第12話 アンバランス
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拙い作品ですが、今後も更新するのでよろしくお願いします。
その日、エルクは夜遅くに宿へと戻った。
すでに食堂は客もおらず、メイファが掃除をしているのを横目でみやり挨拶もそこそこに部屋へと戻った。
ベッドの上ではランドがすでに下着姿になっており、腰かけていた。
「おお、お帰りってか、ずいぶんへばってんな」
「……ああ、胃に穴があきそうだ」
エルクはそのまま上着だけを、脱いでたたむとそのままベッドへと倒れこんだ。
結果から言えば商談はうまくいった。
しかし、エルクに興味をもったビルドゲートは事あるごとに自身のことを探ろうとしてくるし、背後ではナタリアが要注意人物としてマークしたのか殺気を放ってくるし、オルガは何とか話題をそらそうとするが、ビルドゲート相手ではうまくあしらわれ、そんな中でも仕事を与えられている以上、二人の会話を訳し続けなければならない。
エルクは村に残してきたみなのことを考える。
セリルもレンツたちも元気にやっているのだろうか。きっと冬を越えるためにみなで懸命に畑の世話をしたり頑張っているのだろう。
――こんなことでへばっている場合じゃないよなぁ。
エルクはそのまま顔を上げ、ランドに向けた。
「明日から朝一でオルガ様の屋敷へ向かわねばならん。朝はいつもより早く出るから、な」
「あいよ。もう休みな」
「あ、あ……おや、す、み」
エルクが目を閉じるのを見て、ランドも静かに部屋の明かりを消したのだった。
***
翌朝、エルクはメイファのもとで簡単な朝食を済ませてから宿を発つ。
日差しがようやく上りかける位の頃合いの街並みは、すでに働き出している者たちの姿をチラホラ見かけた。
店はまだ開いてはいないようだが、耳をすませば色々と準備をしているようである。
そんな昼間は雑踏騒がしい通りを抜け、町の外れの高台の方へと足を向けた。
昨晩からビルドゲートがオルガの邸宅に宿泊しているためだ。この町にも宿くらいはあるのだが王室御用達の商人ともなると泊まる宿にも格式が求められるのだろう。
それくらいなら、とオルガが自分の屋敷をどうぞと言ってビルドゲートが乗った形になる。
高台へ続く坂道を登り始めると、潮の香りがする風の音しか聞こえなくなっていた。
町の全貌を眺められるこの地区は、町でも有数の高級住宅地の一画であった。
しばらく歩き、ようやく目的の屋敷が見えてきた。
自身の身長の二倍はありそうな高い塀に囲まれた屋敷。シャイルーク商会当主のラグアス・シャイルークの本宅である。
潮風にあたりながらもいささかも錆びていない鉄門をくぐり、石畳の道を歩く。丁寧に手入れをされた青い芝生の中を進んでいると知った顔に出会った。
『おはようございます。ナタリア様』
庭で素振りをしている彼女へと声をかける。額に噴き出る汗の様子から見て随分と前からしていたようだ。
ナタリアもこちらに気付いたのか顔を向けるが、ぷいっと背けて再び素振りへと戻る。
嫌われたかな、とエルクが思っていると声がかかった。
『こらこらナタリア。私に恥をかかせないでくれよ』
屋敷の方からビルドゲートが歩いてくる。昨日の正装とは違い、熱い夜を涼しく過ごすために、麻の服を一枚だけ身に着けた寝巻のような格好である。
そんなビルドゲートにエルクは姿勢を正し、深く頭を下げる。
『おはようございます、ビルドゲート様。本日もよろしくお願いいたします』
『ああ。こちらこそ頼むよ。私も訳士を連れてきたんだが船のほうへ付きっきりでね。みなの命を預かる船だ、チェックは万全に行っておきたいからねぇ』
ビルドゲートはナタリアの方へと顔を向け、何かを思いついたように声を上げた。
『そうだ。エルク君、ここでナタリアと一手仕合ってくれないかい?』
ナタリアの形の良い眉がピクリと跳ねた。
『お戯れを、ビルドゲート様。自分は一介の訳士にすぎません。ナタリア様ほどの護衛とやりあっても何も面白いものはみせられませんよ』
『なぁに、構わないさ。そうだ、勝った方には賞金として金貨を五枚与えよう。ナタリアも素振りだけではつまらないだろう?』
ナタリアは無言でエルクを睨み付ける。ビルドゲートは期待するような眼差しで見ていた。
昨日のアレは猜疑心かとばかり思っていたが多分好奇心なんだろうな、とビルドゲートの目を見てエルクは思った。
あまり断ってばかりだとオルガの心証まで悪くする可能性がある。賓客を前にしても自分を守らんとしたオルガの意気には応えてやりたかった。
それに――――金貨五枚だしな。
ちなみにエルクの給金が週に金貨二枚である。これは町でもかなりの高額の仕事といえた。
それでもエルクだけでは目標金額には足りず、ランドの稼ぎとあわせてぎりぎり届くかどうかといったところである。
