第14話 ナタリアの覚悟
「フェカトーレ。事情をきっちりとっぷり説明してもらいましょうか?」
額に青筋を浮かべたオルガは、造船所の様子を確認してからフェカトーレへと向き直る。
「い、いえお嬢。自分は造船所で火事があったから報告して来いといわれただけでして……」
視線を泳がせながらもフェカトーレは気まずげに続けた。
結果から言えば火事は、というか名ばかりの火事は少しばかり建物の外壁を焦がしただけのボヤ騒ぎでおさまっていた。
すでに消火はおろか騒ぎ自体も落ち着いており、帰路につく者たちがいるくらいの小規模のものだった。
「情報の伝達速度は確かに大事ですけどね、そこには『正確』という言葉がついてはじめて成り立つのですよ」
「……はい。申し訳ありませんでした」
深く頭を下げるフェカトーレを見て、オルガは嘆息をつくと同時に安堵した。
ビルドゲートの所有する大陸間航行専用の大型貿易船。これが無事であってほっとしたのだ。
「まあ何にせよ船が無事でよかったわ、あなたももう帰っていいわよ」
もうすでに寝ている時間だろうに、騒ぎを聞きつけ自分に伝えようと大急ぎで駆け付けたのだろう。
少しそそっかしいところもあるが、彼も大事な従業員。商会を思っての行動をこれ以上咎める気にはなれなかった。
さっさと屋敷に帰ろうとすると、エルクがボヤのあった場所にしゃがみこんでいた。
焦げた部分に指をあて、一瞬だけ瞳を鋭く細める。
「フェカトーレ様、確認したいのですがビルドゲート様はこちらに来られたのですか?」
「あ、ああ。お嬢たちが来られる少し前に来たぜ。船が無事だってことが分かったらすぐに引き上げていったけどな」
「そうですか」
「どうしたのエルク?」
口元に手をあてながら思案にふけるエルクにオルガは声をかけた。
「オルガ様。今宵はこの造船所でお過ごしください」
「どういうこと?」
「これは放火です。火元に油がまかれています」
エルクはさらに続ける。
「このボヤ騒ぎは陽動かと思われます。それを前提に考えるとこちらに来るであろう人物はオルガ様とビルドゲート様のお二人。
どちらかが狙われている可能性が高いかと……」
「――っ!?」
状況に気づいたオルガは途端に顔を青ざめる。
言われてみれば確かにそうだ。これをやったのがガイゼル商会だとするならその目的はこちらの商会の失脚。
船を燃やせればこちらの風聞に致命的な傷となるが、何十人もの水夫や船大工が押し詰める造船所で船を焼き払うなどできやしない。
ならば、もっと効果的に致命的なダメージを与える方法とは―――
―――それは商会に招いている賓客ビルドゲート本人を襲撃することだ。
「た、大変っ、フェカトーレ、人を集めてここから屋敷までの道を捜索して。五人一組で行動して。見つけたら私の屋敷までしっかり護衛するように指示なさいっ!」
「は、はいっ!」
造船所へと駆け出すフェカトーレを見てからオルガも何をするかを考えていると、
「では自分も捜索に参りますので」
「ちょ、ちょっとエルクっ、一人じゃ――」
制止の言葉も終わらぬうちにエルクは闇に染まる町へと駆け出して行った。
*
「ナタリア、どう思う?」
ビルドゲートとナタリアは造船所から屋敷へと帰路についていた。
誰の影も差すことのない闇に染まる道を、二人は歩いていく。
「は? どういうことでしょう」
白い月明かりに照らされた端正な顔立ちに疑問符を浮かべながら、ナタリアは尋ねた。
「造船所というのは火の元には最善の注意を払うものだよ。しかもここは王家御用達の儂らが使っているのだから。そんなところで火がたつと思うかい?」
「いわれてみれば」
「ならばこれは失火ではなく放火だよ。だとすると間違いなく陽動だ。この商会は随分と性質の悪い奴らに狙われているようだからね。標的はオルガ嬢か儂かは分からないが……いや造船所を狙った以上儂のほうが本命かな」
「ということは」
ナタリアはごくりと唾を飲み込む。
