<第一部>
昔、ある国にノルデンともポラリスとも呼ばれている大魔法使いがいました。ここではノルデンと呼ぶことにしましょう。
大魔法使いノルデンがどれくらい昔から生きているのか誰も知りません。王様のひいお祖父様のそのまたひいお祖父様と友人だった、とか、王様の先祖がこの国を作る際に助力した、とか、様々なことが噂されていますが、本当のことは誰も知りませんでした。
大魔法使いノルデンが学長を務める魔法学校には、たくさんの人が集まり勉強していました。
この物語の主人公、ザザもそんな一人です。
ザザの話をする前に、この時代の魔法使いについて少し話しておきましょう。
今から五十年ほど前、今の王様が幼かった頃、お父様が亡くなりました。当時の王様は今の王様のお祖父様だったのですが、お祖父様には他に跡取りとなる男子がいなかったので、お祖父様が亡くなると今の王様が即位しました。十六歳の時でした。
即位した頃、王様には悩みがありました。 召使いたちがお父様の死について話しているのを聞いてしまったのです。王様のお父様は、魔法で殺され、そして、王様のお母様が関わっているらしいという話です。
美しく聡明で、自分を誰よりも愛し育ててくれた優しいお母様。政治のことを何もわからない王様は、さまざまなことをお母様に相談してきました。王としての今の自分があるのも全てお母様のおかげだと常に思っていました。
王様は、召使いたちの話を信じてはいなかったのですが、それでも時折、心の奥底に根付いたしこりの存在を感じることがあるのでした。
かといって、お母様に問うこともできず、万が一にも噂が真実ならばと思うと確かめるのが恐ろしく、悩んだ結果、悪いのはお母様ではなく、魔法使いだという結論を導き出したのでした。
それが三十年前の魔法規制法の始まりです。
王様は魔法を制限する法律をたくさん作りました。それまで自由に使えていた魔法の多くが禁止されました。
例を挙げると
「人間や動物の生死に関係する魔法を禁ずる。但し人間や家畜に害を及ぼす生物に関してはこの限りでない」
「時間を動かす魔法は禁ずる」
「財産を増減させる魔法を禁ずる」
「偽りを真実のように見せかける魔法を禁ずる」……
他にも細かく規制され、魔法使いができることは少なくなりました。
更に王様は、魔法学校を作り、魔法使いを免許制にしました。魔法学校を卒業し王様の承認を受けなければ魔法使いと名乗ってはならない、魔法を使ってはならない、としました。
そうした制限によって、今まで高い報酬をもらって貴族の依頼を受けていた魔法使いたちは、皆、職を失ったのです。
もちろん国中の魔法使いが反発しました。
しかし、王様に逆らう魔法使いは火炙りの刑です。
王様は、国一番の大魔法使いノルデンを味方につけ、まず、お城仕えの魔法使い、王様のお父様を殺したと言われている例の魔法使いにでっちあげの罪を着せ、見せしめとして火炙りにしました。
大魔法使いノルデンが王様に従うことを決めた以上、他の魔法使いは何もできません。魔法で対抗しようにも大魔法使いにはとてもかなわないことがわかっています。
結局、魔法学校に入って勉強し直す気がある者以外は、商人や農民に職業を変えざるを得ませんでした。そもそも魔法規制法によって使える魔法が限られ、以前のように高い報酬を得ることが不可能になったので、魔法使いとして生きていくことはさほど魅力的では無くなっていたのです。
魔法学校で学んだ者たちは、それぞれ生きる道を探しました。或る者は薬草で病気や怪我を治し、或る者は家畜や畑を守る結界を作り、或る者は水脈や鉱脈を探し当て、或る者は星を見て未来を占う、などと、薬師や祈祷師、占い師のような存在になっていったのです。
さて、ザザの物語の始まりです。
大魔法使いノルデンが学長を務める魔法学校にザザが入学したのは十二歳の時です。
ザザが生まれ育った村には医者も魔法使いもおらず、ちょっとした怪我でも命取りになることが少なくありませんでした。そんな状況を見ていたザザは、自分が魔法使いになって家族や村人を救おうと考えたのです。
ザザの家族、両親と祖父母、兄と姉は、ザザの立派な考えに大変喜びました。
ザザは故郷の村を離れ、寄宿制の魔法学校に入学しました。
魔法学校の学費や生活費は無料です。その為、設立当初は魔法を学ぶ気がないのに無料でご飯を食べたい人たち、働きたくない人たちがあまりにも多く集まってきましたので、今では年齢制限を設け、入学試験を行っています。
