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ランクロットの一族  作者: ふじたけ
第一章 エルク編
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第20話 銀の牢獄 〈前編〉

「兄ちゃん雪がふってきたあ」


 澄み渡る青空のもとチラホラと舞い散る雪を見て、レンツたちは喜び外を駆け回る。


 ただエルクだけはその雪を見て、わずかに眉をひそめた。


 通常の3倍以上の大きさを持った雪は、肌を突き刺すような冷たさで手のひらを射貫きながらも、しばらく溶ける様子を見せなかった。


「これは、いや」


 空を見やる。青い空はいまだ穏やかな様子を見せながらも、やわらかな日を注ぐ。


 しかし、それに反して連なる山々の向こうは夜のように暗い。


「まさか、この雪は……」


 身の奥から湧き出る不吉な予感に、エルクは表情を強張らせた。


「セリル、余は少し散策に出てくる」


「お散歩ですか? もうかなり寒いですし家にいたほうがよくないですか?」


「だからよ。これはあまりに寒すぎる。なぜこんなにも晴れているのに雪が降る? この気候はあまりに異様だ」


 真剣な顔で言うエルクに、セリルは言葉を返せなかった。


「今降っている雪は、水晶雪といって最も溶けにくい雪とされているものだ。これが北の山から流れこんできたのだというなら、この地はすぐに雪に閉ざされる」


 エルクは手にした雪を握りしめる。数秒ほどたってようやく溶けゆく気配を感じ、手を開いた。


 手のひら中央に残った小さなくぼみ。たった一粒の雪でさえこれだけの硬さを持っているのだ。


「北の山を登ってくる。そこまでいけば分かるだろう。ランドに言って家の壁をもう一層作るように伝えておいてくれ。隙間にわらをめいっぱい詰めるようにしてな」


「わ、わかりました」


「レンツたちは絶対に村から出すな。ありったけの衣類を家に運び込んでおけ」


 エルクは背嚢にわずかな荷だけを詰め込み、そのまま村を飛び出した。




    *




 北へ近づくごとに寒さがいや増す。


 町で買った毛皮を二層にした上着にも寒さがしみ込んでくる。


「一度、書庫で見たことがあったな」


 岩肌に積もった雪を見ながら、エルクは登った。


 数時間走り続けたというにも関わらず、ふきこむ寒風はエルクの身の芯から熱を奪っていく。

 

 そして、山の頂上にたどり着くエルク。


 そこから見下ろす景色は、あまりにも美しき地獄であった。


 やわらかな緑あふれる平野は純白に染められ、ところどころ生えた木々は禍々しいまでに氷柱に覆われている。よくよく見やればあちこちにこんもりと盛り上がる氷の塊が見えた。


 エルクはごくりと唾を飲み込んだ。


「あれは、獣の群れか」


 一瞬の突風により、自身の耐久温度を下回ったのだろう。


 瞬時に凍死した獣は倒れることも許されず、周囲の冷気に凍てつかされたのだ。


 大自然の猛威。


 言葉にすればよく聞く言葉ではあったが、今ほどこの言葉を怖いと思ったことはなかった。


 エルクはかつての故国で読んだとある一節を思い出す。



『百の齢の一度のみ、冬の女神が矛を撃つ。


 白銀しろがね色のその矛は、あらゆるものを凍てつかせ、命の芽吹きを奪い去る。

 

 銀の冷たき牢獄は、華美なる地獄へ誘わん』


 その異様な季を、その年に生き残った者たちはこう呼んだ。



「――――銀獄期ぎんごくき



 今はまだ山があるおかげで寒波がここまで届いてはいないが、すぐにフィオークにも来るだろう。


 早く帰って対策をたてなければ。 



   *



 エルクが戻ったのは日が暮れてからのことであった。


「この村に早ければ三日、少なくとも五日以内に吹雪がくる。おそらくそれ以降は村から出れぬ日が春まで続くと思う」


 エルクの言葉に誰もが黙る。


「そ、そんなにすごかったの?」


「ああ。北の山から見てきたが、獣達の氷像ができあがっておったよ。草原は一面真っ白だ。生命の欠片もない。氷結地獄とはまさにあのことをいうのだろうな」


 事態の深刻さが伝わったのか、みなが一様に表情を変える。


「ランド。日が昇り次第家の補強を行う。セリルたちは地下に食料と炭をありったけ運び込んでおいてくれ」


 

 水晶雪が荒れ狂う風とともに村を襲ったのは、それから五日後のことであった。



   *



 毛布を頭からかぶりながらエルクは言う。


「中々おさまらんなぁ」


「ああ。確かにこれじゃ外には出れそうにねえな」


 風とともに家をバチバチ叩く音に、レンツたちは不安げに尋ねた。


「だ、大丈夫だよな兄ちゃん? 食料も炭だってこんなあんだしさ」


「無論だ。心配するな」


 そうは言ったものの、エルクにはこの吹雪が、冬がいつ終わるか分からない。


 厳雪期であれば3カ月といったところ。銀獄期であれば記録では4カ月以上続いたと記されていたことを思い出す。


 燃料は3カ月にわずかに余裕を持たせただけ。


 食料なら節約することもできるが、燃料の節約は命にかかわる。

 

 暖炉に常に火を起こしておかねば、そこから入った絶対零度の氷風が、たちまち部屋の中を凍てつかせてしまうからだ。

 

