第29話 ヘッド・ハンティング
倉庫の外は喧騒に包まれていた。
「こらー、パンを取り合わない」「欲しい人はこっちにいらっしゃい」「おい。そこの少年こっちにこい。なに? 怪しいものではない。儂は医者だ」「食事をもらいたいやつはしっかり並べ、横入りはだめだぞー」
炊き出しをする者、診察する者、それらの手伝いをする者、そしてそこに集まった子供たちの声が寂れた波止場に響き渡っていた。
「あ、兄貴っ!」
倉庫に入るやいなや名を呼ばれ、ギルとサリアが駆け寄ってきた。
「あにきぃ?」
ランドがニヤニヤとしながら、うろんげな声を出す。
「な、なんだよ? いいじゃねえか、好きに呼んでいいんだろ」
「はっはっは。無論かまわぬとも。村に来る以上そなたらは余の弟であり妹でもある。しっかり食事もとったようで何よりだ」
「うん、すっごく美味しかった。ありがとエル兄」
子供らしい純粋な笑顔を向けながら、サリアは頭をぺこりと下げる。
しかし、その隣のギルは表情を沈めながら、エルクを気まずげに見やる。
「あ、その、兄貴……怪我は……」
「心配は不要だぞギル。こんなものでそなたらが来るのであれば安いものだ」
不安げに視線を落としながら尋ねるギルに、エルクは何でもない風に答えた。
その頭にはいまだ包帯がまかれ、腕のいたる所には青くなった痣が痛ましいほどに見え隠れしている。
「……うん、それでもごめん」
気にするな、とギルの頭を優しくなでるエルクはそのまま二人へと告げる。
「そなたらに少しばかり頼みたいことがあるのだがな」
*
「が、ぅう」
カークは路地裏の角にうずくまりながら、苦悶の声を漏らした。
首が、うずく。
数日前に露店からパンを盗もうとしたときに下手をうってしまった。
丁度通りかかった衛士に棒で首を打たれてから、ずっとズキズキと首の芯が響くのだ。
当たり所が悪かったのか、それ以降左腕もしびれて思うように動かせない。
それからは自分のグループの子供たちにも満足に食わせてやれていない。
「……何とか、しねえと」
「カーク兄ちゃん」
自分が面倒を見ている年下の子が数人、両手に丸いパンをもって駆け寄ってきた。
「兄ちゃんっ、パン持ってきたよ」
「バカっ! おめえらはそんなことすんじゃねえって言ったろ! 捕まったらどうすんだっ」
「ち、ちがうよ。これは貰ってきたんだよ。波止場の倉庫で今炊き出しやっててさ。おれたちみたいな奴らにパンやシチューを配ってたんだよ」
「……ほんとかそれ?」
「うん。カーク兄ちゃんにも早く伝えたくてさ。とりあえずパンだけもらってきたんだよ」
「うさんくせえ話だな、なんで俺たちみたいなんにそんなことすんだ。どうせろくでもねえこと企んでんだろ。もう行くんじゃねえぞ」
「――そんなことねえよ、カーク」
聞きなれた声だった。子供たちの背後にいたのは自分と同じ孤児のギルであった。
「ギル、か」
「久しぶりだな、カーク」
この町で一番大きい孤児グループのリーダーであるギルとは、餌場の奪い合いで幾度も争ったことがあった。
ただ互いに憎んでいるわけではない。自分たちがどうしようもないほどに追いつめられている立場であるからこそ譲れぬものがあったのだから。
その証拠に、ギルたちのグループが見つけた廃倉庫。あそこに冬の間自分たちもいさせてくれたのだから。
「カーク、お前に話があってきた」
「構わねえよ。てめえには倉庫を間借りさせてくれた恩があるしな、おかげでこいつらが凍え死ななくてすんだ。ただ、な」
カークは力なく声を落とし、悲壮な笑みを浮かべた。
「お、俺は、もうダメだ」
カークは左腕を上げようとするが、腰にも届かぬところで震える腕をダラリと落とした。
「盗みでヘマしてから左腕が動かねえんだ、首もずっと痛くて、よ。もう何日も食ってねえから力も出ねえ」
「……そっか」
「てめえには恩があるしほんとはこんなこと頼める義理でもねえけどさ、こいつらのこと頼めねえかな?」
カークはそのまま膝をついてから、額を地面に叩きつけるように打ち付けた。
