第25話 ラグアス・シャイルークという男
それから五日後。
エルクとランドの二人はリッツベルトを目指していた。
「いやいや重畳重畳。天にも恵まれ絶好の散策日和ではないか。なあランド」
春の日差しの中に芽吹く山菜やキノコ、穴倉から出てきたウサギなどを狩ることで、ようやく復調した頃に早速二人は村を出たのだった。
森の小道で空の荷車を押しながらランドは嘆息をついた。
「あのなぁエルク。何度も言ったけど俺は反対だぜ。そうそううまくいきっこねえだろうに」
「心配性だなそなたは。フフン、このフィオーク村の村長に任せておけばよい。村長にな」
「……実は嬉しいんだろお前」
鼻歌でも奏でそうなほどの上機嫌なエルクとはうってかわって、ランドの表情は曇っていた。
「まあいいけどよ」
――どうせ失敗すんだろうしな。
あの孤児たちを説得して村へ移住させる、簡単に言うがそれがどれほど困難なことかはランドにも理解できる。
かつて自分たちが襲い、暴行を加え金品を略奪した者が笑顔で村に来ないかといったところで、何らかの報復が待ち構えていると思うだろう。
世間知らずの子供でさえそんな言葉を信じる者はいない。ましてや相手は頼る者を失くし、町の者から迫害されてきた者たちだ。
そんな奴らを相手に説得が通じるわけがない。
それでもエルクを止めなかったのは、いくら反対しても全く聞かないことと、失敗しても大した損失があるわけでもないからであった。
そんなことを思いながら、顔を上げると振り返ったエルクがじっと自分の顔を見つめていた。
「どうせ失敗するだろうとでも思っておるな?」
自分の胸中を読まれたことに、やや驚きながらもランドは言葉を返した。
「まあな」
「ならば賭けるか」
「賭け?」
「うむ。見事移住させれば余の勝利、失敗すればそなたの勝利。負けた方は勝った方に好きなだけ酒を驕る。どうだ?」
「はっ、おもしれえ。乗ったぜ、遠慮はしねえぞ」
「その言葉そっくりそのまま返してやろう。心配するな、足りぬ分は貸してやる。低金利でな」
そんなことをしゃべりつつも、二人は二日後、リッツベルトへと着いたのだった。
*
水平線に眩いばかりの朝日が射しいる港町。早朝の為かあまり並ぶことなく町へと入った二人は、シャイルーク商会を目指した。
「ランド。こっちの商会には以前世話になったのでな。挨拶をしておきたい。そなたはどうする?」
「まあそこらで待っとくぜ、あんま時間はかかんねえだろ」
「ああ。すぐに済ませる」
商会へと入ろうとするエルクの背に、声が掛かった。
「エルクっ!」
エルクとランドは声のかかった方へと振り返る。
朝日を背負った商会の少女は仕立ての良い若草色のスカートを翻しながら、駆け寄ってきた。
「オルガ様」
「もう。敬語は要らないって言ったでしょ。その様子だと何とか冬も乗り越えたみたいね。今年は銀獄期だとか聞いてたからすっごく心配してたのよ、無事でよかったわ」
「ああ、そうだった。オルガのおかげで何とか食いつなぐことができた。感謝する」
「ふふ、何だかほんとに貴族……ていうか、王族みたいなしゃべり方ね」
「気になるなら変えてもいいが」
「いいわ、そっちの方がなんかしっくりくるしね、普通にしゃべって」
「承知した」
「ところでそっちの方は?」
オルガはランドの方へと顔を向けた。対してランドはやや気まずげな面持ちを浮かべていた。
「ああ、紹介しよう。フィオーク村の再興に力を貸してもらっているランドという者だ。人とドワーフ族のハーフだそうだ」
「お、おい、エルクよぉ」
「要らぬ心配だランド」
「そうですか。それでは改めて。私はシャイルーク商会当主ラグアス・シャイルークが娘、オルガ・シャイルークと申します。どうぞお見知りおきを」
