第13話 傭兵ディーノ
「――糞っ! クソっ、クソォォォっ!!」
握った拳で目の前の執務机を叩きつけながらガイゼル商会の当主ランバート・ガイゼルは声を荒げた。
ガチャンと音を立てて、紅茶を入れていたカップが倒れる。
机の上に広がる紅茶にも構うことなく、ガイゼルは怒声を吐き散らす。
「どういうことだっ、訳士は全員つぶしたんじゃないのかっ! どうしてあんな貧乏商会が隣大陸の大商会と取引できるっ!?」
「まあなんというか運がなかったですね。たまたま雇えた訳士が凄腕だったみたいで。これも何かの転機と考えましょうや。
どうです? ここらで心機一転まともに商売で勝負するってのは」
「ふざけるなっ! 傭兵ごときが偉そうにっ」
怒りで血走った眼を向けられ、吐き散らすガイゼルを見ながらディーノは嘆息する。
「はいはい。あ、ツバ飛ばさないでもらえますかい? こっからでも嫌な臭いが漂ってきてますんで」
無精ひげを生やした三十路前の細身の男。やる気のない口調やどこかだらけた態度から、誠実とは真逆に位置するような印象を与える風貌であった。
飄々とした態度を崩さぬディーノにガイゼルはさらに、顔を真っ赤に染めた。
「貴様ぁっ!!」
倒れたカップを思い切り投げつけるが、ディーノは慌てる風もなくパシリと受け止めた。
一メートルもない距離での投擲に瞬時に反応する様子は、見るものが見れば男がかなりの武を嗜んでいることがわかるのだろうが、生憎この部屋には当人と武術どころか運動
や健康といったものからひどく縁遠い小太りの商会の主だけであった。
「じゃあ俺はそろそろ帰りやすぜ。またなんかあったら連絡下せえ。あんたは金払いだけはいいから付き合ってあげますよ」
カップを戻し、「だけ」というところを強調しながらディーノは背を向ける。
「――――あの商会の小娘をさらってこい」
そんな背にガイゼルの声がかかる。
怒りと憎しみを何がなんでも吐き出さねば気が済まないといった、覚悟を決めた者の出す声であったことがディーノには分かった。
ただの逆恨みでよくぞそこまで恨めるものだと思いながらもディーノは振り返った。
「徹底的に凌辱してやる、嬲りに嬲ってやるっ! あのすかした男が帰ってくる頃までに儂の子を孕ませてやる……ふ、ふはははははっ。
そうだ、そうだ。訳士をつぶすなどせず始めからあの女を狙っておけばよかったんだ」
「おいディーノ。何をぼさっとしている。今すぐあの女を連れてくるんだ」
「はっはっは。嫌ですね」
「なんだと」
「俺はね、女子供は二度と相手しないことに決めてんですわ。あの訳士二人を相手にするのもかなり嫌だったんですよ。武術の武も知らねえ素人じゃねえですかい」
「そうだ。なぜ殺さなかった。儂は殺せと言ったろう。素人も殺せぬ無能か貴様はっ」
「……まあ病院送りにはしたんですし、シャイルーク商会から訳士を排除しろって当初の任務は果たしたつもりなんですがねぇ」
もしも殺していたら町の中で衛兵も本気で探し回る。捕まるのは自分で、それを頼んだガイゼルは地位と賄賂できっと知らぬ存ぜぬで押し通すだろう。
それにあのまま断っていたら他の奴らに頼みこみ、訳士の二人は本当に殺されていたことだろう。
長年、傭兵という仕事をやってきたが、いや、やってきたからこそ無駄に人が死ぬのは見たくなかった。
利己的な保身もあったが、それと同じくらいに病院へ送ることで彼らの命を守ろうとも思ったのだ。
――まああっちは恨んでるでしょうけどね。
「……貴様、儂に逆らってどうなるか分かっているのか」
低い声で恫喝し、睨みあげてくるガイゼルの姿を、ぶぅぶぅうなる豚のようだと思った。
「さぁてどうなるんでしょうか? 学のない傭兵風情には分かりませんや」
「ビルっ! 入ってこい」
ガイゼルが名を呼ぶと扉が開かれ、禿頭の大男がヌッと入ってきた。
「もう貴様には頼まんわっ、どこへなりと行くがいい。その前に儂を馬鹿にした罪を償ってもらうがな」
勝ち誇ったようにいうガイゼルに、ディーノは気まずそうな顔で、ビルと呼ばれた男を見やった。
――そういやビルって名前だったけなぁ。
ビルもディーノの顔を見た瞬間、ビクリと大きな体を震わせた。
「どうしたビル、こいつを叩きのめせ、さっさとしろ!」
ビルは気まずげなまま、ガイゼルとディーノを顔をいくども見やる。
「すいやせんが旦那。もうこいつとは格付けが済んじまってんですわ」
