ルシオ、父と共に王宮へ 後編
今、この場で注目されているのは自分だ。
ルシオは、はっきりとそう意識をして、散漫していく思考を取り戻す。
「御子息は」
王妃の高い声が、ホール中に響く。
「学院での成績はもちろん、新事業にも手を出されているとか」
まるで父親に話しかけているような口調ながら、視線はルシオから動かない。
父親は、黙ったままだ。
ここで何か言えば、確実に突かれる。
「学生の身のうえで、本当に驚くべきことだわ。これまで名前を耳にしてことがなかったけれど、さぞ優秀なんでしょう」
褒めているとは思えない口調で言い切った王妃は、扇を手のひらに打ち付けた。
固い音が響く。
「いつから名前を聞くようになったのかしら……そうね。確か、そう。婚約をされた後かしら」
途端、ぞわりとルシオの肌が粟立った。
冷たい視線が刺さる。
「婚約者は、シュベルグ子爵家の御令嬢だったわね」
サリーナの存在が出てきたことに、思わず舌打ちしそうになる。
それでも、ルシオは息を殺したまま動かない。
何故ここでサリーナの話題を出すのか。
ルシオとサリーナの婚約は本当に偶然の産物だ。
王妃の意図が読み切れない今。下手に動くことはできなかった。
王も、何も口にはしない。
ということは、この王妃の行動は、王の考えでもあるということか。
ぐるりと首を動かして周囲を見渡した王妃は、首を傾けて大きく息を吐いた。
「伯爵家との婚約を解消して。新しく、あなたと婚約を結ばれたとか」
思い出すかのような仕草を見せてはいるが、完全にわかったうえでの発言だ。
ふいに、王妃が立ち上がった。
かつん、かつんとゆっくりとヒールの音を立てながら階段を下りる。
そのままこちらに向かって歩いてくる王妃に、周囲の騎士が動こうとするが、手をあげてそれを制する。
近づいてくるということは、体面することになる。
ルシオは急いで頭を下げた。
「学院では専科が違い、たいした接点がなかったはず」
考えるように呟きながら、王妃が近づいてくる。
強い視線に加えて、息苦しくなってきた。
「それなのに、一体どこで彼女を見初めたのかしら、なんて。下世話な話よね」
くすくすと高い声をあげて笑う王妃の瞳は、笑っていない。
貴族と平民の結婚が当たり前になっていても、それを認める気はないということか。
サリーナの話を持ち出してはいるが、あくまで話は婚約から動かない。
この様子では、彼女の持つ底知れない情報や魔力については知らないようだ。
少しだけホッとする。
「婚約の解消理由は、性格の不一致だと聞いているけれど」
サリーナの話は終わらない。
一体、何を言いたいのだろうか。
「実際の所は、どうなのかしら」
近づく影に、ルシオはぐっと体中に力を込めた。
王女は質問しているような口調だが、実際のところは答えなど求めていない。
サリーナとあの伯爵令息との婚約に関しては、ルシオは本当に無関係だ。
サリーナのことは子爵令嬢として把握はしていたが、それまでたいした関心もなかった。
彼女を個人として認識したのは、二人の婚約解消後である。
「ルシオ・コンラードと言ったわね」
王妃がルシオの目の前に立った。
下を向いたままのルシオの視界に、王妃のドレスの裾が入り込む。
ヒールの高さもあり、膝をついているルシオよりもはるかに高い位置から、鋭い瞳が見下ろしているのがわかる。
ルシオは返事を返す代わりに、さらに深く頭を下げた。
顔をあげていいと言ったのは王であり、王妃ではない。
「顔をあげなさい」
強い口調に、息が詰まるような閉塞感が襲う。
一瞬目を閉じ、ゆっくりと顔をあげた。
「この場において、不敬は問いません。正直に答えなさい」
扇を片手にした王妃が、嘗め回すような視線を向ける。
思考が短編的に崩れる。
何重にも鍵をかけてきたものをこじ開けようと爪がかかって、頭が痛い。
奥に隠された本心を、引き出そうとしている。
「二人の婚約解消の理由は、あなたに関係があって?」
「いい、え」
「先に手を出したのは、あなた?」
そう言う王妃の瞳に、怒りが見える。
ルシオを前に、握りしめた扇を持つ指先が震えている。
ルシオは、腹部からせりあがる気持ち悪さを押さえ込む。
頭の中をかき回されているような、強い痛みに引きつりそうだ。
サリーナの婚約解消にルシオを絡めようとするのは、筋違いだ。
本当に何の関係もないのに、頷きそうになってしまう。
この、女。