入学試験といっても簡単な読み書きと計算、それに面接だけなので、特別な事情がなければほとんどが合格します。但し、入学して一ヶ月目の試験で基準を下回れば入学は取り消されます。また、季節毎に行われる試験に二回続けて不合格なら退学、暴力行為などの不法行為は退学、退学した者は二度と魔法学校に入学できず学校で学んだ魔法を使ってはならない、などの厳しい規則もありました。
そのような厳しい生活でも、魔法学校には魅力がありました。卒業すれば魔法使いを名乗って仕事ができるのはもちろんですが、成績優秀者はお城仕えの魔法使いになれるのです。王様とその家族、家来や兵隊たちのために魔法や薬草を使う仕事に就けるのです。貧しい地方の村の魔法使いよりも、一生安定した生活を送れるお城仕えを、多くの学生が望んでいました。故郷の村のために魔法使いになろうと考えるザザのような生徒は、ごくわずかでした。
ザザは早く一人前になろうと、一生懸命勉強しました。
「ザザはなんで毎日そんなに勉強するの」
同級生たちが訊きます。
「僕は早く魔法使いになって、故郷の村の魔法使いになるんだ」
同級生たちは口々に言います。
「村の魔法使い? そんなのより、お城仕えのほうがいいだろ。お給料もいいし、一生楽して暮らせるんだよ」
「お城の試験を受けるんじゃなければ、そんなに一生懸命勉強する必要ないのに」
でもザザは、村人の役に立つためにできるだけ多くの魔法を覚えたかったのです。
学校には、貧しい家庭から口減らしのために入学させられた子供も多く、そんな子供たちは毎日腹一杯ご飯を食べられるだけで満足していました。
「僕は勉強が苦手なんだ。でも僕の家は貧しくて、魔法学校に入ればタダでご飯が食べられるって、親に試験を受けさせられたんだ。ここにいればご飯の心配をしなくて済むから、仕方なく勉強してるだけだよ」
また、魔法使い志望ではない生徒もいました。
「僕は卒業したらどうせ父の店を継ぐんだ。魔法使いの資格を持っていたらなにかと便利だから、退学にならない程度の成績を適当に取ってれば充分なんだ」
そんなふうに、学校にはお城仕えを目指して真面目に勉強する生徒と、特に志があるわけでもなく運良くお城の魔法使いになれればいいと思ってるような生徒がいました。ザザのように、お城仕えを望んでいないのに真面目に勉強する生徒は珍しかったのです。
ザザは積極的に先生たちに質問し、大魔法使いノルデンもそんなザザをだんだん気に掛けるようになりました。
ザザが入学して三年目の秋のことです。
海の向こうから異国の軍隊がやってきて、西の土地を占領しました。異国軍は村々の村人たちを容赦なく殺し、食糧や物資を奪いました。
そこで、王様の軍隊が討伐することになりました。
国中に「兵士募集」のビラが配られ、都も不穏な空気に包まれましたが、魔法学校の中は普段と変わらず平穏でした。魔法使いは戦いに関わっていけないという法律があるからです。もちろんそんな法律など、いざ国の危機となったらどうなるかわかりませんが。
異国軍との戦いは長くは続きませんでした。異国軍は応援部隊が海を渡ってこられなかったので、王様の軍隊との数と力の差は圧倒的でした。やがて王様の軍隊は異国軍を全滅させました。わずかに生き逃れた異国軍の兵士たちは、船で逃げ帰っていきました。
王様の軍隊の被害はさほど多くなかったのですが、戦乱に巻き込まれた村々には大きな被害がありました。異国軍は村々を荒らし財産を奪い、逃げ惑う村人たちを容赦なく殺し、王様の軍隊に追われると村に火をつけて行手を阻みました。
そうして、異国軍が全滅するまでにいくつもの村が炎に包まれました。
都の民が王様の軍隊の凱旋を祝っている頃、ザザと数人の生徒が魔法学校の主事に呼ばれました。
生徒たちの生まれ故郷の村が、戦乱に巻き込まれて滅ぼされたそうです。学校の中にいると、外の世界のことは詳しくわかりません。ザザも、自分の村が家族がどうなっているのかそれまで全く知りませんでした。
魔法学校の主事は、そういった村の出身の生徒に、外出を許可し特別に馬車を出しました。
ザザの故郷の村は、街道から分かれた枝道の先にありました。
街道沿いにあった村への道標は、根元からへし折られていました。
畑は荒らされ、村の家々は壊され或は燃やされ、村道の左右は瓦礫の山となっていました。いかに戦いがすごかったか想像できます。
かつて美しい草原だった丘、羊が草を食むっていた丘に、墓標の杭が何本も立っています。戦いが終わった後、後片付けの兵が来て、村人たちの遺体をまとめて葬ったのです。その中にはザザの家族も眠っているでしょう。