優雅なしぐさでスカートを両手でつまみ、頭を下げた。
「あー俺は半亜なんだが」
「そうね、だったらこっちの方がいいのかもね」
微笑みを浮かべながら、オルガはその手をランドの方へと差し出した。
「オルガよ、よろしくね。ランドさん」
半亜であることで礼儀を不要と考えたわけではない。
人の社会ならば立場や身分を名とともに名乗る。そんな人の慣習をこそ不要と考えたのであろう。
オルガの挨拶は名前と親しみだけをこめた気やすい物であった。
「……ランドでいい。いい女だな、あんたは」
「フフ、ありがと」
そんなランドの言葉にまんざらでもなさそうに笑みを浮かべた。
「あ、そうそうエルク。父さんがぜひ会って話がしたいって言ってたんだけど時間あるかしら?」
「問題ない。挨拶をしにきたわけだしな。しかし何でまた?」
「さあ。エルクのこと話したらすっごく驚いてたんだけど。ええっと何て言ってたかな」
しばし宙を見上げたオルガは、思い出したように告げた。
「ランクロットの一族がどうとか言ってたんだけど、心当たりってある?」
*
シャイルーク商会当主ラグアス・シャイルークは商館の中にいるらしい。
応接室へ通されたランドを後に、エルクはオルガへとついていく。
ランドと部屋へと着くまで何人かの従業員と会ったが、半亜であることを気に留めるものはいないようだ。よほど商会当主の教育が行き届いているらしい。
そして、オルガが以前仕事をしていた部屋の前へとたどりつく。
「父さん、以前言ってたエルクが来たわ。入ってもいいかしら?」
控えめにノックをしながら、オルガは中へと声をかけた。
『……なっ!? そ、そうか。分かった、入っていい』
中から返ってきた声には隠し切れない驚愕の色があった。
普段は常に泰然自若と構え沈着冷静な態度を崩さぬ父の声を知っているオルガは、少なからず扉を開けるのをためらってしまった。
チラリと横を見ると、エルクもまたわずかな緊張を顔に浮かべていた。
「は、入るわね」
上ずった声でエルクへと確認をとると、そのまま扉を開いていった。
*
執務机に向かっていた初老の男。白髪の浮かぶ銀色の髪は老いではなく威厳のみを感じさせ、顔を上げるわずかな所作は随分と若々しいとエルクは感じた。
しわの刻まれた顔に据えられた鋭い双眸はすでに見開かれていた。そこに浮かんでいたのは、誰もがそうとわかるほどの驚愕である。
――ああ、やはりこの方は……。
エルクは自身の素性をすでに知られていることを知った。
「お初にお目にかかります、ラグアス・シャイルーク様。以前こちらの商会に雇って頂いた――――」
「―――エルク・ランクロットと申します」
オルガにも告げていなかった家名を名乗り、胸に手をあて頭を下げる。
「オ、オルガ、少し席を外してくれるか?」
ラグアスはそんなエルクの姿を食い入るように見つめていた。
「と、父さん……?」
「頼む」
「う、うん」
少しだけ不安げな顔を見せながらも、オルガは部屋を出ていった。
エルクとラグアスだけが残された。
ラグアスはエルクの前まで震える足取りで進み、そして唐突に膝をついた。
「よくぞっ、よくぞ生きておいでで……っ! エルク・ランクロット殿下っ」
そんなラグアスの姿をエルクはただ悲しげに見つめていた。
*
「顔をお上げください、シャイルーク様」
涙にぬれたラグアスの顔を見ながら、エルクも床へと正座する。
「殿下……どうかお立ちください、自分などにそのような――」
「今の自分は王族ではありません。雇っていただいた商会の当主が頭を下げているのに自分だけが高い位置から声をかけることなどあってはなりません」
「そ、そのようなことは」
「それより、あなたはいったい?」
「はい。かつて私はあなた様の御父君、エルード・ランクロット陛下に命を救われましたゆえ」
