第30話 カレットの考察①
「――見つけたぞクソガキがぁっ!」
そんな怒声にエルクたちは顔を向けた。
禿頭のいかつい顔をした大男。顔を怒りに赤く染めながらこちらをにらみつけてくる。
「や、やばっ、見つかった」
慌てたような声を出しカレットは、後ずさる。
「さっさと財布を返しなっ、さもねえとどうなるかわかんねえぞ」
布をつなぎあわせた小さな財布を必死に握りしめながらカレットは、エルクの背後へと駆け寄った。
「ほら、お兄さん。あいつやっつけてっ、そうしたらあんたについてってあげるから」
「お、おいおい」
困ったような声を上げるエルクに視線をやった禿頭の男は、そのままはっきりと分かるほどに顔を引きつらせた。
「て、てめえはっ!?」
明らかにこちらを知っているような声に、エルクは男の顔を見て思い出す。
「ああ、思い出した。ガイゼル商会にいたな、あの時は殴り込みをかけて悪かったな。別にそなたを憎んでのことではなかったのだが、まあ雇い主が悪かったと思ってあきらめてくれ」
「くっ……!」
その表情を見てカレットは笑みを浮かべた。
やっぱりこの人は強いんだ、あんな図体だけの男よりもよっぽど。
かつての夜に見たエルクの戦いぶり、それは武に縁遠い自分が見ても心が打ち震えるほどに凄まじいものだった。
鳴り響く苛烈な剣戟。闇を切り裂く鋼の火花。月の光が浮かばせた幻かと思うほどの美しさをもった身のこなし。
それはあまりに力強く、美しく、カレットの脳裏に深く深く刻まれていたのだった。
「あ、あたしたちに手を出したらこの人が黙ってないかんねっ! 分かったらさっさと帰りなこのウスノロっ!」
エルクの背後で勝ち誇ったように叫ぶカレットに、男は悔し気に唇を嚙みしめる。
「なあカレット」
そんなカレットを見下ろしながら、エルクは静かに告げた。
「財布を返して彼に謝罪を」
「な、なんでっ、あんたならあんな奴楽勝だろ!? ほらさっさとやっつけてよ」
「なぜだ?」
「な、なぜっって、そりゃ……」
「彼が怒っているのは財布を盗まれたからであろう? ならばその怒りは当然のもの。それを力で押さえつけるなど強盗とかわらぬではないか。そのような真似はできぬな」
エルクの言葉はもっともである。それぐらいはカレットにも分かる。
「だって仕方ないじゃん、そうでもしなきゃあたしらだって食ってけないんだからっ、あたしだってこんなことしたくない! けど、けどさぁっ――」
「ああ。分かっておるとも」
そういって、カレットの頭を撫でると、その手から財布をスッと抜き取った。
「ちょ、ちょっと」
財布を手にしたエルクはそのまま男のもとへ。財布を差し出し、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ないことをした。財布は返す、謝罪もしよう。だからこの子のことを許してやってはもらえないだろうか?」
言葉を終えても頭は上げず、そのままの姿勢で男の言葉を待つエルク。
エルクから財布を手にした男は、中を見ることなく懐に入れる。
「ああ。いいぜ」
エルクはその言葉で頭を上げる。男はそのまま財布をポケットに入れる。
「中の確認はいいのか?」
「構わねえよ、財布が戻ればそれでいい」
男は満足そうな顔で、かすかに微笑を浮かべた。
「一人娘の手製の品なんでな」
「そうか」
「それにあんたにゃ恩がある」
「恩? むしろ恨まれてると思っておったが」
「まあ金払いの良い職場をつぶされもしたけどな、やっぱ家族養うなら涙より汗を流して稼いだ金の方がいいからな」
そんな言葉にエルクも笑みを返した。
「違いない」
男は気まずげな表情を浮かべるカレットを見やる。
「嬢ちゃん、年はいくつだ?」
「……11」
「フ、娘と同い年だ。もう何もしやしねえからそう怯えんな」
こうして警戒を解いてみやれば男の顔は大らかに構えているのが何となく分かった。自分を見る瞳にあるのは娘と同じ年頃の子らに対する保護欲のようなものだろう。
隣に立つエルクは何かを待つように自分を見ていた。
「……ぅう」
カレットは、一歩だけ前に出て、頭を下げた。
「……ごめんなさい、おじさん」
カレットの謝罪を受けた男はその身をゆすりながら大きく笑った。
「なあ兄ちゃんよ、あんたのことはディーノさんから聞いてる。あんたなら心配することもねえだろうけど中には恨んでる奴らもいるから気をつけな」
「忠告感謝する、それではな、あっと……」
「ビルってもんだ。まあ覚えといてくれや」
手をヒラヒラと振りながら、路地を抜け行くビルの背を見送った。
*
「カレット姉ちゃん、ほんとに行くの?」
「仕方ないだろ、助けてくれたことは事実だし、正直ここにいてもどうしようもないからね」
