、さらに事態は混迷を迎えた。男だけでも何とかしようとエルクをけしかけてみたが、なぜか説教されてしまう。男に頭を下げると意外なことにそれで事が済んだようだ。
村にきてほしいという願いを受けて、そのまま了承してしまう。
道中でのギルの問いにカレットは答えた。
『――どれだけ徒党を組んでも勝てっこないわよ』
ならギルたちが勝ったのは不意をついたからか? そんな疑問がカレットの胸をついた。
きっとそうだろう、どれほどの達人だとしてもいきなり背後から襲われてはひとたまりもなかったのだろうと、そう思おうとした。
いや、そう思いたかった。確認するためにエルクへと声をかけた。
振り返るエルクの背後からナイフを持った男が襲ってくるが、あまりに呆気なく顔も知らぬ襲撃者を一蹴してしまう。
カレットは確信する。
ギルの襲撃を受けたのはわざとであったということを。
それを知った瞬間、背筋が粟立った。
――はじめからすべて計算だったとしたら。
ギルの襲撃を受けたのも、倉庫を借りたのも、すべて自分たちを生き延びさせるためだったとしたら。
この町の孤児たちを全員村へ連れていくためだったとしたら。
それはつまりギルに襲われた時点で、逃げることでもお金を守ることでもなく、襲ったギルたちを救うことを考えていたということに他ならない。
それはもはや人の考えうる業ではない。打算や策略という言葉にすらおさまらないまさに神算ともいうべきものだ。
カレットはただ自身の理解をはるかに超えた存在に恐怖した。
そんなカレットの顔を見てエルクは言う。
「――どうしたカレット? まるで怪物でも見るかのような目ではないか」と。
カレットは知る由もないが、その目はエルクとの決闘を終えたディーノと同じ眼差しであった。
*
カレットは落ちていたナイフを手に取り、エルクへと向けた。
「あたしが、あたしが知りたいのはなんでそこまでしてくれんのかってことだっ、何であたしらみたいな何の価値もない子供にそんなことしてくれるんだよっ、おかしいよ! 今までそんなことしてくれる人なんか一人だっていやしなかった。どいつもこいつもドブネズミみたいに無視するか、見下すようなやつばかりだったのに……、なんでなん、でっ!」
ナイフの切っ先に自身の顔を近づけるように、カレットの前にひざまずいた。
「誤解があるな。そなた達を何の価値も無いと思ったことなど一度もない。むしろそなたほどの価値ある存在は今の余には考えつかぬ」
エルクはただ真っ直ぐににカレットを見つめた。
「何言ってんだよ、あたしらなんて何もできねえ、何の役にも立ちはしない、ずっとそういわれてきたんだ、今更そんなこと言われたって信じられるわけないだろ」」
信じたいけど信じられない、信じるわけにはいかない、そんな思いを吐き出すようなカレットの叫びに、エルクは首を振った。
「そんなことはない。ギルもカークも、そしてそなたも、自身の身より幼き子らをのことを助けようとした。守らんとした。明日をも知れぬ身でありながら、それでも他者を守ろうとする気概ある者がこの世にどれほどいるものか」
エルクはそのまま胸に手あて頭を下げる。
「そんなそなたたちのような者だからこそ、余は村に歓迎したい。我らが村に来てほしい。
どうかこの通りだ。カレット。フィオーク村へ来てはもらえぬだろうか」
「……っ!」
自分たちでは歯もたたぬほどに強い男。力づくで連れていくこともできただろうに。それでもエルクはただただ誠意をもってのみ自分たちと向き合おうとした。
「もし余がそなたらの信頼を一つでも裏切ればそのナイフを余の胸に突き立てるが良い」
「な、なんでそこまで……っ」
「わけの分からぬ男に何処へと知らぬ場所に連れていかれようとしている。そなたらにとっては命を預ける行為に他ならぬ。ならば余も同じように命をかけねば対等ではないからな」
カレットはナイフを思い切り振り上げる。
「カレット!!」
ギルの叫びが路地裏に響き渡った。
それでもエルクは決して目をそらそうとはしなかった。このまま振り下ろしてもエルクはきっと避けはしないだろうという予感めいた確信があった。
そして、そんな確信を抱いた時点で、カレットは敗北を認めた。
「約束して。あたしら全員守ってみせるって。誰一人見捨てたりしないって。あんたの一番大事なものに誓って見せろっ」
「約束しよう。そなたたち全員を何があろうと守って見せる。誰であろうと見捨てない。ランクロットの名、そして、そなたらに誓って、な」
カレットはナイフを持った手を下げ、思わず地面に尻もちをついた。
「カ、カレット!?」
思わずカークがカレットのもとへと駆け寄った。
「あ、あはは。こ、腰が抜けちゃった」
カークの手を借り立ち上がるカレットは、今までの緊張の為かふらつく足取りでなんとか立ち上がる。
「愛いやつだなそなたは。どれおぶっていってやろう」
カレットの前に背を差し出すエルク。カレットはそのままエルクの背に倒れこむように自身の体を預けた。
「あはは、かっこわりいなあたし」
「いや、そこまで看破しうるとは正直思ってもいなかった。そなたは余が想像しうる以上に賢い娘であった。誇っていいぞ」
「うるせえ、さっさと倉庫に連れてけよ。腹減ってんだから」
「ああ、そうだったな。では行くか」
広くあたたかい背中に、カレットはなぜか安堵を覚えていた。今までずっと張りつめていたものが途切れたように、思いが瞳からあふれ出てきた。
「カレット――そなたは強い子だ、よく今まで頑張ったな」
カレットはエルクの背中に思い切り顔を押し付けた。
「……っ、ゥ……グスっ……」
押し殺すような声さえもエルクの背は包み込んでくれた。
見せられるわけがない。自分の妹分たちに、自分を好いていてくれる者に。
こんな情けない泣き顔なんて。