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ランクロットの一族  作者: ふじたけ
第一章 エルク編
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第28話 王の一族

 ランドとオルガの二人はエルクを屋敷へと連れ帰り、医者を呼んで治療を受けさせる。


 エルクの意識の戻らぬまま夜は明けて、帰ってきたラグアスに二人は呼ばれたのだった。



「――――賢人国家、と呼ばれておった。エルク殿下の祖国はな」



 しばしの沈黙を経たあとに、ラグアスはそんな言葉で切り出したのだった。


 場所はラグアスの屋敷の一室。応接室へと呼ばれたランドとオルガの二人は、ラグアスの向かいのソファーへと並んで腰を落とす。


「彼の国は学問に非常に重きをおいておった。世界各国の識者を集めて独自に研究し、発展させた学問は多岐にわたる。算術を超えた応用数学、医学、農学、建築学に心理学。果ては神学、物理学、天文学などこの大陸にはいまだ概念さえも存在しない考えを、人の理解しうる学問の一派として捉えておられた」


 ラグアスはすぅ、と息を吸いながら言葉を続ける。


「もう言うまでもないと思うが、あの御方は、その国の王族の末裔だ」


 ランドもオルガもエルクの思わぬ素性に、息を飲んだ。


「ほんとに、王子様だったんだ……」


「ああ。王の一族ランクロット。その一族の者は生れ落ちる前より教育が始まる。母体にいる頃より知能の育成を促す音楽を聞き、異国の言語にもすぐに馴染めるように毎日違う言語を腹の中で聞かされ、物心がつけばさらに教育は過酷となり、王となるべく教育される。大陸、いや世界でも類を見ないほどの高度な技術と智慧の粋を集めて、な」


 だが、とラグアスは言い置いた。


「エルク殿下の力は決して人知を超えたものではない。亜人であるランド君のように、かつて存在していたエルフ族のように、森や大地の声を聴くことができるわけではない。あくまで人の持ちうる智恵と業。それを極限の高みにまで修めることを許された存在――――それがランクロットの一族なのだ」


「あの御方の父君も、本当に立派な方であらせられた。民を要とした国政、未来を知るが如き施策。『力』による支配ではなく、『信』による統治。まさに聖者なる賢人。王に即位した一族の者を民は絶対の忠誠をもってこう呼んだ」



「――――漆黒の聖賢(ブラック・ワイズ)とな」



「無事、とはとてもいえぬ様子ではあったが、それでも、それでも生きておられて本当に……っ、ほんっ、とうに、よかった……っ!」


 泣き声を押し殺しながら背を曲げるラグアスの姿は、エルクに、いやランクロットと呼ばれた一族に、心から忠誠を捧げている故だろう。


 腰かける二人はそんなラグアスに声をかけることができずにいた。しばしラグアスの嗚咽が漏れ、ようやく落ち着いたのか顔を上げた。


「すまない、情けない姿を見せた」

  

 ランドは軽く手を振った。


「あー、気にしないでくれ」


「ランド君だったね。殿下は君のことを随分と信頼されているようだ。羨ましいほどにね」


 ラグアスはそのまますっと立ち上がるとランドに向かい、深く頭を下げた。


「どうか、どうか今後も殿下の友人として支えてあげてほしい。儂にできることならどんなことでもする」


「ああ。俺もあいつにゃ借りがあるしな。あんたに頼まれなくても面倒見るさ」


 そんなぶっきらぼうな答えにもラグアスは小さく笑う。


「フ、そうか。安心した」


「言っても俺は半亜の半端者だぜ? あんたみたいな偉い人が頭を下げるほどの男じゃねえよ」


「儂も商売柄いろんな者を見る。金にしか執着を見せない者、保身のみを考える者、隙あらば騙そうとしてくる者。色んな人間を相手にしてくる中で、人を見る目は十分に養ってきたつもりだ」


「へえ。で、あんたは俺をどう見たんだ?」


「硬い鋼のような男だな。どこまでも真っすぐでその意志は揺らぐことはない。一度仲間と認めた者は何があっても裏切らず、しかし相手が誰であろうと間違っていると思えば正さずにはいられない。鋼の芯を持つ男だ」


