久しぶりの来訪者
「竜」という存在は、イリにとってはメディアの向こう側の“知識”であった。
竜、龍、ドラゴン等、土地や宗派によって様々な呼び名を持つその生き物は、ある日「竜」に統一され、学名も「竜」と正式に決定した。
その生き物がはじめて人の手に生きたまま捕えられ、生き長らえた国での呼び名をとったため、らしい。
種族によっては翼が特化して空を飛ぶものもいる。しかし、この施設にいるのは海洋に生きる種。一応、海洋ほ乳類に属し、体長は20~30m、体重は測定不能。
側頭部には魚類にみられるエラが見られるが、頭頂部には噴気孔もあり、時々水面に出して呼吸する様子が見られる。かと思えば口呼吸することもあるとか。全くもって、奇怪な生き物だと思う。
食物は主に肉類。巨大な魚類を主に食べているが、野生では他の海洋ほ乳類を襲ったことも確認されている。
しかし、人を食べた、とは聞かない。どこぞのメディアでは竜が人族の武器や知識、集合性恐れているからだという。だが、学者の間ではただ単に人類は巨大な竜が噛み千切れるほどの肉付けはなく、さらに海洋ほ乳類に比べ体内の脂肪分、タンパク質が乏しいため、というのが通説である。怒らせたり、飢えている竜の前であれば十分襲われる可能性はあるということだ。
竜の数は少ない。そして、竜の翼や爪、牙などは他の生物にはない強度とエネルギー保有力があり、かつその肉は珍味、高級素材として取り扱われて“いた”。過去の話である。
現在は絶滅危惧種に指定され、捕獲は禁じられている。だが、国際的に保護を命じられてはいても世間の関心は他に傾き、政府も同じでこの施設に与えられる予算は少ない。名目上は公共の保護施設であるにも関わらず、だ。
以前様子を見に来た役人が「芸でもさせれば…」と漏らしていたが即刻前施長に追い出されていた。
最初は関心を集め、「竜」を保持する施設は観光名所となり、多くの客が訪れていた。
しかし、徐々に生態が分かり、関心が薄まるにつれて今は保護施設にいるのみである。
◇◇ ◇
鉄壁の向こうで、嘶きが聞こえた。
空気の層を通して、遠くまで響き渡る歌のような音の連なり。
「うん?」
イリはモニターを操作し、ある項目をタッチした。
連動してドーム上空の空が画面に映し出される。
高画質映像に雲の間を飛び交う影が一瞬、見えた。
「あなたのお仲間かな」
水底に金色の真円が一瞬見えたが、また黒一色に塗りつぶされた。
「興味ない?」
反応、なし。
「あなたもあぁして飛んでたんだろうね」
今度は三日月のような目で見られた。というより、睨まれた。
「あ、あなたは泳ぐ方が好きだっけ」
月が消えてまた黒一色。でも先と違って、呆れられた雰囲気がある。
と、思うのは私の勝手な想像でしかないけれども。
「暇だなって?暇だよ。本日の業務しゅうりょ…」
突然ベルが鳴った。
「ってわけでもなかったか」
相手を刺激しないよう、水中には届かないよう調節された音。
実際、電子音に対して水中では反応がなかった。
「誰?」
手元の画面に音声で問う。
『認証。ゼノ=サーフィス。当施設、前施設長』
「…?いいよ、通して」
『了解』
「珍しい」
人口で作られた女性音声の抑揚無い返答。同時に機械が作動し、自動扉が開いた。
久しぶりの客人である。
「お久しぶりです、施設長」
「元、だ。堅苦しいあいさつはいらん。調子はどうだ?」
しゃがれた声が挨拶を弾き、飛び出た瞳がイリをじろりと睨んだ
イリは当人の前で肩をすくめる。
「異常はありません。相変わらず水底にいます」
「データは」
「こちらに」
無言でモニターから今までの経歴を読み込んでいく老眼鏡をかけた老人。
片手には杖がある。詳しくはないが、F字型の軽量杖らしい。
以前は持っていなかった。この人も年を取ったのかと、感慨深い。
ゼノ=サーフィス
畑違いのイリをここにつれてきた人物。
「そういえば、喧しいのは最近来ないのか」
「ちょこちょこ来てますよ」
ゼノが言うのはたまに訪れる役人たちだ。
「…妙な確約はしてねぇだろうな?」
「予算だの、今後の可能性だの、私には興味のない話をつらつら並べ、帰っていくだけです」
「予算はお前にも関わりあるだろう」
「問題ありません。幸いに」
「…そうか」
経済的な面については、幸い(としか言いようがないことに)伝手がある。
聞きたいことを聞いた小柄な彼は杖を付いて背を丸め、水槽を眺めていた。
当の竜は相変わらず水底に沈んだまま、反応は見えない。
「あやつは」
ゼノが話し出す。
「年を取りすぎた」
ぽつり、と投げ落としたその言葉。。
この施設にいる竜はこの黒竜一体のみ。幼生時、海で研究目的に捕獲されたらしい。勿論、違法である。
記録によれば、彼(雄だと聞いた)はいくつもの処置、という名の実験が行われた。
皮膚の強度、性質、構成物質、採血もしたし、薬剤投与もされた。
竜の研究はすでに一区切りついている、というのが学者の通説だ。
しかし彼らは、野生とヒトに飼育された竜との違いを、探したかったようだ。
人の命令を聞かせるための調教も、行われたと聞く。あまり成果はなかったようだが。
ゼノたち施設関係者が発見、保護したころには、膨大な意味のないデータと、野生で過ごすための学習時期を終えてしまった竜が取り残された。
此処は保護施設。違法に捕獲された種を保護し、野生に戻すことが目的。
施設の意義、目的を考えれば最悪のケースであった。