「頼むギルっ、もう俺じゃこいつらの面倒を見ることができねんだっ! おめえは俺のことが嫌いだろうけど、それでもこいつらを託せるのがお前しか俺には思いつかねぇ。だからどうか頼むっ!」
「カーク兄ちゃんっ!」「いやだ、カーク兄ちゃんも一緒じゃなきゃヤダァ!」「一緒に行こうよ、兄ちゃん」
「顔上げてくれよカーク、別に今まで一度だっておめえのこと嫌いだなんて思ったことねえよ、年下のガキども世話する苦労は分かるつもりだぜ」
「な、なら――」
カークが顔を上げる。するとギルの横にはいつの間にか黒い男が立っていた。
「――ああ。喜んで引き受けてやる。余に任せておけ、カークとやら」
「てめえっ! 俺たちのこと売りやがったのか!」
痛みを怒りで押し殺しカークは立ち上がる。腰から慌ててさび付いたナイフを抜き取った。
「ちげぇって。話があるって言ったろ? この兄ちゃんと一緒にフィオークって村に行かねえかって誘いにきたんだよ」
「ふざけんなよギルっ! てめえそんな言葉に騙されたのか! どうせ俺たちみたいな奴ら奴隷として使い捨てられるのがオチじゃねえか」
ナイフを握りしめながら怒りに猛るカークは、そのまま切っ先をエルクへ向けた。
「失せろっ、おめえもギルもっ、俺は、俺たちはもう誰も信じたりしねえ!」
叫ぶたびに首の痛みが増していく。それでもここは退くわけにはいかない。
その表情をじっとのぞき込むように観察していたエルクは口を開いた。
「……だいぶ苦しそうだな」
「うっせえっ、てめえにゃ関係ねえっ、あいつらに指一本でも触れてみやがれ。後悔させてやっからな」
クックック、とエルクはそんな言葉に小さく笑った。
「こんな状況にあっても他の子供が心配か。まったくまったく、そなたも稀なる逸材だ。この年にして高貴なる義務を理解しておるとはなぁ」
瞬間――エルクの姿がかき消えた。
「――なっ!?」
スッと自身の首に何かが触れたと思った時にはもう遅かった。
いつの間にか背後に立っていたエルクがその首に腕をまわし、絞め上げていたのだ。
「がっ、グ、うぅ…」
息が止まるほどに首を圧迫されたカークは、手にしたナイフを突き刺そうと振り上げるが、エルクの手に素早く抑えられた。
「そんな顔でそんな事を言われてはこちらも黙っておけぬではないか、なあカーク?」
「あ、兄貴っ!?」
ギルが声を上げた瞬間、ゴキリっ、と小気味の良い音が鳴った。
首の骨が折られたと思うほどの大きな音。自身の体から発せられたとは思えぬほどの異様な音が骨を伝わり、脳の髄まで直接ひびく。
「が、あぁ、ちく、しょ、ぅ」
エルクが腕を放すとカークはドサリと地面へと倒れ伏した。
「あ、兄貴っ、何してんだよ、こいつは――」
「騒ぐな騒ぐな。治療をしたまでだ」
「え?」
エルクは倒れたカークを抱き起こしながら、声をかけた。
「まだ首は痛むか?」
そんなエルクの優し気な声音に、カークは自分がまだ死んでないことに気付く。
いや、それだけではなかった。
あれほど疼いていた首の痛みがなくなっていた。
「……え、あ、あれ?」
思わず呆けるカークをよそにエルクは、左腕を取った。
「腕を動かしてみよ」
思わずエルクの言葉に従ってしまう。左腕は頭の上まで上がり、拳を握りしめれるほどに力が入る。
「な、なんで?」
「おそらく暴行を受けた際に頸椎がずれて脊髄神経を圧迫していたのだな。今そのずれた骨を矯正した。まだしびれか痛みは残っている所はあるか?」
目をまん丸く見開きながらも、カークはいまだ事態を飲み込めずにいた。
「どうしたカーク。まだ不調なところはあるのか?」
「い、いや。もうしびれもないけ、ど……」
カークの言葉にエルクは心から嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そうか、それは何より。今波止場の倉庫で炊き出しを行っている。腹が減ったろ、食べに来い。村へ行くのは六日後だが無理強いするつもりもないからな。それまでにゆっくり考えればいい」
食い逃げ大歓迎だぞ、とポンポンとカークの頭を軽く叩きながら、エルクは立ち上がった。
