サリーナ、知らぬ間に 後編
ワガママを言うこと。
ルシオがくれた優しさのうちの一つである。
それをちゃんと聞くと言ってくれたのは、ルシオ本人だった。
ルシオがぽかんとしている間が、チャンスだ。
サリーナは追撃とばかりに、声を荒げる。
「パーティー会場で、ルシオ様をお一人になんてしませんからね!」
「え、何、サリーナ」
「第一王子殿下からお声をかけられるときは、私も一緒にいます。第一王子殿下に、そうお伝えください」
「待って、急に何で」
「ワガママですから!」
言い切って、口を引き結んだ。
震えそうになるのを堪えて、サリーナは下がりそうになる視線を保つ。
呆然とした様子のルシオは「えぇ?」と乾いた声をあげる。
「あのさぁ。俺のそばにいてほしいって言うのは、パーティー会場に限っての話じゃないんだけど。日常的にって話だよ」
「存じております」
さすがに言葉通り受け取るようなことはしていない。
しっかりと頷くと、ルシオが顔をしかめた。
「自分で、何言ってるのかわかってる?」
「当然です」
「王家に近づきたくないんじゃなかったの? さっきだって、あんなに顔色が悪かったのに」
「……そうでしたか? ルシオ様の、気のせいでは?」
顔色の悪さなど、なかったことにしてしまう。
血の気が引いたので青白くなったのは確かだろうとは思うけれど、直接見たわけでもないので知らない。
ルシオは呆れた様子である。
「いくら俺に用事があるからって言っても、話しかけられないわけじゃないんだよ」
「もちろん、わかっております」
挨拶も含め、全く話さないわけがない。
視線も合わせるだろうし、本題に入る前の軽い世間話なんかもあるだろう。
だが想像しても、今は不思議と怖くない。
サリーナは、渋い顔をしているルシオに笑いかけた。
「ワガママです、ルシオ様。理由なんて意味がありません、ワガママですから」
「いや、おかしいでしょ」
「ワガママですからね、おかしなこともあります」
「いきなり何でそうなったわけ? さすがにわからないんだけど」
サリーナは大きく瞬いた。
ルシオがわからないとは、驚きである。
「私、ルシオ様のことが大切なんですよ」
「……急に、何言い出すの」
「王家と対面する恐怖よりも、ルシオ様のおそばにいたいって思ったんです」
ルシオの言葉が切れた。
サリーナは、くすくすと笑う。
「ルシオ様の存在が、大きくて。私、その気持ちがあれば無敵な気がします」
ルシオの優しいところが好きだ。
最善をと言いつつも、サリーナが嫌がることは避けてくれる人だ。
そうしつつも、サリーナの意見もちゃんと聞いてくれる。
「大丈夫だって、思えるんですよ」
「嘘でしょ。ホント、何なの」
混乱しているのか、ルシオが机に突っ伏した。
初めて見る姿に、さすがに不安になるものの、頭に手を伸ばしていいのかどうかも迷う。
「……ここで、そんなワガママ言う?」
ルシオの掠れた声が、胸に響く。
サリーナのためにとルシオが動いてくれていることを、知っている。
ゆっくりと視線をさげる。
「正直に申し上げますと。今でも王家には、近づきたくないとは思います」
「だったら、離れていたらいいでしょ? 何で、わざわざ自分から飛び込んでくるの?」
「それよりも、ルシオ様のお役に立てる方が、大切なことだと思ってしまいましたから。仕方がありません」
それが、サリーナにとって一番重要なことだ。
サリーナの存在がルシオの役に立てるのならば、嬉しいことはない。
机に伏せたまま、ルシオが視線だけサリーナに向ける。
「そんな言い方、狡くない?」
「狡くはありません、事実です。ズルイのは、ルシオ様だと思います」
いつもサリーナを振り回しておいて、何を言い出すのだろう。
それは紛れもない本心からの言葉だったのだが、ルシオは眉を下げてしまった。
「俺は、わかってやってるからいいの。サリーナは無意識でしょ」
「わかってやっている方が、質が悪くないですか!?」
やっぱり、何もかもルシオの思うがままだったのか!
