第11話 奇貨の価値
日差しはさんさんと降り注ぎ、港に打ち寄せる波が白い輝きを放つ。
二人がいるのは、波止場の桟橋の上である。
すでに日は半ばまで上りかけており真昼に差し掛かろうという時、彼方の水平線から五本の白いマストが現れた。
「きたわ……」
「心配いりません、オルガ様ならきっと良い結果を出せるでしょう」
緊張の混じった声でつぶやくオルガにエルクは優し気に声をかけた。
「ええ、そうね。そうなるように頑張るつもりよ。父さんが私を信じて任せてくれたんだもの、期待に応えなきゃ。エルク、あなたもサポートしてね」
「もちろんですとも、オルガ様」
そんなことを話していると、船体はその異様なまでの巨体を港へとさらす。
いまだ距離があるにも関わらず、波止場で働く者たちがみな一様に動きを止めた。
厚い波しぶきをかきわけながら、船着き場へ到着する貿易船は、いまだオルガが一度も見たことがないほどの巨体を湛えている。あまりに高い山だとその距離感がつかめなくなるような、そんな感覚をオルガは受けていた。
その巨体故に中々入港することができないため、小さな手漕ぎボートがそこから降ろされる。
船に乗るには漕ぎ手と護衛、そして、今回の賓客――オストリーノ・ビルドゲートである。
ルマディア大陸から父が迎えた王室ともつながりのある大商会である。
詳しいことは聞いていないが、父もよくこんな大物とコンタクトを取って交易にこぎつけたものだと、本気で感心する。
ボートが桟橋に到着する。そこでまず一人の女が降り立った。銀髪の髪をかき上げる様子は整った顔とあいまって、一枚の絵画を見ている風であった。
決して華美ではないが動きやすくて涼しそうな麻の服に、腰にさげているのはサーベルといわれる曲刀の一種。
仕立てとスタイルが良いせいか、そんな着飾ったわけでもないのにあふれる気品が感じられた。
年齢は自分と同じくらいだろうか、とオルガは考える。
そして、彼女はボートへ手を差し出し、己の主の手を取った。
白髪の混じり始めた壮年の男。しかしその瞳は若者よりもぎらつき、野心を感じさせる、まさに商人の瞳であった。
彫りの深い顔には、少ししわが浮き出てはいるが、老いを感じさせないたたずまい。
二人が桟橋に降り立つと、ボートは船へと戻っていった。
ぼうっとオルガがその二人に見とれていると、二人がこちらへと歩み寄ってきた。
「オルガ様、ご挨拶を」
エルクに肩を叩かれ、我に返ったオルガは慌てて、二人の元まで駆け寄った。
「ようこそおいでくださいました。ビルドゲート様。わたくし、シャイルーク商会の会長代理をさせていただいております、オルガ・シャイルークと申します」
オルガの言葉を受けたエルクが、笑顔でビルドゲートへと話しかけていく。
「『これはこれは可愛らしいお嬢さんだ。なるほど、ラグアス殿もこれほどに可愛い金貨の女神が微笑をくれるなら、あの胆力も納得いくものだ』」
「『挨拶が遅れました。私はオストリーノ・ビルドゲート。ビルドゲート商会の会長をしている者です。こちらが護衛のナタリア。本当はまだ見習いなのですが、今回のお相手はまだ見目麗しい少女というのでね、友人にでもなってくれればと思い連れてきたのだ。中々人見知りの激しいやつでしてね』」
ビルドゲートの言葉は途切れることなく続いていくが、エルクはそれをオルガの隣で訳し続けていく。
「それはご丁寧なお気遣いありがとうございます、まあこちらで立ち話もなんですので商会の方へどうぞ。歓待の準備は整っておりますので。ナタリアさんもこれからよろしくね」
今までで感じたことのない緊張の中、必死に取り繕った笑顔を二人に向けた。
*
商会に向かう最中もビルドゲートの言葉は、止まることはなかった。
この地ではどんな農作物を作っているのか、航海の際の主食はどんなものか、病にかかればどんな薬を出すのかなど、ひどく散見的で、しかも専門的なことばかりをオルガへと訪ねてきたのだ。
オルガとしてもその程度なら、勉強している分野であるから答えることもできた。
ただ、何となくビルドゲートの意図は読めた。
――これはもしかして、いや、もしかしなくても、試しているんだろうな。
――私ではなく、エルクのことをだ。
***
エルクもまた、ビルドゲートの意図に気付いていた。
――うーむ、けど世話になってる商会だし結構なお金もらっておるからなぁ、手を抜くなんてしたくないし。けどやっぱり逐次通訳にしておいたほうがよかったのか。わざと間違えるか、いやそれで商売に影響が出ても悪いしなぁ。