ラグアスは過去のことを語った。
自分が圧政に耐え兼ね逃げ出した流民の集団を束ねていたことを。
新たな故郷を目指し大陸中を旅していたことを。何処にも受け入れてもらえず死にかけていた自分たちをエルクの父エルードがルカトスへ迎え入れてくれたことを。
涙ながらに語るその言葉をエルクはただ黙って真剣な表情で、聞いていてくれた。
「連れてきた仲間たちが己の道をルカトスにて見つけ出した後、自分は陛下よりこの地で商会を興すように命じられたのでございます」
「さようですか、しかし自分にはシャイルーク様の顔に記憶はないのですが。なぜ一目でそうとお分かりに?」
「分かりますとも。分からぬはずがないではありませんか。あなた様のその眼差しはかつての陛下にそっくりですから」
エルクは心から嬉しそうに顔をほころばせた。
「嬉しい言葉です、今の自分にとって何よりも」
「陛下より御子息のことは聞いておりました。オルガから聞いたときまさかと思いました。ただの別人の可能性もありましたので。今度会ったときに確かめるつもりでありましたが、一目で確信を持ち得ました。それほどにあなた様の瞳は陛下にうり二つなのです」
「ふふ、シャイルーク様。そろそろ足がしびれてきました、どうか椅子の方へ腰かけませんか?」
それが自分を椅子へ座らせるための方便だと気づかぬわけもない。ラグアスは、椅子へと座りエルクもまた腰を沈めた。
「シャイルーク様、募る話もありましょうが、こちらに来たのは大事な用があってのことなのです」
「無論うかがわせていただきますとも。この商会もそれなりの規模を築いてきましたからな、金を用立てよというなら即金なれば五千枚ほどなれば」
「い、いえ。そうではなく」
「やはり足りませんか、では三日の猶予を頂ければ三万枚ほど」
「そうではなく!」
「し、失礼いたしました」
エルクは気を落ち着けるために息をつく。
「シャイルーク様、父への忠誠、恩に報いようとする気持ちは本当に嬉しい。しかしすでに国は滅び、民も散り散りになりました。今ここにいるのは己が国も守れぬ無力な若輩、あなた程の方が礼を尽くす必要はないのです」
「殿下、自分は陛下に並々ならぬ恩を受けた身。それをご子息のあなた様へと返さんとするのは当然のこと。あなた様は唯一残ったランクロットの一族が末裔。どうか、どうかその御名においてこの老骨に命じてください。いかなことでも応えてみせましょう」
「今の自分はもはや王族ではありません、王家の一族たる誇りはあれど権威はすでに灰へと帰しました。滅びた権威をかさにきて金子をせびろうなど、ただ一つ残った誇りに泥をつけるような真似などできません」
決して屈しないその瞳の気高き輝きを見て、ラグアスは諦めたように息をついた。
「申し訳ありません殿下。少々舞い上がっていたようです」
「構いません、できればその敬語もやめて頂きたく存じます」
「それだけは、それだけはご勘弁くださいませ。忘恩の輩と思われたくはありません」
ラグアスの頑なな態度に今度はエルクの方が諦めた。今はそれよりも大事なことがある。
「ではこのまま話を続けさせていただきましょう。用というのは以前こちらから借り受けた倉庫の件なのです。そろそろ返却しようと思いまして」
「あ、あの倉庫のことですか。あそこは、その……」
何か言いにくそうに、視線を泳がせるラグアスに、エルクは代わりに言葉を続けた。
「――浮浪児のたまり場となっているのでしょう?」
「お気づきでしたか」
エルクは小さくうなずいた。
「それを狙ってのことですから。町の浮浪児たちを村へ移住させようと思うのです。まだしばらくは借りていますが十日のちには返せると思いますので」
