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ランクロットの一族  作者: ふじたけ
第一章 エルク編
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第17話 お説教

 驕りなら、あったと思う。


 何十、何百という戦場を己の腕だけで渡り歩いてきたのだ。


 死にかけたことは何度もあったし、自分よりはるかに強い相手と戦ってきたことも数え切れない。


 それでも、自分は生き抜いてきた。


 それはこの手に握る剣と同じか、それ以上に大切な矜持であった。


 強敵を斬り伏せ、味方を守り、剣一本で戦場に起こしてきた奇跡の数はいったいどれくらいにのぼるのか。


 いつしか自分の名前は敵にも味方にも知れ渡っていた。


 一陣の風のような体捌きと風すら斬り裂く剣戟の速さから『風鬼ふうきのディーノ』という二つ名をもって。


 己が姿を見せるだけで、味方は士気を取り戻し、敵はおののき、戦況は一変する。


 つまらなかった。


 戦場でただの旗頭はたがしらに据えられ、剣を振るうことなく勝利を手にすることが。


 うらやましかった。


 血を流し、刃折れても立ち向かういまだ名もなき傭兵たちのことが。


 己の剣はすでに人を超えたのだろうか。


 己の腕はすでに神すらかなわぬのだろうか。


 かつて焦がれた頂は、あまりに孤独で――――退屈であった。 

 

 そして、剣を握ることなく終わった戦が十を超えたところで、ディーノは戦場から姿を消した。


   *


 自分が真っ向からの斬りあいで敗北を喫するとは。


 それも己よりはるかに年若い少年にだ。


 わずかな驕りはあったろう、しかし断じて油断はなかった。


 渾身の力で打ち下ろす最後の一撃は、己の生涯で最高の一撃だったと確信している。


 ならばなぜ負けたのか。


 簡単だ。戦場で培ってきた経験も、技術も、己のすべてを込めた一撃も、エルクの剣技が凌駕した。


 言ってしまえばそれだけのことなのだが、それを成しうる人間が果たしてこの国に、いやこの大陸にいったい何人いるのやら。


 それを認めたとき、自分の身の内に懐かしき何かが沸き上がった。


 かつて若き日に常に感じていた剣への情念。

 

 剣の輝きにはいまだ高みがあったのだ。己の腕では届きえぬ者がここにいたのだ。


 それを知ったとき、こみ上げる歓喜と共に、ディーノは久しぶりに心から笑い声を漏らした。



「フ、フフ。クックック……なんですか、何なんですかそりゃ? あんなの反則でしょう、人間のできる技術の範疇はんちゅうにゃあんなのありゃしませんぜ」




   *


 ディーノの胸元に剣先を突き付けたままに、エルクは無言でこちらを見下ろしてくる。

 

「殺さないんですかい?」


「質問に答えよ」


「へい、こうなっちまったら何でもしゃべらせていただきますよ」


「そなたが雇われたのは二年前からか?」


 意図の分からぬ問いであったが、別段隠すこともない。


 この少年が意味のないことをするとは思えない。きっと深い意図があるのだろう。


「え? ええ、だいたいそんなとこですかね、正確な数は覚えてねえですが」


「なぜあんな商会に雇われた? そなたほどの腕があればもっとましな所があったろうに」


「いやあ、あんだけ恨み買ってるとこいけば、用心棒として仕事はいくらでもあると思っちまったんですよ、正直殺しは嫌になりましたんでね。ま、今は後悔しかありませんが」


「……そうか」


 エルクは突き付けた剣をディーノから逸らした。


「余もガイゼル商会については少し調べさせてもらった。対立する商会や競合組織、不正に気付きそうになった者たちが不自然なほどに事故や事件に巻き込まれておる。死んだ者も少なくはなかった。しかし、どういうわけか二年ほど前からその死者の数が激減している。まあ怪我人は増えておったがな」


