思わぬ弊害
気絶したひったくり犯の呼吸が確かなことを確認した莟はなぜか、十瑪岐を引っ張ってその場からの離脱を図った。浴びせられる賞賛への返答もおざなりに足を速める。
速足のまま一区画は離れてから、莟はやっと現場を振り返って手首で汗を拭った。
「ふぅ。なんだか大事になっちゃいましたね。あー、逃げれてよかったぁ」
「あのまま居れば警察から感謝状とか貰えたんじゃねえの?」
「だからです。…………苦手なんですよ警察。理由はないけど。たぶん本能」
吐き捨てる目つきが完全に半グレ経験者のそれだった。
十瑪岐はひっぱられたまま繋ぎっぱなしの手を見下ろした。
慣れない松葉杖移動のせいか少女は珍しく肩で息をしている。朝から見ているがやはり動きもぎこちない。
「さしもの莟も足が折れてちゃ走力も落ちるかあ。こりゃパルクルったりは無理だな」
「はぁ? 足の一本使えないくらいなんのハンデにもなりませんけど!?」
「分かったから電柱によじ登らないで莟さあん! 可愛いスカート履いてること忘れないで!」
呆れて苦笑しつつ、ふてくされた顔ですべり降りて来る少女を支えた。
「本当に負けず嫌いだなお前」
脇の下に手を差し入れ持ち上げる。小さいし軽い。俊敏な行動も合わせて猫のようだ。少女をそっと下ろして再び手を差し伸べる。支えてやったほうが歩きやすいだろうと、逃げているときに気づいたからだ。
「? なんですかこの手は」
「杖」
莟は伸ばされた手と十瑪岐の顔を交互に見比べ、
「……とめき先輩ってたまにタチ悪いですよね」
「いまそれ言われんの不本意なんだが!?」
じとっとした視線で見上げられ、十瑪岐は意味が分からず悲鳴を上げる。
気を使ったつもりなのに、いったい何が気に障ったのか。
拒絶せず手は取ってくれたので、さらに分からなくなる。
困惑のまま首を傾げる。おやつでも買い与えれば機嫌は直るだろうか。
少女の様子を窺おうと覗き込み、その向こうに見知った金髪が見えた気がして背筋を伸ばす。
「あれって幸滉先輩ですよね」
十瑪岐の視線に振り返った莟も気づく。二人は自然と物陰に隠れて道行く幸滉の後を追った。
幸滉はキャップとマスクで顔を隠している。だがそれだけで顔の良さを隠しきれるはずもなく、ただ信号待ちしているだけで周囲の視線を引いている。まるで芸能人のようだ。
「さすが幸滉先輩。休日もかっこいいですね」
莟が感心してため息を漏らす。
十瑪岐は性質が真逆の吐息を漏らした。
「まずい……」
「え?」
視線を彷徨わせるが、どこを探してもいるべき少女の姿がない。
「狛左ちゃんがいねえ。あいつは一人……しかもあの方向……。間違いねえ。あいつ、一人で私服を買う気だあ!」
「え?」
「お前は何も知らねえからんなとぼけた顔ができるんだ! やべえぞ。早く狛左ちゃんに連絡しねえと 手遅れになるう!」
「何をそんなに慌ててるんですか? 服を買いに行くだけでしょう? それになんの問題が?」
「よく聞け莟。あいつのセンスは独創的で野心的で、例えるならパリコレから芸術性と格式と名声を差し引いたような……。一言で言えば────ゴミクソ!!」
「かつてないほどの断言! で、でもいま着てる服は似合ってますが。頭から足先までどう見てもイケメンですよ?」
「あれはオレと狛左ちゃんでローテーション組んでコーディネートしたもんだ! 朝から狛左ちゃんがアイツの部屋に置いとくんだよお! 自分で選ばせないために!」
「そ、そんな……冗談ですよね?」
「オレが狛左ちゃんとライン交換できてんのはこういう時のためだ。あいつの買い物を連携して防ぐために他ならねえ! そんな理由でもなけりゃ狛左ちゃんがオレに個人的な連絡先教えるわけねえだろお!」
「いっきに信ぴょう性が増しましたね」
十瑪岐は震える指で通話を繋げる。
「あ、もしもし狛左ちゃあん? 幸滉が『421』方面へ接近中っぽいですう──あ、切られた」
「『421』……?」
「服屋アパレルそれに類するもの全般を指すオレらの隠語」
「狛左先輩はなんて?」