今更信じられない気持ちで叫ぶと、ルシオがむっとする。
「俺は絶対に踏み込まないところは守ってるけど、サリーナは違うでしょ。思いっきり踏み込んでるし、質が悪いよ」
心外すぎて、サリーナはあんぐりと口を開けた。
「ど、どこがですか?」
「自分の言ってること、わかってるの? 今、俺としては、結構凄いことを言われたと思ってるんだけど」
「え」
どの台詞のことだろう。
そんな凄いことを言った記憶がなさすぎて、首を捻る。
「あの。ズルイと言ったことでしょうか」
「……何それ」
「では、質が悪いと言ったことですか?」
そろそろと問いかけると、ルシオの瞳が据わってきた。
返事を待たずして、間違えていることだけがわかる。
「違い、ました、ね?」
「…………そうだね」
本気でわかっていないサリーナに、ルシオは項垂れた。
本当に力が抜けて、立ち直るのに時間がかかりそうである。
人が持つ本能的な恐怖は、簡単に消すことができない。
サリーナにとってその一つが王家なのならば、ルシオは守る気でいたのだ。
第一王子との接点は今更どうにもならないけれど、あくまで自分だけに留めておくつもりだった。
王になった第一王子どころか、王家そのものとサリーナとの接点を持たせる気など、これっぽっちもなかった。
サリーナにとって、第一王子と対面することは、想像しただけでも青白くなるほど嫌なことのはずだ。
それなのに、ルシオのためならばと、恐怖に立ち向かおうとしている。
目に見えない不確かなものを信じて「無敵な気がします」と言えてしまうサリーナが、あまりにも眩しい。
その真っすぐな思いの先が自分だと思うと、言葉にできないほど気持ちが沸き上がる。
「無意識、ホントにヤだ」
「すすす、すみません」
ルシオの地を這う様な低い声に、サリーナは反射的に謝ってしまった。
何が悪いかもわかっていないのに、言葉だけが飛び出てしまう。
「さっきも言ったけど」
ルシオは静かに口を開く。
「俺一人で大丈夫だよ。サリーナは、声が届く位置にいてくれたらいい」
返事を待つようなルシオの表情は、硬い。
その瞳の奥に優しさが見えて、サリーナは思わず目を細めた。
これは、ワガママなのだ。
「ルシオ様」
サリーナは名前を呼ぶ。
「ルシオ様の優しさを踏みにじろうとしていることは、謝ります。申し訳ありません」
身を乗り出して、頭を下げる。
とにかく、ルシオのそばにいたいと思った。
ワガママなのだから、無茶苦茶を言っていても許してほしい。
「ただ、おそばにいます。譲りません」
「謝った意味、ないよね?」
「踏みにじっている自覚はありますが、ワガママを言います」
「……やめてよ、もう」
息を吐き切ったルシオは、体を起こす。
むっとした顔のまま、頬杖をついた。
「王子サマに目でもつけられたら、どうするの」
「えぇ!?」
低い声に、サリーナはわざとらしく驚き、高い声を出した。
ルシオの眉がさらに寄るが、気にしない。
気持ちは不安になるけれど、頭ではわかっている。
ルシオが、黙って見過ごすような人間ではないということを。
サリーナは、笑みを浮かべたまま「それは、驚きますね」と言葉を続ける。
「ただ、心配はしていませんよ。私は、そんな日がくるとは思っていません。違いますか?」
少しだけ小首を傾げて、柔らかく目を細めた。
いつもルシオに振り回されているのだ、これぐらいは許されるだろう。
「俺は」
大きなため息と共に、ルシオが口を開く。
手を伸ばしてカップを取って、お茶を一気に飲み切った。
「いつだってサリーナを守るし、害するものを許すつもりはないよ」
「……あの、お気持ちは嬉しいのですが。もう少し手を緩めて頂いてもかまいませんからね」
「今更、そんなこと言われても」
ルシオがあまりにもはっきりと言い切ったので、慌ててしまった。
呆れたような顔をされても、言葉が出ない。
「約束するよ、サリーナ」
「え」
「サリーナが不安にならないように手を尽くす。王家の目からも隠し通す」
ルシオの言葉が強い。
きちんと口にしてくれたルシオだ、絶対に守ってくれる確信がある。
大きく心臓が鳴ったのを感じながら、サリーナは「はい」頷いた。
一度呼吸をしたルシオは、真っすぐにサリーナを見つめた。
「だから、一緒にいてくれる?」
「もちろんです!」
勢いよく返事をすると、ルシオが小さく笑った。
先ほどまでとは違い、ホッとしてしまう。
「ワガママですからね、これは。私の、ワガママですよ」
「うん、そうだね、ワガママだったよね」
「そうですよ。ルシオ様は、私のワガママを聞いてくださっただけですから」
柔らかく笑うルシオを見ていると、やる気が湧いてきた。
