第9話 美商女オルガ
一話投稿するごとにブクマが一つ増えていってます。
あまりに嬉しいものでもう一話投稿しました。
ではお目汚しを。
「えぇいっ、クソッタレぇ!」
商会の一室に、高い声が響いた。
声音そのものは澄んだものであるにも関わらず、吐き出される言葉は品のないことこの上ない。
「あんのタマ無しどもがっ、卑劣な真似しくさりやがってぇぇぇぇっ」
座っていた椅子を振りかざしながら、オルガは毒づき目の前のテーブルを親の仇といわんばかりに睨み付ける。
――ロクサーヌ産オールドオークのヴィンテージデスク(ブラック)――金貨十二枚ナリ。
脳裏で勝手に算盤が弾かれ、オルガは嘆息とともに椅子を戻した。
「はあ」
ストレスの発散もここまでにしよう、今はそんな場合じゃない。
そんなことを思いながら、乱れた髪に手櫛を入れた。
母譲りのやや緑がかった波打つ髪の感触をしばらく触っているとようやく気が落ち着いてきた。
ここはシャイルーク商会の執務室。つまりはこの商会の主があるべき場所にオルガは腰かけていた。
いつもは幾百枚もの契約書をまとめ、幾千枚もの金貨の扱いを決める書類をつづるためのデスクは、今は気落ちした少女の枕となりはてていた。
「あー、つめたー、ひゃっこいなー」
オルガの白くはないが健康的に日に焼けた頬はブニャリとつぶされていた。
まともな時であれば、町を歩けば幾人かの男から声をかけられ、父からは十六になるやいなや商談に連れまわされ、「やはり美人がいると商談がはかどる」と褒められた十人並みの容姿であったが、今は見る影もない。
「父さん、はやくかえってこないかなー」
激情を出し尽くしたかのように、オルガは生気のない声でうつろにつぶやく。
しばらくぶつぶつとつぶやきつつも、だんだん閉じ行くまぶたを、カッと見開いた。
身体を起こし、背筋をのばし、つぶれた頬をピシャンとたたく。
「ええいっ! しっかりなさいオルガっ、父さんがいない間この商会を守らなきゃ」
現在この商会の真の主たるラグアス・シャイルーク。つまりはオルガの義父は隣のルマディア大陸まで商談に行っている。帰ってくるのは冬ごろと言っていたが、それではこの危機は乗り越えられない。
「五日以内に訳士をなんとしても見つけ出さなきゃ。組合には募集は出してるけど、いえ、それよりポートルに戻って来るように説得する。五日後の商談だけ……護衛をつけることを約束して……」
オルガがここまで悩んでいる理由はただ一つ――次回の商談の時の訳士がいない……否、いなくなったからだ。
一週間前まではちゃんといたのだ。しかし、訳士の二人がそろって暴漢に襲われた。
しかも二人ともヒスパリア語を習得している訳士であった。これでこの商会にヒスパリア語を話せる者はいなくなった。
しかもタイミングの悪いことに、五日後に来る客は父が苦労の末に交渉を成功させたルマディア大陸よりの上客なのだ。
いや、あまりにもあからさまなタイミングである。証拠はないが襲ったのはガイゼル商会の者たちに違いない。
こちらの情報をどこから知ったか知らないが、この商談を邪魔するつもりなのだ。
以前父に、商談相手をかっさらわれたことを根に持っているのだろう。
「あれは自分たちが悪いんじゃない、病人の足元みるような真似してさ」
数年前に流行り病が広がった村があった。村の者はありったけの財貨をもってこの町まで薬を買いに来た。
そこで名を上げたのがガイゼル商会であった。薬はルマディア大陸にしかないものであり、ちょうど大量に輸入したばかりだったのだ。足元を見るガイゼル商会は持ってきたものだけでは足りないと言って、以降も金銭を支払うように持ち掛けた。
交渉は難航した。これだけで精いっぱいだ、そんなに払えばやっていけない、お願いだから薬を売ってくれ、村の者は涙ながらに語った。
しかしガイゼル商会は頑として首を縦には振らなかった。あげく足りない分は若い娘をよこせとまで言ってきたのだ。