ルシオは握りしめた手のひらに爪をたてて、思考をかき集める。
引っ掻き回された思考の中でも、ここで万が一にでも頷けば、取り返しのつかないことになるとわかる。
胸元が熱い。
サリーナからプレゼントされた、魔法石付きのペンが反応している。
守ってくれていると思うと、少しだけ頭の奥が冷えた。
「もう、しわけ。ありま、せん」
声が震えないように必死だ。
締め上げられるほどの喉の痛みに堪えながら、ルシオは声をあげた。
「私には、何のことだか、わかり、かねます」
絶対に、思い通りにはならない。
声を絞り出した喉も、頷きそうになる首も熱い。
強い魔法に体が反応して、余計なことまで口にしそうになる。
堪えきれているのは、身に着けている服に仕込んである防御魔法のおかげだろう。
だが、あまりにも相手の魔法の威力が強すぎる。
王妃は、魔法が効いていないことぐらいわかっているはずだ。
やり合うなら、覚悟を決めなければならない。
時間との勝負になる。
「大変、申し訳、ありません」
話を切り上げようと視線を揺らして頭を下げたルシオを、王妃は上から眺めた。
ルシオは体を固くしているし、額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「あくまで無関係だと?」
響く口調が襲う。
口を開くと危うい気がして、咄嗟に頭を下げることで誤魔化す。
「……そう。なら、いいわ」
王妃は扇を開き、もう一度音をたてて閉じる。
閉じた扇を口元にあて、小首を傾げた。
「だったら、これ以上は不要ね」
くるりと裾を翻した王妃に合わせ、ルシオの体から息苦しさが消える。
王妃は、今度はルシオの父親へと視線を向けた。
「商会を継ぐのは、こちらの御子息のことでしたわね」
「その予定でございます」
急いで息を吸い込みそうになるのを堪える。
ルシオは重たい頭を少しだけ起こして、視界の端で父親を捉えた。
王妃は、音をたてて扇を開く。
「我が国への貢献、期待しています」
言い切った王妃は、そのまま歩き出す。
遠のいていく影を視線の先でおいかけながら、ぐっと眉をひそめた。
ヒールの音を鳴らして壇上へと戻っていく王妃を、王は両手を広げて高笑いをしながら迎えた。
何とも芝居かかっている。
「いやいや、御子息も驚いただろう、許せ。シュベルグ子爵家は、子爵家とはいえ王家とつながりが深くてな。御令嬢の婚約解消の話も届くのだよ」
思わず内心で舌打ちした。
一方的に「許せ」とは、さすが王族である。
王の笑い声を聞きながら、ルシオは下を向いたまま眉をひそめた。
サリーナと伯爵令息との婚約は貴族同士のものなので、王と王妃が気にかけていてもおかしくはない。
だが王命でもないのに、いちいち婚約解消の理由に口を出してくるのは普通ではない。
先ほどの王妃の圧力は、明らかにルシオに敵意を抱いていた。
ルシオとサリーナの婚約というよりも、サリーナと伯爵令息であるザイードとの婚約解消に対して不満があるのか。
何故、と思った瞬間、ルシオは思わず顔を上げそうになった。
まさか。
自分の仮説がいくらなんでも酷すぎて、また気持ち悪くなってきた。
これが当たっていたとしたら、王家に対する嫌悪感がさらに増すばかりである。
先ほどまでの話はなかったかのように、くだらない話が始まったホール内で、ルシオは寒気を感じていた。
王命ではない、サリーナと伯爵令息のザイードとの婚約。
婚約は王家の知らぬところで、両家の親同士で取りなされたはずだ。
だが、もしも。
これがもしも、知らぬ間に操られていた両家によるものだとしたら。
この婚約に、王家の意図が絡んでいたとしたら。
ザイードは伯爵家の次男なので、サリーナと結婚しても爵位は継がない。
魔力があるにも関わらず学院で騎士科に在籍しているのも、将来は爵位を継がない代わりに騎士として生計をたてていくためだ。
サリーナの方は兄が子爵家を継ぐので、こちらも家の存続も含めて何も関係はない。
残るとすれば。
貴族同士の結婚で、まず一番重要視されるのが子ども
その中でも王家が欲しがるとすれば、魔力が高い子どもだろう。
シュベルグ家の子どもであれば、魔力が高く、なおかつコントロールする術にも長けている可能性が高い。
王家の目的が、シュベルグ家の血筋を多く残すことだったら。
ザイードも魔力自体は弱くはない。
サリーナとの間に生まれる子どもは、高い魔力を持つ可能性は十分にあっただろう。
