サリーナ、親友と 前編
テストが終了した後の学院は、大きな行事もなく平和である。
ただし、貴族だけは全くの別の騒がしさがあった。
まず、侯爵家同士の婚約の解消が発表された。
それだけでも驚くのは十分だったが、もう一つ爆弾が落ちた。
婚約の解消が発表されてから十日ほどしてから、婚約を解消した御令嬢と、ある伯爵令息との婚約が改めて発表されたのである。
サリーナのときとは比べ物にならないほど、魔法科の生徒たちはざわついている。
侯爵令嬢の方は新しく婚約を結んだが、侯爵令息の方は独り身だ。
次期公爵としての地位もどうなるのかと、ひそひそとしてしまうのも仕方がないことである。
しかもその後ろでは、新しい婚約をした二人が仲睦まじくしているのである。
これまで大した関係性もない二人だったので、ただでさえ注目を浴びている。
御令嬢の方は知ってか知らずか、自ら主催した茶会で「彼のことを知っていければと思っているの」等と言うものだから、周囲の目はより二人に向かうのだ。
微笑む彼女を見ていると、婚約の解消を言い出したのは、彼女の方だろうと検討がついてしまう。
となれば、男の方は、より腫れ物扱いになってしまう。
だが、相手は高位貴族である。
彼が話さない限りは何も言えないし、無駄に絡まれるわけにもいかない。
何となくいつも通りに過ごしてはいるものの、空気のおかしさはどうしようもなかった。
貴族籍を持つ者は、周囲の空気に敏感になる。
言葉尻とその裏を読んで話をする貴族にとって、空気を感じ取るのは、生き残るための手段の一つだ。
サリーナの婚約を解消した時とは違う歪な空気が、魔法科全体を覆っている気がする。
教室内に漂う空気の悪さはどうしようもなく、ぎこちなさが残る。
おかげで、肩の力が抜けるランチタイムは貴重である。
「空気がおいしいと、食事も進むというものね」
満足そうな口調で言うのは、チェルシーだ。
遠回しに、教室内の雰囲気の悪さに苦言を漏らしながら、サラダを食べている。
御令嬢らしく小皿での食事だが、チェルシーの凄いところは、ここからおかわりがひたすら繰り返されるところである。
「ねぇ、サリーナ知ってる? このニンジンったら凄くおいしいの。薄くスライスされてもわかる甘さに、きっと驚くわよ」
「チェルシーは、いつからニンジン博士になったのかしら」
「ほんの少しの甘さも見逃さない、探求心を褒めて欲しいところだわ」
ふふっと笑うチェルシーが、ふと視線をあげる。
その視線を追いかけるように首を動かしたサリーナは、ひくりと息を飲んだ。
「良かったら、お隣、よろしいでしょうか」
にこやかな笑顔と、少し高めの声。
チェルシーに話かけているのは、男爵家の令嬢だ。
手には盆を持っており、昼食を取るための席を探しているのか。
その後ろには、数名の御令嬢がこちらを伺うようにして立っている。
サリーナはもちろん、チェルシーも、彼女たちの誰一人とも、話をしたことなどない。
だが、サリーナは話しかけてきた彼女をよく知っている。
愛くるしく、どことなくふわふわとした砂糖菓子のような柔らかさを持つ、男爵令嬢。
サリーナの三度目の人生で夫だったあの男が、愛人として生涯囲った女だ。
笑顔を崩さないまま、サリーナはスプーンを持つ指先に力を込めた。
チェルシーとの食事で気が緩んでしまっていた分、表情を戻すのが遅れてしまう。
「……そちらの皆さん、全員ということかしら」
チェルシーが小首を傾げて問いかける。
この場で一番身分が高いのは、辺境伯爵家の娘であるチェルシーだ。
話の主導権は、チェルシーにある。
サリーナではなくチェルシーに声をかけてきたということは、常識はあるのだと信じたい。
男爵令嬢は、困ったように微笑む。
「少々人数が多くて、申し訳ありません」
「そう」
チェルシーの視線が、後ろで立っている御令嬢に向いた。
一般的な御令嬢とはかけ離れているとはいえ、チェルシーは全員の名前と顔は把握しているだろう。
一人だけ子爵家の人間がいるようだが、他は男爵家の集まりだ。
サリーナは笑みを貼り付けたまま、唇に力を入れる。
隣に座られて話しかけられでもしたらと考えただけで、気持ちが悪い。
「……申し訳ないのだけれど」
チェルシーの声が響いた。
視線を下げたチェルシーが、ほぅ、と小さく息を吐く。
「こちらの席には、私の婚約者が来るかもしれないの。ほら、あなたもご存じの通り、教室内では、落ち着いて話ができる雰囲気もないでしょう? こんなときでもないと、なかなか」
明らかな嘘だ。
しかし、有無を言わせないチェルシーの瞳が、男爵令嬢に向けられる。
笑みを浮かべているが、視線は探るような鋭さがある。
