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喫茶店のアリス

 深夜までの仕事が終わり、朝の五時になってようやく解放される。

 早朝の冷気に昇一は腕をこすり、ポケットの携帯を出した。同時に紙が手に触れて、その存在を思い出して取り出す。


 そういえばちゃんと見ていなかった、と改めてアリスからの名刺に目を落とした。

 いわゆる「ウザかわいい」ウサギが端にいて、名前のほかに募集歓迎の謳い文句が書かれている。そのなかに「日給十万円」などとあって、昇一は顔をひきつらせた。


「一ヶ月毎日入れば三百万かよ……怪しすぎだろ」


 労働時間書かれてねえし、とぼやきつつ昇一は社用車を返却してバイト先を後にした。

 歩きながら名刺の内容を確認する。裏を見れば地図が載っていた。


「ご丁寧にホームページとSNSのQRコードまで載ってるし」


 裏面の右下に薄黄色で何か書いてあったが、白地に明度の高い黄色で全く読めなかった。

 地図で示されている場所は近いが、朝も早いためアリスがいるかはわからない。


「まあ……とりあえず行くだけ行ってみるか」


 夕方まで用事がないため少し顔を出すくらいなら、と地図通り商店街へと足を進めた。


 普段は賑わっている商店街も早朝の静けさに包まれている。誰もいない商店街を闊歩し、ある地点で右に曲がって路地に入った。


 少し進めば華やかな装飾や看板がなくなり落ち着いた景色が広がる。地図の星マークのところまできて足を止めた。


 目の前にあったのは、小さな喫茶店だった。


「カフェ……?」


 西洋風の外装で窓際に特徴的なウサギがいて、ここが名刺の場所であることを認識させてくる。


 昇一は店に入ろうとしたが、扉に『CLOSED』と書かれた札がかけられていた。


「さすがにまだやってないか」


 出直そうとした瞬間、扉の札の文字が『OPEN』へと変化した。突然文字が変わって昇一は目を見開く。

 気味悪さに眉を寄せながらもドアノブに手をかけ、グッと扉を押し出した。


 扉は歓迎するように彼を中へといざなう。

 中は見た目に想像できる狭い店で、テーブルが数個とカウンターが数席あるだけ。カウンターの奥には壁一面を埋める棚が設けられていた。


 扉の札がオープンに変わったはいいものの、明かりはついていず人の気配もない。一歩足を踏み入れれば、静かな空間に床の木材のきしむ音が生まれる。


 カウンターのレジ横には、綺麗な紫の石があった。占い師がよく持つ水晶くらいの大きさで、いくつか棘のような鋭利な部分がある。


「これ……」


 半透明の紫に視線が奪われ、無意識に手が伸びる。


 が、石に触れる前に彼の手が誰かに押さえられた。


「ッ!」


 昇一が慌てて顔を上げれば、カウンターの中でアリスが立っていた。

 出会った時のような制服ではなく、黒と赤のツートーンの服に身を包んでいる。


「い、いつの間に……」

「そんなに驚かなくても。君がこれに夢中になってて気づかなかっただけだよ」


 アリスは眉を下げて手を離し、紫の石へ視線を落とした。昇一は不思議に思い再び石を見やる。


「なあ、これって」

「ここでそれに触らない方がいいよ。下手したら手が焼き消えるから」

「は!?」


 昇一はそのまま石の近くにやっていた手を急いでひっこめた。彼の驚きなどつゆ知らず、アリスはカウンターの椅子に腰かける。


「さて、何はともあれ来てくれて嬉しいよ。まさか名刺を渡して一日も経ってないのに来てくれるとは思わなかったけど」

「たまたまタイミングが合っただけだ。ただ見に来ただけだし」

「見に来ただけ、ねえ」


 アリスは思わし気に口角を上げた。

 昇一は「まだ仕事受けるって決めたわけじゃないからな」と念押ししてカウンターの席に座る。


「それで、仕事内容とか給与について教えてくれ。ある程度、名刺は確認したが……日給十万ってなんだよ。労働時間が長すぎたらやらないからな。とりあえずカフェのウエイターか厨房でもやればいいのか?」