「さて、言いたいことは言った。ギル、他の子らのもとへ案内せよ」
「うん!」
「ま、待ってくれ」
立ち上がるカークはそのままエルクの背中へと声をかけた。
振り返るエルクにカークは言った。
「ほ、他にも連れていきたい奴がいるんだけどよ」
そんな言葉にエルクは満面の笑みを浮かべ、力強く頷いたのだった。
*
今度はカークの案内でエルクとギルの三人は裏路地を歩いていく。
薄暗く日の射さぬ路地は掃除もされていないのだろう、魚の骨や木くずなどの雑多なゴミがそこかしこに散らかっていた。
「連れていきたいのはカレットって奴なんだけど、この角を曲がったところにいるはずだからさ。まず俺が説得してみるよ」
先を行くカークに続き、路地を曲がるとそこは焼け焦げた家があった。
すでに家は半壊していたが、わずかに燃え残る屋根の下に、何人かの少女の姿が見えた。
「おーい、カレットー」
声をかけ、カークはそちらの方へと歩みをすすめた。
「カークっ!」
少女の内の一人が立ち上がり、カークの方へと慌てて駆け寄ってきた。
長い髪を後ろに流し、紐で一つに束ねた薄汚れた少女。年は十を少し超えたばかりだろうか。
意志と気の強そうな吊り上がり気味の瞳が、幼い顔立ちを大人びて見せていた。
「良かった、ちょうど今あんたに会いに行こうと思ってたんだ、ずっと腕が動かないって言ってたろ。さっきそこで財布スッてきたからさ。少しだけだけど分けたげるよ」
そう言ってカレットは幾枚かの銅貨をカークの手に握らせた。
「あ、ああ。ありがとな」
互いに手を握る形になるとカークの顔がわずかに朱に染まった。
そこではじめてカレットはこちらに気づいた。
「あれギル……ってそっちの黒いヤツは、エルク・ランクロットっ!」
突如名を呼ばれたエルクも不思議そうに首を傾げた。
「兄貴も知ってんのか、あいつのこと?」
「いや、初めて会うはずだがな。名を知っている以上間違いでもなさそうだ」
「逃げなさいっ!! みんなっ、ここはあたしが時間を稼ぐからっ」
背後にいた少女たちは心配げにカレットを見やるが、逃げ出す素振りはなさそうだ。
「早く逃げてっ! そいつはほんとにヤバいのっ、あたしたちなんてあっという間に殺されちゃうほど強いんだからっ」
そんな言葉でエルクは気づく。自分の名前を知っていて、なおかつ戦闘技能があることさえも知っている。
そういえば奴と剣を交えたのはこの路地のすぐ向こう側だったな、と。
「なるほど。ディーノとやり合った時見られていたのか。確かに名前も言っていた。ふむ、合点がいった」
エルクに対峙し木の棒を持つカレットの手は、恐怖によって震えていた。
それでも逃げようとしないカレットにエルクは目頭が熱くなるのを感じた。
天を仰いで、瞳を閉じて、静かに指をまぶたにあてた。
「……参ったな。どうにもこうにもこの町は余の長心をくすぐる者が多すぎる」
「カ、カレット落ち着けって。この兄ちゃん悪い奴じゃねえからさ」
二人の間に入ったカークは必死にカレットを説得する。
「カーク、まさかあんたに裏切られるとはね。ホントあたしの目も曇ったもんだよ」
「違うってっ、俺がお前を裏切るわけねえだろっ、さっきもこの兄ちゃんに首と腕治してもらったんだよ。そして一緒に村に来ないかってさ。そ、そのカレットも一緒に……」
後半はゴニョゴニョと言葉にならず、カークは顔を伏せてしまう。
「なあもしやカークはあれか? カレットのことが……」
エルクはギルにだけ聞こえるように小声でつぶやく。
「ああ、そうだぜ。俺もサリアに聞いたんだけどさ、ずっとあいつのこと――」
「うむ。怖がっているようだな」
「は?」
「怖れを抱きながらもその身を案じ救いの手を差し伸べようとは、実に見上げた心意気。漢だなカークは」
「…………」
混じりっ気なしの真剣な声音に、ギルは何も言葉を返すことができなかった。
「だから話を聞けって――」「うるさいっ、あんたなんか信じるんじゃ――」
いまだ言い争いを続ける二人の間に――。
「――――見つけたぞっ! クソガキがぁっ!!」
怒号が響きわたったのだった。