ランドにも今回のことでかなり心配をかけた。食堂を上っていく際、いつも酒を飲んでいる客を恨めしそうに見やりながら、のどを鳴らしつつ階段を駆け上っていく姿を何度もみた。
――それだけあれば、あいつに酒を、いや、ともに酒を飲めるのだ。
グビリ、と喉を鳴らしながらエルクは答えた。
『分かりました、お相手させていただきます』
*
エルクは上着を脱ぎつつ、長袖のシャツ一枚になる。
『ああ、そういえば武器がなかったね。オルガ君に頼んで何か持ってきてもらおうか』
剣でいいかい、と訊ねるビルドゲートにエルクは手を振って答える。
『いえ。無手で結構です』
『ほう。まあナタリアの剣は刃引きはしてあるからね。あたっても骨折くらいですむだろう』
『……訳士、あまりなめるな』
すでにナタリアの方はやる気十分である。それがやる気か殺る気かは分からないが、どうやら後者っぽい。
『そろそろ朝食のお時間ですので早めにいたしましょう。ナタリア様、よろしくお願いいたします』
二人は向き合い、ビルドゲートが手を上げる。
『はじめっ!』
エルクは腰を落としながらも、腕を前に出す。左手はやわらかく握り、右手は固く拳を作り腰へと構える。
ナタリアは幅広の鞘へ収まった剣を抜くことなく、半身になりつつ柄に手を添えたまま膝を軽く曲げた。
両者動かず、互いのスキを注意深く観察する。
「シッ!」
はじめに動いたのはナタリアだ。
二歩でエルクの懐にまで飛び込み、一気に鞘から抜き放つ。
抜刀の音とともに繰り出される横薙ぎの一撃は、確実にエルクの胴を狙っていた。
ここまで寄られると避けることは難しく、無理に避けても体勢が崩れ二撃目で確実にやられる。
剣が振り切られる直前に――
――パァンッ!
甲高い音が庭の大気を震わせる。
『――なっ!?』
エルクが両手で、剣をはさみこんだのだ。
勝利を確信していた顔は一瞬のうちに驚愕にゆがむ。
その隙をエルクは見逃さなかった。
ナタリアの腹に足を押し当て、そのまま蹴りつける。剣をはさみこんだままそれを抜き取ろうとするが、さすがにそこまではナタリアも許さなかった。
エルクの手から剣が滑るように引き抜かれていく。
『クッ!』
短く呻きながらもナタリアは蹴られた勢いを利用して距離を取った。
もう一度構えを取り直したナタリアはそのまま上段に振り上げ、一気に距離を詰める。
先ほどより早い振り下ろし。身体の捻りまでを加えた一撃を、エルクは一歩だけ踏み出し、その手首を抑えた。
そして――
前のめりになるナタリアを腰ではね上げ、一気に背中から地面へと叩き付ける。
『――カハっ』
バウンドして息を吐くナタリアが再び地面へと落ちると同時に、エルクが拳を振りかざし――
『それまでっ!』
ビルドゲートの声によって、振り下ろされた拳はナタリアの眼前でピタリと止められた。
『ハァ、ハァ……ハァ』
荒い息をつきながら大の字に倒れるナタリアにエルクは手をさし伸ばす。
『大丈夫ですか? ナタリア様、ありがとうございました』
エルクの手を取り立ち上がるナタリアは、声もなくエルクを見やった。
そこには先ほどまであった敵愾心はもはやない。
『だ、だいじょうぶ。こちらもいい訓練になった』
『ふむふむ。ナタリアでは手も足も出ないか』
何か納得するようにビルドゲートは頷いた。
『どうだったね? ナタリア』
息を整えたナタリアは、少し考えながらも言葉を返す。
『すごく、アンバランス』
『どういう意味だい?』
『技術はすごい。経験もある。ただそれにしては体が貧弱、本来なら一撃目を防がれた時点で剣を取られていた。けど剣はあっさり抜けたし蹴りつける力も弱かった。ここまで強いのに、ここまで鍛えてきたにも関わらず力がひどく弱い。だから、アンバランス』
長年にわたる栄養失調、いや、ちょっと前まで餓死寸前だったのだ。さすがに数か月程度では筋肉ももとには戻らない。
『なるほどなるほど。高い語学力に武術の腕前、高水準の教育を受ける環境にあってなお体が貧相ということは、幼いころはどこかの貴族だったのかな、それもかなり高い身分の。そのあと食うにも困る環境に落とされた没落貴族、ということならば話はつながると思うのだけど。どうかねエルク君』
――模擬戦一つで、ここまで推測されるとは。
ビルドゲートの推測は、ほぼ正解に近い。
エルクは渇く舌を必死に動かし、返事をした。
『ご、ご想像にお任せします』
『フッフッフ。どうしたんだい? そんなに汗をかいて、それほど疲れたようには見えなかったがね』
自分の推測がかなり近いところを突いたことを確信したような笑みを見せるビルドゲート。
『まあとりあえず、おめでとうと言わせてもらおうか。ナタリアもお疲れだったね』
ビルドゲートは財布から無造作に金貨を取り出し、エルクへと手渡した。
『さて、そろそろオルガ君が呼びに来る頃だ。朝食にするとしようか』
パンと手を叩いて、ビルドゲートが場を締めたのだった。