「ああ、カフェね……カフェは副次的なものだから。必要に応じて依頼するけど基本的には私生活を優先してくれて構わないよ」

「? じゃあ何をすればいいんだ?」

「そうだね。君たちの生活圏を考えると説明しにくいんだけど……」


 アリスは少し悩まし気に言ったあと、ニコッと笑った。


「化け物退治、的な?」


 ガタッと音を立てて、昇一は椅子から降りて扉の方へ向かった。


「ちょ、ちょっと!? 判断が早いって!」

「悪いが、おふざけに時間使ってる余裕はないんだよ」


 足を止めて振り返るが、嫌そうな顔でアリスを見おろす。

 しかし昇一は内心、彼女がふざけているわけではないと思っていた。


 昇一は、彼女の言うことが嘘でないと分かってしまえば余計に、嫌なのである。


「仕事内容に嘘はないよ。ただ説明するのが難しいから端的に答えるとそうなるだけで」


 今までのアリスを見ていれば何となく察しが付く。


 彼女の言う『化け物退治』は、自分が経験したことのない世界に引きずりこまれることを。

 痛みと危険の伴う仕事であろうことを。


「関わるとロクなことにならなそうだし帰る」


 昇一が今度こそ店を出ようとする。


 が、突然上からアリスが降ってきて覆いかぶさってきた。


「ぬわ!?」


 急なことに反応できず、アリスの体重を受けて彼女ごと床に倒れてしまった。

 思いっきり背中を打ち「い゛ッ!!」と鈍い声を上げる。


「お、まえ……やっぱ瞬間移動できるんだろ……というか、頭強打したらどうするつもりだよ」


 痛みで細い声しか出ず、上に乗っているアリスを恨めし気に睨んだ。


「大丈夫、大丈夫。この店の中なら体を切断されたとしても治せるから」

「……だからって痛いことには変わりねえんだよ」


 非日常的な要素にもう驚くこともなくなってきて、それもそれで嫌に感じて大きくため息をついた。


「まあまあ、経営者側として困ってるんだよー。ちょっとだけ話聞いてよー」

「分かったから一旦どいてくれ」


 アリスは言われた通り昇一の上から退き、近くのテーブルの席に座った。

 昇一は彼女が離れても店を出ていくことはなく、アリスの向かいの席に腰を下ろした。


 突然、机上にティーポットと二つのティーカップが出てきた。その光景を見ても昇一は死んだ目をして、アリスがティーポットの茶を注ぐのを黙って見る。


「じゃあ、なるべく短めにお話ししようかな。私がどれだけ困っているかを」


 口角を上げて、アリスはこれまでの経緯を話し始めた。


――アリスはとても困っていた。


 昇一のいる場所とは少し違う世界で、彼女は化け物退治の会社を運営していた。


 最初はゆっくりでも着実に成果を見せていた。しかし徐々に競合他社が出てきて、「成果」を争うようになった。

 他社への対策はしていたが、大きな問題が一つあった。


 新しい従業員が全く入ってこないのである。


 他社はこちらの世界から人材をたくさん呼び込めているというのに、アリスの会社は一人だけしか確保できていない。


 なのでアリスは、当たり屋になることにした。


「ちょっと待て。なんでそうなる」

「変かな? 割と理にかなってると思うけど」

「どこがだよ」

「自動車は別世界にコネクションを作る重要なアイテムなんだよ。自動車を運転してる人に轢かれて出会いのきっかけをつくって惹き付ける。最高の策じゃないか」

「なんでそこで轢かれる側になるんだよ」

「だって人間を轢いたら死んじゃうじゃないか」

「もうお前の常識と倫理観がわからん……」


 気疲れした昇一は頭に手を当ててうなだれた。


「自分の住む世界とは違う世界のことに巻き込むんだから、それなりのマナーっていうものがあるでしょ? それにちゃんと福利厚生も整ってるよ。転生じゃないから、時と場合によっては君の任意でこっちの世界と私の世界を行き来できるようにするし」

「え。こっちに戻ってこれるのか?」

「うん。泊まり込みもあったりするからホントに場合によるけどね」

「そう、なのか」


 よくある話、巻き込まれたらこちらには戻ってこられないと思っていたらしい。

 話を聞いていたら、少し彼女に協力してもいいかもしれないという気持ちがわいてきた。


「あくまで『雇用元と従業員』の関係だからね。神様みたいに気軽に命は奪えないよ。労基に相談だ、とか言われちゃう」

「絶妙に現実性を混ぜるのはやめてくれ」


 アリスの言い方を聞いていると、だんだん普通の面接を受けているかのような気分になってきてしまい慌てて思考に喝を入れる。


「まあそういうわけで、君の車の前に飛び出たわけさ」

「なんでよりによって俺なんだよ。いや……ただの無差別か」

「だって君、いかにも金に困ってそうなゲッソリ具合だったし。ちょうどいいカモになるかなって」

「普通に狙い撃ちされてた」


 昇一は拳を握りアリスに殴りかかりたくなるのを抑えてため息をついた。


「そりゃあ、二億も借金抱えてたら金に困ってそうな顔にもなるだろうよ」

「二億ねえ。ずいぶんと額が大きい」

「ほんとにな。家に帰る度に身に覚えのない借用書や請求書が増えていくんだよ。こんなもの知らないって問い合わせても取り合ってもらえない。あっちは俺が契約した証拠も何もないのに、警察は俺の負債だとかいって聞かねえし」