エルクについていくことに決めたカレット達は少ない荷物をまとめながら話していた。
エルク達は家の外で待っていてくれているらしいので、声を潜めながらずっと一緒に暮らしてきた少女たちに目をやった。
髪はほつれ、頬はこけ所々破れた薄手のシャツ。春とはいえいまだに風が吹けば寒さを感じるその装いに、カレットは優しく頭を撫でてやった。
「あたしだって盗みなんてしたくないし、あんた達にもさせたくないんだ。新しい土地で新しい生活をさせてくれるってんなら悪い話じゃないだろ? あのお兄さんだって悪いヤツじゃなさそうだしさ、きっとあたしらのこと守ってくれると思うよ」
「ほんとに強いの、あの人?」
「うん、あたしの見間違いでなければこの町でかなうヤツはいないと思う」
「じゃあなんであんなにあっさり謝ったの?」
「そりゃあこっちが悪いからからさ、あたしが言う事じゃないかもだけどさ、財布盗まれりゃ誰だって怒るだろ。それくらいの道理はあたしだって分かるさ」
あの時は見つかり怒鳴られた恐怖もあってかあんなことを言ってしまったが、エルクの言葉は何一つ間違ってはいない。
ただあまりにもあっけなく頭を下げた姿を見て、あの夜のことは夢幻ではなかったのかとふと思ってしまったのは事実だ。
「まあギルやカークも信じてるみたいだしさ、今すぐどっか連れてこうってんじゃないんだろ? 少し様子を見てもいいんじゃないか」
「……うん」
不安げにうなずく少女を力いっぱいに抱きしめてやった。
「心配すんな、あんたらのことはあたしが何したって守ってやるかんね」
*
「お、おまたせ」
準備を済ませたカレットは、壁に背を預けていたエルクへと声をかけた。もともと持ち物なんてほとんどなかったからそう時間はかからなかったが、少し話し込んでいたから時間がかかってしまった。
すでに空は橙色に染まってしまっている。
「うむ。そろそろ陽も暮れるか。ではついてきてくれ。まだ数日は町にいるからな、忘れ物があれば取りにくるといい」
そんなことを言うエルクの後ろについていくギルとカークとカレット、そして二人についてきていた少年少女たち。
路地裏を歩いていると、カレットの横にギルが並びこっそりと尋ねてきた。
「なあカレット、その、兄貴って強いのか?」
「……兄貴って、あんた、よくそこまで信じる気になったわね、何があったの?」
「……あんま言いたくねえな、いや、俺がどうこうじゃなくて兄貴が多分知られたくないことだろうから」
「なんかすごい気になる言い方なんだけど」
「頼む、そのことについてはもう聞かねえでくれ」
「わ、わかったわよ。だからそんな辛そうな顔しないでよ」
「で、どんぐらい強かったんだ兄貴は?」
「どれだけなんてわかるわけないじゃない。あたしに言えるのは少なくともあんたが思ってるよりはるかに強いってことくらいだから。けどなんか怪我してるわね、頭に包帯も巻いてるし、何か事故でもあったのあのお兄さん?」
そこでギルは沈痛な表情とともにつぶやいた。
「……いや、あれ、俺がやったんだ」
「はぁっ!?」
「いや、その、この前倉庫に来た時、一緒に村に行かないかって誘われてさ。そのときに、人買いかなんかだと思って……」
カレットは少し考えてから答えた。
「……そのときあのお兄さん無抵抗だったでしょ?」
「な、なんで分かるんだ!?」
「分かるわよ、あんたが百人集まったって一撃だって入れることできないんだから。それでもあんな怪我したってことは身を守ることも逃げることも、なんにもしなかったってことだから」
「ひゃ、百人もいたら一撃くらいは入れられたと思うぜ? 俺だってそこそこ強ぇ自信はあんだから」
「断言するわ、絶対に無理。あたしらみたいなんがどれだけ徒党を組もうと勝てっこないわね。強さの次元がちがうもの」
「そんなに……?」
「まあ信じたくない気持ちは分かるけどさ」
実際、あの戦いぶりを見なければ信じることは難しいだろう。この目で見た自身ですらいまだに信じられないのだから。
目の前を進むエルク。一見すれば少し背の高い人の良さげな兄ちゃんである。見た目からすればあれ程の闘いぶりが出来る者だとは誰も思わないだろう。
たとえ剣を持っていなくても、あたしたちがどれだけ集まろうと、不意をつこうと倒すことなどできるはずが――――。
(え、ちょっと待って。ということは……)
不意に思考をかすめた閃きに、カレットは表情を強張らせた。
路地を歩くエルクは曲がり角へとさしかかる。そんなエルクの背にカレットは思い切って声をかけた。
「ねえっ、お兄さんっ」
「どうした?」と、足を止めカレットの方へと振り返るエルク。
その瞬間、曲がり角の向こうから、エルクへ鋭い剣戟が振り下ろされたのだった。