ザザの生家があった辺りは一面焼け野原となっていました。ザザは涙をこらえながら、持ってきた花を供えました。そして何か残っていないか探し歩きました。
日が暮れる頃、ザザは、母が使っていたスープカップのかけらを手に、迎えの馬車に乗り込みました。
故郷の村から帰ったザザは、魔法学校学長である大魔法使いノルデンに面会を求めました。
「死んだ人を生き返らせる魔法を教えて下さい」
ザザは表情を失った顔で言いました。
ノルデンは静かに諭しました。
「死んだ人間を生き返らす。それは神のみに許されること。人には決して許されることではない」
「教えて下さい。ノルデン様ならご存知のはずです」
「知っていたとしても教える気はない。教えればわしもお前も死刑になる。それはお前も知っておろう」
「わかっています。でも私一人の命で家族や村人を生き返らせるのなら構いません」
「私はもうこの歳だ。死刑などこわくない。必要ならば喜んで死ぬ。しかしお前の家族を救うことが、果たして、私が死ぬ価値があるか」
「でも」
ザザはすがりつくような目でノルデンを見ました。
「もしお前が法を破って家族を生き返らせたとしよう。だが生き返ったお前の家族が目にするのは、火炙りになるお前の姿だ。それはお前の家族にとって最も辛いことだろう。そうではないか」
「お前の家族はきっと、お前だけは生き延びてくれ、魔法使いになって立派に生きてくれ、と願いながら死んだのではないか。死んだ者は生き返らない。だがその思いはお前の中に生き続けるのだ」
「……人を救えないのなら、なぜ魔法などあるのですか。なぜ、法律が作られたとき、ノルデン様は反対しなかったのですか」
「反対はしたさ。他の魔法使いたちも、皆反対した。だが声は届かなかった」
「王様を魔法で殺してしまえばよかったのに」
「そのようなことをすれば、殺し合いになり、世界は滅びる。私が選んだ道は、人と魔法使いが共に生きる世界だ。生き延びて魔法使いを育て、いつか魔法が必要になる時まで、後世に伝えることだ」
ザザは下唇を噛みました。
「お前は今、家族を失った悲しみで、冷静な心を失っているのだ。しばらく休んで心を落ち着けるが良い」
ノルデンはそう言って背を向けました。
その日から、ザザの生活態度は一変しました。
努力して魔法使いになったところで、褒めてくれる両親もいなければ帰る村もないのです。何の為に勉強するのか目的を失い、ザザはすっかり無気力になってしまいました。
そんなザザの様子をノルデンは気にしていましたが、これはザザ自身が乗り越えなければならない問題です。
ある日、ザザが授業をさぼって部屋のベッドに寝転んでいたところ、ドアのほうで微かな音がしました。
ザザが気怠く身体を起こしてみると、ドアの下に何やら紙が挟み込まれています。
取り上げて見ると、古の魔法について何か書いてあるようです。
「時の水・物の記憶を呼び戻し、かつてあった姿に戻す。古の魔法」
ザザはその紙を見て気づきました。
「もしかしたら古の魔法に禁止されていない魔法があるかもしれない」
その日からザザは再び懸命に勉強を始めました。
生徒たちが自由に出入りできる図書室には、法律で禁止されている魔法や古の魔法に関する書物は置いてありません。通常の生徒たちは、そういった魔法を習得することを禁じられているからです。
魔法規制法ができた時、禁じられた魔法書は全て、この魔法学校の地下倉庫に封印されたと言われています。倉庫の鍵を持っているのは、学長ノルデンと主事だけで、基本的には彼ら以外の人間が倉庫へ入ることはできません。鍵を持っていない教授たちや研究生は、ノルデンや主事に許可を貰って入室することができますが、一般の生徒には許可がおりません。
研究生と言うのは、魔法学校の教授、または魔法研究学者を育てるための課程です。研究生になると、学ぶだけでなく、新しい魔法の研究もできるようになり、禁止されている魔法も研究することができます。ですから、誰でもが研究生になれると言うわけではありません。魔法学校を優秀な成績で卒業し、人間的にも問題なく、教授の推薦をもらい研究生試験に合格して初めて研究過程に進むことができるのです。
ザザは、大魔法使いノルデンに会いにいきました。あのメモを置いたのはおそらくノルデンだろうと確信していましたが、そのことには触れずに言いました。
「私は研究生試験を受けたいと思います」
ノルデンの深い皺の奥の瞳が、ほころんだように見えました。
「魔法研究の道は険しい。目の前のことにとらわれず、世界中の人々の未来の為に、研究の道に励むように」
ザザは大きく頷きました。