一刻も早く薬を持って帰りたい村人と、時間はいくらでもあり命という最強のカードを持っているガイゼル商会。
はじめから交渉にすらなっていなかった。
今すぐ死ぬか、生きながらにして死ぬか。
もはやそれは交渉ではなく、脅迫とよばれるものであった。
そんな時であった。父が薬の製法と薬の材料となる植物の苗を持ち帰ったのは。
誰もがその交渉能力に驚いた。いったいどれだけの金貨を積み上げて買ったのか、と。
父は言った。
「金貨ではない。積み上げたのは信頼だ」
町を騒がす事情を知った父は即日村の者に、その製法と苗を破格の値段で売った。
以降その村は、その薬の製法を誰にも伝えず、村で作り上げた薬をシャイルーク商会に卸し続けていた。
そして、父もまたその薬を、破格とはいえないまでも相手の状況を見ながら安く売りさばく。
今まで海を越えねば手に入らなかった薬だ。薄利多売でも十分以上の利益となった。
逆にガイゼル商会は大枚をはたいて買った薬が小麦粉なみに値をおとして膨大な赤字となり、それ以来シャイルーク商会のものを逆恨みし続けているのであった。
「商人なら正々堂々商売で勝負しなさいよねっ! あー気分悪いっ、けどやばいやばい。どうにかしなきゃ」
はるばる外洋を航海し着いたはいいが話が通じませんでした、では父がせっかくまとめた商談が不意になってしまう。
いや、被害はそれだけでは済まない。
シャイルーク商会は自前の訳士も用意できなかったという噂が広がれば、きっと致命的な風聞となってしまう。
この町の商人たちの耳はどんな早馬よりも早い。
二人の訳士はずいぶんひどい目にあったのか、一人はいまだ意識も戻らず、もう一人は怯えてこのまま辞めると言っている。
「募集の金額を上げる? いや、すでに相場の倍額だし……これ以上増やしても意味はないか」
立ち上がって部屋の中を行ったり来たりを繰り返し、とめどない思考を吐き出し続けていると、扉が勢いよく開かれた。
「お嬢っ!」
部下の一人がノックもせずに入ってくる。
「ノックはしなさい。商人である以上どんな時でも礼儀は忘れないこと」
「す、すいませんっ! しかし訳士が見つかりました」
「ほんとつ!? ヒスパリア語は話せる?」
男に詰め寄り、期待に満ちた声で言う。
「ええ。紹介状を見ましたがヒスパリア、アートリ、ロクス、メロザーヌ、ペルトロッカの五か国語を話せるようでして」
途端にオルガの瞳が疑惑に狭まった。
「……年は?」
「たぶん十後半、お嬢より少し下かと」
途端にオルガの顔が落胆に沈んだものとなった。
「いたずらに付き合ってる暇はないんだけど」
「い、いえ。実際にアートリとロクスの言葉を話せるやつに会わせたところ、完璧な発音でしかも文字まで書けてたそうです。それに組合経由ですよ。訳士が本当に話せるかどうかは保証済みってことはお嬢ならよく知ってるでしょう」
「……会いましょう、いますぐ連れてきて。あとアンクにも声をかけて。一緒に面接を行います」
***
「はじめまして。シャイルーク様。自分はエルクと申します。このたびのお引き立て、まことに感謝いたします」
褐色の肌の若い男、いや少年といってもいいくらいの年頃である。顔立ちはまあまあ美形に入るといってもいいくらい。
背筋をピンと伸ばし、恭しくも頭を下げる。
――こんな少年が五つもの言語を話せるっていうの。父でさえ三か国語しか話せないというのに。
そんな疑惑を胸へとしまいながら、オルガは自己紹介を始めた。
「まだ雇うとは言ってませんよエルク。シャイルーク商会会長代理をやっているオルガ・シャイルークと言います。短答直入に聞きましょう。あなたはいったい何者ですか? あと年は?」
その問いに、エルクと名乗る少年は、一瞬だけだが固まった。