「私の婚約者はとても一途で、私を無駄に甘やかしてくださるの。もしも彼が何か不愉快に感じるようなことがあれば、私としても困ってしまいますわ。仲介に入って、私の貞操観念まで疑われてしまっても困りますし……」
さらさらと滑るように漏れるチェルシーの言葉に、男爵令嬢の顔から、血の気が引いていく。
そんな二人を斜めから見ていたサリーナは、震えそうになるのを堪えた。
何故、チェルシーが。
そんな瞳で、そんなことを。
男爵令嬢をじっと見たまま、チェルシーは右手をすっとずらす。
「良ければ、あちらのテラス席はいかがかしら。今日はお天気も良いことだし、気持ちの良い空気の下で頂けると思うわ」
挑発的に口の端をあげて、チェルシーは艶やかに笑う。
瞳だけは射るように男爵令嬢を見つめ、瞬く。
見渡せば、すぐそこに空席はいくつもある。
だがあえて外のテラス席を案内したということは、同じ空間にいることすら拒んでいるという意味だ。
伯爵令嬢のチェルシーに何かを言える人間など、この場にはいない。
顔色が悪くなった男爵令嬢は、絞り出すように声を出した。
「……お時間を取らせてしまい、大変申し訳ございません」
「いいえ、お気になさらず。よいランチタイムを」
振り切るように手を一度振ったチェルシーは、さっと視線を外した。
何か言いたそうにしている男爵令嬢のことなど気にも留めずに、サラダを口にする。
「やっぱり、ニンジンが一番おいしいわ」
チェルシーがわざとらしく声をあげる。
くすくすと笑いながらも、正面に座るサリーナしか見ていない。
サリーナの視界の端で、男爵令嬢たちがぞろぞろと離れていくのが見えた。
皆でそろって外へと出ていく。
「せっかくの時間が台無しよ」
ちらりと視線を向けたチェルシーが、そっと眉を顰める。
どれだけニンジンに思いを馳せているのか、気になってしまうほどだ。
「ねぇ、チェルシー」
少々硬い声になってしまったのも、仕方がないと思う。
気づいているだろうに、チェルシーは「なぁに?」といつものように答えてくれる。
サリーナは乾いた唇を結んだ後、ゆっくりと顔をあげた。
「……ルシオ様に、何か頼まれた?」
ぱちりと視線を合わせたチェルシーは、ふふっと声を押し殺したまま肩を震わせた。
それだけで、わかる。
ルシオだ。
おかしいと思ったのだ。
貴族科の噂の真ん中にいるのは、婚約を解消した侯爵家の令息だ。
ただ、公爵令嬢という婚約者がいながら、男爵令嬢と思いを重ねていたことを知っている人間はほとんどいない。
どちらともたいした接点のないチェルシーは、三人の関係性など知るはずもない。
だが、先ほどチェルシーは明らかにわかるように、牽制した。
教室内の空気が悪さの原因が、誰にあるのかと。
あえて来もしない婚約者の存在を出して、男爵令嬢が、婚約者がいる男と不貞をしたと知っていることを、匂わせた。
チェルシーは、男爵令嬢が何をしたのかをわかっていて、あえて煽ったのだ。
何故、知っているのか。
元婚約者の侯爵令嬢は有責の有無ははっきりと話をしていないので、彼女ではない。
サリーナも伝えていない今、誰から聞いたというのだろう。
しかも、聞いたことをサリーナにも言うわけでもない。
かといって、隠す訳でもない。
可能性として浮かんだのは、ルシオだった。
一体、どうして。
わざわざ無関係のチェルシーにまで伝えて、巻き込んだ理由は何だろう。
そこまで考えたところで、ゾッとした。
ルシオがわざわざ動いた理由は、簡単だ。
サリーナのためだ。
ルシオはサリーナを守るために、チェルシーを巻き込んだのか。
今だって、本来のチェルシーならば、隣の席に座るぐらいは許しただろう。
爵位を気にせず、平民とだって食事ができるチェルシーにとって、隣で誰が食事をしようがたいして気にもとめないはずだ。
しかし実際は、わざと煽って、嫌味まで言って、警告した。
自分に近づかないようにという警告は、チェルシーの側にいるサリーナにも有効だ。
チェルシーは伯爵令嬢であり、婚約者は公爵家の次男である。
婚約者の名前を出し、自分たちに手を出せば、そこまで出てくると脅したのだ。
苦しそうに笑っていたチェルシーは、お茶の入ったカップに口をつける。
ゆっくりと、それでも最後まで飲みほしたのち、音をたてることなくカップをおいて、柔らかくほほ笑む。
「もう一杯、お茶を頂こうと思うのだけど。気分を変えるためにも、個室に行かない?」
それは、この場で話すことではないという意味だ。
サリーナが「そうね」と同意を示すと、チェルシーが立ち上がる。
食べている最中に席を移動するなど、普通はあり得ない話だが、チェルシーは少しだけ高い声をあげた。