「十中八九この帰り道で襲撃があるだろうね」
「な、なぜ分かっていながら」
「ラグアス殿には世話になった。その恩を返したい。儂の護衛が君一人なら奴らも油断して現れてくれるだろうからね。とっ捕まえて一網打尽にしようじゃないか。期待してるよ、ナタリア」
腰に差したサーベルの柄をそっと撫でながらナタリアは答えた。
「お任せください、お館さま。必ずやご期待に添えてみせます」
自身に満ちた顔でそう答えたナタリアに、不意に声がかかった。
「――――それがわかっているなら話ははええや」
*
「襲撃者か」
ナタリアはサーベルを抜きながら、剣呑な声でつぶやく。
「ご名答って答えなきゃならねえところが悔しいですが。まあケチな傭兵ですよ。ってことでちょおっと下がっててくれねえかいお嬢ちゃん。女を相手にしたかねえんだよ」
やる気のない風な声でこちらを見下してくる細長い男をナタリアは睨みつける。
「俺の狙いはそのおっさんだけだし殺すつもりもねえんだ。すこーし死にそうな目にあってもらうだけでしばらくすりゃよくなるよ」
「来るなら殺す」
噴出する殺気を叩きつけながらの恫喝にも、男はそよ風を浴びたほどにも動じない。
「君はヒスパリア語が話せるのだね」
後ろに控えていたビルドゲートがナタリアの隣に並ぶ。
「ええ。元々生まれはあっちですからね。各地で転々と傭兵家業をいそしむうちにこっちの言葉も覚えたんですよ」
「しかし良いのかね? 君はガイゼル商会の者だろう。儂らは王家御用達の商会だ。儂に何かあれば当然報復に出るぞ。
ガイゼル商会は取潰し、君も下手人として相応の処罰を受ける以外の道はないぞ」
まあシャイルーク商会のほうもダメージはあるだろうがね、と小さくつぶやく。
「ああ……やっぱそうなりますよね。うちの雇い主はバカなんですわ。そのうえプライドだけはいっちょまえに高くて。
もう俺の手には負えそうにないんで好きにしちゃってください。俺の方はこの仕事が終わったらこの地を去ろうかと思っとります。
追っ手を差し向けてもらっても構いませんが、無駄骨ですよ」
「なら報酬の三倍の金を払うから見逃せと言ったら?」
「お館様っ!」
声を荒げるナタリアに、ビルドゲートは指摘する。
「ナタリア。手が震えているじゃないか。君の直感がそこまで恐れているのなら、この者は相当に強いのだろう。金で解決できるならそれが一番良い」
言われてはじめて自分の手が震えているのに気づく。
闘う意志すら見せていない相手に、どうしてここまで恐怖を抱くのか。
「こ、これは……その」
「お嬢ちゃん、自分の直感を否定しちゃいけねぇよ。あんたの勘は正しい、お嬢ちゃんじゃあ俺には勝てねえよ」
「ああ、あとビルドゲートさん。やっぱそれはできませんや。あんな男はどうでもいいですが、すでに金をもらった以上は俺の仕事ですからね。
そうポンポン裏切ってたらこんな仕事とはいえ続けていけません。仕事に信用が何より大事なのはあなたが一番よくご存じでしょう?」
「…………そうだな。無粋なことをいった。忘れてくれ」
そう言ってビルドゲートは後ろに下がる。
「ああ……最後に一つだけ聞きたいんだが――――君、今まで何人殺してきたんだい?」
男は言いづらそうに頬をポリポリとかきながら、腰の剣に手をかけた。
「主な職場は戦場でしたので、正確な数はわからねんですよ」
シャンと場違いなほどに美しい音色をたてながら剣が引き抜かれる。
月明かりに浮かぶそれは、異様なほどに妖艶で禍々しい雰囲気を持っていた。
「――――ざっと数えて千人くらい。俺に言えるのはそれ以下はないってことくらいですかね」
*
「いやああああああああっ!!!」
力量に大きく差があることが分かったナタリアは一気に踏み込み、剣を薙ぐ。
力の差がある以上長引かせても勝つことは難しい。初手から全力で飛ばしこちらをなめきっている内に勝利を奪う。
それがナタリアの考えた作戦であったが――――
――――ギィンっ!