「殿下。あの子供らは子供と思ってはなりません。町でも酷い目にあったという者たちが後を絶ちませんので。どうですか? 村に人を増やしたいというなら金で職人を雇いましょう。その方がきっと早く――」
「シャイルーク様」
それでもラグアスは言葉を止めなかった。
「以前あった事件は耳にしました。殿下に暴行を加え金品を強奪したとか、いくら幼子といえど許されることではない。町の衛士たちには少々顔がききます。今すぐ倉庫へ差し向け全員捕縛することも――」
「ラグアス・シャイルークっ!」
エルクの瞳は鋭く細められ、ラグアスを射貫く。
「……っ、理由がわからないのです。もっと利のある行動を検討いただきたく存じます」
「理由、ですか。確かに自分にも分かりかねます。親を失い、幼き身を安らげる家もない。罪に手を染めなければ飢えをしのぐことすらできない。倉庫に居ついたのもこの冬の寒さに耐えることができなかった故でしょう」
エルクは一度言葉を切って、ラグアスの顔を射貫くように見据えた。
「――――そんな子らを救わぬ理由が、いったいどこにありましょう」
「い、いえ。こちらこそ出過ぎた口をはさみました、お許しください」
「構いません。では自分はこれよりあの子たちのもとへ参ります。それでは失礼いたします、シャイルーク様」
頭を下げたエルクはそのまま部屋を出ようと立ち上がる。
「お、お待ちを殿下っ、せめて自分も連れて行っていただけませんか」
「なりません。元々一人で行く予定でしたので」
「それでもどうか、どうかお願いいたしますっ、あなた様に何かあれば陛下に顔向けできませぬっ! 決して邪魔はいたしません。どんなことでもいたしますのでどうかこの老骨の願いを聞き届けてくださいませんかっ!!」
ソファーから転げ落ちるような勢いで、床へと膝をつくラグアスはそのまま額を床へとこすりつけた。
「シャイルーク様……」
必死に懇願するラグアスの姿を見て、エルクはわずかに逡巡する。
「いいでしょう、ただし二つだけ条件を守っていただきますよ」
*
エルクは深く、深くため息をついた。
「元々一人でいくつもりだったのだがな、シャイルーク様はともかくも何故そなたら二人がついてくる?」
「まあいいじゃねえか、お前がどうガキどもと交渉するか興味あるしな」
「ええ。ランドの言う通りエルクがどんな手を使うか見ものですから。今後の商売の勉強にもなりそうだしね」
ラグアスに部屋から出された後、オルガとランドは応接室にて色々と話していたらしい。
この短時間で随分と仲良くなったものだと感心する。
「正直言ってあまり良いものは見れぬと思うぞ」
エルクの隣にラグアスが並び、その後ろをランドとオルガの二人がついてくる。気分はまるで物見遊山だ。
ただ一人ラグアスだけは気分を尖らせていた。
「……殿下、もうお止めする気はありませんが、どうかご十分にお気をつけください」
「ええ、もちろんです。ですからシャイルーク様も先ほどの条件、どうかお忘れなきよう」
後ろの二人に聞かれぬように小声で話す。
しばらく歩くと人の雑踏と入れ替わるように、潮が匂いが濃くなってきた。
荷を運ぶために道幅は広いが、道そのものは整備されておらず石畳の半数以上はひび割れめくられていた。
波止場の外れの廃倉庫。
以前見た虫食いの葉のように穴が開いていた壁面には腐った板が不格好に打ち付けられ、半ばまで開けておいた扉はピタリと閉じられていた。
ボロボロに朽ち果てながらも他人を寄せ付けぬような、剣呑な空気をまとったそれは孤児たちの心の在り様のようにエルクは感じた。
潮風に晒された赤茶けた鉄扉に手をかけながらエルクはつぶやく。
「随分と待たせたな」
ザラリとした感触に少しの間、瞳を閉じる。
「――――貴様らがいったい誰に手を出したのか、その身をもって知らしめてやろう!」