「元々はロクス大陸の生まれ。今年で十七になります。国が戦で滅びたために各地を放浪しておりましたが、今はフィオークという村で厄介になっております。このたびは冬を越えるための買い出しを行うためにきたのですが、お金が足りなくなったため各地で学んだ言葉を訳士として活かせるかと考えた次第でございます」
オルガはじっとエルクと名乗る少年を見つめた。エルクもまたオルガをまっすぐに見つめ返す。
嘘は言ってないようだが、真実を語ってはいない。
オルガはもう少し面接を続けることにした。
隣でたたずんでいたアンクが問いかける。
「フィオークはすでに滅びたと聞きましたが」
「いえ。生き残った者が幾人か、その子供たちと村を再興しようと考えております」
ガイゼル商会のまわしものかとも考えたが、あまりにもお粗末な人物だ。怪しすぎて疑う気にもなれない。
少なくとも自分ならもっとましな人選をする。
「いいでしょう。あなたを雇わせてもらいます。ジオール、来て。この子に合う服一緒に買ってきてちょうだい。生地は絹がいいわ。トリスドラ洋品店ならこの子に合う服もあるでしょうから」
「へい。わかりやしたお嬢」
「ありがとうございます、シャイルーク様」
「年も同じくらいだし、オルガでいいわ。気に入ってるんだけど誰も呼んでくれないのよ」
ジオールと呼ばれた男が、小さくつっこむ。
「おなじて」
「ジオールっ! 何かいったかしらっ?」
「いえいえっ、な、何もいってませんぜお嬢」
目の前の少年はそんなやりとりを静かな微笑のみでやり過ごし、優雅な態度で一礼をした。
「かしこまりました。ではこれからオルガ様と呼ばせていただきます。精一杯働きますのでよろしくお願いいたします」
***
エルクとジオールが出ていき、オルガは隣にたたずんでいたアンクに声をかけた。
「どう思うあの子?」
アンクは落ち着いた態度で、難色を示す。
「正直言って怪しいことこの上無いですね。タイミングが良すぎます。このまま雇うのは危険かと」
「まあそうなんだけど、五日後に来るビルドゲート様は父さんのよこした大事な客だからね、わざわざこのタイミングでヒスパリア語を話せる人を来させる理由が弱いのよ、放っておいても大打撃なんだから。しかもヒスパリアだけでなく他にも四つも話せるのよ、回し者として出すならヒスパリアだけで十分じゃない」
「……確かにそうですが」
「様子見、をする時間もないけど、人間性は信じてもいいんじゃないかしら?」
「どうしてですか?」
「あの子でしょ。最近浮浪児に襲われたって子は」
「はい。酒場で噂になってましたよ。この地であの肌は目立ちますからね」
「手口は病気の子供をダシに誘われ、のこのこでていったところを襲撃。まあ間抜けは間抜けだけど要は子供を見捨てることができないほどには善人ってことでしょうから」
「なるほど」
「それに、多分だけど、あの子元は相当いいところのお坊ちゃんでしょうね、貴族でも公爵か伯爵位くらいはあったんじゃないかしら?」
父に連れられた商談では貴族階級の者とも接する機会があった。
そのために貴族としてのマナーを躾けられたオルガであったが、どうしてもどこかそこかでボロが出る。
だからこそ分かるのだ。
躾けられて学ばされたものと、生まれついてより求められてきたが故の品位の違いが。
以前見た貴族と同じ、いやそれ以上のオーラというか物腰があった。
あれは決して練習で身につくものではない。生まれついてそうであることを求められるものだけがもつ自然な態度であった。
それくらい一つ一つの仕草に気品というものが感じ取れたのだ。
「正体は不明だけど、今回の商談がしのげるならなんでもいいわ。どのみち贅沢いえる身分でもないしね。明日から訳士としての働きを見るわ。ヒスパリアはいいとして、アートリの商談が明日あったわね、そこで彼の仕事ぶりを見させてもわうわ」
「分かりました。懸命な判断だと思います、お嬢さま」
頭を下げたアンクはそのまま、部屋を後にする。
一人残されたオルガは力尽きたように、再び頬をブニャリとつぶすのであった。
「あー、ひゃっこーい……」