他の商人たちなら、すごいの一言ですんだのだが、さすがに王室御用達の商人ともなれば猜疑心がハンパない。
ルマディア大陸に住む者ですら一部の者しか知らないような言葉を織り交ぜ、訳せと言ってくるのだから。
そんなことを思いながらも、色々な意味で二人の会話の中心に入ったエルクは言葉を中継していく。
ようやく商会に到着したとき、ビルドゲートはオルガではなくエルクへと身体を向けた。
『――君は、いったい何者だね?』
オルガにも尋ねられたことであったが、会ってから四半刻(30分)もせぬうちに、聞かれるとは思わなかった。
なおもビルドゲートの言葉は鋭い瞳とともにエルクへと向けられる。
『ヒスパリア語をここまで見事な同時通訳を行う者など王宮にもそうはいない。しかも医学、農学、薬学に歴史について専門的な言葉を使ったにも関わらず訳して見せる。その年でだ。言っては悪いがこの程度の商会の雇われ訳士とは思えないな』
オルガもなんとなく、内容を察しているのか戸惑いはしているが助け舟を出す気はなさそうだ。
エルクは姿勢を正し、そのまま深々と頭を下げヒスパリア語で告げた。
『申し訳ございませんビルドゲート様。自分はシャイルーク商会にて雇われているただの訳士です。そして訳士とは主の影にて言葉の補佐をするだけの存在と心得ております。今の自分の口と耳はオルガ様の物。もし私のことをお尋ねになりたいのであれば、オルガ様にお尋ねください。オルガ様からのお言葉であるならば、自分のどのようなことでも訳して届けることをお約束いたします』
頭を下げたままの姿勢で、エルクはビルドゲートの言葉を待った。
自分の失態で商売が不意になってはかなわない。
『――フっ。ク、ハッハッハッハッハ!』
空気の漏れる音が聞こえたかと思うやいなや、大笑が辺りに響き渡った。
思わず身を起こすと、ビルドゲートが腹を抱えて爆笑していた。
『確かに、確かにその通りだな。いや悪かった。まったくラグアス殿も面白い人材を雇うものだ。ナタリア、お前もそんな後ろにいないで、こっちに来なさい。この少年とも仲良くやりなさい。ひょっとしたらここのお嬢さんより面白いかもしれんぞ』
『御館様、その少年は、あぶない』
『なに?』
剣呑な雰囲気を察したのか、ビルドゲートが笑うのを止めてナタリアに目を向けた。
『見たとこ武器は持ってない、素手ではすぐには殺せない。だから一歩引いていた。けどその歩法は武術に縁ある者の歩き方。しかもかなりの腕前、もしかしたら素手でも私は負けるかも』
ナタリアの抑揚のない言葉に、エルクの表情が強張った。
そんなエルクをじろじろと値踏みするように興味深そうに見ていくビルドゲート。
『ほうほう。これほどの訳士でありながら武術の腕も超一流、か。ああ、ちなみに彼女は見習いではなく正真正銘私の専属護衛だ。嘘をついて悪かったね。言っちゃなんだがかなり強いよ、それは私が一番よく知っている、冗談を言える性格でないこともね。いやぁ、俄然君に興味が湧いてきたねぇ』
ハッハッハ、と軽く笑いながらも言ってくる。
『オルガ君に訊ねてほしい。このエルクと名乗る訳士はいったい何者なのかと』
先ほどの言葉をほんとに実践するとは思わなかった。ビルドゲートの瞳は細まり、完全に商人モードである。
――この奇貨はいったいどれほどの価値を持つのか?
そんな思いが伝わって来るかのようだ。鑑定を受ける壺とか指輪ってこんな気分なのだろうか?
そんな益体のない思いを抱きながらもエルクは偽ることもできず、先ほどの会話とともにオルガへと告げた。
「それは私も非常に気になっていることなんだけどね?」
オルガにもあまり助けは期待できそうにないようだ。どうごまかすか、と頭を悩ませる。
しかし、そんなエルクの思いは早計であったようだ。
「けどね、あなたはうちの従業員。たった数日ではあったけど誠実に真面目によく働いてくれたわ。相手がだれであっても従業員を守るのは雇用主の義務っ! ビルドゲート様にはこう伝えなさい」
「彼はシャイルーク商会の従業員です。わが商会が賃金を払って雇っているのです。それ以上でもなければ以下でもない。今は訳士の仕事をしている最中。それを妨げるような真似はビルドゲート様といえど慎んでいただきたい、と」
「えっと、本当によろしいのですか?」
「あら。あなたの口と耳は誰のものだったかしら?」
もうどうにでもなれと言った気持ちで、エルクはビルドゲートへと訳していく。
言い終えるやいなや、キョトンとしたビルドゲートが先ほど以上の爆笑を巻き起こしたのだった。