「……褒めすぎだ」


「そうかい。世辞を言ったつもりはないが。中々どうして、さすがは殿下、人を見る目は確かなようだ。そんな君のような男だからこそ友としていることを選んだのだろう」


 そこではじめてラグアスは瞳を細めた。背筋を伸ばし、ランドの瞳を真っすぐに見つめる。


「エルク殿下はお優しい……いや、優しすぎるのだ。その甘さは時として自身を刻む刃となろう。そうなったときは、どうかお止めしてほしい」


「俺も言ったことがあったんだけどな、どうやらあいつは聞く気はねえらしい」


 子供とはいえ、信用を得るためにあれ程の暴行を前に無抵抗を貫いたのだから。


 苦笑しつつもランドは立ち上がり、ラグアスと同じ目線に立った。


「だが――――任せろ」


「よろしく頼む」


 二人は互いに小さくうなずき合いながら、手を握ろうとした瞬間。


『――うあああああああああああああああっ!』


 エルクの悲鳴が響き渡った。



   *



「なんだっ、どうした!?」


 エルクが眠る客室。何人かの使用人が困惑しながらも扉を懸命に叩いていた。


「い、いえ。ご主人様。鍵がかけられており中の様子は伺えず、合い鍵を持ってきたのですが、特別な賓客ということで勝手に入ることも……」


 いまだ中からはエルクのなんともいえない絶叫が屋敷中に響き渡る。


『ぬぅおおおお! 余はあああぁぁあああ、余は何ということをーーーっ、穴があったら入りたいとはまさにこのことぉおおおぉぉっ!』


「わかった。後は儂が対処する、お前たちは下がっていなさい」


「は、はい」


 戸惑う様子を見せながらも主の言葉にはすぐに従うメイドたち。


 合鍵をラグアスへと渡し、彼女たちが去ってから扉をノックした。


「で、殿下っ、どうなされたのですかっ、入ってもよろしいでしょうかっ?」


『シ、シャイルーク様っ!?』


 エルクの驚く気配が扉越しに伝わってきた。


『だ、ダメです。入らないで頂きたい』


 ラグアスは合鍵を持った手をピタリと止めた。


「怪我の具合が悪いのでしょうかっ、今すぐ医者を呼びますので!」


『ち、違いますっ、身体のほうはもう大丈夫ですからっ』


 ランドは埒が明かないと思い、ラグアスの手から鍵を奪う。


「まだるっこしいな。入るぜエルク」


 ガチャリ、鍵をまわして部屋へと入る。


 最も上質な客室であるそこは厚い絨毯を敷かれ、ガラスがはめこまれた窓からは、燦々とした朝日が射しこんでいた。


 ベッドの上でゴロゴロと暴れまわっていたのか、シーツはぐちゃぐちゃに乱されている。


 その上でこちらを見るエルクの顔は、誰にもそうと分かる位はっきりと引きつっていた。


 ベッドから転げ落ちるように、絨毯へとひざまずくエルクはそのまま頭を床へとうちつけた。


「申し訳ありませんっ! 申し訳ありませんでしたぁっ、シャイルーク様!」


「な、何をなさっておられるのですかっ!? 殿下が謝られることなど何一つございません、どうか顔をお上げになられてください」


 エルクが一体何に対して謝っているのかが、三人はさっぱり分からなかった。


「ですがっ、自分は大恩あるシャイルーク様に生意気にも命令をしてしまいました、権威を笠に、その名を呼び捨てにしてまで……。そんなことはしないと言った舌の根も乾かぬ内にです」


「……は?」


 ラグアスの間の抜けた声にも気づかぬのか、エルクは続ける。


「かかった費用は必ずや返済いたします。い、今は持ち合わせもないのでしばらくお待ちいただくことになりましょうが、必ずやお支払いいたしますのでどうかそれまでしばしの猶予をいただきたく存じますっ」


「じ、自分は……殿下は、自分を家臣として認めてくれたのではないのですか?」


 そんなラグアスの言葉に、わずかではないショックを受けたような落胆の色が混じったことにランドは気づいた。


「まさか。そのような忘恩の真似などできません。シャイルーク様はこの商会の当主です。そのような方が、子しかいない寒村の長である自分の家臣などと恐れ多くてできません」


「そ、そのようなことは……」


「とりあえず、おめえは顔を上げな」


 ランドはいまだ頭を下げ続けるエルクの襟首をつかむと、片手で持ち上げベッドへと放り捨てる。


「ぬおっ、邪魔するなランド」


 ベッドへ無理やり腰かけさせられたエルクの前へと進み、ラグアスは胸に手をあてひざまずく。


「で、では改めて申し上げさせて頂きます。エルク・ランクロット殿下」


「このラグアス・シャイルーク。エルク殿下の旗下に加わりたく存じます。どうかこの身を配下として認めてはいただけませんか? この商会が殿下の大望の一助とでもなればこれに勝る栄誉はないのです」


