後編
繰り返すが、この世界の理を前提から変えてしまったのはサリーナだ。
婚約解消も簡単にできるし、愛のある結婚も愛のない離婚も簡単にできる。
貴族と平民だとしても、立ち振る舞いと周囲の同意さえあれば、婚約も結婚もできる。
つまり、今のこの状態はどう考えても自分のせいである。
王宮に向かう馬車の中、サリーナは外を眺めながら息を吐く。
小さな吐息すら気づくのが、目の前に座るルチアだ。
「どうかしましたか?」
「少し緊張していまして……」
いや本当に、謎の緊張とはこのことだ。
本日のサリーナは、淡い黄色のドレスに黒と紫の差し色が入っている上品なドレスを見につけている。
胸元・耳元・まとめあげた髪を飾るアクセサリーは派手過ぎず、ドレスを着こなすサリーナをより魅力的に見せている。
さすが、ルチアが選んだだけのことはある。
あの日「ドレスを送る」と言ったルチアは、その翌日には約束を取り付けてくるほどのフットワークの軽さだった。
というよりも、すでに両親には話をつけていたようで、知らぬはサリーナだけだった。
ザイードと婚約を解消して以来、縁談をスッパリと無視していたので知らなかったが、両親はサリーナの気持ちを優先してくれていたのだ。
ルチアの話をすると、両親どころか家族中でやいのやいの、大喜び&大騒ぎだった。
どうやら、相当前から両親&兄妹たちにあれこれアプローチをしていたらしい。
外から埋めたな!と思わなくもなかったが。
そこからは、あっという間だ。
あれよあれよという間にドレスの寸法を確認され、気がつけば今日である。
月日が流れるのは、本当に早い。
などと過去に浸っていたら、ルチアが隣に座ってくる。
しかも、気のせいか近い。
いや、絶対に近い(断言)。
「あの、近い……」
「緊張されているとのことだったので、ほぐそうかと」
そう言って、ルチアはグローブをつけたサリーナの手を握る。
流れるような動きで、その甲に唇を落とした。
ルチアの親指がその跡をゆっくりとなぞる。
「ル、チ」
「静かに」
「ひぃ」
反対の指先が、サリーナの頬に触れる。
むき出しになった耳、首へと掠め、胸元のアクセサリーを鳴らす。
「あ、の」
「もう少し」
いや、もう無理よ!
変な声出そうなんですけども?
時間を止めたい。
というか、「緊張してきた」とか言う前からやり直したい。
いや、もっと前?
え、いやちょっと、どこからやり直したらいいの?
心臓の音で頭が痛い!
必死に動かないように目を閉じて耐えていると、ふっとルチアが吹き出した。
「真っ赤」
「な、に、する……」
「可愛い」
楽しそうにそう言って、その顔をサリーナの頬に寄せる。
小さなリップ音に、肩が跳ねた。
「え、何でぇ?」
「可愛かったので」
「えぇ…?」
「化粧は落ちてないですよ」
頷きながら言われても、そこは割とどうでもいい。
繋いだ手は離れそうにないし、もうどうしたらいいのやら。
いろいろと頭が回らない。
おかしくないか?
おかしいだろう。
この人「仕事と添い遂げるつもりなので」とか言っていませんでしたか?
いや、あれはどこかの世界の大人のルチアだが、それにしても。
それにしても、こんなに甘いなんて聞いていない!
自分の方が、人生何回もやり直しているのに、振り回されているなんて。
悔しいことといったら、この上ない。
サリーナは、むぎゅうとスカートを握りしめた。
「ルチア様、楽しそうですね」
「それは、もちろん」
「…………」
嫌味だな。
喧嘩を吹っ掛けてきているな。
にっこりと頷くルチアに、思わず頭の中でファイティングポーズをとってしまう。
対してルチアはサリーナを見て、口の端をあげた。
ぱちりと瞬いた瞳が、近い。
あ。
嫌な、予感が…。
「婚約者が大変可愛いらしいので」
「んぐぅ……」
謎の悲鳴が漏れたサリーナの頬に、黒い髪が当たる。
吐息が耳を掠めた。
「他の男に見せたくないな」
「ひぃぃ」
マズイ。
これはちょっと、ロクでもないかもしれない。
タラシ野郎が何かおかしな方向で強すぎる!
私、勇者に恐れられる魔王にだって、なったことがあるのに!
と、思わないこともなかったが。
よくよく考えると、結婚はしたしヤルことはそれなりに経験しているものの、恋愛はどうにも経験値が圧倒的に少なかった。
というか、ザイードぐらいしかなかった。
それに気づいた瞬間、サリーナは脱力した。
1人で大商人になるルチア相手に、魔法を使わないサリーナではどうしようもない。
認めてからは、早かった。
サリーナは多くの人から祝福されながら平民になった。
多くの人が目を奪われるほど、幸せそうな笑顔で手を振っていた。
ルチアはサリーナをとても大切にした。
プライベートだけではなく、仕事のパートナーとしてもサリーナを側においた。
仕事は綺麗ごとだけでは成り立たたないことも多く、際どいことも乗り越えた。
互いに忙しくてすれ違うこともあったが、ルチアはサリーナの頬をなでて言うのだ。
「サリーナ、可愛い」
それが、彼の「愛している」と同義語だと皆わかっていた。
歳を重ねてシワが出来て、一般的な「可愛さ」から離れても、ルチアは繰り返した。
魔法を使わなくても、不思議とその言葉は嘘ではないと、サリーナにはわかっていた。
「いつもいつも、大好きよ」
そう答えると、ルチアは嬉しそうに目を細めるのだ。
仕事のパートナーは、これまでもいた。
2度目の人生で結婚した王とは、互いに協力して乗り越えて大きくしていくという意味ではルチアと変わらないようにも思えた。
ただ、ルチアはいつもサリーナを大切に扱う。
エスコートしてくれるその手さえ、愛おしいのだ。
「ルチア、ありがとう」
歳を重ねていくたび、幸せが積み重なっていく。
膨らんで大きくなる思い出と愛おしさに、サリーナは怖くなった。
人生をやり直したら、すべてがなかったことになる。
ルチアとの出会いも。
あのときかけてくれた言葉も、約束も。
彼がサリーナのためだけに選んでくれた、多くのプレゼントも。
つないだ手の温もり、抱きしめてくれた腕、拗ねた声、楽しそうな笑顔も。
なかったことになって、もう二度とルチアはあの甘い瞳でサリーナを見ないのだ。
そして、二人だけの関係が変わっていく未来も。
自分に伸ばされた小さな手、ふっくらした頬、嬉しそうな声。
時が流れ、増えていく笑い声、重ねていく思い出が、サリーナを包み込む。
「……嫌よ」
あぁ、神様。
崩れてなくすなんて、耐えられない。
これで、最後にしてほしい。
あの人と過ごし、得た大切なものをそのままに。
かけがえのない、愛おしいものをそのままに。
重ねて膨らんでいく思い出を、どうかどうかそのままに。
ただただ強く願い、サリーナは目を閉じた。
本編は、以上で完結になります。
二人の恋愛事は、おまけ(婚約後のルチアとサリーナ)に続きます。
婚約後の二人が、互いに信頼関係を築くまでのあれこれを書いています(上から時系列順)。
本編よりもはるかに長いおまけですが、こちらもよろしくお願いいたします。