王となった第一王子が話しかけてくるのは、間違いない。
そのときは、ルシオの迷惑にならないようにしたい。
周囲の貴族の目もあるのだ。
恥ずかしくないように、凛としておかなくては。
「あの。第一王子殿下に話しかけられたときに、私はどうすれば良いでしょうか」
やる気を出してのことだったが、ルシオは力が抜けたように椅子にもたれかかった。
「明らかに挙動不審にならなかったら、それで十分だよ」
「……それだけですか?」
「うん。さっきも言ったけど、王子の用事は俺だしね」
そばにいるとは言ったものの、やはり目立ちたくはないので、特に何もせずにいられるのならば、それはありがたい。
しかし、話の内容によっては、変な声が出ないとも限らない。
魔法を使わないことにしている今、サリーナの表情を隠すものはない。
貴族令嬢として立っていれば、驚きの感情などは隠せるだろうか。
いや、正直に言えばかなり心配である。
あの第一王子も、王としては優秀だ。
「あのぅ。もし可能でしたら、その用事について、もう少々お伺いできたりは……?」
「何でそんな遠慮気味なの。何があったら、いつでも質問していいんだからね」
「いえ、できれば触りのところぐらいで止めておきたいです」
「……相変わらずだね」
ルシオはむぅ、と膨れているが、サリーナとしては微妙なところだと思っている。
聞いておきたい気もするが、あまり知りたくない。
魔法で表情を操っていたときとは違い、今の自分はかなり危うい気がする。
パーティーまではまだ時間もあるので、詳しくは知らない方がいいだろう。
いつもルシオにあれこれ読み取られる身としては、ギリギリのラインで止めておきたい。
サリーナの思いを知ってか知らずか、ルシオは「そうだなぁ」と考えるように口元に手を当てた。
「俺の要望の返事と言えばいいかな。ただ、どこまで通るかは、王子サマの頑張り次第だね」
「それは、これからという意味でしょうか」
「さっき、俺に出来ることはやりきったって言ったでしょ? だから後は、それをどこまで王子サマが活用できるかどうかだなぁ」
何となく、視線が遠くを向いてしまった。
第一王子を相手に、一体何を要望したのだろう。
その条件として、成績やら薬物入りのお茶やらを求められたのだ。
その見返りならば、相当なものを要望したのではないだろうか。
しかもそれを、わざわざ貴族が全員揃う様なパーティーで、特別待遇の状態で受けるというのは、かなりの重要なことのはずだ。
知りたい気持ちが再度湧いてきたが、恐ろしいので、聞くのはやめておこうと思う。
「俺の未来のテストまでかけた上に、わざわざ手を出して結構助けてきたんだからさ。本当に頑張ってもらわないと」
うーん、と背伸びしたまま、ルシオが大きく息を吐いた。
空になった自分のカップに新しくお茶を注ぎならが「期待はずれだったら、どうしようかなぁ」等と、不穏なことを口にする。
サリーナは、引きつりそうなまま笑顔を浮かべた。
不穏ではあるが、ルシオの気持ちもわかる。
ルシオは本当に頑張ったのだろう。
それ相応のものが返ってこなければ、第一王子との関係が破綻してしまいそうだ。
ついでに言えば、「わざわざ手を出して結構助けてきた」あたりのことも気になったが、無視しておく。
知りすぎるのは、よくないと思う、本当に
浮かび上がる疑問を頭の奥に押し込んだサリーナは、ふぅ、と息を吐く。
要望とやらのために、ルシオはこんなにも身を粉にして頑張ったのか。
「ルシオ様のご要望が、通るといいですね」
新しくお茶を淹れようとしていたルシオの動きが、ぴたりと止まった。
この一言は、サリーナにとって、ただの会話の続きのようなもののつもりだった。
ただの言葉の掛け合いの一つであり、特別な意味はなかった。
だが。
「ルシオ様?」
ゆっくりとこちらに向けられたルシオの瞳が、ふ、と細くなる。
柔らかさはなく、むしろ鋭くなった瞳に、サリーナは瞬いた。
何か言ってしまったか、と息を飲むよりも、ルシオの方が早かった。
「そうだね」
目を閉じた一瞬で、何事もなかったかのように、ルシオは穏やかな笑みを浮かべる。
先ほどの剣呑さが嘘のように、ルシオの瞳が柔らかい。
「俺も、そう思うよ」
軽くそう言ったルシオは、ポットを傾けてお茶を淹れた。
テストも終了した学院では、解き放たれた緊張感からか少し賑やかな日が続く。
貴族が多く在席している魔法科では、社交界に向けての茶会が催される日が増え、賑やかになっていく。
そんなときに、ある発表が騒ぎを引き起こした。
とある貴族同士の婚約が、解消されたという。
その話は、瞬く間に貴族が多く所属する魔法科を中心に駆け巡った。




