せめぎ合って勝者
長い指が糸を手繰り、針を通す。その繰り返しを見ているだけで口元がにやけ、呼吸が荒くなりそうだ。
「子どもの投げたボールが木の枝に引っかかってしまったのよ。体育館の天上に挟まってるバレーボールみたいに。だから登って取ったのだけど、その時に樹皮に引っ掛けて糸が切れてしまったのね。降りて荷物を拾おうと前のめりになったらボタンが落ちてしまったの」
木陰のベンチに腰を下ろし、鳴乍は早口に経緯を説明した。
「…………」
十瑪岐は答えることなく黙々とボタンを縫い付けている。芝生に膝をついているので、右巻きのつむじが目の前にある。十瑪岐のほうが背が高いのでめったに見れない景色だ。てっぺんの毛がちょいと跳ねててかわいい。
(けど、よくよく考えてみると……)
十瑪岐の手が細かい作業をこなすさまを間近で見れる可能性に我欲が爆発して深く考えず頼んでしまったが、
(……これ、すごく恥ずかしい距離じゃない?)
いまさら気づく。
というか胸元がどうしても広がるから服の中が見える。ブラジャーが覆っている所はいいのだが、彼からは肌が見えてしまっているのではないだろうか。
端的にいって恥ずかしい。気づいた瞬間、頭に血が上って、耳まで赤くなっている気がする。
場所的に刺青は見えないはずなのでそこだけが救いか。
今すぐ止めようと言おう。けれどここで声を上げると余計に意識しているとバレてしまって詮索されて刺青のことがバレてしまったらどうしよう。
羞恥心と見栄とプライドの思考がぐるぐる回って混乱する。
ふと意識が外へ向く。彼のほうはこの状況をどう思っているのだろう。さっきから一言も発していない。集中しているのとはまた違う沈黙だ。
微かに頭を傾けて十瑪岐の顔を覗き込む。
少年は顔を真っ赤にして口を引き結んでいた。
(──────っ!?)
彼の表情を視認した途端、さまざまな感情が火花のように脳裏を乱れ弾けた。
(面白くて、可哀そうで……かわいいっ)
ひっくるめて、恥ずかしさをわずかに愉快さが上回ってしまう。やっぱりやめましょうの一言が喉の奥へ引っ込んでしまった。いっそこのまま頭を抱きしめたらどんな表情をするだろうか。
などと欲が出たがさすがに実行には移さない。見下ろす指が震えているのが分かるからだ。
十瑪岐は女子との接触に慣れていないようだ。鳴乍がくっつくといつも顔を赤くしてテンパっている。面白くてつい揶揄ってしまうが、無理強いはよくない。
彼のことを想うならば止めさせてあげるべきだろう。普段の慈悲を第一とする鳴乍ならそうするはずだ。
だけど、と考えてしまう。
『オレごときに遠慮しやがるような奴はっ、殴りたくなるんだよっ!!』
『オレはオレに遠慮する奴が嫌いだ』
『友人にくらい気ぃ使いすぎんなよ』
十瑪岐の言葉が意識を掠める。
後半は発熱で記憶が不確かになっているが、彼はそうやって否定したうえで、鳴乍を肯定しようとしてくれていた気がする。
今だってそうだ。
あの自己中心的な十瑪岐が、我慢して付き合ってくれている。
十瑪岐は自分のことを『自他ともに認めるクズ』というが、鳴乍への態度はいつもどこか優しい。鳴乍が僅かに我を出してイタズラしても絶対に蒸し返したり、引きずらないでいてくれる。
それはまるで、ずっと手を差し伸べられているような。
(ちょっとだけ、我が儘を通してみようかな)
そんな気分になった。
頑なに握りしめている手をそっと開いてみたように、暖かいものがしびれを伴って回っていくのを感じた。
一方の十瑪岐は脳内で悲鳴をあげていた。
(なんっ、なななななんでなんなんでこんななな?!)
溢れる感情を言語化しないまま手だけ動かす。早く終わらせたいのに手が震えてうまく針が目的の位置を通らない。
隙間から、青色の下着の縁を彩るようなフリルが見えている。肌を極力見ないように生地を引っ張って中心に寄せると、今度は胸の形が明瞭になって、どっちにせよ居たたまれない罪悪感が募った。
(このシャツわりとデカいサイズなのに、なんで胸元だけ生地に余裕がねえんだよよ。ウエストとかは有り余ってんじゃねえか。どんだけスタイル良いんだよ。惚れ直すぞくそっ)
高速で文句を垂れ流しながら意識を目前の青色と肌色から逸らそうとする。
自分に言い聞かせてみる。これは一種の手術だ。医療行為だ。緊急措置だ。無心になれ。無心になれ。無心に……無理に決まってるだろう。
葛藤を抱えながら指を動かし、あと少しで完成だというところで鳴乍が身じろぎし始めた。
「おい、あんま動くな。なんつーか余計に……し、下着見えるぞ。お前、肌出すのあんま好きじゃねえって莟が言って気がするんだが……」
「胸は布が覆っているからわりと平気よ」
「恥ずかしがるポイントがズレてんだよなあっ! もっと深刻なコンプレックスかと心配して損したわ!」
「……本当にそうだとしたら、どう思う?」
「別にどうも思わねえよ。たとえギャランドゥ濃くても気にしねえし」
「そんなの生えてないよ!」
「見せなくても分かってんよ! ご開帳すんなっ! 涙目になるくらいなら仕舞えい!」
馬鹿げたやりとりをしつつ、糸を巻き付け仕上げに取り掛かる。玉留めして糸を引き千切ると、十瑪岐は急いでその場から飛びのいた。
忘れていた呼吸を再開する。肩で息をしながら赤くなっているはずの顔を腕で隠す。
「終わったぞお! 我ながら会心の出来だ。これで二度と千切れることはねえ。通り魔の狂刃にだって耐えられらあ! ……いや何言ってんだオレ!?」
「くふふっ、ありがとう十瑪岐くん。助かったよ」
笑う鳴乍の顔も少し赤くなっている気がしたが、煩悩を引っ込めるのに忙しい十瑪岐は彼女の様子にまでは思考を回す余裕がなかったのだった。