この商会に雇われた初めのころに、どうでもいい理由で因縁をつけられたので返り討ちにしたことがあった。
「はあっ!?」
ガイゼルのすっとんきょうな声に、ビルもおどおどとした態度で声を出した。
「すいませんボス。俺じゃあこの人にゃ勝てません。むしろディーノさんはかなり腕利きの傭兵ですぜ。俺なんかよりよっぽどいい働きをする。
解雇したらボスを守れる人間がいなくなっちまいやす」
「旦那。どうします? 解雇なら解雇で構いませんぜ。あんたくらい人に恨まれてりゃ腕のいい護衛が欲しいだろうってことで来たんですが、頼む仕事は闇討ちばっかだ。
いい加減こっちもうんざりしてるんですわ」
「……わ、わかった。なら最後だ、最後にあの男をやってくれ」
またか、とため息をつきながらディーノはうなずいた。
「あんま気はすすみませんが、まあこいつならいいでしょう」
「失敗は許さんぞ」
「鳥肌収めてから言いましょうぜ。そんな交渉しかできないからいつまでたっても三流なんですよ」
カカカ、とディーノは小さく笑った。
*
銀製の燭台の灯がゆらめく。
おぼろげに映る羊皮紙を手で押さえながら、オルガは帳簿をつけていく。
グッと身体を伸ばして立ち上がり、背後の木窓を開けてみた。
すでに明りの灯される家はわずかばかり。昼間は騒がしい街もすでに眠りかけている時間帯であった。
いつもならオルガも自宅へ帰っており、身を清めている時間帯だがエルクのせいで仕事が終わらないのだ。
いや、エルクのおかげというべきか。
少なくともエルクは自身の仕事をきちんとやっている。それも誰もなしえないほど完璧なまでに。
だからこそ仕事の依頼が引きをきらない。
エルクを交渉にはさむことでいつもよりスムーズに、短時間で、なおかつ相手も大満足といった顔で商談を終えることができるのだ。
エルクを訳士としてつけてほしいというリピーターも日に日に増加の一途をたどっている。
「訳士を新しく雇わなくちゃならないわね。けどエルク位の訳士っていうといないだろうし……今のうちに秋の終わりまでしかいないって伝えたほうが。
ああ、けどそれで客が離れちゃいやだし……相手にとって悪い情報を伝えるならまずはその対策をたててからって父さんも言ってたもんね」
考えをつぶやきながら再び執務机を見下ろすと、そこには先ほどから幾枚書いても一向に減らない書類が積まれていた。
エルクのせいで増えに増えた新たな契約先と商品の帳簿である。
もう少し自分の価値を知って、仕事をおさえてくれればいいものを。
気の利かない訳士である。
オルガはクゥと小さく鳴くお腹を押さえながら、嘆息する。当然夕食もまだであった。
「…………いや、まずは会計、か」
この帳簿の山を一人でこなすのはさすがに無理がある。今後もこの数が続くのならばもう一人、いや二人は雇わなければならないだろう。
オルガは何度目になるか分からない嘆息をつき、再び書類にとりかかろうとすると、ドアからノックの音がした。
「オルガ様。エルクです。夜食を持ってまいりました。よろしければ少し休まれませんか?」
笑顔で迎え入れたオルガは弾む声でこう告げた。
「エルクは本当に気が利くわね。雇って正解だったわ」
*
「あら。おいしい。このスープ」
「はい。ブイヤベースというものです。魚介と野菜を煮込んだものですが、お口にあったのであれば嬉しいです」
オルガは机の上を軽く片付け、エルク手製の夜食に舌鼓をうつ。
アサリや小粒のカニやエビ、そして白身魚を煮込んだ半透明のスープはあっさりしていながらも深い味わいをもっていた。
空腹であったことをさしおいても、このスープの味は手放しでほめることができるレベルである。
「オルガ様。差し出がましいようですが――」
「なぁに? もう帰ったほうがいいってことならダメよ。明日までにまとめなきゃならないからね。父さんに任されてるんだから。その間はきっちり仕事はやりとげるわよ」
「いえ。そうではなく――」
「――もしよければ自分にも帳簿をつけさせてはいただけませんか?」
できるの、とは聞き返さなかった。エルクが言うならそれはできるのだろう。
今日は徹夜コースかと覚悟を決めていたのだが、もしかしたら家に帰れるかもしれない。
年頃の娘としては徹夜はともかく日に一度は身を清めたい。
「ならこれとこれを。あ、あとこの契約書をまとめてもらえるかしら?