しかし、サリーナはルシオの婚約者だ。
このままでは、いずれ平民になる。
貴族から外れてしまえば、王宮にあがることなどなくなるだろう。
それは同時に、王と王妃の支配からも逃れることにもつながる。
あの婚約解消の原因はフェアスーン王女殿下によるところが大きいが、その原因をルシオにあるとしたかったのか。
王妃はあのとき、婚約解消の原因が自分にあるよう頷くようにと、ルシオに圧力をかけた。
あそこで楽な方へ流れていたら、この場にいる多くの証人を理由に、サリーナとの婚約を解消されるだろう。
そして王家の思い通り、サリーナに新しい婚約者をあてがえる。
おまけに貴族をはめたという理由で、商会自体も支配下における。
そうなればルシオも父親も、ただでは済まない。
人を何だと思ってる。
改めて苛立ちが襲ってくる。
ルシオが一人湧き上がる怒りと戦っている間に、大人の話はついたようだ。
「では、案内させよう」
話の流れからすると、商会から持参した品があるという別の部屋へと行くらしい。
だが、王妃がまた「そうだわ」と声をあげた。
「御子息にとって退屈かもしれないわね。良ければ、王宮内を案内させましょう」
王妃の言葉に、騎士がルシオの前までやってきた。
拒否できるわけがなく、父親が丁寧にお礼を告げる。
ちらりと視線が交わった父親の瞳は、冷淡だ。
だがその指先が動く。
むり だめ
短い言葉に、父親の憂慮を感じ取る。
ルシオがこれなら、自分だって相当苦しいだろうに、何をやっているのやら。
これから王と王妃から離れることができるルシオとは違い、まだまだ先は長いのは父親の方である。
せりあがってくるものを押さえ込みながら、ルシオは指先を向けた。
かあさん なかせるな
ルシオにとってサリーナが支えになるように、父親がどれほど母親を大切にしているのかは知っている。
我が子は容赦なく鍛え上げて、巻き込むことすらたいした躊躇もないくせに、母親には商会の裏事情を隠し通している。
それだけ大事にしているのだから、悲しむ姿は何よりも見たくないだろう。
指先を見た父親の口の端が少しだけあがったので、一応伝わったのだと信じたい。
騎士に案内されてホールを抜けると、一気に息がしやすくなる。
広い廊下は空気がよく通っていることもあるが、圧倒的に気持ちが楽だ。
ルシオはじっとこちらを見ている騎士に、頭を下げた。
「私のせいでお手数をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「お気になさらず。これも仕事ですから」
ルシオはハンカチを取り出した。
腹が立つことに、冷や汗が出ているので、そっと押さえるようにぬぐう。
「緊張してしまいまして……」
平民の子供らしく、隠さずに恥じらうように告げると、騎士がほほ笑む。
瞳が柔らかい。
「それはそうでしょう。私も同じようなものですよ」
この騎士は、随分と平民に優しいようだ。
なるほどな、とルシオは冷えた心で頷いた。
王も王妃も身勝手で、何ともやり方が汚い。
ルシオと父親が引きずられながらも、ギリギリで精神を保っていることぐらいわかっているだろう。
だからこそ、この騎士なのか。
疲れた体と心に、この騎士の持つ温かい雰囲気は寄り掛かりたくなる。
「今日は天気がいいので、良ければ庭を案内しましょう。ここからも近いんですよ」
「恐れ入ります」
騎士に案内され、ルシオはその後をついていく。
庭はすぐそこだ。
ルシオよりもはるかに背の高い男の後ろ姿を眺めながら、周囲の情報を頭に叩き込む。
憂さ晴らしにもなりはしない。
案内する道順、場所も、想定しているはずだ。
その意志はこの騎士のものか、王家の思惑によるものなのか、どちらだろう。
ただ、庭に案内されるだろうことは、こちらも予想済みだ。
平民に勝手をされては困るので、室内を避ければ、一番いい場所はこの庭になる。
おまけにここは、大きな廊下がいくつも重なっており、目が届く。
庭といっても王家の庭だ、見渡しても奥まで見えない。
近くによっていいかを確認したルシオは、廊下から外へと歩き出す。
「良い香りが致します」
「庭師が丹精をこめて、育てておりますから」
数えきれないほどの花が植えられているだろうに、香りは重たくもなく、苦しくもない。
さすが、王家の庭を管理するだけのことはある。
空気も通るので、頭は大分スッキリとしてきた。
深呼吸をすると、考えがまとまってくる。