 みなは仄かに灯る暖炉の前で車座に座っていた。


 毛布を幾枚も上からかぶり、その身には毛皮を重ねられるだけ重ねてきている。


 おかげでトイレに動くことも一苦労なのだが、それぐらいせねばならぬほどに気温は下がっていたのだ。


 外からはゴウゴウと暴風のうなる音と、バシバシと雪が壁を殴りつけるような音が間断なく聞こえてくる。


「まあ今まで忙しかったしよ、ゆっくりしようや、なあエルク」


「そうだな。天の御業に何を言ったところで仕方ないしな」


 暖炉には小さな鍋がかけられており、くつくつと煮込まれていた。


「もういいんじゃねえか?」


「ああ、そうだな」


 干し肉と干した菜をわずかな塩で煮込んだだけの貧しいスープ。


 それでも家から出れないエルク達にとっての食事だけが唯一の楽しみであった。


 お椀に注ぐと、白い湯気がまつげにあたる。


 わずかなぬくもりさえも逃したくないエルクは目をそっと閉じて、その熱を感じた。


「ふぅ。これだけ寒いとあったかいってだけで良いスパイスになりますねぇ」


 セリルが、そんなことを言いながら白い息を吐いた。


 口の中に含まれる熱いスープを飲み込むと腹の中から身をあたためてくれた。


 誰ともなく、ふう、と息をつく。


「もう、どのくらい続いてんだ、この吹雪」


「今日で二十日といったところか」


「少しでも晴れたら外に行けるのにな」


「まあ気長に待つさ」




   *



 

 火の番は交代制で行っている。


 昼間は誰かしら起きているからいいが、夜になるとみなが暖炉の前で寝てしまう。


 今宵の火の番を任されていたのは、ロナであった。


 目の前からはちらつく火のぬくもりが、顔を優しく撫でていく。


 カクンと落ちる感触で、はっと目を覚ます。


「あ……」


 いつの間にか暖炉の火はすでに消えそうなほどに小さくなっていた。


「あ、ダ、ダメ」


 慌てて炭を入れるが、火はますます小さくなっていく。


「ロナ」


 火バサミをつかむロナの小さな手を、エルクの手が優しく包んだ。


 ひょいひょいと炭を入れ替え、エルクは乾いたわらを一つかみ。すると火の勢いは一気に盛り返す。

 

 しばらくして、パチパチと炭の爆ぜる音とともに、火の勢いが戻ってきた。


「ご、ごめんお兄ちゃん。あたし」


「んー、よいよい、気にするな。それよりも――」


 エルクは自分を覆う毛布を広げ、ロナを手招きする。


「――おいで」


「う、うん」


 ロナはおずおずとエルクの膝上へ座ると、あっという間に毛布にくるまれた。


 ――ふわぁ、あったかぁい。


 人のぬくもりに頬を緩めながらも、エルクの胸元に顔を寄せる。


 トクン、トクンと穏やかな律動がロナの小さな体に心地よく響く。


 背中にまわされたエルクの腕がぎゅっと抱きしめてくる。


「寒くないかロナ?」


「ううん、すごいあったかい、よ」


「火は余が見ておくから、もうおやすみ」


「で、でも」


「良いのだ」


 そういって頭を撫でるエルクの手はとても心地よくて、知らずやってきた眠気にロナはその身を任せることにした。


   *


「エルク、さっきもシドと変わってたけど」


「なんだ。セリルも起きていたのか?」


「うん」


「夜の間ずっと代わってるけど、大丈夫ですか? 眠いなら私が」


「いや。構わんよ」


 みなの静かな寝息が聞こえる中、エルクは続けた。


「情けない話だが、夜は、まだ怖い。悪夢が襲ってきそうでな」


「……そう、ですか」


セリルはその悪夢の正体を知っている。だからこそそれ以上何も言えなかったのだ。


「人間は不思議です」


「うん?」


「はじめは人間は自分以外の種を憎んでいるのだと思っていました。エルフもドワーフも獣人も、人間は自分以外の種族を嫌い、憎み、見下しているからこそあんなひどいことができるのだと思ってました。けどエルクを見て考えを改めました」


 セリルの言葉は止まらない。


「――――無差別だったんですね」


「……」


「種族なんて何の関係もなかった。エルクは人間じゃないですかっ、同じ種族のはずなのに、あ、あんな……あんなひどい」


「セリル」


 名を呼ばれハッとする。エルクが口元に指をあてていた。


「みなが起きる」


「どうしてそんなに優しいのですか。初めて会った時から、ううん、会う前からあなたは私を助けてくれました。自分の身も危うい中で、私のことを、命をかけて助けてくれました」



「どうしたらこの恩を返すことができるのですか?」



 いつしか二人は隣合うまでに距離を詰めていた。


「あなたに返せるものなんて、私には私以外にないのです。どうか――――受け取って、いただけますか?」


 暖炉の火をわずかに灯すヒスイの瞳。そこには自分の顔が真っすぐに映されていた。


 そしてまた自身の瞳にもセリルの姿が映っているのだろう。


「……セリル」


「……エルク」

 

 互いに同時に名を呼んだ。


 エルクを見上げながら、セリルはそっと目を閉じた。


「っ!?」


 そして――――エルクは何かに気づいたかのように、バッと背後を振り返る。


「聞こえたかセリル?」


「……いえ何も」


「嘘をつけ。吹雪の音に混じって何か音がした。家の外からだ。エルフ族であるそなたが何も聞こえなかったはずがなかろう」


 セリルは口を尖らせ、不満げに言った。



「――――ええ。外に何かいます」



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