あなたも訳士としてそばにいたから概要は分かるでしょ」
「かしこまりました。オルガ様」
エルクは恭しくうなずくと、渡された契約書を一瞥した。
*
エルクは備え付けの小さな机に契約書をひろげ、内容をまとめていく。
執務室にはしばらくの間、ペンのはしる音だけが響く。
「まだ帰ってなかったのね」
ペンにインクをつけながら、オルガは尋ねた。
「ええ。オルガ様がお帰りになられていなかったので」
「別に気にしなくていいのよ。あなたの訳士としての今日の仕事は終わってるんだから」
エルクもまた手を止めないままに、会話をつなぐ。
「訳士として残っているわけではありません」
「うん?」
「男だから残っているのです。オルガ様のような女性をこのような時間に一人で家に帰すなどできようはずもありませんから。
もし迷惑でなければご自宅まで送らせていただけませんか?」
「め、迷惑なんてそんなことはないけ、ど」
あれ。何だろう。
なぜ自分の胸はこんなに高鳴っているんだろう。
「な、ならお言葉に甘えて送ってもらおうかしら? け、けどエルクは喧嘩とか弱そうよね。頼りになるのかしら。
そういえば子供にカツアゲされたのよね?」
嗚呼。なぜこんなことを口走っているのか。
緊張が高まると何を言い出すか分からなくなる自分の悪い癖だ。
というか、なんで私はこんなに緊張しているのだろうか。
そんな心配をよそにエルクは、苦笑する。
「痛いところを突かれますね。まあ女性の一人歩きよりはマシだと思いますよ」
別段、気を悪くした風もないエルクの様子にオルガは胸をなで下ろす。
誰もいない一室で若い男女が二人きり。
何が起きても不思議ではない。
そんな事実に気づいたのは再び仕事に集中しかけた時だった。
――いや、エルクに限ってそのようなことは……。
ふと影が差し、顔を上げるとエルクが間近に立っていた。
「ヒャワっ!?」
机からバッと身を放し、背後の壁に椅子がガタンと打ち付けられた。
「な、何ですかエルクっ、あなたは訳士で私は雇用主。その関係性を忘れてはいけませんよ」
「え? ええ。オルガ様に雇って頂いた恩は忘れてはおりませんし、自分の立場もわきまえておりますが」
キョトンとした表情を浮かべるエルクは、手にした書類をオルガの前に差し出した。
「終わりましたので、確認をお願いできますか?」
「早っ!?」
*
エルクに渡された書類はきちんとまとめられており、数字の不備も見当たらない。
商談などで必要とされる公的な書類に必要な項目もすべて埋められており、ついでに言えば字も非常に綺麗だ。自分よりもだ。
これだけできるなら、少しの間会計としても働いてもらおうか。お金に困っているようだし、その分給金を弾めば……。
そんなことを思っていると、途端にあわただしい音が廊下から響いてきた。
「――お嬢っ!」
扉を蹴破るように飛び込んできたのは血相を変えたフェカトーレであった。
いつもであれば、「ノックを忘れるな」と注意をするオルガであったが、その剣幕にそれさえも忘れてしまう。
フェカトーレは息も絶え絶えに、必死に伝える。
「――――ぞ、造船所……造船所で、火事が起こりましたっ!」