「個室なら、ゆっくりと落ち着いて食事もできるわね。訪ねてくる人もわかるし、丁度いいわ」
それは、先ほどの男爵令嬢とのやり取りを目にしている周囲に対するアピールだ。
残っている食事が乗った盆を手に、気にしない様子でチェルシーはすたすたと歩き出す。
学院の食堂には室内の席と、男爵令嬢たちに案内したテラス席と、いくつかの個室がある。
生徒会などの役員であれば、昼食を取りながら話をすることもあるからだ。
通常の生徒ではめったに使わない個室なので、大体どこか一つは空いている。
そのうち一つを開けてもらい、二人で入る。
真ん中におかれたテーブルに盆をおき、チェルシーは部屋の鍵をかけた。
「静かよね」
部屋に準備された新しいお茶を寄せながら、チェルシーは椅子に座る。
向かい側に、サリーナも座った。
「サリーナの分もあるわよ」
「……ありがとう」
サリーナはお茶を一口飲む。
温かいお茶は貴族の飲むお茶としては一般的で、よく知る味だ。
ほっと力が抜ける。
「先ほどの話だけど」
切り出したのは、チェルシーだ。
サリーナがカップをおいたのを目端で捉え、口の端をあげる。
「サリーナ、愛されてるわね」
ぎょっと目を見開いたサリーナは、そのまま慌てたように唇を引き結ぶ。
個室なので周囲に誰もいないとはいえ、あまりにいきなりのことで焦ってしまう。
「な、にを言い出す、の」
「私、本当に素直に感心したのよ。口止めされているわけじゃないから言うけど、元々は私じゃなくて、公爵家の方に接触したんだから」
サリーナは悲鳴を上げそうになった。
軽い言葉だが、内容は全然軽くないし、むしろ恐ろしく重い。
ただの平民が公爵家と接触するなんて、考えただけで眩暈がする。
どこのルートを伝ったのかすらわからない。
必死に自分を保とうとしているサリーナを見ながら、チェルシーは微笑ましい気持ちにあふれていた。
そう、正直に言えばチェルシーは本当に驚いたし、ある意味感心してしまったのだ。
サリーナの婚約者であるルシオについて、チェルシーは好意的である。
元婚約者の男とは違い、サリーナを大切にしていることが傍から見ていてもわかるし、サリーナ自身も幸せそうにしているので、何よりだと思っていた。
そんなチェルシーの婚約者は公爵家の次男であり、普段は平民の顔を覚えるようなことも話すようなこともない。
ただルシオは親友であるサリーナの婚約者なので、一応チェルシー経由で顔合わせをしたことがある。
その程度の二人だったはずなのだが、いつの間にやらチェルシーの婚約者はルシオと個人的に付き合っていたのだ。
その一番の理由が、砂糖不使用というお菓子だったのには脱力した。
どうやら社交界に向けて甘い物を我慢しているチェルシーのために、彼は何か代わりになるものはないかと探した結果、ルシオにいきつきたらしい。
砂糖不使用のお菓子は、とある茶葉を使ったものだった。
初めてその茶葉を使ったお茶を飲んだチェルシーは、想像以上の甘さにむせそうになった。
恐ろしいほどの甘さで、とても砂糖不使用とは思えなかった。
プレゼントだと茶葉を持ってきた婚約者は、この甘さを当然知っていたのだろう。
したり顔で笑う婚約者の男のすねを、思いっきり蹴り上げてやりたくなったほどである。
お菓子自体は、量産体制が整っているわけでもなく、まだまだ試作段階とのことだった。
それでも伯爵家のチェルシーが食べても満足できるぐらいにはおいしかったし、何より砂糖不使用というのは最大の魅力だ。
顔を合わせるたびに、手土産とばかりに砂糖不使用のお菓子を持ってきていた婚約者。
毎回手土産としてもらうのではなく、自分で好きな時に購入したいと思い入手先を調べて、裏にルシオがいると知ったのだ。
そうしてチェルシーは、ルシオを自宅へ招待した。
サリーナに伝えていない理由は、婚約者の男が経由していたこともあるが、あくまで商会としての付き合いだったからだ。
サリーナの婚約者だとはいえ、何かを優遇してもらったりするつもりはない。
あくまで貴族の一人としての取引である。
チェルシーは、ルシオを商人として呼んだわけだが、二人は学生だ。
婚約をしているわけでもない未婚の男女であるルシオとチェルシーを二人きりにするわけにもいかず、婚約者でもある男も同席だ。
たった一度の席とはいえ、驚くほど打ち解けてしまったのはルシオの持つ雰囲気のせいだろう。
話が変わったのは、ルシオからの「折り入って、ご相談をさせて頂けないでしょうか」という一言だった。
誤字脱字報告、いいね、評価等、いつもありがとうございます。
誤字報告に関しては、お手間をかけてしまい申し訳なく感じつつ、とても感謝しています。
この場でお礼を申し上げます。