避けるでもなく、受け止めるでもなく、攻撃が弾き返された。
まるで自らの意思を持って己が手から離れようとするサーベルを懸命に握りしめる。
意図せず上段となった構えから振り下ろそうとするが、いつの間にかピタリと首筋に添えられた剣に気づき動きを止める。
「これで分かったろ? 勝負にもなんねえよ。分かったら下がっててくれ」
「ふ、ふざけるなっ!」
「ふざけてるのはお嬢ちゃんの方だろう? その程度の腕でいったい何を守るってんだ。所詮あんたが相手にできるのは平和な世界で生きてきたチンピラくらいのもんだ。
殺したことも、殺されそうになったこともないんだろう? あんた程度の奴なんざ戦場に行けばゴロゴロいるぜ。身の程を知りな」
「……くっ」
ナタリアは痛いほどに唇をかみしめる。
男の言葉に何も言い返すことができなかった。
「お館様、お逃げください。時間は必ず稼ぎますので」
たった一合の打ち合いで、ナタリアは決して勝てないということが分かった。
それでも自分を拾い上げてくれたビルドゲートを見捨てることなどできなかった。
命を賭して守れるならば、ナタリアは喜んで命を投げ捨てただろう。しかし、この男を止めるには自分の命一つではあまりにも安すぎる。
「それはできないよナタリア。それに儂が逃げたらその者は即座に君を行動不能にするだろう。儂が逃げていないからその男は焦っていないのだ。
もしも勝つなら油断している今の内だよ」
「えげつないこと言いますねビルドゲートさん。すでに勝敗のついた相手にまだ勝つ気で挑めだなんて」
ナタリアは覚悟を決めて一気に後ろへ跳躍する。
「――――っ!?」
首筋に添えられた剣は斬られることなく、自分の動きに合わせたかのように引かれたのだった。
自分が怪我をしないように、男に気遣われたのだ。
「まああと一度くらいなら時間はあるかな」
そんなつぶやきがナタリアの耳をうった。
この男は自分を敵としても見ていない。
まるで駄々をこねる子供を相手にするかのように、闘志ではなく慈悲をもって闘っているのだ。
「…………私で見逃してくれないか」
あまりに早い降伏宣言であった。
「ナタリアっ!?」
己の無力が主であるビルドゲートの期待を裏切ってしまっているのは分かっている。
それでもこの者には決して勝つことはできない。あまりに、力の差がありすぎる。
「お前の狙いはシャイルーク商会の評判を落とすことだろう。私を殺すことでも十分にあの商会の評判は落ちるはずだ」
「ナタリアっ! 何を言っているっ」
「いやいや、いい部下をお持ちで。ただあんたが訳士なり水夫なりだったなら良かったんだが、お嬢ちゃんは護衛だろ?
護衛が殺されたところで落ちるのはあんたやビルドゲートさんの評判だけであって、シャイルーク商会は大したダメージねえからな」
「――――私はビルドゲート様の孫娘だ」
「ナタリアっ! やめろっ!」
ビルドゲートの必死な声が背にかかる。決して誰にも言わないように厳命されていたにも関わらず、その事実を敵に告げてしまった。
それでも、祖父を守るためならば。
「それを伝えればいい、賓客の身内も守れなかった事実は商会として致命的だろう」
「…………分かった。最初に言った通り殺すつもりはない。だが二、三カ月は病院で過ごしてもらうぜ。
その代わりビルドゲートさんには一切手を出さねえことをこの剣に誓おう」
「感謝する」
最後にナタリアはビルドゲートを振り返る。
「――――弱くてごめんね、お祖父ちゃん」
一筋の涙が、ナタリアの頬を伝った。
「よせっ! 貴様の狙いは儂だろうっ、儂をやればよいだろうっ! 金で受けた仕事はきっちり果たすのが傭兵ではなかったのかっ!」
「ほんと、なんであんなとこに勤めちまったんだか」
苦虫をまとめて噛み潰したような表情を浮かべ、飛びかかるビルドゲートを蹴り飛ばす。
「ガフっ」
転がるビルドゲートを一瞥し、男は拳を振り上げながらナタリアへと告げた。
「……自信をなくすこたねえよ。こんな俺だが十にも満たねえガキに手玉にとられたことだってあんだからよ。敗北ってのはいい糧になんぜ?」
「――――随分と」
拳を振り下ろさんとした瞬間、闇の中から声が響いた。
「――――――――古い話を持ち出すものだな。傭兵ディーノ」