さて。
どうしたものか。
見渡しながら、考える。
こんな開けた場所に誘導された理由を考えれば、動かないのが一番だろう。
だが、簡単に策にはまると思われるのも癪だ。
「もう少し中に入ってもかまいませんか?」
「もちろんです」
にっこりと笑って問いかければ、騎士も笑顔で頷いた。
整えられた道を歩くルシオの後ろから、ついてきている気配がする。
庭の木々は、ルシオの背をギリギリ隠すぐらいの高さまである。
少し入るだけでルシオは隠れてしまうが、騎士の男は隠れない。
だったら。
「こちらの花、素敵ですね。何という名前なのでしょう」
ルシオはしゃがみ込んで、低い位置にある花を手で示す。
葉に押し込むようにして花を押し込んだので、立ったままの男には見えないはずだ。
「この花です」
ルシオが見上げると、視線を受けた男が一瞬狼狽する。
気づかないふりをして、ルシオは小首を傾げた。
不思議そうなルシオに、騎士の男は手を振った。
「わ、私は、花には詳しくないものでして」
「では、この花とこちらの花は、どちらがお好きですか?」
さらに奥にあった花に触れる。
立ったままの男は、さっと周囲を見渡した。
「どうか、されましたか?」
じっと見つめると、男は急いでしゃがみ込む。
「どの花でしょうか」
「この花と、こちらの花です」
「私は、こちらの花の方が好みです」
そう言うなり、男はさっと立ち上がる。
話は終わりだと言わんばかりの態度に、笑いそうになった。
「こちらの花も、素敵ですよね。どの辺りがお気に召されたんですか?」
「え、と」
「立っていては、見づらいのでは?」
「えぇ、大丈夫ですよ。ちゃんと見えています」
笑顔だが、明らかに動転している。
人が良さそうなので、さすがに可愛そうになってきた。
そう思わせるのも王家の策略だとするのなら、正しい人選だろう。
視線だけ周囲を見渡していた男の目が、ぱっと大きくなる。
気づいたルシオは、ゆっくりと立ち上がった。
木々の間から見えるのは、広い廊下だ。
そこを、集団が歩いてくる。
「君」
耳が、声を捉えた。
集団の先頭を歩く人影が、騎士の男を見て足を止める。
そのまま、男が廊下から外に出てきた。
「そんなところで、何をしているんだ?」
その声を聞きながら、ルシオは目を細めた。
近づいてくる気配。
やはり、きたか。
ルシオを庇うようにして前へ出た騎士の男は、深々と頭を下げる。
騎士の礼も忘れない。
「客人の護衛をしております、第一王子殿下」
敬称を口にしたのは、ルシオにその存在を知らせるためだろう。
足音が近づいてきて、止まった。
「そう言えば、そんな予定を聞いていたな」
軽く笑いながら息を吐く、第一王子。
頭を下げる二人を眺める。
「顔をあげてくれ」
魔法など何も使っていない声は、頭にすっと通る。
ルシオは、時間をかけて顔をあげた。
王と王妃の第一子。
もう数ヶ月もすれば王となる、第一王子。
騎士よりも奥にいるルシオを見た王子は瞬いた。
「君は確か……」
考える様子を見せながら、ルシオの名前を口にする。
元々同じ学院に通っていたので名前と顔ぐらいは知っているだろうが、学院での直接の接点はない。
王子は騎士の男と話をして、納得したように頷いた。
「あぁ、なるほど。商談中なんだね」
楽しそうに笑った後、ルシオを見た。
その瞳が、きゅっと細くなる。
「良かったら、話でもどうかな? 少し休憩をしようと思って出てきたところでね」
どこまでが仕込みで、どこからが本音だろう。
どれだけ人のよさそうな顔をしていても、その裏はわからない。
だが、第一王子の誘いを断ることはありえない。
当然のように、ルシオは王子の輪の中だ。
第一王子の側近たちがルシオを見る目は、何ともぶしつけすぎる。
「せっかくだから、談話室にでも行こう」
先頭をきって歩きだした王子の後ろに、側近たちがつく。
さらにその後ろをついていくルシオの横に、騎士の男が並んだ。
ちらりと隣を見て、声を潜める。
「勝手をして、問題はないのでしょうか」
「お気になさる必要はありませんよ」
この急な誘いにも関わらず、騎士は第三者に伝言を残すようなそぶりはない。
ということはやはり、これも計画通りというわけか。
前を行く集団の中に見える、赤味がかかった茶髪。
もうすぐ王位を継ぐ、第一王子。
接触してくるのなら、ありがたく。
迷いなく歩く後姿を眺めながら、ルシオは口の端をあげた。