「…………」


「そなたが守っておったのだろう? 襲撃者の汚名をかぶり、無能のそしりを受け、己の剣の矜持を汚しながらも、彼らを守ってきたのだろう?」


 どこまでも澄んだ黒い瞳は、真っすぐにディーノを見つめてくる。


「本当は――――殺せ、と命じられていたのだろう?」


 悪事を咎められる以上に、自分の偽悪趣味を問い詰められるのは気が滅入る。


 しかし、この方の前で嘘などつけようはずもない。


「……はい」


 ディーノは観念したようにうなずきを返す。


「起きろ」


 ディーノは言われるがままにその身を起こすが、立ち上がる前に脳を震わすほどの衝撃が襲ってきた。


「グォっ!?」


「この大馬鹿者がっ!」


 ディーノの頭に拳骨を降らせたままにエルクは怒鳴る。


「せっかく天より授かった才を無駄遣いしおってっ、誰かを守りたいならもっとふさわしき場所がいくらでもあるだろうっ」


「い、いえ、殿下。俺のこの手は人を殺めすぎましたから、その」


「ならば奪った以上に命を救えばよかろうがっ!」


 再びエルクの拳が頭に落ちる。


「ギァっ、い、痛いっ、痛いですよ殿下」


「そうだ。殴られただけでもそれだけ痛い。そなたはその痛みをいったいどれほどの者にまき散らしてきたかわかっておるのか」


「……ぅ、そ、それは」


「殺されるよりはマシだ、とでも思っておったのか? 傲慢極まりないな、そなたが襲った余の先輩方は恐怖で商会に戻ることすらできぬそうだ。いまだ闇を恐れて眠れぬ夜もあるらしい。何の罪もない者たちをそんな目に合わせておきながら何が『殺しは嫌なんです』だ。よくぞほざけたものだな、大たわけが!」


 三十路も超えたおっさんが、何故二十にも満たぬ子供に説教を受けているのか。


 うずく頭をおさえながらも、いまだ続くエルクの言葉に何も返すこともできず、ただ「あー」だの「うー」だのうなることしかできなかった。


「聞いておるのかっ!?」


「は、はいっ! 聞いておりますっ」


 チッ、と大きな舌打ちをしながら、エルクは嘆息を一つ。


「もうよい。二度も剣を交えた仲だ。ついでだ、そなたの後始末も余がつけてやる。ついてこいディーノ」


 エルクはくるりと背を向け、いまだ呆然としたビルドゲート達のもとへと歩み寄った。


「ナタリア様、愛剣の貸与、まことにありがとうございました、おかげでこの一命いちめい救われました」


 先ほどの態度は一変し、高位貴族のような振る舞いで話しかけられたナタリアは戸惑いを隠せなかった。


「……え、ええっと、どうしたしまして?」


「ビルドゲート様、こちらでお待ちいただければすぐに商会の者たちが駆けつけますゆえ、もうしばしのご辛抱を」


「あ、ああ。そうさせてもらおう」


 ビルドゲートも困惑したまま、言葉を返す。


「今回のことはシャイルーク商会のいざこざ。一介の訳士に過ぎぬ自分では謝罪も賠償も口にすることはできません。ですがこちらに非もなければ罪も無きことはビルドゲート様なればきっとご理解していただけると信じております。

 どうか、寛大な心でお許しいただけますよう、お願い申しあげます」


 胸に手を当て、優雅な仕草で頭を下げる。


此度こたびの騒動の決着けりはこちらにてつけさせていただきますので」


 そして、ディーノに向き直る。


「行くぞディーノ」


「ど、どこへ行かれるんですかい」


「馬鹿者、話の流れからして自明の理であろうが」


 ディーノの顔がこれ以上にないほどに強張った。


「ま、まさか……」


 エルクは深くうなずいた。


「うむ。殴り込みだ」


   *


「で、殿下、ちょっと、俺肩に穴開いてんですけど、頭もめっちゃ痛いんですけどー」


「やかましいっ、脚が無事なら問題ない、たとえ死んでもついてこい」


「で、でんかー、ちょっと待ってくださいってばー」


 颯爽と歩み行くエルクの背を、戸惑うディーノが追いかける。


 そんな二人の姿をビルドゲート達は止めることも、説明を求めることもなく、ただ茫然と見送っていた。


 しばらくして、商会の者たちが駆けつけてくる。


 自分の商会の船大工や水夫、そして訳士として連れてきた者たちの中にオルガの姿もあった。


「ご、ご無事でしたか、よかったぁ」


 ビルドゲートは部下の訳士に視線のみで合図を伝える。


『あ、ああ。儂らは大した怪我はしていないよ』


 オルガの目に映るのは、通りに打ち捨てられた穴の開いた剣とナタリアのサーベルに付着したわずかな血痕だった。


 そこから導き出される結論は、推測するまでもなかった。


「そうですよね、ちゃんと護衛がいますものね。余計な心配だったようで何よりです。さすがはナタリアさんです」


 ナタリアの方を見ながらオルガは微笑んだ。


『い、いや私は、私なんて、その』

 