「……まあ私のもとで働けばその額を返すのも無理じゃないと思うよ。日給十万円だし」

「それ怪しすぎるんだが」


 昇一は懐疑的な目でアリスを見る。

 日給十万などと謳っているが、労働時間や福利、控除など重要な情報がない。


 そして何より気になるのが


「どのくらい危険な仕事なんだ」


 危険性――昇一がアリスの話を受けるかどうかはそれ次第である。

 死ぬようなものも御免だが、軽度の傷でも了承しがたい。


 抱える負債の額を考えれば、多少は無理をしても稼げる仕事に就くに越したことはない。

 しかしそれでも一般的な、常識の範囲でのみの「多少の無理」である。


 だがそこに関しては何も問題ない、とでもいうようにアリスは「ん?」とにこにこ笑っていて。


「そうだねー。毎回体中に怪我を負って死ぬかもしれないっていうくらいかな」

「帰る」


 昇一はすぐに立ち上がった。


「待ってよおおおお!!!」

「うおわ!? やめろ、くっつくな!」


 アリスが勢いよく足にしがみついてきて、昇一はこけそうになりながら彼女を振り払おうとする。


「ちょっとくらい情けをかけてくれてもいいじゃないか! 薄情者―!」

「誰がカモろうとしてきた奴に情けかけるか! つーかお前さっきの『それなりのマナー』とか『雇用元と従業員の関係だから』とか言ってたのは何だったんだよ! 福利厚生が整ってるんじゃなくて拷問制度が整ってるって言えよ!」

「福利厚生整ってるって! 万が一あっちの世界で体が死んでも、君はこっちに生きて戻ってこれるようになってるから!」

「死ぬ場合のマニュアルもあるんじゃねーか! なおさらやりたくねえよ!!」

「あいたッ!」


 昇一は無理やりにでもアリスを蹴り離してドアの方へと向かった。

 ドアノブに手をかけるが、アリスはフッと笑う。


「残念だけど、出られないよ」

「はあ?」

「この店の扉をくぐった時点で、君は私の会社の社員ってことになってるのさ。私が望むまで外には出られないよ」

「は、はあ!? そんなの聞いてねーって」

「なに言ってるんだい? ちゃんと書いてたじゃないか」

「は?」

「名刺の裏の右角に」


 アリスに言われて昇一は名刺の裏を確認する。


「ほら。『この紙は雇用契約の証となります。この紙を持って店に入った時点であなたは採用となります』って」


 確かに右下をよく見れば書いてあった。


 白地に明度の高い薄黄色で。

 文言を言われれば辛うじて読めそうで、けれど眼と脳が文字としてより色としてしか認識できないような、そんな文字で。


「って読めるかあああああ!!!」


 昇一は青筋を浮かべて全力で名刺を床に叩きつけた。


「おおメンコだメンコ。久しく見てないけど良い音がするものだね」


 全然反省していない様子のアリスをはっ倒したくなる。しかし何とか我慢して握った拳を収めた。


「お……おまえ……悪徳勧誘にも、程があるだろ」


 若干、目元をひくつかせる。

 なるべく笑ってみせていたが、少し震えた声と引きつった口角が怒りを全面に押し出していた。


「まあでも、なるべく君の意思を尊重できるように考慮することをしてみる努力をするよ」

「殴っていいか」

「いいけど腕ちぎれちゃうかもしれないよ」


 平然としている彼女に昇一は大きくため息をついて拳を下した。


「というわけで、今日から君は私のもとで働くことになった。よろしくね!」

「心の底からよろしくしたくねえ……」

「でも多少は現状も改善すると思うよ」


 君も大変でしょ、とアリスは一拍置いて昇一を見つめる。


「家に帰る度に負債は増えるのに、何故か学校には通えていて。親は突然、借金を残して消えてしまい。探しても両親がこの世に存在する痕跡すら見つからないし」


 昇一は目を見開く。


「負債を踏み倒そうとしても体が言うことを聞かず、結局は何故か働いて返済することになって。何時間労働しようと、いくら稼ごうと、周りはそれが異常ではないと思っている。己の命を絶つことも考えるけれど、実行する前に毎回意識が切断されて気づいたら家のベッドにいる」


 ガッと昇一に胸倉を掴まれ壁に押しやられた。

 棚の飾りが振動を受けて音を立て、固定されていない小物が床に落ちる。


「お前、なんで知ってるんだよ」


 彼の黒い目がアリスを憤怒に沈め込む。


 金銭に困っているのは様子を見れば分かるかもしれないが、家庭のことなど出会ったばかりの人間が知っているはずはない。


 それだけでなく、彼の行動や思考すべてが見透かされていた。アリスが作為的に彼を嵌めているとしか思えない。


 彼女は睨まれても気圧されることはなく、平静のまま彼を見やる。


「アリスは何でも知っているよ。ずっと見てきたからね」

「借金も全部お前の仕業か」


 己の苦しい現状の原因だとするのならば、先ほどのようにふざけ合う気はない。

 返答次第では彼女を殺すこともいとわないような声色だった。


 疑われてアリスは眉を下げ視線を落とす。


「……まあ、そういう可能性もあるね。でも一応言っておくとするなら、曲がりなりにも私は君を助けようとしているんだよ。ただ君の現状を変えるには少し条件がそろっていなかったから遅くなっただけで」

「どういうことだよ」

「またその時が来たら、教えてあげるよ。でもまずは、私たちの世界に触れてもらわないとね」


 昇一の手に触れて彼を離し、背中を押して店の扉の前まで行かせる。


「じゃあ、行っておいで。不思議なアリスの異世界へ」

「え、おい! ッ!!」


 扉がひとりでに開き、強い光が差し込んで眩しさに目元を腕で隠す。


 光が収まって前方を見やれば、そこには見たこともない街並みが広がっていた。

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