「返事も無かったさ。ま、オレについてるGPS辿ってすぐ来るはず。オレらは尾行を続けるぞお」
指先でイヤーカフを撫でる。
「…………」
莟はなぜか絶句して、言葉にできない顔で十瑪岐を見上げていた。
◇ ◆ ◇
こそこそと物陰を移動し後を追うと、幸滉は予想通りに男性向け高級アパレルブランドの店舗へと入って行った。莟は十瑪岐と外から観察を続ける。
「このままじゃあ悲劇が産まれちまうっ。狛っちゃんはまだか!」
十瑪岐がかつてない絶望顔で頭を抱えている。莟は首を傾げた。
「あれだけのイケメンですよ? ヘタな服でも一周回って素敵に見えますよ。さっきも言いましたけど、幸滉先輩はとめき先輩と違って頭のてっぺんから足先までどこからどう見ても文句のつけようのないイケメンなんです。大丈夫、結局この世は顔と金と暴力次第ですから」
「友情・努力・勝利の対極みたいな価値観しやがって。あっ、あいつ店員に試着を申し出てやがる。待て、待ってくれ。あああああもう手遅れだあぁ」
やり手な雰囲気の店員とやりとりを終えて幸滉が数着の服を持って試着室へ消えた。ほどなくしてカーテンが開く。
「あほら、出てきますよ。見ての通りイケメ──」
そこには目を疑う──というか目がおかしくなったかとこすってしまうような劇物が立っていた。
まず目につくのは、毒のようなくすんだ紫ペイズリー柄のシルク生地をした襟無しシャツ。その上に蛍光ピンク色のカギ編みカーディガンを羽織っている。パンツはジッパー多めの中高生向け商品だろう。緑色なので上と合わせてすごく浮いて見える。そして丈がちょっと足りない。
一つ一つは上等なデザインなのに組み合わせが致命的だ。
不協和音の体現かと疑ってしまう。苦悶に憂う地獄の告解部屋をイメージした現代アートですと言われたら納得してしまいそうだ。
目が痛いような、ずっと見ていると吐き気をもよおすような。
それを金髪の王子様風イケメンが着ているのだから、脳が光景を現実として受け入れられなかった。罰ゲームでもなければ着ない組み合わせだし、罰ゲームだとしても正気を疑う。
莟はどう反応していいか分からず、見たままの事実を口にした。
「あ、頭のてっぺんから顎先までイケメンですね」
「一字違いでここまで範囲指定って変わるんだなあ……」
展開を予想していたらしい十瑪岐は死んだ目をするだけで衝撃を受け流せている。
「うわぁ。百戦錬磨の店員さんすら絶句してる。え、まさかの満足気? 買う気っぽいですよあれっ」
「あんなモンが外に出たら幸滉の商品価値が下落するっ! どうにか阻止しねえとお!」
二人で手を合わせてあわあわと店の入り口へ向かう。とはいえ何と言って止めればいいか見当もつかない。正直に「クソダサいですよ」と言っていいものか。
その間に全力疾走で滑り込んでくる赤毛の残像が。
「おい十瑪岐! 幸滉様はどちらに!」
息を切らせた狛左椎衣だった。
十瑪岐の表情が救いを得たようにパッと輝く。
「待ってた狛左ちゃあん!! アレぇ!!」
「よくやった! いま椎衣があなたの名誉を守りに行きます幸滉様!」
そこからは怒涛だった。
偶然を装って店内に入った椎衣は幸滉に接触。にこやかに幸滉を宥め、代わりに彼に似合う服を薦める。さらに店員と協力しまともな服を買わせることに成功したのだった。
そのまま二人は並んで帰って行った。椎衣が去り際に残したアイコンタクトへ、十瑪岐が親指を突き上げて返す。
幸滉は最後まで十瑪岐たちに気づかなかったようだ。
「丸く収まって良かったですね」
息をついて微笑みかけると、十瑪岐も汗を拭って頷く。
「おう。あの短時間で間に合うとは、さすが狛左ちゃんだぜえ。幸滉は狛左ちゃんに褒められればその通りにするからなあ」
「へぇ、信頼なさってるんですね」
「ありゃもはや弱味だな」
「いえ、とめき先輩があの二人を、ですよ」
「────」
じっと見上げると十瑪岐が虚を突かれたように目を見開く。
初めて見る顔だ。莟は自然と笑みをこぼしていた。
「やっぱり、誘って良かったです。さ、早く次に行きましょう。今日はまだまだ終わりませんよ!」