 とりあえず今は説明する時ではないと見たビルドゲートは戸惑うナタリアを手で制す。


『とりあえず襲撃者は去った。ただ少し疲れたのでな、今は屋敷で休ませてもらえるとありがたいのだが』


「あ。そ、そうでした。では屋敷の方へご案内いたします」


 そう言ったオルガはふと辺りを見回し、不思議そうな表情を浮かべる。


『どうしたのだね?』


「あ、いえ。エルクはどこに行ったのかと思いまして。一番先に飛び出して行ったのですが」


『あ、ああ……まあ朝には戻ってくるだろう、エルク君のことなら心配など無用だよ』


「そうですか? けどたった一人で捜索に行きますなんて言って、いったい何ができると思ったんでしょうね。もしこの場にいてもナタリアさんの邪魔にしかならないでしょうに」


 ビルドゲートからの視線に気づいたナタリアは、必死に言葉を絞り出す。


『は、はは、は。まああの訳士もそこそこ腕は立つんじゃないか、素質は、あると、思うのだが』


 咄嗟の嘘に慣れていないナタリアの言葉はどこまでも空々しい。


「そうだ。それなら今度時間があればエルクをしごいてやってもらえませんか? ナタリアさん程の方にご指導いただければエルクもきっと強くなれると思うんです。私の方から話を通しておきますね」


『勘弁してくれっ!』


 ナタリアの心からの悲鳴は、港町に高く、高く響いたのだった。




 *




「な、なんだ貴様はっ! お、おいディーノ、そいつではないか、シャイルーク商会が雇った凄腕の訳士とは」


「フフフ、貴様のような小悪党でも褒められると嬉しいものだな。凄腕とな、聞いたかディーノ」


「殿下。俺がさっき存分に褒めたじゃないですか。何で俺の時より嬉しそうなんですか」


 場所はガイゼル商会の一室。ランバート・ガイゼルの私室であった。


 ビア樽のような体型に無理やり仕立てたガウンを着たガイゼルは、顔を真っ赤に染め上げ、わめき散らす。


「ディーノっ! 何をしている、そやつも殺すのだっ」


「すいませんねぇ旦那。さっき何とかしようとしたんですが逆に叩きのめされちまいやしてねぇ」


「なんだとっ! そんなみなしご共にも敵わんような奴に負けたというのかっ、どこまで無能だ貴様は!」


「食うにも困っているような子供に手をあげれるわけがなかろうに。たとえ何十年と修行を積んでも勝てることはないだろうよ。まあ貴様が理解できるとは思えんが。とりあえず貴様の悪事の証拠、耳をそろえて出してもらおうか」


「ふ、ふざけるなっ! 誰か、誰かおらんかっ!?」


「ここまで来たことで察しましょうぜ旦那、今のこの商会にゃ動けるやつなんて一人もいませんぜ」


「な、なにっ?」


「小悪党の思いつく隠し場所などいつの世も変わらん、例えば、この額縁の裏とかな……おお、怪しげな金庫があったぞ」


「お見事です殿下」


「はっはっは。褒めるな褒めるな。照れるではないか。さあさっさと金庫の鍵をよこせ小悪党」


「だ、誰が貴様なんぞに――グビャアっ」


「構わんぞ。なれば自ら鍵を出したくなるまで痛めつけるのみだ。弱者を嬲る趣味など持ってはいないが、さすがに貴様にはかける慈悲も容赦もみつけきれんのでな」


「や、やめひぇくれ」


「どうだディーノ。そなたも一発入れとくか?」


「ではお言葉に甘えまして――――誰が無能だおんどりゃあっ!」


「ぐひゃあっ!」


「おい。顎を砕くな、自白ができぬであろうが」


「ありゃ、これはとんだ失態を」


「まあいい。さて家探しを続けるか、そなたはその金庫を開けさせておけ」


「へい。かしこまりました」


   *


 翌日、ガイゼル商会に衛兵たちが駆けつける。


 内部は嵐が巻き起こったかのようにぐちゃぐちゃになっており、刃物を手に持った従業員たちは全員が大した怪我もなく気絶させられていた。


 逆に執務室ではボコボコに殴られ、血まみれの顔をさらした商会当主ガイゼルが打ち捨てられており、そばの机の上にはいくつもの贈賄や脱税の記録、果ては違法貿易品の関連書類まで丁寧に分類されて積み重ねられていた。


 リッツベルトの一角を担う大商会の不祥事。それに関わっていた役員や、不正を見逃していた衛士も巻き込んだ大捕り物が翌日から数週間にわたって町を騒がせることになる。


 商会を襲った強盗犯の捜索も行われていたのだが、かの商会を恨んでいる者があまりに多すぎたため捜査は難航を極め、そんな騒ぎのうやむやにまぎれていくのであった。

 

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