「……なりませんシャイルーク様。お気持ちは有難いのですが、自分にはあなたの忠に報いるものが何もありません」


 わずかな逡巡を見せはするが、はっきりと断るエルクの言葉を聞いて、ラグアスは力なくつぶやいた。


「……左様、ですか」


 先ほどまで見せていたラグアスの喜び、エルクの一族への想い。エルクが生きていたことと同じくらいに、その一族へ再び奉公できることが嬉しかったのだろう。そんなラグアスの想いを一蹴する様子を黙って見てはいられなかった。


「おいエルク」


「なんだ」


「いいじゃねえか別に。こんだけお前の下に着きてえって言ってんだから」


「だから余の下についても何も報いることができぬと言っている」


「おめえにはラグアスさんが金目当てにこんなことしてるように見えんのか?」


 真摯に頭を下げ、忠誠を捧げんとする態度。そこにあるのは熱を帯びたあまりに真っすぐな想い。偽りも、二心も感じる者などいないだろう。


「……いや。しかしだな」


「お前が気に食わねえってんなら俺も口ははさまねえよ。けど聞いてる限りじゃそうでもねえみてえだしな」


「この方は余の父に色々と恩義を感じている。だからこそ恩返しをしたいのだろう。けどな、それはもう十分返してもらったと思ってる。我らが冬を越せたのも、この商会のおかげだ。もう過去に縛られることもない。シャイルーク様にはこの地で、この商会で己の思うままに商売をしてもらいたい」


 それでもランドは揺るがない。


「恩に縛られてるようにも見えねえな」


 ランドは続ける。


「いいか。ラグアスさんはお前が気を失った時から今までずっと動いてたんだぞ。あのガキどもに食事をやるため市場を駆け回って食材を買い集め人を雇った。夜中は寒いだろうと一人一人に毛布を渡してやった。ガキどものために医者の手配までしてくれた。それもすべてお前の言葉に応えたかった、そのためだ」


「そ、そこまで」


 エルクは自分の目の前で頭を下げ続けるラグアスを見た。


「恩に縛られたわけじゃぁねえ、金目当てのためでもねえ。あの時お前の姿に、言葉に心を打たれたからこそそこまでしてくれたんだ。お前に仕えたいと思ったからこそそれだけのことをしてくれたんだ」


 エルクは黙ってランドの言葉を受け入れる。


「それをお前、さっきのは無しでした、あとは勝手にやってくれなんて言われりゃ納得なんざできるかよ。お前がやってることはそんなラグアスさんの誠意を踏みにじることじゃねえのかよ?」


「む、ぅ……」


「お前は言ったな? ランクロットの名において命じるってな。その言葉に誠意をもって応えてくれた者にさすがにそれはあんまりじゃねえか。それこそランクロットの名が廃るだろうぜ」


「少なくともそれを言うなら食事に医者に、その他諸々かかった金を全額返してから言いな。筋が通らねえだろ」


 ランドの言葉に返すものもなくなったのか、エルクはうなる。


「シャイルーク様」


「はい」

 

 ひざまずきながらも、頭を上げるラグアス。


「今の自分にはあなたの忠義に報いるものが何もありません」


「あなた様に仕えることができれば、それ以上に望むことなどございません」


「見た通り自分は奴隷でありました。人でもなく家畜にすら劣る存在でありました。あなたが想像する以上に汚いこともしてまいりました」


 エルクはそこで、息をつく。


 ラグアスの瞳をまっすぐに見返しながら、言葉を結ぶ。


「それでも――」


「それでも、そんな自分でも仕えていただけますか?」


「無論。それこそが今まで自分が生きてきた理由でしょうから」


 エルクはしばし瞳を閉じて、小さくうなずく。


「いいだろう」


 すっと立ち上がる様にもう先ほどのような迷いも悩みも消え失せていた。


「ならばフィオークの復興に力を貸してもらう。我が期待に完璧をもって応えて見せよ、ラグアス」


「はっ! エルク・ランクロット殿下に絶対の忠誠を捧げます」


「ならば倉庫へ参るぞ。ついてこいラグアス」


「はいっ」


 立ち去る二人を視線で追いながら、ランドとオルガの二人は顔を見合わせた。


「……すごいわね」


「ああ。なんか昔そんなこと言ってたこともあったけど全く信じちゃいなかった。けど、今なら確かに信じられるぜ、あいつは確かに王様だよ、本物のな」


 それだけ言うと、ランドも立ち上がりオルガへと顔を向けた。


「俺たちも行くぜ」


 ランドが部屋を立ち去ったあと、オルガはソファーに腰かけたままぽつりとつぶやいた。


「……そんなエルクを説得したランドがすごいって言ったつもりなんだけどな」


 遠ざかる足音にその声が届くことはない。


「ちょ、ちょっと待ってよランド、あたしも一緒に行くからっ!」


 

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